アルベリク=ロア・ファイエット
お兄様から子供が無事生まれたと連絡があってから二ヶ月。
お義姉様の体調が落ち着いて、わたしに会いたがっているというので、こっそりルルと一緒に離宮へ遊びに行かせてもらうことになった。
そうは言っても、時間としては三十分ほどである。
まだお義姉様は万全の体調ではないため、お義姉様と子供の様子を見つつ少し話す程度に留めることにした。
本当はお義姉様の体調を考えるともっと後のほうが良いと思うのだけれど、どうしても、子供をわたしに見せたい、抱いてもらいたいと言っているらしい。
……わたしとしては初の甥っ子なわけだし。
子供は男の子だと聞いている。
だが、名前は教えてもらっていない。
「エカチェリーナが直接、紹介したいそうだ」
とお兄様が小さく笑っていた。
子供が生まれ、予想通りお兄様は子煩悩な父親になっているらしい。
毎日、どんなに遅くても必ず離宮を訪れ、お義姉様と子供の様子を確認しているそうだ。
そしてお父様も初孫に喜んでいるのだとか。
お父様もお兄様も、やがてこの国の王になるだろう子のために、そして産後で静養しているお義姉様のためにも、よりいっそう政務に励んでいるようだ。
お兄様達の子が王位を継ぐ時には更に豊かで平和な国になっているかもしれない。
柔らかな淡いパステルグリーンのドレス姿のわたしと、それに合わせたのか濃い緑色の貴族男性らしい装いをしたルルが姿見の前に立っている。
「うん、今日もリュシーはかわいいねぇ」
昼間用のドレスなのでデコルテ部分などは出ていない。
子供に触れるということで、装飾品は身に付けず、うっかり子供が口にしてしまうこともあるのでリボンなども外してもらった。
ルルは子供に触れるつもりはないらしい。
……多少関心はあるけど、興味はないんだろうなあ。
その関心もあくまでお兄様の子だからという感じで、甥っ子だから可愛がろうとか、親戚になったから気にかけるとか、そういう気持ちはないようだ。
わたしが会いに行くのについて来るといった雰囲気である。
「ルルも凄くかっこいいよ」
ルルがわたしの額にキスをする。
「それじゃあ、時間だし行こっかぁ」
「うん」
ルルに抱き寄せられる。
詠唱が行われ、視界が一瞬で移り変わり、僅かな浮遊感があった。転移魔法のこの浮遊感は何度経験してもエレベーターみたいだなと思う。
転移したのは離宮の応接室の一つだった。
前もってお兄様経由で伝えておいたからか、部屋にはお義姉様付きの侍女だろう人がいた。
目が合って、あ、と声が漏れる。
「フィオラ様……!?」
そこにいたのはフィオラ=ナイチェット伯爵令嬢だった。
フィオラ様が丁寧に礼を執る。
「リュシエンヌ様、ニコルソン子爵、お久しぶりでございます。お二方がお元気そうで安心いたしました」
「お久しぶりです。フィオラ様もお元気そうで良かったです。そういえば、以前、お義姉様の侍女になりたいとおっしゃっておりましたね」
「はい。現在は王太子妃付きの侍女として、毎日充実した日々を送っております」
嬉しそうに微笑むフィオラ様は、学園にいた頃よりも生き生きとしているように感じられた。
「さあ、こちらへどうぞ」
とフィオラ様も案内で応接室を出る。
人払いがされているようで、使用人も警備の騎士の姿も見えない。
どこか懐かしい気持ちで離宮の中を眺めつつ歩く。
そうして、以前わたしが寝室として使っていた部屋に通された。
わたしの記憶の中とほぼ変わらない寝室の、ベッドの上にエカチェリーナ様が座っていた。背中にクッションを挟んで上半身を起こしている。
部屋に入った瞬間、ルルが僅かに上を気にしたので、もしかしたらお義姉様にも黒騎士が何名かついているのかもしれない。
わたしとルルを見て、お義姉様が明るい表情をする。
「リュシエンヌ様、ニコルソン子爵、ようこそお越しくださいました。我が儘を言ってしまい申し訳ありません」
通信魔道具越しでは気付かなかったが、お義姉様は少し痩せたらしい。
どうぞ、と示されたベッド脇の椅子にルルと並んで腰掛ける。
「いいえ、わたしもお義姉様と甥っ子に会いたかったので嬉しいです。少し痩せたようですが、大丈夫ですか?」
「妊娠中は食事量も多かったのと、体が少し浮腫んで太っていたのですが、出産後は少しずつ戻ってまいりましたの。病気や体調不良で痩せたわけではありませんので、大丈夫ですわ」
