鮮やかな森の中で
ウィルビリアを出発して二日目。
一つ村を通り過ぎ、二つ目の村へ向かっている。
一つ目の村はそこそこの大きさだった。
とは言っても、夕方に着いて、宿で食事をして眠ったら翌朝には出発しているので村のことは全く分からない。
それはわざとである。
わたしもルルも目立ちたくはない。
だから必要最低限の関わりだけで済ませているのだ。
窓の外へ目を向ける。
森が広がっているけれど、平らな森から段々となだらかな山地へ変化していっている。
森の中なので今は馬車のカーテンを上げてある。
地図ではもう少しすると拓けるらしい。
この森は紅葉樹が多いようで、通り過ぎる景色は黄色が多く、そこに赤色や緑色が少し混じっている。
風に揺れて落ちる葉が美しい。
最初は緑の多い森だったのだが、少しずつ色が変わってきて、どうやら木の種類が変わっていったようだ。
……写真に残しておきたいなあ。
「あ」
思わず声を上げればルルがわたしを見た。
「どうかしたぁ?」
わたしもルルに振り向く。
「次はどこで休憩する?」
「ん〜……、あとしばらく走ったら、ココで休憩かなぁ。ほら、少しココが拓けてるでしょぉ」
ルルが地図を取り出すと広げて、道を指差した。
わたし達が走っている街道のもう少し先を行くと、確かにやや道が広がっている。
「前に、学院に通ってた頃に写真魔法を使ったよね? あの景色を紙に写せるやつ」
わたしの言葉にルルが「ああ」と手を叩く。
「あったねぇ」
「あれで森の写真、残せるかな?」
ルルが頷いた。
「残せるとは思うけどぉ、色までは無理だよぉ?」
ルルも写真魔法については覚えていたらしい。
「それでもいいの。ルルと出かけた場所を覚えておきたいから、白黒でもいいの」
「じゃあ後で休憩の時間に一緒に写して回ろうかぁ」
「うん」
もう少し早く気付けば良かった。
そうすればウィルビリアの新婚旅行でも使えたのに。
いや、でも、街中で使うと目立ってしまうからダメだったかもしれない。
魔法だから発動させるとどうしても人目を引く。
魔法についてあれこれ訊かれても困る。
「あの魔法便利だよねぇ。画家に描かせるより正確だしぃ、わざわざ画家を呼ばなくていいしぃ、何よりすぐに出来るしねぇ」
あの屋敷に画家は呼べない。
だからわたしとルルの肖像画は屋敷にない。
「帰ったら、屋敷の庭で二人で写真撮ろう?」
「いいよぉ」
そうしてこれからは毎年撮っていって、ルルの空間魔法に保管しておいて、沢山集まったら本にするのだ。
この世界初のアルバムが出来上がるだろう。
わたしとルルだけしか見ない特別なアルバムだ。
* * * * *
馬車が停まり、休憩地点に到着する。
外からコンコンと馬車の壁が叩かれる。
ルルがコンと返せば、扉が開けられた。
先に降りたルルの手を借りてわたしも馬車を降りる。
外に出ると湿気を少し帯びた、森特有の青い、土っぽい匂いがする。
それから肌寒い。
メルティさんが来て、わたしに上着を羽織らせてくれた。
「ありがとうございます」
ニコッと微笑んでメルティさんが下がった。
ルルを見れば、少し寒かったのか空間魔法で懐かしい赤いあのマフラーみたいな布を取り出して、首に巻いている。
目が合うと手を差し出された。
「写真魔法、撮りにいこっか?」
差し出された手に自分の手を添える。
「うん」
