冬期休暇
学院祭が終わった。
楽しい三日間だった。
そして短いけれど冬期休暇に入った。
もう十二月、あと二週間もすれば年が変わる。
卒業が三月なので、あと三ヶ月弱でわたしの学院生活も終わりを告げる。
ついこの間、入学したような気がする。
オーリと彼女の件もあって、全部が全部、楽しい思い出というわけではないけれど、それでも何だかんだ楽しかった。
もうあと三ヶ月弱と思うと少し寂しい。
だけど期待もある。
ルルと式を挙げて、新居へ移る。
そうなれば、わたしはもう表舞台に出ることはなく、その後はのんびりとした人生を過ごすことになるだろう。
それが楽しみだと言ったら変だろうか。
お兄様やお父様達と別れるのは寂しい。
でもそれと同じくらい、ルルと二人だけで過ごすことを望んでいるわたしもいる。
……あんまり親孝行な娘じゃないね。
思えば、親孝行なんて殆ど出来ていない。
いつだってお父様やお兄様には守られていた。
だけどそれもあと少し。
……名残惜しくなるなあ。
別に一生会えなくなるというわけではない。
ただ、離れて暮らすだけ。
今だって宮と王城とでそれぞれ暮らしているのだから、それがちょっとだけ距離が広がるだけだ。
会おうと思えば会える距離である。
「リュシエンヌ様、新しいドレスの運び入れが終わりました」
「ええ、今行くわ」
読みかけの本に栞を挟んで立ち上がる。
そしてリニアさんの案内で部屋を後にする。
この世界にはクリスマスパーティーというものは当然ながらないものの、年末は王家主催のパーティーが行われる。
そのパーティーが大体、どの家でも年の最後に参加するパーティーとなるのだ。
だからこのパーティーは豪勢に開かれる。
それにはわたしも参加しなければならない。
これも今年で最後だから、きちんとしないと。
でも、そうは言ってもこれはどうなのだろうか。
目の前に並べられたドレスを眺める。
……何で三着も……?
そう、ドレスが何故か三着もあったのだ。
室内にそれらを並べた侍女達は笑みを浮かべている。
「さあ、リュシエンヌ様、パーティーに着ていかれるドレスをお選びください」
リニアさんは然もこれは普段通りですと言わんばかりの様子だった。
一応、何かあった時の替えのドレスというのはいつも用意しているが、それとこれとは何か違う気がする。
「何で三着もあるの?」
「それに関しましては後ほどご説明いたします」
つまり、今は教えてくれないということか。
改めてドレスを見る。
右から一着目はレモンイエロー。
フリルをたっぷりと重ねたドレスだ。
二着目は明るい青色。
こちらは比較的シンプルなものだ。
そして三着目は薄く、白に近いシルバーグレー。
これはレースと刺繍を使ってある。
どれもわたしの好きなデザインのドレスだ。
リニアさんもメルティさんも、ルルも、黙って微笑んだままわたしを見やる。
……これは何かある、かな?
改めてドレスを眺める。
確かにどのドレスもわたしの好きなデザインで、好きな色だけれど、全部が同じように好きというわけではない。
レモンイエローは好きでよく着る色だ。
明るい青色はわたしの好きな小さな花みたいだ。
でも、と最後の一着を見る。
白い生地に銀糸で刺繍がされたドレス。
そしてレースを何枚も重ねて、白からシルバー、光沢のある淡いグレーへと下から上へ美しいグラデーションがされている。
振り返ってルルを見る。
そして、やっぱり、と思う。
このドレスはルルの瞳の色に非常に似ている。
普段は柔らかな灰色なのに、光が当たるとシルバーのようで、白色が強くなる。
地味な色に見えて、キラキラと輝いている。
そんな、見慣れた色だった。
「……一番左のドレスがいい」
思わずそう口からこぼれ出ていた。
ルルの瞳の色のドレス。
これを選ばずして何を選ぶというのだろうか。
立ち上がってトルソーに飾られたドレスの傍に立ち、ドレスの袖を広げ、腕を合わせる。
そして鏡を見る。
光沢のあるシルバーグレーの刺繍とレースで飾られたドレスは少し派手だろうか。
でもルルの瞳によく似ていて、これが一番好きだ。
「これ、ルルの瞳の色でしょ?」
振り向けば、ルルが破顔した。
「そうだよぉ」
ここにあるのは全部わたしの好きな色だ。
