ある春の夜
お兄様とお義姉様の子が生まれてから約一年が過ぎた。
甥っ子のアルベリク君はこの一年、すくすくと成長し、みんなから可愛がられているらしい。
雪解けも終わり、もうすぐ春が訪れる。
夜、寝室でルルに膝枕をして過ごしていると、ルルが目を開けて起き上がった。
そのすぐ後に通信魔道具が震える。
ルルが立ち上がり、通信魔道具を掴むと箱を開け、通信を繋げた。
【遅い時間に済まない】
魔道具に映し出されたのはお兄様だった。
「こんな時間に連絡してくるなんて珍しいねぇ」
もうすぐ日付けが変わろうかという時間である。
ルルの言葉にお兄様が苦笑した。
【先ほどまで仕事が長引いてな……】
「お疲れ様です、お兄様」
【ああ、リュシエンヌもそこにいるのか】
ルルが魔道具片手に戻ってきて、わたしの横へ腰掛けた。
よく見るとお兄様はまだきちんとした装いで、本当に仕事を終えたばかりですぐに連絡をしてきたようだ。
【いつもの定期連絡と言いたいところだが、リュシエンヌとルフェーヴルに重要な話がある】
「オレにも〜?」
【ああ、むしろルフェーヴルのほうが主だ】
そうして、お兄様が溜め息交じりに話した。
このファイエット王国と接している隣のウェデバルド王国とは、昔から大なり小なり国境沿いで小競り合いが続いている。
十数年ほどはヴェデバルド王国の飢饉もあり、そういったことはなかったのだが、あちらの国の飢饉が終わり、国が持ち直してきたからか、ここ一年ほどの間に国境でまた小競り合いが起き始めた。
戦争とまではいかないが、越境してきた兵が近隣の村で好き放題するといったこともあり、さすがにファイエット王国もそれらを容認は出来なかった。
ファイエット王国は正式に抗議をした。
それに対し、ヴェデバルド王国は『そこは我が国の領土であり、兵士を捕縛したファイエット王国こそ越境行為である』と言った。
これでファイエット王国が引き下がれば、国土を奪われてしまう。
しかしヴェデバルド王国はその土地が欲しい。
結果、どちらも引き下がれなくなった。
そして、国境沿いで小さな争いが勃発した。
最初はその土地を治める領主の兵達が戦っていたが、段々と状態が悪化し、小競り合いと言うには大きくなっていった。
「ヴェデバルドって、以前ルルにお父様の暗殺依頼を出したかもしれないという話をした国ですよね……」
【そうだ】
お父様の件で嫌な国だなと思っていたけれど、完全に今回のことで嫌いになった。
……それなりに大きな国だからって好き放題しすぎだよ。
【まだヴェデバルド王国は何も言っていないが、恐らく、あちらから宣戦布告されるだろう】
この争いは他国も注視しているため、ヴェデバルド王国は絶対に何もせずに引き下がることはない。
そうなれば否が応でも争うことになる。
【宣戦布告に備え、我が国も本格的に戦争の準備を行うことが決定した。どちらにしても国境の兵は増員せねばならない】
「戦争、ですか……」
【ああ。重要な話というのは、その戦争に関することだ】
お兄様が一瞬黙り、そして、静かな声で言った。
【開戦の際、ルフェーヴルには貴族として参戦してもらうことになるだろう】
ハッとしてルルを見上げたが、ルルはいつもと変わらずゆるい笑みを口元に浮かべたままだ。
……ルルが戦争に行く……?
