初めまして
町を出てからしばらく馬車は走った。
そうして、途中で街道を逸れて森の中へと入り、目立たない場所で馬車が停まる。
ルルが内側から扉を開けた。
いつものように合図を使わないのは、カーテンを開けているので、外の様子が確認出来るからだろう。
ルルの手を借りてわたしも馬車を降りる。
もう一つの馬車からメルティさんとヴィエラさんも降りてきて、ヴィエラさんが荷物を運び出した。
それをルルが展開させた空間魔法へ収納する。
「リュシエンヌ様、しばしのお別れです……」
悲しそうにメルティさんに言われて苦笑した。
「大丈夫、ちゃんと戻ってくるから」
「もちろんです! リュシエンヌ様がお戻りになられるまで、ずっと待っておりますから!」
メルティさんにキュッと手を握られて、わたしもそれに握り返す。
わたしが五歳の時からずっと仕えてくれている。
わたしにとってはお姉さんみたいな人だ。
もう一度しっかり手を握り返す。
「少しだけ、待っててね」
「はいっ」
ちゃんと帰ってくるから。
ルルが荷物を収納し終え、わたしのところへ戻って来る。
「それじゃあそろそろ行くよぉ」
メルティさんから手を離す。
名残惜しげなメルティさんに微笑み返し、差し出されたルルの手に、自分のそれを重ねた。
ヴィエラさんが近くに来た。
ルルが詠唱を行い始める。
他の魔法よりも長い詠唱だ。
相変わらず聞き取れないが、足元に魔法式が展開され、光り出す。
「行ってきます」
メルティさんが礼を執った。
「行ってらっしゃいませ」
それを最後に足元の光が強くなり、ふわっとした浮遊感と共に景色が移り変わった。
足元にある地面の感触が少し違う気がする。
見れば、足元には草が生えていた。
魔法式が消えるとルルがわたしをひょいと横抱きにした。
「このまま歩いたらリュシーのドレスが汚れちゃうからねぇ」
と、いうことだった。
「ありがとう、ルル」
お言葉に甘えてルルに抱き着かせてもらう。
泥汚れがついたら洗濯が大変だろう。
歩き出したルルにヴィエラさんがついて来る。
……どっちを見ても森だあ。
足元に草が生え、一応、木々は背が高いのでなんとか歩けるけれど、ここをドレスで歩くのは厳しいかもしれない。
ルルとヴィエラさんは慣れた様子でサクサクと歩いているが、わたしだったら同じペースでは歩けないと思う。
「どの辺りにお師匠のお家ってあるの?」
ルルが首を傾げた。
「さぁねぇ」
「え、分からないの?」
思いの外、大きい声が出てしまった。
ここまで来たのにまさか家の場所を知らない、なんて言われるとは思わなかった。
「転移魔法で近くまで飛んで来たけどぉ、師匠のいるところっていくつも魔道具使って隠してるんだよぉ。だから向こうが入れてくれないと入れないんだぁ」
……なるほど?
「じゃあ今はただ歩いてるだけ?」
「そうだねぇ。でもぉ、多分近くだよぉ」
「なんで分かるの?」
ルルがニコッと笑った。
「あそこ見てぇ」
言われて見る。木があるだけだ。
首を傾げたわたしにヴィエラさんが囁いた。
「木の幹をご覧ください」
幹、と改めてルルが視線を向けた木を見る。
…………あ。
「傷がある」
木の低いところ、草にギリギリ隠れるかどうかという高さの辺りに刃物で切ったような傷があった。
だいぶ薄くなってはいるが、確かに人がつけた傷なのは間違いない。
それが斜めにつけられている。
「昔オレがつけたんだぁ」
ルルが懐かしそうに言う。
「そうなの? どうして?」
「うっかり外に出ちゃってさぁ、戻れなくなってぇ、師匠がそれに気付くまで同じところをずーっとグルグル歩き回ってたんだよねぇ」
「それは大変だったね……」
……というか。
「もしかして今もそうだったりする?」
ルルが笑った。
「当たり。でもこの辺で待ってようかぁ。あんまり動き回らなくても多分気付くだろうしぃ」
ルルはなんてことない風に言うけれど、そこにはお師匠様への信頼みたいなものが透けて見えた。
ルルがわたしを抱えたまま木陰に入る。
ヴィエラさんも傍にいる。
……ここは鬱蒼としてるなあ。
全く別の地域なのか、先ほどまでいた町の周りの森は色付いていたけれど、ここはどこも木々が青い。
わたしが想像しているよりも町から離れているのだろう。
深い森の中だけどルルが傍にいるから怖くない。
しばらくそこにいると不意にルルとヴィエラさんが顔を上げ、同じ方向を見た。
「あっちだねぇ」
「あちらですね」
二人が同時に言って、歩き出す。
「何かあったの?」
ルルへ訊けば頷き返された。
「向こうに魔力反応があったんだよぉ。多分、師匠が一時的に魔道具の効果を切ってくれたんだと思う〜」
「わたしには全然分かんない」
「リュシーは魔力がないからねぇ」
サクサクと森の中を進んで行く。
すると、唐突に道が現れた。
