戦争準備
一度目の連絡の後、ルルはすぐに出征の準備をした。
準備と言っても、闇ギルドに行って服と日持ちのする携帯食料の用意を頼むくらいらしい。
携帯食料は懐かしの、あの堅焼きビスケットである。
「リュシーのおかげでいくつか味違いが出たらしいよぉ」
一番安いプレーン味、次に安い野菜味、それから匂いの少ないドライフルーツを混ぜたもの、最後にチョコレートで風味をつけたもの。ルルは多少高くてもチョコレート味を多めに買ったようだ。
意外と一番人気は野菜味だそうで、小麦と野菜の素朴な甘みに、栄養が手軽に摂れるので旅の携帯食料にピッタリだと買う者が多いのだとか。
ちょっとお金がある人は野菜味とドライフルーツを混ぜたものを買って、交互に食べるのが密かに流行っているらしい。
「はい、お土産〜」
ルルがプレーン味の堅焼きビスケットを数枚くれた。
……わたしはやっぱりこれが一番かなあ。
そのままかじりつくと歯が負けてしまいそうだけれど、端っこを咥えて待っていれば段々と柔らかくなる。
そこからジリジリとかじり取って食べていくのも楽しい。
シンプルな小麦の香りと香ばしさ、ほのかな甘みにちょっとの塩気。初めてルルからもらった時の記憶のままの味だ。
別の部屋からルルが長剣を持って来て、他の普段使うナイフなどと一緒に向かいの席で武器の手入れを始める。
それを眺めながらビスケットをじっくり攻略する。
お互い会話はなかったけれど、心地好い沈黙だった。
わたしがビスケットを一枚食べ切る頃、武器の手入れを終えたルルが長剣を手に立ち上がった。
「たまには騎士達と訓練しようかなぁ。長剣は普段使わないしぃ、ついでに剣の具合と扱い方を確かめないとねぇ」
と言うので、口の中に残ったビスケットを紅茶で流し込む。
「見に行ってもいい?」
「もちろんいいよぉ」
ルルと二人で屋敷の裏庭へ向かう。
後ろからヴィエラさんが静かについて来た。
相変わらず、ルルもヴィエラさんも足音がしない。
わたしの分だけの足音が廊下に響く。
ヴィエラさん曰く、この屋敷で足音を立てる人間は限られているそうで、大体、足音を聞けば誰のものかは分かるそうだ。
特にわたしとリニアさん、メルティさんの足音は訓練を受けていない人間の音だから分かりやすいらしい。
廊下を歩いていて、あまり使用人とすれ違うことがないと思っていたけれど、実は足音が聞こえると身を隠してしまう者も少なくないのだとか。
元々、裏社会で生きていた者が多いので、その辺りはもはや癖だとヴィエラさんだけでなく、クウェンサーさんまで苦笑していた。
でも姿が見えないだけでみんな真面目なのだろう。
屋敷の中はいつも綺麗だし、ベルを鳴らせば必ず使用人が来るし、庭も整えられており、料理も美味しい。
わたしが話したいと言えば機会をつくってくれる。
裏庭へ出るとルルが空間魔法で日傘を出して、わたしへ差しかけてくれる。
「ありがとう、ルル」
「どういたしましてぇ」
そうして裏庭の訓練場へ行く。
この屋敷にはわたしが降嫁しても仕えてくれる騎士がいて、それとは別に、ルルが闇ギルドから雇った人達もいて、両者が上手く調整して屋敷の警備を行ってくれている。
警備に当たっていない人は訓練場で鍛えていることが多い。
「やっほぉ、ちょ〜っといい〜?」
ルルが声をかけるとその場にいた全員が振り向き、パッと集まって整列する。
「子爵と夫人にご挨拶申し上げます!」
と全員が声を揃えて挨拶をしてくれた。
「こんにちは、突然お邪魔してしまってごめんなさい」
「久しぶりに長剣を使いたいから、誰か相手してくれなぁい? もう説明は聞いてると思うけどぉ、オレ、多分もうすぐ戦争に行くからさぁ。腕が鈍ってないか確認したいんだよねぇ」
ルルの言葉に何人かが顔を見合わせ、そして、騎士達が数人ほど手を挙げた。
それにルルがニッと口角を引き上げる。
「じゃあ、最初は一人ずつやろっかぁ」
ちょっと待ってねぇ、とルルが言い、空間魔法からあれこれと荷物を取り出した。
椅子、テーブル、大きなパラソル、紅茶とルルが取り出したものをヴィエラさんが手慣れた様子で整え、あっという間に観戦席が出来上がった。
「リュシーはココでゆっくり見ててねぇ」
促されて椅子に座れば、ヴィエラさんがサッとティーカップを用意してくれて、至れり尽くせりである。
ルルは長剣片手に騎士達のほうへ行き、手合わせする騎士達と少し話した後、それぞれと手合わせを始めた。