貴族である以上、戦争があれば従軍する義務がある。
【もちろん、ルフェーヴルだけではなく、私もあちらでの総指揮官として参戦する】
「え、お兄様も?」
【私もいずれは王位を継ぐが、ただ王太子というだけではダメなんだ。この戦争で武勲を立て、周囲に次代の王としての力を示さなければならない】
お兄様だけでなくロイド様も側近として参加するらしい。
だが、それだけでは些か不安がある。
戦場では情報の伝達速度が何よりも重要で、そして敵の情報を得ることも戦況を左右する。
そのため隠密行動に優れ、情報収集に長けた者がほしい。
そう考えた時、お兄様の頭に浮かんだのがルルだった。
お兄様が信頼し、隠密行動も出来るので情報収集に向いており、いざという時に暗殺も行える。
戦場へ向かうので、信頼出来る貴族で身辺を固めておきたいというのも理由の一つだ。
【悪いが、お前にも召集令を出す】
「ん〜、金がもらえるならオレはいいけどぉ」
【それなりに武勲を立てれば報奨金が出る。宣戦布告をされたらすぐに連絡を入れるから、ルフェーヴルはいつでも出征出来るように今のうちから準備をするように頼む。開戦から最低でも一ヶ月以上、場合によっては数ヶ月から年単位でかかるかもしれない】
そう言ったお兄様の表情は少し暗い。
一歳になったばかりの我が子と、ようやく体調が戻って公務に復帰したばかりの妻を置いて、数ヶ月も王都を離れるのは不安も大きいだろう。
その間に子供もあっという間に大きくなってしまう。
子の成長を見られないことは寂しいだろう。
ルルが小首を傾げた。
「貴族としてオレは出るんだよねぇ?」
【そうだな】
「じゃあ本職のほうを調整しないとねぇ」
ルルの言葉にお兄様が目を丸くした。
【……嫌がらないんだな?】
「戦争に行くのも、暗殺しに行くのも似たようなものでしょぉ?」
お兄様が呆れた顔をする。
【いや、全然違うだろう……。まあ、お前が快諾してくれるなら、ニコルソン子爵家当主への参戦命令を出す】
「はいはぁい、分かったよぉ」
ルルは戦争に引っ張り出されるというのに嫌がる様子はない。
むしろ、お兄様のほうが心配するような、申し訳なさそうな顔をしている。
【ルフェーヴル、リュシエンヌ、すまない。出来る限りお前達を表舞台には出さないようにしたかったのだが……】
「正直、ルルに戦争に行ってほしくない気持ちはありますけど、お兄様に何かあるのも怖いので、ルルがお兄様のそばにいてくれることには賛成です。いざとなったら転移魔法でお兄様を連れて逃げることも出来ますし」
【そのような状況にはなってもらいたくないがな】
だが否定しないのは、そういう可能性があるかもしれないとお兄様も考えているからで、ルルもそれを分かっているのだろう。
「っていうかぁ、オレを引っ張り出すのは他にも理由があるんじゃないの〜?」
ルルがテーブルの上に置いた通信魔道を指でつつく。
お兄様が【やめろ、映像が揺れる】と一瞬嫌そうな顔をした後、小さく溜め息を吐いた。
【ああ、今回の件で私の武勲と共に、ルフェーヴルにも武勲を立てさせ、爵位を上げさせておこうと思ってな】
「ルルが子爵ではダメなんですか?」
【ダメではないが、王女の嫁ぎ先が子爵家のままというのも身分が低すぎる。領地を持たないことを考えても、せめて伯爵位くらいはないと王女の降嫁先として悪目立ちするというのもある。……もし、お前達に子が出来た時、その子が爵位を継ぐならある程度の身分のほうが安全だしな】
お兄様の言葉にルルがソファーの背もたれに寄りかかる。
「オレとしては爵位を上げるのは別に構わないけどねぇ」
ふとルルを見上げれば、その口元がいつもより楽しそうに弧を描いている。
どことなく戦争に関心を持っているらしく、すぐにソファーの背もたれから体を起こすと僅かに左右へ揺らした。
たまにそういう仕草をすることがあるが、今のそれは、機嫌が良いといったふうに感じられる。
お兄様もルルの機嫌を察したようだった。
【戦争が始まるというのに、随分と楽しそうだな】
「まぁね〜。最近は本職も落ち着いてるしぃ、国からの指名だしぃ、面白そうだからねぇ」
【戦争を面白がるのはお前くらいだと思うぞ……】
若干お兄様が引いている。
けれども、ある意味では普段通りな雰囲気のルルに、お兄様が苦笑を浮かべた。
その後はいつものように雑談と定期報告のような話をして、通話は終わった。
通信魔道を定位置に戻すルルに訊ねる。
「ルルは戦争が好きなの?」
「難しい質問だねぇ。ん〜、まあ、戦争自体はどうでもいいよぉ。誰が死のうが、誰が誰を殺そうが、リュシーさえ無事なら好きにすればって感じ〜?」