ルルが護衛達に声をかけ、そのうち二人がついてきてくれて、ルルと少しだけ森に入った。
季節のせいか少し日が弱く、木立の隙間から柔らかな日差しが地面へ差し込んでいる。
森には落ち葉の絨毯が広がっていた。
「うわぁ、綺麗……!」
前世日本の森とは少し雰囲気が違う。
どこが、と正確に言うのは難しいが、絵画のような美しさである。
木に触れると少し湿っていた。
根っこがうねっていて、王女時代に過ごした王城内にあった木々とは違っている。
あそこにあった木々達はきちんと整えられていた。
でも、こうして自然にある木の方がずっと力強く感じるし、ずっと綺麗に見えるのはどうしてだろう。
はらはらと落ち葉の雨が降る。
頭にふっと何かが触れる感覚がした。
「リュシー、葉が乗ってるよぉ」
ルルの手が伸びてきて、わたしの頭に触れた。
その手には赤い葉が一枚あった。
差し出されたそれを受け取る。
「綺麗な赤色だね」
鮮やかな葉は一枚、丸々染まっている。
ふとルルに葉を当ててみる。
……うん。
つい、頷いた。
「ルルは黒も似合うけど、赤も似合うね」
首に巻いている布のせいもあるかもしれないが。
「そ〜ぉ?」
ルルが首を傾げる。
しかしすぐに「あー……」と首を戻した。
「まあ、本職がアレだからなぁ」
「本職? ……あ」
ルルの本職は暗殺者だ。
そして暗殺者に赤が似合うというのは──……。
「違うよ?! そういう意味で言ったわけじゃなくて……!!」
慌ててルルに近付けば、ズリッと足元が滑る。
「きゃっ?!」
体が後ろ向きに倒れる。
一瞬、既視感に見舞われた。
……また死ぬの?
嫌だ、と思った瞬間、視界いっぱいにルルの顔が現れた。
気付けば大きな手が、力強い腕が、わたしの体を抱えるように支えてくれていた。
「っと、危な……」
ルルも驚いたらしく、そう呟いていた。
体が震えている。
伸ばした腕でルルにしがみつく。
「リュシー?」
バクバクと心臓が嫌な音を立てている。
体が震えて、手足が酷く冷たい。
少し息苦しい。
ひゅ、と唇から空気の抜ける音がした。
驚いた顔をしたルルにキスされる。
そうして、ふ、と唇を通して息を吹き込まれた。
ルルの唇は僅かに離れた。
「リュシー、ゆっくり息して」
また唇が重なった。
ふ、ふ、と息が吹き込まれ、また離れる。
「ほら、吐いて。……そう、上手」
息を吸う時にはルルにキスをされて。
息を吐く時には唇が離れて。
息苦しさがおさまっていく。
ぐったりとしたわたしの体をルルがそっと横抱きに持ち上げ、馬車へと戻る。
メルティさんやヴィエラさんが慌てて近付いて来たけれど、ルルは目でそれを制すると、わたしを抱えて馬車に乗り込み、扉を閉めた。
「大丈夫だよ、大丈夫」
何度もルルが大丈夫と囁いてくれる。
そのおかげか次第に体の震えはおさまっていき、そして、落ち着いてくると涙があふれ出した。
* * * * *
リュシエンヌが泣いている。
出会った頃から、滅多に泣く子ではなかった。
ルフェーヴルに抱き着く手は酷く冷たくて、先ほどまで震えていた体は少し力がない。
それでもしがみつくようにルフェーヴルの着ている服を掴み、胸元に顔を埋めて、声を押し殺して泣く。
突然のことにルフェーヴルはただただ「大丈夫」だと宥めることしか出来ない。
……そんなに転びそうになって驚いたの?