ファイエット邸にいた頃も、王城の離宮で暮らしていた頃も、ルルがお兄様や騎士達と手合わせをする姿は何度も見てきた。
……でも、何度見てもかっこいいんだよね。
ルルと騎士が長剣で戦う姿を眺めながら紅茶を飲む。
訓練中に剣が折れてしまうのではと思うほど激しい打ち合いをしているが、遠目にもルルが手合わせを楽しんでいる様子が窺えた。
珍しくルルの気持ちが高揚しているように感じられる。
「……戦争かあ……」
思わず呟いたわたしにヴィエラさんが訊き返してくる。
「旦那様のことが心配なのですか?」
「うん、ちょっとね。転移魔法で逃げられるけど、どんなに個人が強くても多勢に無勢ってこともあるから……」
「そのような場合はあっさり引くでしょう。暗殺者は逃げ足が速くないと務まりません」
「確かに」
思わずヴィエラさんの言葉に頷いてしまう。
対象を暗殺したら即座に離脱するものだろう。
……ルルの場合は認識阻害のスキルがあるし。
手合わせと言いつつ、少し本気を出しているらしいルルを眺めながら思う。
認識阻害スキルで姿や気配を隠せて、女神様の加護の影響や祝福などで魔力も体力も桁外れに多くて、そして魔法は全属性持ち。
……わたしの旦那様、最強すぎる。
「そういえば、お屋敷のみんなはルルが出征することは知ってるんだよね?」
「はい、存じ上げております」
「そのわりにはみんな普通と言うか、いつも通りだね?」
ヴィエラさんが一つ頷く。
「旦那様が本職の仕事をされるのも、戦争に参加されるのも、私達にとっては同じようなものです」
この辺りの感覚はヴィエラさん達はルルに近いらしい。
「ですが、奥様に心配してもらえることを旦那様は喜んでいらっしゃるようです」
「え? そう? 全然気付かなかったけど……」
「心配するということは、奥様のお気持ちがその分、旦那様に向きますので、執着心と独占欲の強い旦那様からしたら嬉しいのかもしれません」
……そういう考え方もあるんだなあ。
ルルのことは心配だけど、それを伝えると、ルルの強さを疑っていると思われるかもしれない。
だから黙っていたのだが、ルルにもヴィエラさんにも筒抜けだったようだ。
「それに旦那様は恐らくですが、毎晩帰ってこられると思います。我慢強いけれど、奥様と会えない時間がとても苦痛のようですから」
「あはは、ありえそうだね」
なんてその時は笑ったけれど、出征したのに、本当に毎晩ルルが戻ってくることになるのだが、それはまた後の話である。
* * * * *
二度目の連絡を受けて、正式にルルが参戦することが決定した。
それ自体は最初から決まっていたことなので問題なかったのだが、問題はわたしのほうにあった。
元とは言え、王女だったわたしがどこにいれば安全か、という話になったのだ。
もしルルが出征中に屋敷が襲われ、王女に何かあれば、ルルも責任を問われるし、たとえばヴェデバルド王国の者が密かにわたしの居場所を突き止めて来るかもしれない。
わたしがヴェデバルド王国の手に渡った時を想像するとルルがどんな行動をするか分からないという不安もあるが、お兄様やお父様に苦渋の決断を強いることになってしまう。
わたし自身もお兄様達を困らせたくはない。
出征の間はどこか安全な場所にいたほうがいいだろう。
そういう話になった時、お兄様が提案してくれた。
「それならば、元々リュシエンヌが住んでいた離宮に行くのはどうだ? 王太子妃の離宮ならば勝手に訪れる者もいないし、警備も万全で、リュシエンヌにとっても過ごしやすい場所だろう?」
今の屋敷の場所を知る人は少ないけれど、王城ならば安全だろうし、お義姉様と甥っ子と過ごすのも悪くないかもしれない。
……何かあった時、ルルがすぐに駆けつけられるとは限らないし。
ルルからもらった指輪はつけているが、宮廷魔法士として過ごしている時にも感じたが、攻撃目的でないものは防げない。
たとえば火事の中で逃げられない状況だと煙や炎のせいで死んでしまうし、ぶつかっただけとか腕を掴んだだけとか、わたしに悪意を持っていない人間は触れることが出来てしまう。
魔法は実は万能ではない。
離宮に行くことはルルも賛成してくれた。
「リュシーが義父上の近くにいるなら、オレも安心だしねぇ。王城内には黒騎士も多いしぃ」
今のお屋敷でも十分安全だと思うけれど、もし元王女の誘拐なんてことになったら戦争の行方に大きな影響が出る可能性もある。
わたしだけの問題ならばいいが、お父様やお兄様だけでなく、国全体にも、民にも、迷惑をかけてしまう。
