逆鱗(2)
* * * * *
フッと目が覚める。
見慣れない天井に、リュカは目を瞬かせた。
……ここは……?
ぼんやりしながら顔を動かせば、王城の医務室の一室にいるのだと気が付いた。
少し前に、試験場で魔法を試していた魔法士が展開に失敗して爆発させてしまい、運ばれた時に来たことがある。
全体的に白を基調とした室内は整然としている。
そして、更に顔を動かしてギョッとした。
何故か騎士が室内にいた。
その騎士はリュカに手で待つように示すと、横にある扉から少しだけ顔を出して、外にいる別の騎士に声をかけた。
一言二言話すと、すぐに顔を戻して扉を閉めた。
「気分はいかがですか」
騎士に声をかけられ、リュカは上半身を起こした。
「大丈夫です。私は、どうして──……」
言いかけて、気絶する直前のことを思い出した。
見習いの彼女に謝罪をし、その後に思わず肩を掴んでしまった。彼女はそれを拒絶した。
そして、黒い風のような人物が現れた。
長い黒髪が風に揺れていたのをよく覚えている。
濃い紫の瞳が射るようにリュカを見据えた。
そのすぐあとに、リュカは風魔法で吹き飛ばされた。
「あの、私の他に人がいませんでしたか? 赤い髪に緑の瞳の──……」
「それ以上のお話は今はお控えください」
騎士は有無を言わせない口調でリュカの言葉を止めた。
代わりに、騎士はベッド脇のテーブルから水の入ったピッチャーを取り、グラスに中身を注いでリュカへ差し出した。
それをリュカは受け取って、一口飲む。
そこで、ようやく自分の体に痛みを感じないことに気が付いた。
あれほど強い風魔法で吹き飛ばされて、噴水に強かに体を打ちつけ、息が出来ないほどの痛みを感じたのに。
恐らく、誰かが治癒魔法をかけてくれたのだろう。
騎士はそれ以上何も言わないので、リュカも黙って、ちびりちびりとグラスの水を飲んでいた。
……何故、騎士がここにいるのだろうか。
気絶後のことが何も分からない。
彼女がいないことも、彼女の傍に現れた男のことも、騎士がいることも、何もかもが分からなかった。
不安を感じつつ、しばらくそうしていると部屋の扉が叩かれた。
騎士が動き、扉を少し開けて来訪者を確認すると、すぐに扉を開けて横へ避けた。
「失礼する」
長い黒髪を後頭部の高い位置で一つに束ね、青い瞳をした二十代前半か十代後半ほどの青年が部屋に入ってくる。リュカよりいくつか歳下に見えた。
一瞬、あの男かと身構えたが、瞳の色が違う。
その青年の後ろから、同じ年齢くらいの金髪に金の瞳の青年が入ってきて、騎士が扉を閉めた。
リュカが戸惑っていると騎士がそっと囁いた。
「こちらは、この国の王太子殿下であらせられます」
「え!?」
おうたいし、とリュカは声もなく呟く。
それから、ハッとし、慌ててベッドから立ちあがろうとしたが、その動きをアリスティードが手で制した。
「無理はしなくて良い。治癒したとは言え、お前は重傷を負っていた。まだ動くには体がつらいだろう」
とにかく、リュカはベッドの上で出来る限り頭を低く下げて、この国の王太子殿下である青年に挨拶をした。
「ご無礼を大変失礼いたしました。宮廷魔法士の一人、リュカ=ノワイエと申します……!」
「アリスティード=ロア・ファイエットだ。こっちは私の側近のロイドウェル=アルテミシアだ」
金髪の青年が微笑んで一礼する。
王太子殿下の側近ならば、高位貴族の一員だろう。
そちらにもリュカは低く頭を下げた。
「まずは、顔を上げてくれ」
その言葉にリュカは顔を上げた。
騎士が椅子を運んできて、それに王太子殿下が座る。
何が起こるのだろうかとリュカは戸惑った。
宮廷魔法士とは言えど、平民出身のリュカが王太子殿下とこのように面と向かって話をする機会など今までもなかったし、これからもありえないと思っていたから。
「恐らく状況を理解出来ていないだろう」
リュカが風魔法を受けて重傷を負い、気絶したこと。
そのリュカを騎士達が運び、治療させたこと。
ルシール=ローズはここにはいないこと。
そして、彼女の傍に現れた男が彼女の夫であること。
「気付いていたかどうかはともかく、ルシール=ローズは貴族だ。貴族は異性に気安く触れてはいけない。お前が肩に触れたことで、警報魔法で察知した夫が現れ、妻の近くにいたお前を吹き飛ばした」
「……肩に触れただけで、ですか……」
王太子殿下が少しだけ、何とも言い難い顔をした。
「あの男は、いや、ルシール=ローズの夫は少し独占欲が強い。妻に自分以外の男が触れるのを良しとしないんだ」
それに、リュカはぽかんとした。
……そんなことがあるのか?
