出征(1)
そうして、わたしとルルの準備が整った。
出立当日の早朝、わたしとわたしについて来る侍女と騎士、そしてルルが屋敷の中庭に集まる。
見送りにクウェンサーさんが出てきてくれた。
「奥様、ごゆっくり里帰りをなさってくださいね」
と言われて苦笑した。
ルルが出征することについては気にしていないらしい。
「屋敷のこと、よろしくお願いします」
「はい、承りました」
沢山の荷物はわたしのものばかりで、それをルルが空間魔法に収納し、結局わたし達も手ぶらになった。
「それじゃあ行ってくるからぁ」
ルルが詠唱を行い、転移魔法を展開させる。
一瞬視界が歪み、浮遊感があり、室内へ移動した。
わたしが以前住んでいた離宮の応接室である。
そこにはやはりフィオラ様がいた。
「ようこそ、お越しくださいました」
「しばらくの間、よろしくお願いします」
その後、使用人が呼ばれ、ルルが出した荷物が運ばれる。
使用人は見覚えのある人達ばかりだった。
……わたしがいた頃から仕えてくれている人達だ。
リニアさんはわたしのお世話のことで話があるらしく、別の侍女について行き、わたしとルル、そしてメルティさんとヴィエラさん、二名の騎士がフィオラさんの案内を受けて移動する。他の騎士は警備の確認をするようだ。
居間に通されるとお義姉様とアルベリク君がいた。
「ご機嫌よう、リュシエンヌ様、ニコルソン子爵。さあ、アルベリクも妖精さん達にご挨拶をしましょうね」
「よーちゃ!」
アルベリク君がお義姉様の腕の中で嬉しそうに手をばたつかせる。
「ご機嫌よう、お義姉様。アルベリク君も、おはよう」
「どぉも〜」
わたしとルルが手を振るとアルベリク君が「ぅあ〜!」と弾けるように声を上げた。
あまりにばたつくのでお義姉様が苦笑を浮かべた。
「アルベリクはリュシエンヌ様に抱っこしてほしいようですわね」
近付き、お義姉様の手からアルベリク君を受け取る。
随分とずっしりとした重みで、これ以上大きくなったらわたしでは抱えられないかもしれないと思った。
温かくて、柔らかくて、何度抱き締めても可愛らしい。
「あー! よーちゃっ、ちゃっ!」
「何言ってるか分かんないよぉ」
アルベリク君がルルを見て元気に話す。
それにルルが律儀に返している。
またばたつくので床へ下ろせば、アルベリク君がルルのところへよちよちと歩き、足にしがみつく。
「くっつくのはいいけどさぁ、前みたいに汚さないでよぉ?」
以前、アルベリク君がルルのズボンをよだれだらけにしてしまったことをルルは若干根に持っているらしい。
あの時のルルの驚いた顔は珍しかった。
部屋の扉が叩かれ、お兄様が入ってきた。
「ああ、もう来ていたか」
ルルの足にしがみつくアルベリク君に小さく笑い、お兄様がアルベリク君を抱き上げた。
「ぱぁ!」
「そう怒るな。また妖精さんの服を汚すと後が怖いぞ」
「あー、ぱぁ! よーちゃっ!」
抱き上げられて不満なのかアルベリク君が小さな手でお兄様の顎下を叩くが、お兄様は嬉しそうに、くすぐったそうに笑っていた。
お兄様からお義姉様にアルベリク君が戻される。
その頭をお兄様が優しく撫でる。
「まあ、ルフェーヴルがいるから心配は必要ないだろう」
「ええ〜、オレ頼み〜?」
「今回は私の側近としてついて行くのだから、こき使ってやる」
ルルが若干嫌そうな顔をしたが、お兄様は笑っている。
ちなみにルルは領地を持たないので私兵もなく、それもあってお兄様直属の部下という形で参加することになる。
「お兄様も無理はなさらないでくださいね」
王太子の立場では、時には引けない場面もあるかもしれないが、それでも命は大事にしてほしい。
「ああ、心配するな。引き際は弁えているし、今回は私が総指揮官となっているが、他の貴族達もいて、皆で相談し合って決定を下すことになる」
「そうなのですね」
「そうだった、それでリュシエンヌに許可を得ておきたいことがあったんだ。通信魔道具の、映像がないほうを連絡手段としていくつか使用したいんだが、構わないか?」
「はい、わたしは構いません」
戦争の中で、情報のやり取りが即座に出来るというのは大きな強みになる。
ルルが伝令役をするよりも、通信魔道具で直に連絡を取り合えば、戦況の把握や指示も出しやすくなる。
「助かる。一応、指揮官のみに戦中のみ貸し出すことになる」
お兄様が懐から取り出したのは懐中時計だった。
