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義理の兄(3)

 



 ……どうしよう。


 アリスティードに関わらない方が安全だろう。


 でも、それは原作通りのアリスティードだったら、という前提である。


 今の彼はリュシエンヌわたしを疎んでいない。


 そっと胸に手を当ててみる。


 ……リュシエンヌはどうしたい?


 ……わたしは仲良くなりたい。


 新しい家族と過ごしてみたい。


 新しい家族に好かれたい。


 そんな気持ちが胸の中に湧き上がる。


 攻略対象だから避けようと思っていた。


 関わったらダメだと思っていた。


 ……自分で『この世界は似てるけどゲームじゃない』って言ってたのに。


 ギュッと手を握る。


 ……正直に生きてもいいのかな。


 顔を上げ、ルルを見る。


 灰色の瞳が優しく見つめ返してきた。


 ……少しだけ、踏み出してみよう。


 そうしてわたしはアリスティードを見た。




「わたしも……。わたしも、少しずつ、なかよくなれたらいいなって思います」




 アリスティードの表情が明るくなった。




「そうか……!」




 思わずといった風に喜色混じりの声がした。


 すぐにアリスティードは我へ返り、こほんと咳払いをしたけれど、それが照れ隠しなのだと分かる。




「では、僕のことは今後は兄と呼んでくれ。……リュシエンヌ」




 その申し出に頷く。




「はい。……おにいさま」


「今日からよろしくな」




 わたしの呼び方に嬉しそうにアリスティード、いや、お兄様は笑みを浮かべた。


 関わらないという道もあっただろう。


 だけどこれはこれで良かったのかもしれない。


 アリスティードとリュシエンヌが仲の良い兄妹になって、ヒロインちゃんが現れても、険悪にならないようにすればいい。


 ……でも、もし原作通りになったなら。




「良かったねぇ、リュシー」




 頭を撫でるルルを見上げる。


 その時は、ルルに攫ってもらおう。


 どこか遠く、この国の外へ逃げればいい。


 ルルと一緒ならどこだっていいのだ。







* * * * *









 義理の兄を小さく手を振って見送ったリュシエンヌの後頭部を見下ろした。


 義兄との仲を喜んでいる。


 しかも、明日も会いに来たいというアリスティードの申し出をリュシエンヌは受け入れた。


 ルフェーヴルはちょっとだけ面白くない気持ちになった。


 ベルナールの息子、アリスティードと親しくするのはリュシエンヌにとって良いことだ。


 新王家の兄妹は仲が悪いと噂になれば、リュシエンヌを軽視する者も出てくるだろう。


 だがアリスティードとリュシエンヌが家族として、兄と妹として親しければ、表立って貶してくる輩は減る。


 さすがに次代の王となるだろう人物の妹、それも仲の良い兄妹であると分かれば思うところはあれど下手なことは出来ないはずだ。


 分かっているけれど、自分以外の者と親しくするリュシエンヌを見るのは面白くない。


 ……このまま攫っちゃおうかなぁ。


 扉が閉まるとリュシエンヌが振っていた手を下ろしてこちらを見上げてくる。


 ルフェーヴルは内心で考えていることを気付かれないように、緩く笑いながら小首を傾げた。




「どうかしたぁ?」




 ルフェーヴルの問いにリュシエンヌが手を広げた。




「だっこ」


「だっこ?」




 意味が分からず更に首を傾げたルフェーヴルの体にリュシエンヌが抱き着いた。


 ……もしかして抱き上げて欲しいの?