同時に、大事な人達の色でもある。
「これはお父様の色、これはお兄様の色、そしてこれがルルの色」
だからどれも見慣れた色なのだ。
どの色も好きだけど、やっぱり一番はルルの色だ。
「やはりそちらをお選びになりましたか」
「だから絶対そうだって言ったでしょぉ?」
リニアさんとルルが言う。
メルティさんと他の侍女が別のトルソーを運んで来た。
そちらもシルバーグレーの男性の衣装だった。
そう、ドレスと同じ布と意匠を凝らしたものだ。
「では次のパーティーではこちらをお召しになられるということでよろしいでしょうか?」
「え? あ、うん、そうだね。……これがいい」
「残りの二着は来年のパーティーで着ましょう」
「うん、そうしようかな」
残りの二着を侍女達が片付けていく。
「ねえ、何で三着もあったの?」
ルルへ問いかければ、こちらを見る。
「ん〜、オレ達のワガママかなぁ?」
「ルル達の我が儘?」
「リュシーがどのドレスを選ぶかってねぇ、三人で話して、本人に選んでもらおうと思ってさぁ」
それの何が我が儘なのだろうか。
「ベルナールもアリスティードもリュシーのこと大好きだからぁ、どの色が選ばれるかって話になってねぇ」
……なるほど。
それでそれぞれの色のドレスを作ったわけか。
確かにわたしは基本的にドレスに関してはあまり気にしていないので、王御用達のデザイナーに一任している。
でも一度のパーティーのためにドレスを三着も用意するとは思わなかった。
ルルが近付いて来てわたしの手を取る。
「オレはリュシーはオレの色を選ぶって分かってたけどさぁ、こうして選んでくれると嬉しいよねぇ」
そうして手を引かれて部屋を出る。
向かう方向からして恐らく自室だろう。
後ろからメルティさんが少し離れてついて来る。
ルルと婚姻してから、わたし達が二人きりになる時間は増えたけれど、王女という立場上、どうしても傍に誰かしらついていることは多い。
大体いるのがリニアさんかメルティさんなので、ルルはもう気にしていないらしい。
自室へ到着すれば、丁度ティータイムの準備が出来たところだった。
ルルが椅子を引いてくれて腰掛ける。
そして別の椅子をすぐ隣に持ってきて、そこへルルも座った。
ティータイムの準備を整えた侍女の一人が紅茶を淹れると、静々と下がっていった。
室内にいるのはルルとわたしとメルティさんだけ。
ルルが取り皿を手に持ち、サンドウィッチやスコーン、ケーキを綺麗に盛ってくれて、それが目の前へ置かれた。
「はいどぉぞ〜」
「ありがとう、ルル」
「どういたしましてぇ」
ルルもがっつり取り皿に自分の分を載せていく。
……あれで太らないのが不思議だなあ。
婚姻後は夜に闇ギルドの仕事を引き受けてないはずなのに、ルルが太りそうな兆候は一切見られない。
夜、一緒に眠る時にくっついてみてもバキバキに筋肉がついているのが服の上からでも分かる。
食べても太らない体質なのだろうか。
ちょっとだけ羨ましいと思いつつ、サンドウィッチに手を伸ばそうとすると、ルルに手を取られた。
「今日は食べさせてあげるよぉ」
ニコニコ顔のルルがそう言った。
どうやらご機嫌なようだ。
手を膝の上へ戻せば、ルルが灰色の目を細めて笑った。
そうしてサンドウィッチを差し出される。
それにかじりつきながら最近のことを思い出す。
そういえば婚姻して以降、こうやってルルに食べさせてもらうことが増えた気がする。
全然嫌ではないので構わないが。
むしろ、こういうことがルルにとっての愛情表現なのだと分かっているから嬉しい。
自然とわたしも笑みが浮かぶ。
「美味しい?」
ルルの問いに頷いた。
「うん、美味しい」
「良かったねぇ」
わたしもルルの取り皿に手を伸ばす。
そしてサンドウィッチを手に取り、ルルへ差し出せば、嬉しそうにルルがかじりつく。
ルルが実は人の手から食べ物を口にするのが嫌いだと何年か前に気付いたことがあった。
自分で食べられるのに、他人に触られるのが嫌らしく、以前お兄様が冗談半分でクッキーを差し出したら冷たい眼差しを向けて絶対に食べようとしなかった。
その後、そのクッキーだけ残したので、他人に触られた食べ物というのが嫌なのだと知った。