道と言っても周囲の茂みを払って、踏み締めただけの、獣道より少し道らしいかなという具合のものだった。
ヴィエラさんがそこへ先に入る。
わたしを抱えたルルが後を追う。
「懐かしいねぇ」
ポツリとルルがこぼした。
「ルルはこの道、覚えてるの?」
「うん、この獣道みたいなところを通って行くと師匠の家に着くんだよぉ。昔は何度も通ったからねぇ」
もしかしたらルルにとって、今回の訪問は実家に帰るようなものなのかもしれない。
ルルが生まれた娼館は既にない。
だから、ルルの実家と呼べる場所はお師匠様の家だったりして。
そうだとしたら、こうして懐かしがるのも納得がいくし、やっぱり来て良かったと思う。
道を進んで行くと急に視界が明るくなる。
その眩しさに目を瞑り、ゆっくり開ける。
「……うわあ……!」
森の中に一軒の家があった。
壁はダークブラウンで、屋根は緑色。
二階建ての家は少し離れたら、きっと森の中に同化してしまうだろう。
シンプルだけど、それが可愛らしい。
家の近くには小さな畑もあった。
家の前に人がいる。
ヴィエラさんとルルが歩いて行く。
……え、待って、このまま行くの?!
「ルル、そろそろ下ろして?」
ルルがわたしを見下ろした。
そしてニッと悪戯っ子みたいに笑った。
それにドキッとしたが、下ろしてはくれない。
アワアワしている間に家の前に来てしまった。
ヴィエラさんが横にズレる。
そこにはやや歳のいった男性がいた。
歳の頃は五十代後半から六十代くらいだろうか。
紅茶のような少し暗めの赤い短い髪に、スミレの花みたいな紫色の瞳をした人で、顔の右半分には大きな火傷の跡があった。
両目は見えているが、右頬全体は引き攣れていて、少し痛そうだった。
身長が意外と長身で、ルルと並んだ感じは百八十くらいはあるかもしれない。
背筋がピンとしているから余計にそう感じる。
年齢のわりに体つきもしっかりしている気がする。
ルルの話ではもう暗殺者を引退していると聞いていたけれど、まだ体は鍛えているのだろうか。
静かな雰囲気を持つ人だった。
「久しぶりだねえ、ヴィエラ、ルフェーヴル」
柔らかな声に、気持ちゆっくりとした口調は穏やかで優しく聞こえる。
どこかルルの口調と似ているなと感じた。
……いや、口調だけじゃないかも。
雰囲気も似ている。
この場合はルルにというよりかは、ルルやヴィエラさんだけでなく屋敷の使用人達にも似ている。
静かで、穏やかで、けれどどこか冷たいような。
ジッと見つめていたせいかお師匠様と目が合った。
「おや、そちらのお嬢さんは?」
そこでやっとルルが下ろしてくれた。
「オレの奥さんだよぉ」
ルルのお師匠様がルルを見て、ヴィエラさんを見て、わたしを見て、そして「ふむ」と頷いた。
「長くなりそうだねえ」
「うん、二日泊めて〜。どうせベッドはまだ残ってるんでしょぉ?」
……?
何か違和感があった。
「ああ、残ってるよ。……中へどうぞ」
男性が背を向けてゆっくりと歩き出す。
少し右足を引きずっていた。
ヴィエラさんがついて行き、ルルに促されてわたしもついて行く。
……気のせいかな?
「何もないところですが」
と、扉を開けたお師匠様に言われた。
家の中へ入ると本当に何もなかった。
家具があるにはあるけれど、必要最低限だけといった感じで、この家の主の趣味や好みを窺えるものは何一つとしてない。
玄関を入ってすぐにキッチン、リビング、ダイニングが一体化した横に広い部屋がある。
奥へ続く扉もあったが、室内は整然としていた。
テーブルや椅子はあるけれど、ダークブラウンで統一されており、カラフルさはない。
ソファーとテーブルのセットがあり、そこに通された。
年代物らしく、ソファーに座ると小さくギシリと音がした。
「変わってないなぁ」
ルルが室内を見回して言う。
ルルがいた頃からこんな感じだったようだ。
お師匠様は座らずに、キッチンに向かった。
どうやらお茶の用意をしてくれるみたい。
こっそりルルへ問う。
「昔と変わってない?」
「うん」
そう聞くと一種の感動みたいなものを覚えた。
ルルが子供の頃に過ごした場所に、今、わたしはいて、子供の頃のルルと同じ景色を見ている。
それがただ嬉しかった。
そして、シンプルな室内が暗殺者らしいと思った。
ヴィエラさんがお師匠様のところへ行く。
「師匠、私がお持ちします」
「ああ、助かるよ」
師匠という響きは慣れた感じがした。
ルルとヴィエラさんは兄弟弟子なので、ヴィエラさんにとってもお師匠様はお師匠様である。
ヴィエラさんがお盆を持って戻ってきた。
置かれたティーカップには紅茶が淹れられていた。
ヴィエラさんがテーブルにそれを置くと、ルルがすぐに手をつけた。
一口飲んで、カップをソーサーに置き、テーブルへ戻す。
……あれ?