パッと見は普通の懐中時計だが、どうやらこれが通信魔道具であり、それをお兄様がルルへ渡す。
「通信はこれを使ってくれ」
「りょ〜かぁい」
「私と他の指揮官五名に渡す通信魔道具と繋がるようにしてもらった。お前が他の指揮官と話すことはあまりないと思うが、一応そうしてある」
ルルが受け取った懐中時計を上着の内ポケットへ仕舞う。
「それでは、ルフェーヴルを借りて行く」
「ルルもお兄様も、お気を付けて」
お兄様が頷き、わたしはルルと抱擁を交わす。
「それでは、行って来る。リーナ、また後で」
「ええ、また後ほど」
「アルベリクも良い子でいるんだぞ」
もう一度お兄様がアルベリク君の頭を撫で、お兄様はルルを連れて部屋を出て行く。
わたしはその背中をただ、眺めることしか出来なかった。
* * * * *
リュシエンヌと別れた後、ルフェーヴルはアリスティードと共に王城へと移動した。
既に今朝の早い時間に大体の兵は出発したらしい。
「私達は軽いパレードをしてから向かう。ヴェデバルドに宣戦布告されて不安を感じている民も多いからな。我が国は理不尽な戦に立ち向かうのだという姿を見せねばならん」
「オレは参加しなくていいよねぇ?」
「そうだな、なんなら王都の外で合流すればいい。パレード中は馬で移動するが、王都の外へ出たら私とロイドは馬車に乗る。その時に通信魔道具で声をかけよう」
「じゃあ、その間にちょ〜っと寄り道してようかなぁ」
ルフェーヴルの言葉にアリスティードが訊き返してくる。
「どこかに用事か?」
「ギルドにねぇ。魔力回復薬の準備が出来たって話だから、挨拶ついでに取りに行ってこようと思って〜」
「そうか、分かった」
転移魔法を頻繁に使うかもしれないので、魔力回復薬は必要であった。
近距離の移動はともかく、毎晩、リュシエンヌの下へ戻るとなると日に一本は必要になるだろう。
「それじゃあ、また後でねぇ」
ルフェーヴルは詠唱を行い、転移魔法で城下へ飛んだ。
いつもの適当な家の屋根に転移し、家々の屋根の上を伝って闇ギルドへ向かう。
屋根からギルドの窓に飛び移り、中に人気がないことを確認して魔法で鍵を開けて室内へ入り込んだ。
バレないように鍵をかけ直しつつスキルを切った。
廊下を進み、階段を上がり、最上階のギルド長室に辿り着く。
部屋の前にいる女傭兵が訝しげな顔をした。
「……珍しく派手だな」
無口な女傭兵が思わずといった様子で呟く。
「これでもオレ、お貴族様だからねぇ」
「そういえばそうだったな」
女傭兵が扉を叩き、ややあって、顎で中へ入るよう示す。
ルフェーヴルは扉を開けて中へと入る。
室内には闇ギルド長のアサド=ヴァルグセインがいた。
「魔力回復薬、取りに来たよぉ」
ルフェーヴルが声をかければアサドが顔を上げる。
「ああ、そちらに用意してあります。ご注文通り三十本、箱ごと持っていってくださっても大丈夫ですよ」
「りょ〜かぁい」
テーブルの上に置かれていた箱と、その中にある小瓶を確認し、ルフェーヴルは空間魔法に箱ごと収納した。
普段と違う装いだからか、アサドの視線を感じる。
……まだ時間があるねぇ。
そろそろアリスティードと王太子付きの騎兵隊達が、パレードをしながら王都を出立することだろう。
ルフェーヴルは連絡があってから移動すれば良い。
ソファーに腰掛けるとアサドが、おや、という顔をする。
「あなたも従軍するのでしょう? 行かなくて良いのですか?」
「王太子サマと騎兵隊がパレードしてから出るらしいからぁ、それが終わったら合流するつもりぃ」
「なるほど」
「それまではココでちょ〜っと暇潰しさせてもらうよぉ」
背もたれに寄りかかり、頭の後ろで両手を組む。
そんなルフェーヴルにアサドが微笑んだ。
「ええ、どうぞ。……あなたとしばらく会えなくなるかもしれないと思うと、少し寂しいですね」
「キモチ悪いこと言わないでよぉ」
ルフェーヴルは思わず嫌な顔をしてしまう。
「ギルドの依頼の中には戦争への傭兵派遣というものもあります。どれほど強い者でも、戦争ではあっけなく死んでしまうことも少なくないのですよ。ランク一位であり、一番の稼ぎ頭であるあなたを失うのはあまりにも惜しい」
アサドの言いたいことは分かる。
だが、ルフェーヴルにとっては暗殺よりも戦争のほうが気楽な仕事であった。
暗殺の仕事では対象外を殺してはいけない場合もあるけれど、戦場では、敵の兵士はとにかく殺せばいい。
