出征(3)
ルフェーヴル達が出征してから、一週間が経った。
いくつかの町や村を通り、退屈な旅をして、ルフェーヴルは今回の戦場となる場所に辿り着いた。
山岳地帯の谷間を縫うように進んだ先にあったその土地は、二つの川に挟まれた中洲のような場所で、北に大きな山があり、南は二つの川が合流している。
山と川の合流地点の間が戦場となる。
ファイエット王国軍も、ヴェデバルド王国軍も、二つの川の手前に拠点を置いた。
川にはそれなりに大きな橋がかかっており、両軍共に、それぞれの川の橋を渡って戦場に兵を配置しなければならない。
到着したのは開戦の二日前であった。
そこには既にリスティナ辺境伯や周辺領地の領主、それらの私兵達が集っており、中洲のような土地を挟んでヴェデバルド王国軍と睨み合っている状況だった。
王太子が到着すると、すぐに辺境伯が出迎えた。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます。遠路遥々、お越しいただき恐縮でございます。……我らの力が及ばず、陛下と殿下にご迷惑をおかけしてしまい、まことに恥ずかしい限りです……」
「そう気に病むことはない。此度の件ではリスティナ辺境伯達には非常に助けられている。常に国境を守り、こうしてヴェデバルド王国の侵攻を食い止めてくれている。そなた達は十分、役目を果たしている。それを誇るといい」
「ありがたきお言葉、心が救われるような心地でございます。命懸けで侵攻を食い止めた兵達も喜びましょう」
穏やかに話しているアリスティードとリスティナ辺境伯達を横目に、ルフェーヴルは戦場となる場所を眺めた。
中洲は川の向こうだが、開戦前だからか人影はない。
辺境伯の案内で会議の場として使われている天幕へ向かう。
その間に見かけた兵士達は意外にも士気が高いようだ。
……まあ、王太子が直々に来たわけだしねぇ。
しかも、アリスティードは見かけた兵に軽く手を上げて挨拶をしたり、声をかけたりと気さくな対応をするので、兵達はそれが嬉しいのかもしれない。
会議用の天幕に着き、中へと入る。
あまり広くはないそこにテーブルが置かれ、上には地図が広げられている。
「到着して早々で悪いが、戦況についての報告が聞きたい」
アリスティードの言葉に辺境伯が頷く。
そして、今の状況について説明を始めた。
ルフェーヴルはアリスティードの横で、表情は真面目にしつつ、内心では退屈しながらそれを聞いていたのだった。
* * * * *
ルルが出征してからずっと、離宮の中で過ごしている。
敷地内であれば自由にしてもいいとお義姉様が言ってくれたけれど、なんとなく、庭などの外へ行きたいと思う気持ちが湧かなかった。
ふとした瞬間につい横を見上げてしまう。
そして、そこにルルがいないことに気付いて寂しくなる。
ルルが本職に復帰した時でも、これほど寂しいと感じなかった。
出掛けている時間はさほど変わりはないはずなのに。
いつの間にか俯いていたようで、膝の上に乗せていたアルベリク君の小さな手がわたしの頬をぺちりと叩く。
「あ〜! よーちゃ、めっ!」
「大丈夫、なんでもないよ」
「うう〜!!」
膝の上でバタバタと暴れるアルベリク君に困った。
わたしが上の空だったことが不満なのかもしれない。
「ごめんね、怒らないで」
膝の上から、両手でしっかりと抱き上げて、立ち上がる。
ゆらゆらと優しく、ゆっくりと揺らしながら室内を歩いた。
いつも歌い慣れた女神様の讃美歌を口ずさめば、暴れていたアルベリク君はすぐに落ち着きを取り戻し、静かになる。
ここ数日で気付いたが、アルベリク君は音が好きらしい。
音の出るオモチャや子守歌、楽器の音などを聴くと機嫌が良くなるのだ。
わたしは楽器の類は全く出来ないので、こうして歌を口ずさむ程度だが、アルベリク君のお気に召したようだ。
静かになったアルベリク君がウトウトと目を閉じかける。
今日はなかなか寝ついてくれなくて、昼寝が出来ていなかったそうなので、余計に眠くなったのだろう。
赤ちゃんは重いが、眠るとより重く感じる気がする。
腕の中でアルベリク君が眠ると、起こさないよう慎重に乳母へと渡した。
乳母がそのまま、柵付きの小さなベッドへアルベリク君を寝かせた。
それを見てから静かに退室する。
後ろからリニアさんとヴィエラさん、騎士達がついて来る。
離宮はわたしがいた時よりも警備が厳重になっていて、どうしてか訊いてみたところ、わたしが来るから普段よりも警備を厚くしているのだとか。
