産声と重み
お茶会以降、お兄様と通信魔道具で話をする際に、時折お義姉様も一緒に話すようになった。
どうやらお義姉様の妊娠が分かってから、お兄様はわたしが暮らしていた離宮に泊まる日が増えたらしい。
三回に一度とか、五回に一度の頻度だけれど、お義姉様と話すのはわたしにとっても嬉しかった。
「毎週検査をしておりますの。今は拳ほどの大きさですわ」
と報告をしてくれて、わたしもそれを聞くのが楽しみだ。
たとえわたしとルルの間に子が出来なくても、お兄様とお義姉様の子をその分、大事にすればいい。
……まあ、ルルはあまり面白くないみたいだけど。
わたしがお兄様達の子のことばかり気にしているせいか、自分への関心が減るかもと危惧したらしい。
「家族だから心配なの」
と伝えるとルルに問われた。
「子供、欲しいって思ったぁ?」
「うーん、どうだろう。お兄様とお義姉様の子だから気になるし、可愛がるだろうなあとは思うよ。でも、子供は天からの授かりものって言うし、今はルルと二人で過ごしたいかなあ」
「そっかぁ」
ルルはそれで納得したみたいだった。
その後は、わたしがお兄様達の子について話題にしても気にする素振りはなくなった。
通信魔道具で顔を合わせる度に、少しずつお義姉様のお腹が膨らみ、安定期に入ると公表された。
お義姉様の妊娠はすぐに国中に広がったそうで、貴族達からも、お祝いの品が次々と届いていたそうだ。
そのお祝いへの返事を沢山書いて、お兄様もお義姉様も手が痛くなったと苦笑していた。
安定期に入ってもお義姉様の公務は減らしたままなのだそうで、その代わりにお兄様とお父様が精力的に動いているらしい。
妊娠中も、子供が生まれてからも、しばらくは静養するべきだろうし、無理が出来る時期でもないだろう。
でも、お義姉様は毎日散歩をしているのだとか。
周りが心配するのを余所に、お義姉様は少し気持ち悪くなったり、何故かとてもブドウジュースを飲みたくなったりはするものの、思いの外、悪阻は少ない。
「でも、以前より肉が好きになりましたわ。母も妊娠中は食の好みが変わったと話しておりましたが、わたくしも、苦手だった鹿の赤身肉が今は美味しく感じるのです」
不思議ですわね、と笑うお義姉様は幸せそうだった。
お兄様はいつもお義姉様を気遣っていて、お義姉様と共に毎回検査に立ち会ってはあれこれと医師を質問攻めにしているらしい。
きっと、子供が生まれたら子煩悩な父親になるだろう。
お父様も頻繁にお義姉様の下を訪れているのだとか。
赤ん坊の性別は生まれてくるまで分からないけれど、どちらが生まれても良いように、お父様とお兄様は赤ん坊の服や必要な道具、オモチャなどを用意している。
「それにわたくしの父、クリューガー公爵にとっても初孫なので、公爵家からも色々と届きますの。今すぐ生まれても困りませんわね」
二人の子供は多くの人から愛され、望まれて生まれてくる。生まれてからも沢山愛されて育つだろう。
「わたしも贈り物がしたいのですが、何か欲しいものはありますか?」
「でしたら、生まれてきた子を抱いてやってくださいませ。リュシエンヌ様に抱いていただければ、きっと、女神様も気にかけてくださいますわ」
「そんなことで良いのでしょうか?」
お義姉様が大きく頷く。
「皆から祝福されて生まれてくるけれど、この子は王子か王女です。抱き締めることの出来る者は限られてしまいますわ。一人でも多くの人に触れ、愛情を感じ、健やかに育ってほしいのです」
大きなお腹を撫でながら、お義姉様が微笑んだ。
「分かりました」
生まれてくる子を沢山抱き締めてあげよう。
「ありがとうございます、リュシエンヌ様」
それから一月後、お義姉様は第一子を出産した。
冬がもうすぐ終わろうという時期にしては珍しく雪が降った翌日、日の出と共に、二人の子はこの世に生を受けた。
* * * * *
エカチェリーナが産気づいたと聞いた時、アリスティードは公務の真っ最中であった。