 抱き着いてくる体を少し離し、抱き上げると、ギュッと首に小さな手が回される。


 ルフェーヴルは首に触れられるのが好きではない。


 しかしリュシエンヌの手は別だ。


 小さく手を弱々しいそれがルフェーヴルの命を脅かす危険はなく、すがるように触れてくる温かな手は少しくすぐったくて心地好い。




「怖かったぁ?」




 リュシエンヌが頷く。




「……ちょっとだけ」




 後宮で虐待されていたせいか、リュシエンヌは女を怖がっているところはあったが、男もダメらしい。


 旧王家の第一王子に虐められていたので、もしかしたら十一、二歳くらいの男の子が怖いのかもしれない。


 半分血の繋がった姉や兄達の行いを簡単に忘れることは出来ないだろう。


 義理の兄となったアリスティードに会うだけでも、かなり勇気の要ることだったはずだ。




「偉い偉い。よく頑張ったねぇ」




 片腕で抱えて頭を撫でる。


 するとリュシエンヌが嬉しそうに笑った。




「ルルがいてくれたから」


「ほ〜んとリュシーは良い子だねぇ」




 アリスティードが変な気を起こさないよう、しっかり牽制しておかなければ。


 よしよしと頭を撫でられていたリュシエンヌが「あ」と声を上げた。


 そうしてキュッとルフェーヴルの服を掴む手に力がこもった。




「あのね、ルルにおねがいがあるの。わたしのかみ、ながいから切りたい。……ルルできる?」




 髪を切る。それは特別なことだ。


 髪結い師という職業があるが、あれば貴族や裕福な者などが人を雇って髪を切ったり整えたりしてもらうのだ。


 平民は親兄弟が切るのが普通である。


 つまり信頼の置ける者でなければ髪を切らせないし、切らせてもらえない。


 リュシエンヌはそれをルルにして欲しいという。


 それだけ信頼している証だった。




「出来るよぉ。やってあげるぅ」




 そんなお願いならばいくらでも。


 ルフェーヴルはリュシエンヌを椅子に戻すと、散髪のための準備を始めたのだった。









* * * * *









 ルルに髪を切って欲しいとお願いしたら、あっさりやってもらえることになった。


 侍女のリニアさんやメルティさんでも良かったのかもしれないが、やはり、まだ女性は怖い。


 二人がわたしを傷付けはしないと分かっている。


 この五日間、二人はわたしの身の周りのお世話をしてくれたし、きっとこれからもそうなんだろう。


 でも頭で分かっていても心は別だった。


 ルルがいない状況で二人と一緒にいると体が無意識に強張って、緊張してしまう。


 それでも二人はわたしに優しくしてくれる。


 ルルがいない時は程よく距離を置いてくれる。


 ……お兄様もちょっと怖い。


 第一王子より小柄だったけど、少し年上の男の子も怖いと感じてしまう。




「布かけるよぉ」




 大きなドレッサーの前に椅子を置き、そこで座って待っていたわたしの体に大きな布がふわっとかけられる。


 鏡越しにルルがわたしの顔を見つつ、後ろから前髪を左右に掻き分けた。




「どんな感じがい〜ぃ?」


「うーん……」


「特にないなら好きなように切っちゃうけどぉ。オレのお任せでいく〜?」




 髪型に拘りはないのでそうしよう。




「うん、ルルのおまかせでいく」


「りょ〜か〜い」




 ルルは手にハサミではなく細身のナイフを持っていて、リニアさんとメルティさんが物言いたげに控えている。




「ハサミじゃないの?」


「ん〜? ハサミでも良いけどぉ、こっちの方が上手く出来るからねぇ。オレ、刃物の扱い得意なんだよぉ」


「そうなんだ」




 ……まあ、暗殺者だもんね。


 前髪を持ち上げられたので目を閉じる。


 切った音はしないけど、パラパラと髪が布に落ちる音と感触はある。


 少し気になるが終わるまで目を閉じていることにした。出来上がりを待つのは楽しい。


 しばらく前髪を切っていたルルの手が離れる気配がして、それが横へ移動していく。


 丁寧に切ってくれているようで、少し切っては髪を整え、また切ってが繰り返されるのが分かった。




「ねえ、ルルのなまえはなんていうの?」




 パラ、と髪が布に落ちる。


 ルルの名前は知っている。


 でも、出来ればルルの口から聞きたかった。




「オレの名前はルフェーヴル=ニコルソンだよぉ」




 さらりとルルが答えた。




「ルフェーヴル=ニコルソン……。だからルル?」


「そう。リュシーだけがオレをルルって呼ぶの。仕事仲間は名前ではあんまり呼ばないしねぇ」


「何のしごとしてるの?」


「大きくなったら教えてあげるよぉ」




 ……あ、そこは秘密なんだ?