いつもは「どうぞぉ」と渡してくれるのに、それがなかった。
ルルもヴィエラさんも何も言わず、ヴィエラさんはお盆をテーブルの端に置くと、わたしの斜め後ろに立つ。
お師匠様が後から来て、ゆっくりソファーへ腰掛けた。
「改めて初めまして、ガルム=ダフといいます」
「こちらこそ初めまして、リュシエンヌ=ニコルソンと申します。突然御訪問してしまい、申し訳ありません」
「いえ、それは構いませんよ。ここには私しかおりませんから、お客人が来てくださるのは嬉しいことです」
それからお師匠様──……ガルムさんはルルを見た。
「お前、本当に結婚したのだねえ」
ルルがどこか自慢げに頷いた。
「だからそう言ってるでしょぉ? それに、どうせアンタのことだから全部知ってるんじゃないのぉ?」
「全部はさすがに知らないよ」
「でも大体は知ってるクセにさぁ」
ルルの言葉にガルムさんが僅かに微笑んだ。
沈黙は肯定。それが答えのようだった。
「ここには何をしに来たんだい?」
ガルムさんが紅茶を飲む。
「結婚の報告だよぉ」
「お前がそういうことをするとは思えないけれどねえ」
「そ、リュシーがアンタに会いたいって言うから来ただけだよぉ。そうじゃなかったら、こぉんな森の奥にわざわざ来ないってぇ」
ルルがもう一度紅茶を飲んだ。
そうして、わたしの分と交換した。
よく分からないがもう飲んでもいいらしい。
わたしもティーカップとソーサーを取って、一口含み、驚いた。
これ、普通の紅茶じゃない。
独特な香りと旨味がする。
……なんだろう。分からないけど美味しい。
更に一口、二口と飲んでいるとガルムさんがわたしを見た。
「お茶が口に合いましたか?」
それにわたしは頷き返した。
「ええ、初めて飲む味ですが美味しいです」
「実はそれはキノコを乾燥させて、それから作ったお茶なのです。独特な風味がありますが」
「キノコのお茶がこんなに美味しいなんて驚きました」
そういえば前世でもなんだかそういうのがあった気がする。キノコのお茶。確か美味しいと聞いたような。
それと思えば抵抗感はない。
「一つ質問をしてもよろしいでしょうか?」
ルルを見上げれば、頷かれた。
「はい、お答え出来る範囲でしたら」
……これって結婚相手の御両親に挨拶してるみたい。間違ってないよね?
少しドキドキする。
ルルがふわっと手を握ってくれたので、わたしもそれをそっと握り返した。
「ルフェーヴルの職業をご存知ですか?」
「はい、本職については知っています」
「知っていて、受け入れてくださったのですね」
「ルルがルルだから好きなんです。わたしにとっては暗殺者というのはルルの一部であり、そのおかげでわたし達は出会えたので、実を言えばガルムさんには感謝しているのです」
ルルを暗殺者として育ててくれて。
ルルに生きる術を与えてくれて。
わたしはガルムさんにもずっと感謝していた。
「あなたがルルに生きる術を与えてくれたから、わたし達は出会えました。わたしは救われました。だから、ありがとうございます」
わたしはガルムさんへ頭を下げた。
この人がルルの恩人なら、わたしの恩人でもある。
ふ、と気配が揺らいだ気がした。
顔を上げるとガルムさんが目を細めてこちらを見ている。
「こちらこそ、ありがとうございます」
それが何に関しての感謝の言葉なのかは言及されなかったが、わたしはそれに微笑んだ。
……きっと、悪い意味ではないだろう。
それからわたしはガルムさんに話をした。
ルルと出会ってからの、長い長い話である。
でもガルムさんはそれを静かに聞いてくれた。
時々ルルも話に混ざって、ルルと二人で説明することもあって、不思議と楽しかった。
ルルのお師匠様は悪い人ではないと思う。
ルルとヴィエラさんを見る目は、穏やかだった。