平民として暮らしてきたリュカには想像も出来ない。
街を歩いていれば人にぶつかることもあるし、挨拶で握手をしたり、ふとしたことで相手に触れてしまうなんてよくあることだ。
「妻も、ルシール=ローズも同様に考えている」
「私は触れたから吹き飛ばされたのですか?」
「ああ、そうだ」
……貴族はよく分からないと思っていたけれど……。
思わず押し黙ったリュカであったが、王太子殿下は気にした様子もなく話を続けた。
「それから、お前はルシール=ローズについて嗅ぎ回っていたようだな? 何故だ?」
「その、王太子殿下は彼女の編み出した通信魔法をご存知でしょうか?」
「知っている」
「私はあの魔法を見て、無駄のない、美しい式だと思いました。そして同時に知りたかったのです。どのように暮らし、学び、生きてきたら、あのような美しい魔法式が生み出せるのか。……私は既存の魔法を扱うことは出来ますが、自分で新たな魔法を生み出すのは苦手なのです」
だから、彼女の魔法の根源を知りたかった。
「悪意を持っていたわけではないんだな?」
王太子殿下の言葉にリュカは慌てて首を振った。
「とんでもない! 私はただ、彼女の魔法に関する価値観と言いますか、考え方がどこからくるのか知りたかっただけなのです!」
王太子殿下はしばしリュカの顔を見つめたあとに頷いた。
「そうか」
どこかホッとした様子にも感じられ、リュカは首を傾げた。
そもそも、何故、王太子殿下という、リュカからすれば雲の上のような立場の者が現れたのか。
宮廷魔法士同士の諍い程度で出てくる人間ではない。
そうして王太子殿下は、ルシール=ローズに害意を持っていたかどうか尋ねてきた。
つまり、王太子殿下とルシール=ローズは知り合い、それも、かなり近しい間柄か、ルシール=ローズはそれほど地位の高い立場の人間か、ということになる。
ヒヤ、とリュカの背中を冷たいものが流れ落ちていった。
宮廷魔法士になったのは半年ほど前のことだが、その時、先輩魔法士の一人がポロッとこぼしていたことがあった。
「お前、もうちょっと早く宮廷魔法士になっていれば良かったのにな。そうすれば王女殿下が魔法式を組み上げるとこを直で見られたのに。あれが見られないなんて、魔法士として損したようなものだ」
それに、王女殿下はそんな凄い人だったのか、とその時は感じただけだった。
先輩達も認めるほど魔法に精通した王女。
聞くところによると王女殿下は非常に珍しい魔力を持たない人だったらしいが、それでも、新しい魔法を生み出し、美しい魔法式を編み上げるのだという。
しかし、王女殿下は結婚し、王城を去ってしまった。
………………ちょっと、待て。
彼女は恐らく、身分を明かせない立場の人間だ。
そして、魔法を扱えないほど魔力が少なくて、けれど、魔法式を編み出すのが上手い。その魔法式をリュカは美しいと思った。
そのルシール=ローズと王太子殿下は親しい間柄のようで……。
しかも、彼女は、魔法で顔を隠していた。
「ま、まさか……」
ルシール=ローズの正体は──……。
王太子殿下が何かに気付いた様子でふっと薄く笑みを浮かべた。
「それは口に出さないほうがいいぞ」
リュカは慌てて自分の両手で口を覆った。
隠しているということは、知られたくないということだ。
王太子殿下も、その側近も、薄く笑みを浮かべている。
よくよく見れば、この部屋に最初からいた騎士は近衛騎士の装いをしていた。
「悪いが、ルシール=ローズには今後、極力関わらないでもらえるか? 仕事の中でならば仕方がないこともあるだろうが、今回、肩を掴まれたことで少し怯えていたのでな」
王太子殿下の言葉に何度も頷いた。
……お、王女殿下の肩を掴んで引き留めようとしてしまったなんて……。
リュカは別の意味でゾッとした。
夫だという男に吹き飛ばされたのは当然であった。
「も、申し訳、ございませんでした……」
王族に無礼な行いをして罰されても文句は言えない。
震えていると、肩にポンと手が置かれた。
「分かってくれれば良い」
リュカは、もう二度と好奇心に駆られて衝動的なことはするまい、と心に誓ったのだった。
* * * * *
治療室から出て、ロイドウェルと騎士を伴いながら、アリスティードは自身の執務室へ戻っていた。
予想通り、ルシール=ローズの正体を知らない者だった。
それもリュシエンヌが結婚後に宮廷魔法士になったため、リュシエンヌと面識もなく、そのおかげで正体に気付かなかったようだ。
だが、宮廷魔法士に所属しているだけあって頭は悪くない。
ルシール=ローズの正体を察し、真っ青な顔で頭を下げる様子はいっそ憐れにすら思えた。
……しかし、宮廷魔法士が相手で良かった。
これがただの騎士だったり、城に出入りする商人などであったりしたら、ルフェーヴルは迷わず相手を殺していただろう。
今回は宮廷魔法士だったので多少なりとも手加減したはずだ。
……あいつ、年々強くなってないか?
