年末の舞踏会 / 嵐の予感
王家主催の年末の舞踏会。
社交シーズンは既に過ぎているため、その頃に比べると大分人が減った。
夏から秋までの社交シーズン中はどの貴族達も王都へやって来て、毎日のようにあちらこちらの家で夜会やお茶会が開かれる。
この社交シーズンの間に貴族達は主に縁を繋いだり、結婚相手を探したりするのだ。
シーズンが終われば領地を持つ貴族は自領へ帰る。
中には妻や代官に任せ、王都に残る者もいる。
この時期は一番王都にいる貴族の数が少ない。
それでも結構な数の貴族が出席している。
この国には法衣貴族と呼ばれる領地を持たない貴族もいるため、そういった貴族はシーズン関係なく出席出来るからだ。
貴族達の挨拶を終えてダンスの時間になる。
お兄様はお義姉様と。
わたしはルルと。
今日のわたしとルルはシルバーグレーの装いだ。
お兄様とお義姉様は光沢のある金糸を使った衣装で、まるでわたし達とお兄様達で対のように見える。
舞踏の間の中央にそれぞれ進み出る。
そしてルルと向き合った。
そっと右手を重ね、左手をルルの肩へ。
準備が調うと楽団の音楽が流れ出す。
ルルのリードで踊り出した。
……あと何回こうして踊れるだろうか。
輝くシャンデリア、美しい絵画達、豪奢な装飾の施された王城の広間はどこもかしこも煌びやかだ。
王女として公の場に出るのも、もうあと数回のことだろう。
そう思うとどこか感慨深い。
「何を考えているのですか?」
ルルが小声で問うてくる。
「あと何回こうして踊れるのかなって思って。お屋敷に行ったらもう踊れないからね」
「それなら音楽を記録する魔法を作ればいいんですよ。そうすれば楽団や伴奏者を呼ばずとも踊れます」
「なるほど……」
それはなかなかに良い手かもしれない。
別に舞踏会や社交界に出たいというわけではなく、単純にルルとダンスをする機会がなくなるのが残念なのだ。
……音楽を記録する魔法……。
式を挙げる前には完成させたい。
ルルの手に導かれてクルリとターンする。
「考えるのは舞踏会が終わってからですよ」
ルルに言われて我へ返る。
「今は私に集中してください」
「うん……」
顔が寄せられてドキリとする。
婚姻してから何度もキスはしている。
それなのに、何度しても照れてしまう。
……慣れる日なんて来ないかも。
ルルが格好良すぎるのが悪い。
シルバーグレーの細身の衣装に身を包んだルルは背が高く、スラリと長い手足に中性的な整った顔立ちは美しい。
ドキドキしない方がどうかしている。
しかもその瞳は自分だけしか見ていない。
世界にルルとわたしだけしかいないという風に。
貴族は美しい者が多い。
男性も女性もそうだ。
そんな人々が集まっている中で、それでも、わたしだけを見続けてくれているのが嬉しい。
……本物のリュシエンヌの影響かな?
豊穣祭以降、少し感情の起伏が激しくなった。
自分でもそうだと思うくらいなので、周りの人も少なからずわたしが変わったことは気付いているはずだ。
一番傍にいるはずのルルだって。
「ねえ、ルル」
「何ですか?」
クルクルと踊る。
「あのね、オーリの中にはもう一人の人格があったでしょ?」
ルルが僅かに眉を寄せた。
訝しむように視線を向けられる。
「わたしの中にもね、本物のリュシエンヌがいたの」
「そうなんですね」
「……驚かないの?」
クルリとまたターンする。
「オリヴィエ=セリエールの事情とリュシエンヌ様の話を聞いた時に、そういう可能性はあると考えていました」
「そうなんだ……」
……言ってくれたら良かったのに。
そう考えて、違うな、と思った。
ルルのことだから気付いても言わなかったんだ。
言えば、わたしが悩むから。
きっとルルは分かっていたんだ。
「豊穣祭のあの時、光の中で、本物のリュシエンヌに会ったよ。やっぱりそっくりだった」
ルルは黙って聞いてくれている。
「リュシエンヌはわたしの記憶を知って、自分が表に出たら良くない未来になるから出て来なかったんだって。わたし、全然気付かなかった」
ルルの灰色の瞳が心配そうにこちらを見た。
それに大丈夫だと微笑む。
「でもね、リュシエンヌはわたしに全部託してくれた。これまでも、これからも。そうしてリュシエンヌとわたしは一つになったんだと思う」
「だから最近のリュシエンヌ様は少し変わられたのですね」
「うん。……今のわたしは嫌?」
ルルがニコッと笑った。