「じゃあ、ルルは何でそんなに楽しそうなの?」
こちらに背を向けたまま、ルルが動きを止めた。
「知りたい?」
振り返ったルルが口角を引き上げる。
でも、目は笑っていない。
「知りたい」
ジッとその目を見返すと、ルルがふっと笑った。
そうしてわたしの横へ戻ってくる。
「オレ、暗殺者の仕事をそれなりに気に入ってるところはあるんだよね。危険だけど、緊張感があって、戦うこともわりと好きで、対象を気付かれないように殺すって面白そうでしょ? まあ、最初の頃は結構キツかったけどさぁ」
ルルが本職についてこうもハッキリと自分の気持ちを言うのは、初めてかもしれない。
なんとなく『暗殺業はルルにとって面白いことなのでは?』とは感じていたが……。
「昔っから何やってもつまらなくて、暗殺業も金を稼げるからって理由で選んだけどね。師匠のところで暮らしている時はさすがにつらかったし、新人の頃も死にかけたこともあったし、でもある程度実力がついてきたらこの仕事の面白さを分かってきたんだよね」
いつもと違い、緩くない口調なのは、これがルルの本心だからなのだろう。
面白さを感じるようになって以降、ルルは暗殺業をわりと好きになり、仕事に精を出すようになったのだとか。
「戦争も暗殺も『死ぬかもしれない』って緊張感が楽しいんだよね。周りの殺気が向かってきて、肌に刺さる感じも刺激的だし?」
「そうなんだ」
「まあ、今はリュシーの女神の加護の恩恵とか、祝福とか、色々あって前より強くなったから、簡単には死ななくなったけどねぇ」
あは、と笑うルルに抱き着く。
「戦争に行くのはいいけど、本当に危なくなったらお兄様を連れて逃げてね。大事なのはルルの命だから」
「大丈夫、分かってるよぉ」
ルルがギュッと抱き締め返してくれる。
「頑張って武勲を立てて帰ってくるねぇ」
それに内心で、ルルといる時間が減るのは少し嫌だなあと思ったけれど、楽しそうなルルの様子にその気持ちは仕舞っておくことにした。
「それにしても、数ヶ月から数年、ルルと会えなくなっちゃうのかもしれないのはつらい……」
仕方がないこととは言えど、今までがずっと一緒だったから、ルルのいない生活に耐えられるだろうか。
わたしの言葉にルルが笑った。
「毎晩、転移魔法でこっそり帰ってくるから大丈夫だよぉ」
「あ、そっか、その手があるんだっけ。……良かった。そんな長い間、ルルと離れ離れになったら耐えられない」
「オレもリュシーと一緒にいたいからねぇ」
ひょいと抱き上げられてルルの膝の上に下ろされる。
「その辺りのこともちゃぁんと考えて、戦争の話は受けたんだよぉ。こっそり夜に帰って来て、早朝のうちに戻ればバレないでしょぉ?」
「出征する他の兵達からしたらちょっとずるいけどね」
他の人達は出征したら、家族や友人とも会えなくなる。
そういう点ではルルの転移魔法はかなり羨ましいだろう。
「そうかもねぇ」
ルルが後ろからわたしの肩に顎を乗せる。
窮屈だろうに、わたしのお腹に腕を回し、べったりとくっついて満足そうに小さく息を漏らした。
「戦争に行く準備、しないとねぇ」
「……帰ってくるのに何か持ってくの?」
「持って行くものは殆どないけど、服は動きやすくてそれなりに貴族に見えるものにしないとねぇ。武器の手入れもして、必要なら馬も用意して、昼間の移動用に携帯食も要るかなぁ」
「でも全部、空間魔法に入れちゃうんだよね?」
「うん、行く時は長剣だけ持ってって感じだねぇ」
空間魔法が使えるととても便利である。
普通は野宿用の荷物や日用品、食料など、色々と持たなければならない。
食料は道中である程度を調達出来たとしても、荷物は相当な量になるし、荷物が増えれば行軍で体力を消耗する。
「もし必要なものがあったら取りに戻って来るよぉ」
そう言ったルルはいつも通りに緩く微笑んでいた。
お兄様の連絡から一週間後、お兄様の予想通り、隣国ヴェデバルドから宣戦布告が行われた。
その日の夜、すぐにお兄様から連絡があった。
【開戦は半月後だ。ここから行軍していくと一週間はかかる。二日ほど余裕を持たせて、九日前には出立する】
「悪役の王女に転生したけど、隠しキャラが隠れてない。」本日より、続々編を毎週金曜に更新します!
ストックによってはお休みをいただく場合もあるかもしれませんが、またルルリュシをよろしくお願いいたします(✳︎´∨︎`✳︎).°。
3月9日にTOブックス様より書籍6巻も発売!
グッズにアクリルキーホルダー第二弾!
予約も出来ますので、是非どうぞ(●︎´ω`●︎)