もちろん、調理する過程で触れることについては別らしく、それに関しては特に文句は言わない。
調理後のものを触られるのが嫌なのだ。
……でもわたしが差し出したものは食べてくれる。
むしろ、かなり嬉しそうだ。
こういうところを見ると「愛されているんだな」と凄く実感するし、嬉しいし、幸せを感じて、わたしもルルが好きだと思う。
ルルはわたしの世話をよく焼いてくれるけれど、だからと言って見返りを求めたりはしない。
自分がこれだけしたから、同じだけ返して。
そういったことは一言も口にしない。
「やっぱここの料理は美味しいねぇ」
でも、わたしはルルに返したいと思う。
わたしもこんなにルルが好きだって伝えたい。
「ねえ、ルル」
手招きするとルルが不思議そうにしながらも顔を近づけて来る。
その頬に手を伸ばし、触れて、引き寄せる。
ちゅ、と唇が触れ合った。
そっと離せばルルが目を丸くしていた。
「大好き」
目の前の灰色の瞳にじわりと喜色が滲む。
光の入った瞳はシルバーグレーに煌めいた。
* * * * *
「大好き」
顔を離したリュシエンヌが言う。
その目元がほんのり赤く染まっていた。
リュシエンヌから口付けてくれるのは珍しい。
全くないわけではないが、リュシエンヌは控えめな性格だから、なかなか自分から積極的にこういうことをするのは気恥ずかしいのだろう。
でも、たまに、こういう風なことがある。
ルフェーヴルはその度に不意打ちを食らう。
「オレも大好きだよぉ」
言いながら、リュシエンヌを抱き寄せる。
そしてルフェーヴルはリュシエンヌにバレないように、小さく深呼吸をした。
きっと今の自分は顔が赤い。
男として情けない気がして、見せたくない。
よしよしとリュシエンヌの頭を撫でれば、リュシエンヌは完全にルフェーヴルに身を預けた。
リュシエンヌの無防備な行動はいつもルフェーヴルを喜ばせるし、同時に、自分の中にまだ残っていたらしい男の欲を感じる。
細くて、柔らかくて、いい匂いがする。
このまま自分のものにしてしまいたいという欲と、もっともっと大事にしてあげたいと思う気持ちとがいつだって混在する。
ふと見上げてきたリュシエンヌは目尻を下げて、ふにゃりと笑った。
初めて笑いかけられた時から、変わらずルフェーヴルにだけ向けられる柔らかい、ちょっと気の抜けた、無邪気な笑みだ。
これを見ると大事にしたい気持ちが強くなる。
「リュシーはかわいいねぇ」
琥珀の瞳が瞬き、嬉しそうに細められた。
「ルルは格好良いね」
クスクスと笑うリュシエンヌの声が心地好い。
リュシエンヌと式の後に住む屋敷に雇った使用人の中にいる兄弟弟子も結婚している。
その夫も雇って欲しいと言われた時、ルフェーヴルは特に忌避感もなく頷いた。
自分だったらリュシエンヌと一緒にいたい。
兄弟弟子もそうなのだろう、と返せば、酷く驚いた顔をされたことはまだ記憶に新しい。
確かに昔のルフェーヴルではそんなことは口にするどころか、考えすらしなかっただろう。
リュシエンヌと出会ったから。
ルフェーヴルは他人への気遣いを覚えた。
この気遣いというのは構うのとは違う。
相手のために何をすれば良いのか。
それは一方的な押し付けではダメなのだ。
リュシエンヌやアリスティード達との関わりの中で、ルフェーヴルはそれを学んだ。
最近、ルフェーヴルは自分が人間らしくなったと感じることが増えた。
それで暗殺業に支障が出るかと訊かれれば、そちらは別問題なので、問題なく行えるだろう。
人間らしくなるということが、誰にでも情を持つことと同意義ではない。
……昔のオレは想像もしなかっただろうなぁ。
暗殺者が人前に出て、それも王女の侍従として過ごし、婚約者となって、結婚する。
……ずっと一人で生きていくと思ってたからねぇ。
リュシエンヌと出会う前はそれが当たり前だった。
でも今はリュシエンヌと共にいるのが当たり前で、アリスティード達とリュシエンヌのことで話したり、侍女の二人に小言を言われたり、ルフェーヴルの周りはいつだって誰かがいて、騒がしくなった。
でもその騒がしさが案外嫌いではなくて。
……オレも随分変わったなぁ。
リュシエンヌを抱き締めながら、その幸福感にしばしの間、ルフェーヴルは身を任せるのだった。
* * * * *