侍従から耳打ちされ、今すぐにでも飛び出して行きたい気持ちを何とか抑えつつ、公務を続けた。
隣国からの使者を放っておくわけにはいかない。
公務を終え、急ぎの仕事をロイドウェル達に任せると、アリスティードは馬車に飛び乗ってエカチェリーナのいる離宮へ駆けつけた。
その時にはもう、連絡があってから三時間も経っていた。
しかし、離宮に着いたものの、エカチェリーナのいる産室に入ることは出来ず、その前の廊下で待つことになった。
王家の優秀な医師達もついているし、今まで何百人もの出産を手伝ったという産婆もいるし、エカチェリーナの侍女達もついている。
アリスティードが部屋にいても邪魔になるだけだ。
それでも、部屋の前から離れられなかった。
この扉を隔てた向こうで、エカチェリーナが我が子を産むために必死に戦っていると思うと、仕事に戻ろうなんて気も起きない。
……女神よ、どうか二人を守ってくれ……。
椅子に腰掛けてみたり、扉の前をうろついてみたり、心配と不安とで落ち着いていられない。
時折、侍女達が必要なものを運び入れたりするが、忙しそうで、中の状況を訊く余裕もなさそうで、気を利かせた離宮の執事が飲み物を用意してくれた。
妊娠中、エカチェリーナと共に飲んでいた果実水だ。
リュシエンヌもこれが好きで、妊娠後、紅茶が飲めなくなったエカチェリーナに付き合って果実水やブドウジュースを飲んでいた。
一時間が経ち、二時間が経ち、それでも進展がない。
途中で説明のために医者の一人が出て来たが、初産だとどうしても子が生まれるのに時間がかかるらしい。
気付けば日が沈んでおり、離宮の使用人がランタンに火を灯して回っていた。
産気づいたと聞いてから五時間以上経った。
それでも、まだ子は生まれない。
そばにいて手を握ってやることも出来ない。
心を落ち着けるために深呼吸をし、爪が食い込みかけていた拳をゆっくりと開く。
「アリスティード」
廊下の向こうから、執事に案内されてベルナールが近づいてくる。
「父上……」
「エカチェリーナは中か。……優秀な医師も治癒師も、産婆だっている。エカチェリーナも、子も、大丈夫だ」
励ますようにベルナールに肩を叩かれ、アリスティードは頷き返したものの、扉から意識を離すことは出来なかった。
アリスティードの隣の椅子にベルナールも腰掛ける。
王と王太子が揃って何も出来ないなど、アリスティードには想像もつかないことだった。
扉が開き、侍女の一人が出て来た。
見覚えのある顔だ。
「陛下、王太子殿下、こちらをどうぞ」
渡されたのは暖かそうな膝掛けだった。
「ああ、ありがとう」
「助かる」
アリスティードとベルナールはそれを受け取り、それぞれ、膝や肩にかける。
思いの外、体が冷えてしまっていたようで、膝掛けがとても暖かく感じた。
改めて侍女の顔を見る。
侍女はフィオラ=ナイチェット伯爵令嬢──……アリスティードの側近から外れたレアンドル=ムーランの元婚約者であった。
卒業後、ナイチェット伯爵令嬢は王城のメイドとして働き、エカチェリーナとアリスティードが結婚した後はエカチェリーナ付きの侍女の一人となった。
かなり優秀で、やがてはエカチェリーナの侍女長になるのではという話を聞いている。
たまに顔を合わせるものの、基本的に侍女として控えているので、こうして言葉を交わすのは学園の頃以来である。
「エカチェリーナ様より『まだ頑張れるので、心配せずに待っていてくださいませ。必ずや元気な子を産んでみせますわ』と言付かりました」
アリスティードはそれに頷いた。
「『ここでずっと待っている』と伝えてくれ。……もし、エカチェリーナと子が危険な状態になった時は、エカチェリーナの命を優先してくれ。王太子妃を、リーナを失うわけにはいかない」
「かしこまりました」
ナイチェット伯爵令嬢は会釈をし、室内へ戻っていった。
冬とは言えど、もうすぐ春になろうという日にしては珍しく、今日は雪が降っている。
沢山ではないが、一面が白く染まる程度には降り、そのせいかシンと静まり返った空気は冷たい。