 それはそっか。五歳の子に「暗殺者だよ〜」なんて言っても分からないし、そもそも言い難いのかもしれない。




「じゃあ、ルルがおしえてもいいよって思ったらおしえてね」




 ルルはそれに「うん」とはっきりと返事をした。


 そして室内に髪が落ちる微かな音だけがしばらく響き渡った。


 不思議と嫌じゃない静けさだ。


 ルルの手が髪に、頭に、耳に触れる。


 その体温を感じるだけで安心するのだ。




「──……出来たよぉ」




 ルルの言葉に目を開ける。




「……だれ?」




 鏡の向こうにはやや痩せ過ぎだが可愛らしい女の子が座っていた。


 前髪は眉よりやや長く、顔のラインに合わせるように両端に向かって長くなっていく。傷んだ毛先は切られていて、毛先はシャギーがかかっている。


 丸い琥珀の瞳が見返してくる。




「リュシーだよぉ」




 ルルが「可愛いでしょ〜?」と鏡越しに見てくる。


 思わず振り返ってルルに抱き着いた。




「ルルすごい! わたしじゃないみたい!」




 髪型一つでこうも変わると思わなかった。




「リュシーは最初から可愛かったよぉ。オレはただ髪を切っただけぇ」


「でもほんとにすごいよ! ルルの手はまほうの手だね! ありがとう!」




 ルルがふっと笑った。




「どういたしましてぇ」




 その笑顔はとても綺麗だった。




「……お嬢様」


「せっかく布をかけたのに……」




 わたしがルルに抱き着いたせいで、布に残っていた髪がわたしとルルの服にくっついてしまっていた。


 リニアさんとメルティさんは眉を下げた。




「あ……」


「やっちゃったねぇ」




 ルルだけはのんびりと笑っていた。










* * * * *









 夜、日記用の本を前にアリスティードは昼間のことを思い出していた。


 義妹になったリュシエンヌは小さかった。


 グラスを持つ手は細く、袖から覗く手首なんて、アリスティードが力を入れて握ったら折れてしまうのではと思うほどだ。


 しかし顔を合わせた義妹に放っておいてくれと言われてアリスティードは戸惑ったし、それ以上に衝撃も受けた。


 他の貴族の子供はアリスティードが黙っていても勝手に近付いてくるので、まさか拒絶されるとは考えてもいなかった。


 それに何の教育も受けていないことにも驚愕した。


 普通、貴族や王族に生まれた子は教育を受けさせられるものだ。


 それがたとえ望まぬ子であったとしても、家の体面を保つために、何れ他家との繋がりを得るために、子に家庭教師をつけて礼儀作法や常識を学ばせる。


 だが、義妹はそれすらなかったという。


 そんな義妹はまるで貴族の前に突然放り出された平民のようにアリスティードへ平伏しようとして、そうしなければ「蹴られる」と言った。


 後宮ではそうして他の王族に平伏していたのか。


 椅子に戻された後もどこか緊張して、落ち着かない様子だった。


 旧王家の人間とは全く違う。


 きちんと見れば分かることだった。


 細い手足も、袖から覗く手首についた傷も、傷んだ髪も、病人のように青白い肌も、小さな体も。


 囁くような声はアリスティードに怯えていた。


 父やオリバーがリュシエンヌを「王家の被害者」と言っていたことを嫌でも実感させられた。


 相手のことを知ろうともせずに一方的に憎み、それでいて自分に擦り寄ってくるだろう、なんて理由もないのに変な自信を持っていた。


 だからか、義妹はアリスティードと関わることを避けようとした。


 当然のことだった。


 自分を嫌っている相手にわざわざ近付きたがる者などいないだろう。


 アリスティードは義妹のその態度に傷付き、しかしそう言われるだけの態度を自分がとってしまったのだと反省した。


 同時に義妹と仲良くなりたいと思った。


 旧王家という括りから外して見ると、義妹はアリスティードには好感の持てる子供だった。


 同年代の子供のように家柄や顔で近付いて来ることもなく、騒がしく喋りかけてくることもなく、物静かな女の子。


 義理でも兄妹になるのだから親しくなりたいし、目の前の小さな存在を見ていたら守りたいと思った。


 傍の侍従が世話を焼きたがる理由が分かる。


 小さな義妹は何も出来なくて、か弱くて、放っておいたらそのまま消えていなくなってしまいそうだ。


 義妹は謝罪を受け入れてくれた。


 それだけでなく、兄妹として親しくなることを許してくれた。