そして唐突にグッと体が持ち上げられる。
持ち上げられたまま、ルルがクルクルと回り出す。
慌ててルルの肩へ手を当てる。
「今のリュシーもかわいいよ」
そのままふわっと落ちるように抱き留められる。
「どんなリュシーでもオレは好き。だってリュシーはリュシーだから、それだけで十分だよ」
ギュッと抱き締められる。
それは一瞬で、すぐに体が離れて、ターンを決める。
視線が絡んだルルの表情は珍しく真剣なもので、それが本音だと教えてくれていた。
「ありがとう、ルル」
わたしとリュシエンヌを受け入れてくれて。
ルルはふっと微笑んで頷いた。
そうして二曲、わたし達は踊り切った。
互い礼を執って一旦離れる。
そして三曲目はお兄様と向かい合う。
「さっきは随分と遊んでいたな」
お兄様が少しからかう口調で言う。
差し出された手に、自分の手を重ねる。
「良いことがあったので」
お兄様の肩に手を添える。
「良いこと?」
聞き返された。
楽団の音楽が流れ出す。
「ルルとわたしだけの秘密です」
「そうか、それでは仕方ないな」
お兄様が苦笑する。
そして演奏に合わせて踊り出す。
動きが大きくて遊びの多いルルの踊り方に比べて、お兄様は型通りの綺麗で正確な踊り方をする。
「お兄様とも、あと何回踊れるんでしょうね」
式を挙げたらお兄様達とは離れて暮らす。
これまでのように気軽には会えなくなる。
チラとお兄様に見下ろされる。
「兄妹なんだ。いつでも踊れるさ」
わたしの言葉の意味を理解していて、そう言っているのだろう。
いつでも帰って来ていいと言われた気がした。
それが嬉しかった。
「そうですね」
「ああ、そうさ」
会いたくなったら会いに来ればいい。
だってわたし達は家族なんだから。
「ルルにおねだりして会いに来ますね」
「行く時に便箋とインクを沢山持って行け。あいつは絶対、そういうのは用意しないからな」
「ふふ、分かりました」
お兄様もルルの性格を分かっている。
きっと、ルルは便箋もインクも屋敷には置いていないだろう。
わたしと外界を極力、離したがるだろうから。
容易に想像出来て笑ってしまった。
「でも、まだ三月はありますよ?」
学院を卒業してからなので、まだ時間はある。
「もう三月しかない。そんなのあっという間だ。あとそれだけしか一緒に過ごせないんだな……」
そう言ったお兄様は酷く寂しそうだった。
お兄様のそんな表情は初めて見た。
「いっぱい思い出を作りましょう、お兄様」
お兄様が顔を上げる。
「王城の庭園でピクニックをして、お父様とお兄様とわたしの家族だけでお茶会もしましょう。お父様の執務室にも遊びに行くんです」
「それは父上の側近に叱られそうだな」
「かもしれませんね。でも、二人で怒られるならそれも思い出になりませんか?」
放課後はお義姉様やロイド様、ミランダ様とカフェテリアでまったりお茶を飲んでお喋りをするのもいい。
お兄様と帰りにどこかのお店に寄ってもいい。
それで、お父様へのお土産をまた買うのだ。
一緒にお菓子作りをするのもいい。
色々、やりたいことは沢山ある。
「そうだな」
思わずといった様子でお兄様が破顔する。
「たまには父上の執務室へ突撃してみるか」
「お父様は怒らないと思います」
「ああ、父上は怒らないだろうな」
ダンスをしながら二人で笑う。
そう、まだ三ヶ月もあるんだ。
お兄様やお父様、みんなとの思い出だってまだまだ作れる。
残りの三ヶ月は精一杯楽しもう。
ちょっとだけ我が儘にもなろう。
本物のリュシエンヌが我慢してくれていた分。
わたしがずっとずっと我慢してきた分。
そのうちの少しくらいはいいだろう。
「わたし、我が儘もいっぱい言います」
お兄様が頷いた。
「ああ、沢山言え。兄は妹を甘やかすものだ」
「……それ、誰から聞いたんですか?」
「エカチェリーナだ。上の兄や姉というのは、下の弟や妹を正す必要もあるけれど、同時に甘やかしてやれる存在でもあるんだと」
「エカチェリーナ様らしいですね」
クルクルとターンを決める。
そして曲が終わった。
「だから好きなだけ甘えればいい」
そう言って、お兄様は近付いて来たルルにわたしの手を預けた。
ルルが僅かに小首を傾げた。
「何の話ですか?」
広間の中央から下がる。
ルルが椅子へエスコートしてくれた。
そしてブドウジュースを手渡された。
「ありがとう。……あと三ヶ月、どうやって過ごそうかなって話だよ。お父様とお兄様との思い出をもっと作っておこうかなって」