「それなら良かったです」
問題ないと分かってホッとする。
お義姉様がおかしそうに笑った。
「アリスティード様もわたしが痩せていくことを心配して『あれを食べろ』『これを食べろ』と滋養に良いものを持って来るのですが、息子が生まれたら食の好みが元に戻ってしまいましたわ」
「不思議ですね」
「ええ、本当に。妊娠中は一生分のブドウジュースと鹿肉を食べた気がします。今はどちらももう十分といった気持ちですもの」
ふふふ、と笑うお義姉様にわたしも笑みが浮かぶ。
産後の肥立が悪くて亡くなる人もいるそうで、心配していたけれど、それは杞憂のようだ。
「ヴァロア」
お義姉様が声をかけると控えていた女性が静かに頷く。
甥っ子の乳母で、子爵夫人なのだとか。
この世界の王侯貴族は基本的に自分の手で子育てはしない。乳母を雇い、その乳母に子育てを任せるのだ。
王太子妃であるお義姉様は、体調が戻って動けるようになれば公務に戻らなければならなくなるだろう。
自分で育てたいと思っても難しい。
乳母が近くの柵がついた四角いところから、布の塊を大事そうに抱え上げた。
そうして、お義姉様へそっと手渡す。
お義姉様が布の塊をしっかりと抱えた。
そうすると布の中身がよく見える。
「リュシエンヌ様、ニコルソン子爵、この子がお二人の甥になる、アルベリク=ロア・ファイエットですわ」
椅子から立ち上がり、驚かせないように静かに近寄る。
ゆっくり覗き込めば、短いけれどふさふさの黒髪に、ぱっちりした金の瞳をした赤ん坊と目が合った。ふくふくとしたほっぺが可愛い。まだ生まれたばかりだというのに、既に将来は美形になるだろうと容易に想像出来るほど、目鼻立ちが整っていた。
初めて見る人間だからか、金の瞳がジッと見つめてくる。
「やだ、可愛い〜……!!」
思わず口元を押さえ、小声で叫んでしまった。
ぱちぱちと瞬く金色はお義姉様とよく似た色だ。
髪の色はお兄様譲りだろうか。
この色彩では、きっとお父様も大喜びしただろう。
まじまじと見つめるわたしに、お義姉様が嬉しそうにニコニコしながら言う。
「我が子ながら、両親の良いところだけを受け継いでくれたようで安心しましたわ。それに少し小さい体で生まれてくれたので、わたくしの体への負担も軽くて、親孝行な子ですの」
「そうなのですね。……アルベリク君、叔母さんですよ〜」
お義姉様の腕の中にいる甥っ子に声をかける。
不思議そうにジッと見つめてくる姿が可愛らしい。
「アルベリクはリュシエンヌ様が気になるようですわ。どうぞ、この子を抱き上げてあげてくださいませ」
お義姉様に促され、そっと甥っ子に触れ、抱き方を教えてもらいながら慎重に抱える。
……わ、見た目よりずっと重い……!
ずっしりと腕に感じる重みに感動した。
こんなに小さいのに、きちんと生きている。
「アルベリク君、あなたに女神様の祝福がありますように」
わたしの顔をジッと見つめる甥っ子に微笑んだ。
小さな手が伸びて、そして、ふにゃりと笑う。
……あ、笑った。
「わっ?」
伸ばされた手がわたしの髪を掴み、引っ張った。
ちょっと痛いけれど、その強さに安堵する。
興味を失ったのか小さな手はすぐに離れていった。
「ふふ、きっとアルベリク君は強くなりますね」
「産婆も、今は少し小さいけれど、やがて成長していけばアリスティード様のように大きくなるだろうと言っておりましたわ」
「それは成長が楽しみです」
いつか、お兄様と並び立つ姿が見られるかもしれない。
それは十数年先の話だけれど、想像すると嬉しくなる。
お義姉様も甥っ子も無事で本当に良かった。
甥っ子をお義姉様の腕の中へ返す。
小さな手がお義姉様の頬に触れ、お義姉様が笑みこぼれた。
その二人の姿はとても貴くて、幸せそうで、母子の愛情が感じられる。
二人を見ていると部屋の扉が叩かれた。
フィオラ様が応対し、お兄様が入室する。
「リュシエンヌ、ルフェーヴル、よく来たな」
言いながら、お兄様がお義姉様に歩み寄り、その肩を抱き寄せて額にキスをした。
お義姉様も慣れた様子でそれを受け入れている。
そして、お兄様が我が子を抱き上げた。
「今日はご機嫌だな」
ふにゃふにゃと可愛い笑顔の我が子を見て、お兄様も満面の笑みを浮かべた。
我が子が可愛くて仕方がないという顔だった。