騎士達の仕事を増やしてしまって申し訳ないと思いつつ、見覚えのある騎士や使用人達を見つけると嬉しかった。
わたし用の部屋に戻り、窓際のベンチスペースに寝転がる。
柔らかな毛足の長い絨毯とふかふかのクッションが敷き詰められており、レースのカーテン越しに差し込む薄日の下で昼寝をすると心地好い。
……ルルとお昼寝出来たら良かったのに。
夜にしか帰って来られないので仕方がないのだが、今日には戦地に到着すると言っていたので、もしかしたら今晩は帰って来るのが少し遅くなるかもしれない。
起き上がり、端に重ねられた何冊かの本に手を伸ばす。
メルティさんがわたしの好みに合った本を、離宮の図書室から借りてきてくれているものだ。
子爵邸へ移る時に離宮にあった本の半数近くを持って行ってしまったので、その後、お義姉様が新しく本を入れたそうだ。
歴史書や政治に関する本など、専門書が多いそうで、そういうところはお義姉様らしいと思う。
お兄様の離宮の図書室もそんな感じであった。
パラパラとページを捲ってみたものの、目が滑る。
本を閉じて元の場所へと戻した。
せっかく借りてきてもらったというのに、どうしても、読む気になれなかった。
靴を脱ぎ捨て、ベンチスペースの上で膝を抱えて縮こまる。
……ヴェデバルド王国なんて嫌い……。
お父様を暗殺しようとしたこと、戦争を起こしたことで、わたしの中でヴェデバルド王国への好感度はマイナスにまで落ちた。
こんな寂しいのも、不安なのも、心配なのも。
全てヴェデバルド王国が悪いのだ。
顔を上げ、両手を握り、強く祈る。
……ルルやお兄様達が無事に帰ってきますように。
そして、また子爵邸でルルと穏やかな日々を過ごしたい。
ただそれだけがわたしの願いだった。
* * * * *
アリスティードと辺境伯達の会議が白熱し、それが終わったのは、日が暮れてからだいぶ時間が経ってからだった。
戦況の報告を受け、開戦前に、今後どのように兵を配置し、動き、戦うかという話し合いは長かった。
ルフェーヴルからしたら『開戦と同時に敵兵に向けて威力の高い魔法をぶっ放し続ければいいじゃん』と思うのだが、さすがに敵軍も魔法に対して警戒しているらしい。
「広範囲に対魔法用障壁を展開しているのが厄介なのです」
と辺境伯が溜め息交じりに漏らしていた。
ルフェーヴルならばスキルで内側に忍び込み、障壁を展開している魔法士を殺すか、逆に障壁を利用して内側で高威力の魔法を発動させて混乱させることも出来る。
だが、そのような戦い方は良くないらしい。
こっそりアリスティードに進言したら、なんとも言えない顔で「それは戦時法に引っかかる」と返された。
戦争を行う国同士で最低でも守るべき法というものがあり、ルフェーヴルの発案したものは、その法に触れるらしい。
……戦争に法律もクソもないと思うけどねぇ。
内心でそう呆れつつ、ルフェーヴルはそれ以上は黙っておくことにした。
アリスティードは生真面目で少々潔癖なところがあるけれど、いざとなれば清濁併せ呑むことも出来る。
父親であるベルナールの背中を見てきたのだ。
国を治めるためには善だけでは成り立たない。
「あ〜、疲れたぁ」
アリスティード用の天幕に移動し、ルフェーヴルは床に敷かれた絨毯の上に座り込んだ。
ロイドウェルは隣の天幕にいる。
ルフェーヴルにも天幕が一つ用意されているが、我が物顔で居座るルフェーヴルに、アリスティードが呆れた顔をした。
「お前、自分の天幕で休めよ……」
「嫌だよぉ。すぐ近くの天幕にいる貴族が絶対押しかけてきそうだったしぃ」
皆で集まった際にルフェーヴルも紹介を受けた。
アリスティードが「妹の夫で、私とは義兄弟になるニコルソン子爵だ」と言った際、一人、目の色を変えた貴族がいた。
同じ子爵家のようだったが、どうせルフェーヴルを通して王家との繋がり、もしくは王太子との縁を繋ごうと考えたのだろう。
その後、随分と視線を感じたし、天幕に案内された時も鬱陶しく話しかけられ続けた。
「申し訳ありません、王太子殿下に呼ばれておりますので」
と適当な言い訳をしてアリスティードの天幕へと来たのだ。
「そういえば、あの子爵はずっと風見鶏だったな」
アリスティードやリスティナ辺境伯達の会話を一歩引いたところで聞いており、それでいて、良い意見が出るとそれに賛同して、まるで風に吹かれて向く風見鶏のような人物だった。
そのことをアリスティードも気付いていたらしい。