「ああ、そういうことですか」
納得した様子でルルが頷いた。
意外とあっさりしていてわたしは目を瞬かせる。
もっとグイグイ訊いてくるかと思った。
不思議そうなわたしにルルが微笑む。
「私との生活のために心残りがないように色々と準備をしておくということでしょう? 怒るなんてありませんよ」
優しく頬を撫でられる。
「そっか」
「まあ、多少は面白くありませんが」
「ふふ、ルルは正直だね」
頬に触れている手を握る。
「沢山思い出を作ってください」
ルルの言葉にわたしは頷いた。
……家族の時間は大事にしないとね。
* * * * *
「エルヴィス様! エルミリア様! 何処におられるのですか!?」
離れた場所で呼ぶ声がする。
それを聞きながら、二人の王子と王女は音もなくその場を離れるために歩き出した。
王子は銀髪に青い瞳を持ち、精悍な顔立ちの、背の高い少年だった。
王女は銀髪に青い瞳を持ち、幼さの残る可愛らしい顔立ちの、華奢で小柄な少女だった。
二人は双子だった。
兄のエルヴィスに、妹のエルミリア。
二人はいつも一緒である。
「両殿下! お戻りください!」
二人のお目付役が声を張り上げる。
けれども二人はどこ吹く風、全く気にしていない。
「ねえねえ、ヴィー、留学まであと二週間だね!」
妹のエルミリアが兄を見上げる。
よく似た、けれど男女の差のある二つの顔が互いを見る。
兄のエルヴィスが頷いた。
「そうだな、あと二週間だ」
「すっごく楽しみ!」
「ああ」
各国にはそれぞれ学院や学園などがある。
そして時々、学生同士を留学させることがある。
今回はアルトリア王国から留学するのはこの二人であり、目付役もついて行くことになっている。
兄のエルヴィスの方は良い。
多少無口なところはあるけれど、思慮深く、いつも物静かだ。
だが妹のエルミリアの方は問題だった。
王女として生きてきたせいか我が儘で、もう十八歳だというのに子供っぽく、自由気まま。
政略結婚を嫌っており、そのせいで、この歳になってもまだ婚約者もいない。
「ファイエット王国には素敵な方がいると思う? 留学先で運命の出会いとかしちゃったりして! 突然バラの花束を渡されて告白されたらどうしよう!」
それでいて夢見がちな王女でもあった。
兄のエルヴィスが苦笑する。
「身分が釣り合っているならいいんじゃないか」
ちなみに兄のエルヴィスには婚約者がいる。
妹とは正反対の、物静かで淑やかな、二歳年上の女性だが、政略結婚である。
どちらも互いに恋愛感情は抱いていない。
だが妹のエルミリアは第三王女で、既に上二人の王女は政略結婚によりそれぞれ嫁いでおり、第三王女のエルミリアはもう政略で結婚相手を選ぶ必要はなかった。
父王も歳をとってから生まれた双子を可愛がり、甘えん坊で明るく素直なエルミリアを殊更可愛がっている。
エルヴィスはそれが心配だった。
自国内で結婚する分には構わない。
しかし、もしも他国に嫁ぐということになった時、この幼い妹が他国できちんと暮らせるのかどうか。
この留学も本当ならばエルヴィスだけだったのだが、エルミリアの我が儘により二人となったのだった。
ちなみにエルミリアは勉強もあまり出来ない。
魔力量は王族なのでかなりあるが、魔法も拙い。
自国の学園でも成績は下から数えた方が断然早い。
「そうよね、身分が釣り合ってれば大丈夫よね! 未来の旦那様に早く会いたいなあ!」
いつの間にかファイエット王国に運命の相手がいると思い込んでしまっている。
「いるとは限らないよ、ミリー」
「分かってるよ!」
本当に分かっているのだろうか。
エルミリアも十八歳。
貴族や王族ならば婚約者がいて当然の年齢だ。
それなのにいないということは、他国から見た時、何か問題のある王女だと受け取られかねない。
だから本当ならば一刻も早く婚約者を作らなければいけないのだが、父王はエルミリアにあまりにも甘く、エルミリアもそれを理解して甘えてばかりいる。
鼻歌を歌いながら歩く妹の背をエルヴィスは複雑な思いで見やった。
……留学して大丈夫だろうか。
礼儀作法は問題ないが、何せ、この性格だ。
何も起こさなければ良いのだが、恐らく、何も起こさないはずはない。
……僕がしっかりしないと。
「待て、ミリー」
先を行く妹を追いかける。
エルヴィスは胸の不安に気付かないふりをした。
* * * * *