確かに、後ろ向きに転んだので、あのまま頭を打っていたら危なかったかもしれない。
しかし地面は土と柔らかな落ち葉だったので、転んだとしても、大怪我はしなかったと思う。
それでも、ルフェーヴルも一瞬ヒヤリとした。
地面には石だって転がっている。
石に頭をぶつけたら。石が尖っていたら。
人間は案外脆くて弱い生き物だ。
ちょっとしたことで死んでしまうこともある。
「リュシー、怖かったね」
泣くリュシエンヌの頭を撫でる。
泣きながら、リュシエンヌが頷いた。
「あの、あの、ね……っ」
ひっく、えぐ、と嗚咽混じりにリュシエンヌが話し始めたので、ルフェーヴルは「うん」と相槌を打った。
一生懸命話そうとしているが、言葉が出てこないらしい。
ルフェーヴルは急かさず、辛抱強く待った。
「わ、たし、前世が、あるって、言った、よね?」
「うん、言ったねぇ」
落ち着かせるためにリュシエンヌの頭を撫でる。
「前世で、死んじゃった、とき、冬で、さっき、みたいに、足が滑って、死んだの……」
それを思い出したのか、またリュシエンヌの瞳から涙がこぼれ落ちる。
そんなに泣いたら綺麗な琥珀の瞳が溶けてしまいそうだ。その瞳が溶け出したら、蜂蜜のように甘いのだろうか。
ルフェーヴルは、涙の溜まった琥珀の瞳の目尻に口付けた。
……うん、普通の涙の味だねぇ。
「そっかぁ、それで怖かったんだねぇ」
リュシエンヌの頭から、背中に腕を回して、優しく撫でる。
うん、とリュシエンヌが頷いた。
「凄く、びっくりした……。また、死んじゃう、のかなって。……死にたくない、って」
伸ばされたリュシエンヌの腕がルフェーヴルの首に回される。
ギュッと引き寄せられて、リュシエンヌがルフェーヴルの肩口に顔を寄せた。
「死ぬなら、ルルに、殺してもらいたい、から」
泣きながらリュシエンヌが言う。
「ルルと、もっと、一緒にいたい」
ルフェーヴルはリュシエンヌの背中を撫でる。
「うん、ありがとぉ、リュシー。オレももっとリュシーと一緒にいたいって思ってるよぉ」
リュシエンヌの言葉が嬉しい。
そんな簡単に死なせるつもりはないが、リュシエンヌが死ぬとしたら、それはルフェーヴルが与える死でなければならない。
そっとリュシエンヌの首に手を添えれば、安心したように細い体から力が抜ける。
暗殺者に首を掴まれて安心するなんてリュシエンヌだけだろう。
「泣いちゃって、ごめんね……」
すん、と鼻を鳴らすリュシエンヌを抱き締める。
「いいんだよぉ。前世で死んだのと似た状況でぇ、リュシーは怖くなっちゃっただけなんだからぁ」
むしろ泣いているリュシエンヌもかわいい。
泣いても、怒っても、笑っても、不機嫌でも。
どんなリュシエンヌも愛している。
リュシエンヌの全ての表情を見てみたいと思う。
「一度死にかけたヤツってぇ、同じような状況になると恐怖を感じるらしいしぃ、リュシーも多分そうだったんだよぉ」
闇ギルドに所属する者の中にはそういう者もいる。
刺されてナイフがダメになった。
溺れかけたら泳げなくなった。
火傷を負って火が嫌いになった。
色々あったが、どれも共通しているのは、それによって死にかけたというものだ。
ルフェーヴルも何度か『コレ死ぬかも……』と思ったことはあるが、そういう恐怖みたいなものは感じたことがない。
だから共感することは出来ないが、恐怖を感じていることを察することは出来る。
「でも怖がらないでぇ。オレが傍にいてぇ、リュシーを死なせることなんてないからさぁ」
「うん……、わたし、ルルの手で、死にたいの」
「分かってるよぉ」
かわいいなぁ、とルフェーヴルは思った。
過呼吸を起こしかけるくらい恐怖を感じたのに、それよりも、ルフェーヴルと一緒にいられなくなることを、ルフェーヴルの手で死ねないことの方を気にするなんて。