と言うよりかは、周囲の者達もそれを理解しているようであった。
そういった人間が悪いとは言わないし、自分達に関係なければ好きにすれば良い。
だが、しつこく付き纏われるのは鬱陶しい。
「あんまり鬱陶しいと殺しちゃいそうだよぉ」
「……私のほうから注意しておこう」
「ヨロシク〜」
そのまま、ルフェーヴルは絨毯の上に寝転がった。
「おい」とアリスティードの咎める声がしたけれど、気にせず、仰向けで天幕の天井を見上げた。
ルフェーヴルが案内された天幕より広く、大きな王太子用の天幕の中には簡易のベッドと机、ソファーの代わりに厚手の絨毯とクッションが敷かれた場所もある。
床に敷かれた絨毯の質もかなり良い。
この絨毯の上でもルフェーヴルは十分眠れそうだ。
ふと足音が聞こえ、ルフェーヴルは起き上がり、その勢いのまま立ち上がった。
「失礼します。ロイドウェルです」
天幕の外からロイドウェルの声がした。
アリスティードが「入れ」と返す。
ややあって、天幕の出入り口からロイドウェルが顔を覗かせ、入ってきた。
「夕食の準備が整ったみたいだけど、ここで食べる?」
「いや、私も外で食べよう。ルフェーヴルはどうする?」
ルフェーヴルは首を振った。
「いんやぁ、オレは要らないよぉ。いつも通り持って来た食料を食べるから〜」
「お前は一度も皆の作った食事を口にしないな」
「匂いが強いからねぇ。仕事柄、そういうのは避けてるんだよぉ」
「なるほど、それなら仕方がないか」
アリスティードもロイドウェルも納得した様子だった。
「だが、いつも何を食べているんだ? ああ、屋敷での食事の件ではなく、出征中の話だ。匂いとなると干し肉もあまり食べられないだろう?」
「そうだねぇ、いつもはコレを食べてるよぉ」
コレ、と言いながら空間魔法で携帯食料を取り出した。
リュシエンヌに初めてあげたビスケットである。
それを一枚、アリスティードへ渡した。
受け取ったアリスティードがその堅さに目を丸くする。
「随分堅いな」
アリスティードはビスケットを両手で持ち、力を入れて二つに割った。片方をロイドウェルへ渡す。
そしてアリスティードとロイドウェルがビスケットの端にかじりついた。
そうして、数秒固まった。
「……堅いし、あまり美味しくないね」
「……そうだな」
一旦、口を離した二人が呟く。
それにルフェーヴルは小さく吹き出した。
「だよねぇ。でも、リュシーの好物だよぉ。リュシーがまだ後宮にいた頃、初めてオレがあげた食べ物がコレだったんだぁ。他に携帯食は持っていなかったからねぇ」
「リュシエンヌが? ……ああ、だからたまに食べていたのか」
アリスティードがどこか物憂げな表情でビスケットを見た。
二人が言う通り、このビスケットは美味しくない。
特に貴族ならば普通に生活していれば、絶対に口にしないようなものだ。
それをあの当時のリュシエンヌは美味しいと言った。
ルフェーヴルが与えたビスケットを、まるで宝物のように大切にして、大事そうに食べていた。
今でも時々、欲しがるので与えている。
「あ、でも最近はリュシーの考えた野菜入りのビスケットなんかも出回るようになったからぁ、そっちは味も栄養面もだいぶ良くなったけどねぇ。仕事中の食事は大体コレだよぉ」
「そうなのか」
「暗殺者という仕事も大変ですね……」
「まあねぇ」
二人が話しながら、ビスケットをそれぞれハンカチで包む。
これから食事があるので夜食として食べるつもりらしい。
「それだけだと微妙な味だけどぉ、チーズと干し肉と一緒にワインで食べるとまだマシだよぉ」
アリスティードもロイドウェルも匂いを気にする必要はないので、そうして食べるのであれば、まだ食べられるだろう。
「分かった」
「教えていただき、ありがとうございます」
二人がどこかホッとした様子なのは、この美味しいとは言えないビスケットをどうやって食べようか考えていたからか。
ルフェーヴルも初めてこのビスケットを食べた時は『なんだこれ?』と思ったものだ。
「じゃあ、何か用事があったら通信魔道具で呼んでねぇ」
二人にそう言い、王太子用の天幕を出る。
それからルフェーヴルに当てがわれた天幕へ行き、中へ入り、周囲に人の気配がないことを確認してから転移魔法を使用して、妻のいる離宮へ向かう。
そうしてリュシエンヌと共に食事を摂るのが、この一週間での日課になっていた。
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