「よろしくお願いします、お兄様」
頭を下げたわたしにお兄様が微笑んだ。
「実家に帰って来るだけだ。そう堅苦しく考える必要はない。エカチェリーナもアルベリクも、リュシエンヌが好きだから、きっと喜ぶ」
「ありがとうございます。わたしも離宮で過ごす準備をしますね。お義姉様にもよろしくお伝えください」
「ああ、分かった」
それから、お兄様はすぐにお父様とお義姉様から、出征中にわたしが離宮で過ごすことの許可を得てくれた。
元より二人もわたしの存在を気にしていたそうで、賛成して、お義姉様はとても喜んでいるらしい。
「エカチェリーナと父上なら、リュシエンヌを安心して任せておけるしな。良ければアルベリクと遊んでやってくれ」
アルベリク君はもう一歳を過ぎた。
生まれた時は少し小さかったという体も、今では普通の一歳児よりやや大きく、もう一人で立って歩くことも出来る。
あと、よく喋って好奇心も元気も旺盛な男の子だ。
わたしとルルのことを、お兄様が「妖精さん達だぞ」と教えたせいか、アルベリク君はわたしとルルを見ると「やーちゃ!」と喜ぶ。多分、妖精さん、と呼んでいるつもりらしい。
まだ幼いアルベリク君がうっかりどこかでわたしやルルの名前を出さないように、そう教えているようだ。
拙い足取りでよちよち歩きながら「やーちゃ! やーちゃ!」と手を伸ばして近付いてくる姿はとても可愛らしい。
しかし、何故かアルベリク君はルルによく懐いている。
わたしにも懐いてくれているものの、ルルのズボンを掴んで離さなかったり、よじ登ろうとしたり、王女時代の孤児院への慰問を思い出す。
ルルはあの頃も小さな子達に懐かれていた。
「これくらいの子供って怖いもの知らずだよねぇ」
と珍しくルルが小さく溜め息をこぼしていた。
……まあ、それはともかく。
わたしが離宮にしばらく行くと決まると、ルルが出征すると言った時よりも屋敷が慌ただしくなった。
荷物を用意して、ルルが空間魔法で運んでくれると言っても、結構な数のドレスや夜着、下着などの他にも日用品といったものもリニアさん達が準備してくれた。
ちなみに、侍女三名は全員わたしについて来るそうだ。
リニアさんとメルティさんはわたしの世話が主で、ヴィエラさんは警護も兼ねている。
騎士も何名か連れて行くことにした。
わたしとルルがいない間の屋敷のことは、クウェンサーさんに任せる。女たらしなところはあるが、仕事に関しては真面目で要領も良い人なので、数ヶ月空けてもきっと大丈夫だろう。
でも、ヴィエラさんと数ヶ月離れ離れになるかもしれないと聞いて「離れたくない」と抱き着き、ヴィエラさんから綺麗なアッパーをお見舞いされていた。
かなり痛そうだったけど、クウェンサーさんは嬉しそうだった。
後で教えてもらったが、あれはヴィエラさんなりの照れ隠しなのだとか。
「ヴィエラが本気でしたら、今頃私の顎は砕けていますよ」
と笑っていて、やはり二人の関係はわたしには不思議だった。ルルは呆れた顔をしていた。
そんなこともありつつ、なんだかんだ、ルルとわたしの準備は順調に進み、出立予定の前日までにきちんと整った。
ルルが出征で着て行く服を見せてくれたが、装飾品が一切ないものの、刺繍が襟や袖に施されているのでそれなりに華やかで、でもシャツも上着もズボンも全てがほぼ黒かダークグレーで統一されていた。
黒い編み上げのブーツを履き、手袋も黒という徹底ぶりである。
「明るい色だと返り血とか目立つしねぇ」
戦争なので装飾品はルルに必要なく、隠密行動中に装飾品の擦れる音が鳴ると困るので不要なのだとか。
暗殺者スタイルとは違う格好も良く似合っている。
「その服も凄く素敵」
それに長剣を携えている姿は文句なしにかっこいい。
「ルルはなんでも似合うね」
わたしの言葉にルルが嬉しそうに笑った。
そして抱き締められる。
「心配しなくても必ずリュシーのところに帰って来る」
「うん、わたしより先に死ぬなんて許さないから」
「オレがリュシーを殺してあげるって約束だもんねぇ」
ルルがもう一度、ギュッとわたしを抱き締め、腕を緩める。
その胸元にそっと触れた。
服で見えないけれど、ここにはルルをわたしに繋ぐ隷属魔法がある。
「武勲を立てて、伯爵夫人にしてあげるよぉ」
そう言ったルルは、いつもと同じゆるい笑みを浮かべていた。
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