敵味方がハッキリ分かっているから、やりやすい。
「心配しなくても死ぬ気はないよぉ。奥さんと一緒に過ごす時間が楽しすぎて、まだ死にたいって思ってないしぃ、金も稼ぎたいしねぇ」
「それは何よりです」
ふと、ルフェーヴルはアサドのほうを見た。
「そういえばさぁ」
「はい」
「アサドはアイツと子供作ったりしないのぉ?」
ごふっと咽せる音が響き、アサドが大きく咳き込む。
それに、さすがのルフェーヴルも『あ、ちょっと訊き方悪かったかなぁ』と感じた。
しばらく咳き込んだ後、やや掠れた声と共にアサドが顔を上げた。
「わ、私達はそのような関係ではありませんので……」
「ふぅん? でもアイツのご主人サマなんだよねぇ?」
アイツ、と扉のほうを指で示したルフェーヴルに、アサドが苦笑しながら頷いた。
「ええ、まあ。ですが、私も彼女もそういった繋がりは求めていないのです」
アサドの言葉の意味が分からず、ルフェーヴルは首を傾げた。
「アイツがアサドの所有物で、アサドがアイツの主人って事実があればそれでいいってこと〜?」
「そうですね、あなたには理解しがたいかもしれません。私は結婚するつもりがなく、彼女も私と恋仲になりたいとは思っていません。けれども、お互い最も信頼して心を許している間柄ではありますよ」
「ん〜?」
ルフェーヴルは体ごと小首を傾げてしまった。
ルフェーヴルにとって、自分が欲しいと思った相手は手に入れるべきだし、リュシエンヌのことを考えると独占欲や執着心を強く感じる。
たとえアリスティードやベルナールであっても嫉妬はするが、リュシエンヌの幸せそうな顔を見ると、その笑顔を壊したくないとも思うので黙ってはいるが。
「心さえあればそれで十分ということです」
「オレには分かんないやぁ」
確かにアサドもあの女傭兵も、性欲などはあまりなさそうには見えるが、ルフェーヴルには理解出来なかった。
特にリュシエンヌと心身共に繋がる幸福の味を覚えたルフェーヴルにとって、死ぬほど空腹なのに、目の前に置かれた料理に手を伸ばさないようなものだった。
それが毒入りならば少し考えるが、他の何ものにも代えられないほどの甘美な味がするならば食べればいい。
しかも相手もそれを望んでいるなら迷う必要はない。
「世の中には様々な愛の形があるんですよ」
と子供を諭すように言われ、ルフェーヴルはまた「ふぅん?」と不思議そうに返事をしながらも傾けていた体を起こす。
「あ、そぉそぉ、出征中の連絡なんだけどぉ、奥さんのほうに通信魔道具持たせてるからぁ、用があったらそっちに連絡してぇ」
「分かりました。夫人とは毎日定期連絡を?」
「ううん、毎晩帰るつもり〜」
アサドが目を丸くし、けれど、すぐに納得した顔をする。
「ああ、だから魔力回復薬が必要なのですね。しかし、服用量には気を付けてくださいね」
「分かってるよぉ。どんな薬でも飲みすぎれば毒だしねぇ」
リュシエンヌには毎晩会いたいが、そのために命を削っていたら意味がない。
何より、ルフェーヴルはもうかなり無理を続けている。
今はまだ良くても、もう少し歳を取れば、これまで重ねてきた無理のしわ寄せがやってくるだろう。
……長生きしたいなんて思う日があるなんてねぇ。
昔は自分だろうが他人だろうが命に関心などなかったが、今は自分とリュシエンヌの命の両方を気にかけている。
リュシエンヌを殺すためには生き残らなければいけない。
そして、恐らくだがリュシエンヌを殺せるのはルフェーヴルだけだ。
女神の加護とスキルで、ああ見えてリュシエンヌは頑丈なので、祝福を授かったルフェーヴルぐらいでなければ簡単には殺せないだろう。
……いつか、この手でリュシエンヌを殺す。
最後に殺す命はリュシエンヌと決めていた。
「まあ、稼ぎ頭として長生き出来るよう努力はするよぉ」
そんな話をしている間に時間が過ぎていき、ルフェーヴルの懐に仕舞っていた懐中時計が小さく震える。
ルフェーヴルは懐中時計を取り出し、通信に応答した。
「終わったぁ?」
【ああ、今、王都の外に出たところだ。予定通りの場所で休憩している】
「分かったぁ」
パチンと懐中時計の蓋を閉じて通信を切る。
「じゃあ、オレもそろそろ行ってくるよぉ」
「ええ、お気を付けて」
ルフェーヴルは詠唱を行い、今度はアリスティードの下へと転移魔法で移動したのだった。