これをかわいいと思わないわけがない。
「さっきだってオレが助けたでしょぉ?」
「大丈夫だよぉ」と言えばリュシエンヌが顔を上げた。
泣いたせいで目元が赤くなっている。
その目元を労わるように、頬に手を添えて、親指の腹でそっと撫でる。
「うん、ルルが助けてくれた」
「もしオレが傍にいなくてもぉ、侍女達が助けてくれるから大丈夫だってぇ」
リュシエンヌが頷いた。
「でも、これからはもっと気を付けて歩く」
真面目な顔をして言うのでルフェーヴルは少し、笑ってしまった。
「そうだねぇ、リュシーが気を付けるのも大事だよねぇ」
「怪我しないように、死なないように、気を付けるね。……ずっとルルの傍にいたいから」
手にすり寄られて、ルフェーヴルはリュシエンヌに口付けた。
唇が離れるとリュシエンヌがすん、と鼻を鳴らす。
泣いてしまったので化粧が崩れているけれど、それでも、いや、それはそれでかわいいものだ。
「落ち着いたぁ?」
リュシエンヌの涙は止まっていた。
まだ、すんすん、と鼻を鳴らしているけれど、もう涙が流れる気配はない。
こくりと頷いたリュシエンヌの目元にもう一度口付けて、膝の上から下ろす。
「侍女達を呼んでくるねぇ」
そう言えば、リュシエンヌがハッとした様子で自分の両手で顔を覆った。
「お化粧、崩れてる……よね?」
「ちょ〜っとね」
リュシエンヌの肩が落ちる。
「……ルルの前では綺麗でいたかったのに……」
ルフェーヴルは笑った。
「リュシーはいつだって綺麗だよぉ」
初めて出会った頃のリュシエンヌは薄汚れていたが、それに対して汚いと思ったことはない。
ルフェーヴルはもっと汚いものを知っている。
汚いという言葉は見た目だけに使われる言葉ではないし、どれだけ見た目が綺麗でも、汚く感じることもある。
だが、リュシエンヌはいつだって綺麗だった。
だから、リュシエンヌを汚いと思ったことはない。
よしよしと頭を撫でてルフェーヴルは馬車を降りた。
外にいる護衛や御者達に見えないよう、素早く扉を閉めて、待機していた侍女達に声をかける。
「リュシーの身支度を整える手伝いをしてあげてぇ。ちょ〜っと化粧が崩れちゃったからぁ」
侍女二人が頷いて、別の馬車から荷物を持ち出すと、そばかすのある片方がそれを持ってリュシエンヌの馬車へ乗った。
「旦那様、奥様は……」
リュシエンヌの王女時代から仕えている騎士の一人に問われて、ルフェーヴルは頷いた。
「さっき森で足を滑らせちゃってさぁ。怪我はしなかったけどぉ、危ない転び方しちゃってビックリしたみたぁい。でももう落ち着いたから大丈夫だよぉ」
「そうですか、それは良かった……」
忠誠心の厚い騎士達だ。
全員がルフェーヴルとも面識があり、中にはルフェーヴルと剣を交えた者もいる。
この者達はルフェーヴルもそれなりに信用しているし、リュシエンヌの護衛は多い方が良い。
「もう少し休憩したら出発しよっかぁ」
あまり遅れると次の村への到着も遅くなる。
リュシエンヌは野宿をしてみたいと言っていたが、こんな場所で野宿をさせるつもりはない。
騎士が「はっ」と返事をして下がっていく。
……リュシーは頭を打って死んだのかぁ。
転んで頭を打って死んだとは、少し間抜けな気がするけれど、その一方でリュシエンヌらしいような感じもする。
真面目で、正直で、勤勉で、隙がなさそうに見えて実は結構抜けている。
リュシエンヌが前世について話すことはあったが、死因については初めて聞いた。
きっと、あまり思い出したくないのだろう。
それでもリュシエンヌのことを知れて良かった。
……いつか殺す時、怖がらせたくないしねぇ。
リュシエンヌの乗る馬車に寄りかかりつつ、ルフェーヴルは微笑んだ。