「リュシエンヌ様に先ほど抱き上げていただきましたの」
「そうか。ありがとうな、リュシエンヌ」
お兄様が僅かに体を揺らし、我が子をあやしている。
その姿をお義姉様が優しい笑みを浮かべて見守っていて、幸せそうな家族がそこにいた。
「いいえ、わたしも可愛い甥っ子を抱くことが出来て嬉しいです。意外と重くて驚きました」
「ああ、確かに、赤ん坊は見た目より意外と重いらしい。私も初めて抱き上げた時は驚いたな。だが、抱き上げる度に重くなっていくのは嬉しいものだ」
「あっという間に成長してしまうと聞きますし、今のうちに絵を描いてもらうのはいかがですか?」
「そうだな、眠っている姿でもいいから描いてもらうか」
ゆらゆらと揺れるお兄様の腕の中で甥っ子がウトウトしている。その慣れた様子からして、お兄様はよく抱き上げているのだろう。
それほど間を置かずに甥っ子は眠ってしまった。
お兄様はその寝顔を飽きもせずに眺めている。
「アリスティード様に抱いてもらうとすぐに眠ってくれるのに、わたくしが抱き上げると全然眠ってくれないのは困りものですわ」
「そうなのか? それは知らなかったな」
「もしかしたら、わたくしよりもアリスティード様の腕のほうが安定感があって、安心して眠れるのかもしれませんわね」
「いや、母親が好きだから見ていたいのかもしれないぞ」
お義姉様とお兄様が声を抑えつつ、楽しそうに話す。
ぐっすり眠った我が子を乳母へ渡したお兄様がベッドの縁へ座った。
わたしも席へ着き、改めて二人を見る。
「アルベリク君、いいお名前ですね」
「父上に頼んで名付けをしてもらったんだ。遠い昔、この大陸にあった一大帝国に君臨した賢君の名らしい。我が国も、その帝国がいくつかに分かれたうちの一つだ。長く、良き治世だった皇帝の名にあやかろうということだ」
「お父様、アルベリク君を見た時に喜んだでしょう?」
「初孫が自分と似た色彩であることが嬉しかったみたいでな、最近は父上の側近達が『孫自慢に付き合わされる』とぼやいていた」
想像して笑ってしまう。
国王でも、やはり孫が可愛いらしい。
「お兄様もロイド様達に息子自慢をしているのではありませんか?」
「そうだな、どうしてもついアルベリクの話をしてしまう」
ははは、と笑うお兄様にお義姉様が「ほどほどになさってくださいませ」と苦笑する。
「そうは言うが、ロイド達だってもうすぐ子供が生まれるだろう? あの二人の子ならきっと優秀だ。将来、アルベリクの側近になるかもしれない」
お兄様の言葉に驚いた。
「え、ロイド様とミランダ様も?」
「ええ、妊娠が分かってすぐに伝えましたの。そうしたら、あの二人ったら『王子殿下に自分達の子供を仕えさせるんだ』と言い出して……」
「まさか、それで本当に子供を授かるとは思わなかったが」
お義姉様とお兄様が困ったように笑った。
王妃や王太子妃が妊娠した時、貴族達も慌てて子を生すことが多い。
そうすれば、生まれてきた子がもしかしたら王子か王女に仕えられるかもしれない。友人になるかもしれない。
そして王子であれば、側近になる可能性もある。
だから、王子や王女と同世代は貴族の子が増える。
「ロイド様とミランダ様のお子であれば、確かに将来も有望ですね。同性ならばお友達にもなれそうですし」
それにしても行動力のある二人だ。
……でも、なんとなく想像つくかも?
ロイド様はお兄様に忠誠を誓っているし、ミランダ様もお義姉様に忠誠を誓っているので、側近夫婦にとっては当然だったのだろう。
ちなみにロイド様とミランダ様はお兄様達より半年早く結婚したらしい。
「いつか、お二人の子とも会ってみたいです」
思わず笑ったわたしに、お兄様達も小さく笑う。
「もう少しアルベリクが大きくなったら、離宮でこっそり茶会をすればいい。私もロイドも普段は政務で忙しいからな。そういった時間もたまにはいいだろう」
「そうですわね。お互いの子を自慢し合う会になりそうではありますけれど……」
「あれでロイドも我が子が生まれるのを楽しみにしているしな」
みんなで小さく笑い合う。
そのお茶会は賑やかで、穏やかで、幸せなものだと思う。
「お茶会、楽しみにしていますね」
ロイド様とミランダ様の子も、きっと元気なのだろう。
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