 今はまだ怖がられているが、それでも兄と呼んでくれたことが嬉しかった。


 兄弟姉妹がいなかったので兄と呼ばれる新鮮さとくすぐったさは思い出すと、つい口元が緩んでしまう。




「……これからだ」




 これからゆっくり仲良くなっていけばいい。


 明日も会いに行く約束をしてある。




「何がこれからなのぉ?」


「っ?!」




 後ろから声がして慌てて振り返る。


 いつの間に入ってきたのか、義妹の侍従が真後ろに立っていた。




「勝手に入ってくるなっ」




 だが侍従はへらりと笑う。




「あは、ごめんごめん。本職のクセでつい、ねぇ」




 全く笑っていない侍従の目にゾワ、と悪寒が走る。


 義妹と一緒にいた時とは随分雰囲気が違う。




「そっちがお前の本性か」


「ん〜、どっちもオレだよぉ?」



「そんなことよりさぁ」と侍従が続ける。




「君、リュシエンヌの兄になるのは良いけど、それ以上・・・・はダメだからね?」




 侍従から感じる魔力の冷たさに汗が出る。


 ……もしかして、これは殺気なのか?


 腹の底から全身が冷えていくような嫌な感覚に、アリスティードは掴んでいた椅子の背もたれを強く握る。


 本能がこいつは危険だと告げている。




「それ以上とは?」


「それ以上はそれ以上だよ。まだ君は聞いてないかもしれないけど、リュシーは成人したらオレと結婚して、オレのところに来る。これは国王も了承済み。だから兄以上の気持ちをリュシーに抱かないよう気を付けてね?」


「そうなのか……」




 だが貴族や王族が成人したらすぐに結婚するのは珍しくない。


 中には学院に在学中に結婚する者もいる。


 ただ相手がこの侍従というのは疑問だが。




「何故お前なんだ?」




 王女が降嫁するならそれなりの地位が必要だ。


 しかしこの侍従は貴族という感じがしない。




「オレは本職が闇ギルドの暗殺者なんだ。旧王家の血を下手に誰かに渡すわけにもいかないし、リュシーの身を守るためにもっていうのが建前ね。実際はオレがリュシーを気に入って、リュシーがオレを受け入れた。だからオレはリュシーを手に入れるために君の父親をちょ〜っと脅させてもらった。それだけ」




 呆然と侍従を見やる。


 暗殺者というのは納得がいく。


 部屋の主に気付かれずに入り込み、側まで近寄ることが出来たのは、だからだろう。


 そんなことはいいのだ。


 ……この侍従をリュシエンヌが受け入れた?


 確かに昼間見た時も、義妹はこの侍従を信頼して、全てを任せている風ではあった。




「しかし父上がそんな取り引きをするとは思えない……」




 一国の王女を暗殺者に嫁がせるなんて。




「オレ以外がリュシーの婚約者になったらソイツをすって言ったらすんなり頷いてくれたよ。君か信頼出来る家に嫁がせようと考えてたみたいだけど、息子の命は大事だったみたいだね」




 ……そういうことか。




「……まるで悪魔だな……」


「あはは、そうかもねぇ。リュシーが成人するまでは侍従兼婚約者として、リュシーの傍にいるから、よろしくね?」


「分かった。僕はリュシエンヌを妹と思っているし、兄として妹を守りたいだけだ。……お前の味方じゃなくてリュシエンヌの味方だからな」




 侍従を睨み上げれば満足そうに相手が笑う。




「それで良いよぉ」




 こちらを圧迫していた魔力が霧散する。




「あ、オレはルフェーヴルって名前だよぉ。ルルって愛称はリュシーだけのだから呼ばないでねぇ?」


「誰が呼ぶか」




 アリスティードの吐き捨てるような言葉に、義妹の侍従、ルフェーヴルは心底おかしそうに笑ったのだった。

 







* * * * *

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― 新着の感想 ―
[良い点] すげぇ! 形成の気配がチラッと昇っただけのフラグを、根本から消し去りにきた! すげぇよルフェーヴルさん!さすヤンデレ! 見た目綺麗系で華奢じゃ無かったらロリコン臭でさらにヤバかっただろうk…
[気になる点] >アリスティード こいつ、死なないの?
[一言] お兄様と、いつのまにかお兄様の背後に立っていたルルとのシーンですが、この時、お兄様付きの影がどうしていたか気になります。 ルルが認識阻害のスキルを解除する前、影はルルのことを気付いてたかな?…
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