元より強いと感じていたが、いくら専門分野が攻撃魔法ではないと言っても、宮廷魔法士になるほど魔法に精通している者を魔法で吹き飛ばすなんてそう簡単に出来ることではない。
さすが、闇ギルドで首位の座についただけはある。
アリスティードも以前より強くなっている自覚はあるが、ルフェーヴルと何度も手合わせをしてきたものの、一度でも勝てると感じたことはなかった。
……それが少し悔しいが。
執務室に戻り、ロイドウェルと共に部屋に入る。
背後でロイドウェルが扉を閉めた。
「黒騎士」
アリスティードの呼びかけに、音もなく、黒ずくめの者が現れ、片膝をつく。
「はい、お呼びでしょうか」
「先ほどの宮廷魔法士にしばらくついて、行動に問題がないか見張れ。もし怪しい行動をした場合はすぐに報告を」
「はっ、承知いたしました」
黒ずくめの者、影は頭を一度下げると姿を消した。
「何か気になることでもあったのかい?」
ロイドウェルの問いに首を振る。
「いや、なかった。ただ、一応な。またルシールに近付かれても、今度は命の保証はしてやれない」
「そうだね、ニコルソン子爵なら次は迷わず殺すだろうね」
アリスティードはロイドウェルの言葉に頷いた。
ルフェーヴルは死んでいないと言っていたが、正直、発見した時には死んでいるかもしれないと僅かに思っていたので、死んでいなかったことに安堵した。
あの男にとって、リュシエンヌ以外は恐らく、全てどうでもいい存在なのだろう。
それは長年の付き合いで分かっている。
「父上はよくあの男を雇えたなと時々思う」
ルフェーヴルが現役でいる以上、いつか、国王である父から王位を継いだ際には、同時にルフェーヴルとの雇用契約をアリスティードが引き継ぎたいと思っている。
……それは向こう次第か。
今のアリスティードにルフェーヴルを御せる自信はない。
むしろ、振り回される未来しか想像がつかない。
そう考えると父親のことを素直に凄いと感じる。
「この先の予定で、どこか空いている日はあるか?」
アリスティードの問いにロイドウェルが答える。
「空けようと思えばあるけど……?」
「今度、闇ギルドに行く」
「え」
ロイドウェルの表情が驚きに染まる。
「これからは私も関わることが出てくるだろうからな」
国王という立場は綺麗なことばかりではない。
そういう繋がりも持っているに越したことはないだろう。
「……分かった、予定を調整してみるよ」
アリスティードはそれに頷き返す。
……それにしても、あの魔法士には少し同情する。
ルフェーヴルとの訓練は何度もしたことはあるが、風魔法で吹き飛ばされたことはない。
骨が何本か折れていたそうなので、相当痛かったはずだ。
アリスティードとの訓練では、それなりに手加減をしてくれていたのだろう。
よりにもよってルシール──……ルフェーヴルの一番大切なリュシエンヌに、あの魔法士は触れてしまったのだ。
……魔法士長に話を通しておくか。
ルシール=ローズがしばらく休みを取ること、今日のこと、それから、ルシール=ローズにあまり人を近付かせないようにとも伝えておかないと。
通信魔法に関しても、ルシール=ローズが発案者であることは出来る限り広めない方向でいくべきか。
また、ルシール=ローズに誰かが近付き、ルフェーヴルの怒りを買って、今度こそ死人が出るかもしれない。
……そうならないことを願うしかないな。
アリスティードは小さく息を吐いたのだった。
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