……いや、雪が降ったから静かなわけではない。
この離宮全体が静かなのは、エカチェリーナの出産を誰もが固唾を呑んで待っているからだろう。
どこか緊張感が漂っているのもそのせいだ。
アリスティードが膝掛けを握り締めていると、ベルナールがまた「大丈夫だ」と言う。
「ヴィヴィア……お前の母は少し体の弱い人だったが、それでもお前を立派に産んだ。エカチェリーナはヴィヴィアより健康だし、体力もある。毎週の検査でも母子ともに健康状態は良好だっただろう」
「それはそうですが……」
何事にも『絶対』ということはない。
出産は命懸けで、女性には負担も大きく、つらいと聞く。
エカチェリーナが妊娠してから、妊娠・出産までの話を色々な者から聞いたが、不安と心配は増すばかりだった。
次代の子も大事だが、もし、どちらかを選ぶとなれば、アリスティードはエカチェリーナの命を選択する。
そうなった時、きっとエカチェリーナは怒るだろう。
だが、アリスティードにとってエカチェリーナは大きな存在になっていた。
友人として、国を支える仲間として、愛する妻として。
エカチェリーナはもう、なくてはならない存在だった。
……失うなど考えられない。
「こうしていると昔の私を見ているようだ」
ベルナールが苦笑する。
「ヴィヴィアがお前を産む時も、こうして部屋の外でただ待つしか出来なくて、一分一秒がとても長く感じられた。永遠にこの時間が続くのではと不安にもなった」
「父上でも、そのようなことがあったのですね」
「ああ、一番大事な時に何の役にも立たないと実感した。妻が命懸けで我が子を産もうとしているのに、そばにいてやることも出来ない」
まさに今、アリスティードが感じているものだった。
ぽん、とベルナールがアリスティードの背を叩く。
「だからこそ、私達はエカチェリーナを信じて待つだけだ」
ベルナールの言葉にアリスティードは頷いた。
そして、ベルナールの口から母親の話が出てきたのは久しぶりだと感じる。
母親が亡くなって以降、思い返せば、本当に数えられる程度にしか話題に出したことがなかった。
アリスティードも昔は母親の死を完全に受け止めきれなかったが、父親もそうだったのかもしれないと思うと、横にいるベルナールを改めて尊敬した。
妻を失い、悲しみに打ちのめされてながらもクーデターを行い、新王家となり、新王として国を立て直してきた。
もしアリスティードが同じ立場であったなら、同じことが出来るだろうか。
アリスティードには妹・リュシエンヌが出来たことで寂しさや悲しみは和らいだが、政務にかかりきりだったベルナールはそうではなかったはずだ。
だが、それについて訊くのは憚られた。
たとえ親子であっても踏み入れないこともある。
しかしリュシエンヌの存在はベルナールにとっても、少なからず救いにはなったと思う。
十年以上が経ち、新しい家族が出来て、今だからこそ話せるのかもしれない。
「私が生まれた時はどのくらいかかったのですか?」
アリスティードが問えば、ベルナールが苦笑する。
「最初の陣痛が来てから丸一日かかった」
「そんなに時間がかかるのですか?」
「ヴィヴィアの時は陣痛が弱くて、出産まで辿り着かなかったらしい。しかもお前は普通の子より大きく、頭がなかなか通らなくて、とても苦労したそうだ。だが、それでもヴィヴィアもお前も無事だった」
穏やかな眼差しのベルナールに見つめられ、アリスティードは自分が生まれたばかりの頃を想像した。
……そういえば母上は昔、言っていた。
「あなたが生まれて、元気な泣き声を聞いた瞬間、とても幸せだったわ。初めて抱いた時は天使かと思うくらい可愛くて、愛おしくて……」
その話をしてくれた母の優しい眼差しを覚えている。
……今度は私が父親になる。
腹部が大きくなっていくエカチェリーナを見て、我が子のいる腹に触れて、もうすぐ父親になるのだと分かってはいた。
……良い父親になれるだろうか?
自分がそうだったように、我が子に背を追いかけてもらえるような。そんな父親になりたいとアリスティードは思う。
更に数時間が過ぎ、夜が更け、窓の外が薄明るくなってくる。
そして夜空が白み、朝日が僅かに顔を覗かせた頃、部屋の中からエカチェリーナのものだろう苦しげな声がした。
もはや悲鳴と表現しても過言ではない。
思わず立ち上がったアリスティードの耳に、数拍置いて、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
ハッと息を詰めて扉を見つめていれば、少し間を置いてナイチェット伯爵令嬢が扉を開ける。
「おめでとうございます、元気な男の子がお生まれになりました。エカチェリーナ様も、王子殿下も、ご無事でございます。さあ、どうぞ中へお入りください」
アリスティードは慌てて室内へ入った。
部屋の中央に置かれたベッドの上は乱れていて、辺りには血のついた布や湯がまだ置かれており、ベッドにはエカチェリーナが上半身を少し起こすような格好で横になっていた。
その腕の中には布の塊がある。
先ほどまで聞こえていた泣き声はない。
だが、エカチェリーナが柔らかく微笑んだ。
疲労の滲む様子ではあったが、エカチェリーナが無事な姿を見て、アリスティードは心底ホッとした。
歩み寄り、エカチェリーナの持つ布の塊を覗き込む。
小さな命がそこにあった。
ぺったりと頭部に張り付いた少量の髪は黒く、瞳の色は分からない。アリスティードの知っている赤ん坊の姿とは少し違って、顔はしわくちゃだが、呼吸をしているのが見て取れる。
「ティード、さあ、抱いてあげてくださいませ」
エカチェリーナの言葉にそっと、布に手を伸ばす。
横から侍女達に「首が据わっていないので頭を支えてあげてください」「まだ体が柔らかいのでお気を付けください」と注意を受けて緊張が増した。
なんとか抱き上げた我が子は思いの外、重かった。
……こんなに重い子をずっと腹の中で育てていたのか……。
「王子殿下はややお小さいですが、このくらいであれば成長に支障はございません。よく食べ、よく眠り、健やかに育てば王太子殿下に負けないほどの子となるでしょう」
と産婆に言われて驚いた。
……こんなに重いのに、これでも小さいほうなのか。
驚いたアリスティードの気配を感じたのか、腕の中で我が子が弾けるような泣き声を上げた。
慌てるアリスティードに苦笑しつつ、エカチェリーナが子を受け取り、あやすと、すぐに泣き止む。
エカチェリーナと我が子の姿にアリスティードは心が震えた。
「ありがとう、リーナ」
伝えたい思いがあふれ、出てきた言葉はそれだけだった。
エカチェリーナが幸せそうに微笑む。
後から近づいてきたベルナールに、エカチェリーナが声をかけた。
「陛下、どうぞこの子に名を……」
エカチェリーナと話し合い、生まれてくる子の名前はベルナールに決めてもらおうということになっていた。
孫の顔を見たベルナールが笑みこぼれる。
「この子の名は──……」
* * * * *




