学院祭(6)
学院祭三日目、最終日。
朝からわたし達のクラスは大忙しだった。
使用人喫茶の評判がこの二日の間に広まったようで、三日目の今日は今まで以上にお客様が集まっていた。
しかも給仕する使用人が倍になったので、最終日は一つの席に二人で対応することになった。
もちろん、給仕はクジで決まる。
だが上手くいけばお兄様とロイド様を同時に独占できる可能性もある。
わたしも給仕として出る。
「リュシエンヌ様、エディタ様!」
名前を呼ばれて行く。
お客様だろう女子生徒が二人いた。
エディタ様と二人で礼を執り「お帰りなさいませ、お嬢様」と声を揃えて出迎える。
女子生徒二人の目がエディタ様へ向いた。
……うんうん、分かるよその気持ち。
エディタ様、今日は長い髪を丁寧に編み込んであって、格好良さが割り増しになっているのだ。
しかもクラスの女子の提案でつけた伊達眼鏡が凄くよく似合っている。
「それではお席へご案内いたします」
そう声をかければお客様達がハッと我へ返る。
そうして黄バラの間の席へ移動する。
席へ着いたお客様二人がメニュー表を見た。
ふと片方の女子生徒が微かに震えていることに気が付いた。
教室内は暖かく保っているけれど、行列で待っている間、廊下は結構寒かっただろう。
「お嬢様、どうぞこちらをお使いください」
設置しておいた棚から膝掛けを持ってくる。
「あ、ありがとうございますっ」
緊張した様子で返されて、わたしは微笑んだ。
何故かぼんやりと見つめられてしまう。
小首を傾げてみせればお客様が慌てたように手を振って「何でもありません……!」と言う。
「お召し上がりになりたいものはございましたか?」
「で、では、紅茶とスコーンをお願いします」
「私は果実水と三種のクッキーを」
「かしこまりました」
その場をエディタ様にお任せして裏方へ下がる。
……今日は本当に忙しくなりそうだ。
* * * * *
「お疲れ様でしたー!」
お昼頃、最後のお客様が教室を出て行った。
まるで戦争のような三時間だった。
最後のお客様を見送ったクラスメイトのその言葉に、教室内の空気が緩む。
「ああ、終わった!」
「使用人って結構大変なんだな」
「ええ、凄く気を使ったわ」
給仕役だった生徒達が思わずといった様子で口々に言った。
ギリギリで残った飲食物は、昼食にしてしまおうということになり、教室でみんなで食べることにした。
残っても困るので丁度良い。
昼食を終えると声をかける。
「では片付けをいたしましょう。こういうものは動けるうちにやっておくのが良いと言いますし、教室の片付けをする班と衣装を回収する班、食器などを片付ける班とに分かれて行います」
教室の緩んだ空気を一掃するために手を叩く。
「さあ、午後の有志活動までに片付けましょう!」
クラスメイト達が返事をしてくれる。
教室内の片付けはお兄様が纏めてくれるし、衣装に関してはミランダ様が受け持ってくれるというので、わたしは食器類を片付ける班として教室を後にした。
今回の食器洗いも二時間ほどかかったが、これも最後だと思うと、みんなどこか名残惜しそうだった。
* * * * *
片付けを終えて教室はいつも通りへ戻る。
三日間の学院祭もあっという間だった。
二時間ほどの片付けを行った後は、全生徒は講堂へ集まった。
講堂には舞台があり、そこで最後に有志による活動が行われ、それを楽しんで学院祭は終了となる。
有志活動は時間は三時間ほどだ。
そうして始まった有志活動は面白かった。
旅芸人のように芸を披露するグループもあれば、寸劇で笑わせてくれるグループもあり、歌と演奏を披露するグループや音楽に合わせて即興で絵を描いたりするグループとそれぞれ違っていたので、見ていて楽しい。
しかもどのグループもなかなかに上手い。
そういったグループがいくつか舞台を終えて、三時間の有志活動も終わりを迎える。
「時間が余りましたので、飛び入り参加したい方はいらっしゃいますか?」
どうやら予定よりも早く進行してしまったらしい。
……飛び入り参加かぁ。
何だかとっても面白そうだ。
「お兄様、わたしも参加してみたいです」
お兄様が驚いた様子で振り向いた。
そしてふっとお兄様が笑う。
「そうか、実は私も参加してみようかと考えていたところだったんだ」
「わたしが歌うので、お兄様がピアノで演奏するのはいかがでしょう?」
「それは良い考えだな」
頷き合い、お兄様と同時に手を上げて立ち上がる。
「飛び入り参加する」
「参加させていただきます」
わたし達が立ち上がったことで周りが騒めいた。
お兄様と一緒に舞台袖へ向かう。
後ろからお兄様の護衛騎士とルルがついてくる。
「おおっと、何と王太子殿下と王女殿下が飛び入り参加されるとのことです! これは凄い!!」
司会の生徒が興奮した様子で言う。
お兄様にエスコートされながら舞台へ上がる。
わたしは舞台の中央へ、お兄様は舞台横に置かれたピアノへ向かった。
観客席へ礼を執る。
「リュシエンヌ=ラ・ファイエットと申します。わたしは飛び級で三年生へ編入いたしました。この学院祭はわたしにとって、最初で最後の学院祭です」
シンと静まり返る。
「クラスメイトの皆様と協力して準備を行い、無我夢中で働き、皆で一つの目標を達成する喜びと素晴らしい経験を積むことが出来ました」
本当に楽しい期間だった。
準備をする中でも色々問題も出たし、クラスメイト同士で意見が食い違うこともあって。
お菓子や軽食、飲み物の用意も手間がかかった。
前日には飾り付けもして。
この三日間は目が回るほど忙しくて。
「どこを思い出しても楽しい時間でした」
たった一度きりの学院祭。
だけど悔いはない。
「こんなに素敵な時間を過ごせたのは皆様のおかげです。その気持ちを伝えたくて、わたしがどんなに感謝しているか知っていただきたいと思います」
クラスメイト達も。
お客様として来てくれた生徒達も。
わたしは感謝している。
「どうか、わたしの歌を聴いてください」
振り向き、お兄様へ頷いた。
お兄様も頷き返し、ピアノの音色が流れ出す。
……さすがお兄様。
わたしの得意な歌の伴奏だった。
……絶対に忘れないよ。
最初で最後の学院祭。
みんなで協力した学院祭。
……わたし、きっと学院祭のこの熱気に酔っているのかも。
それで構わなかった。
息を大きく吸う。
そして音色に合わせて歌い出す。
……ありがとう。
精一杯の感謝の気持ちを込めて歌う。
どうかこの気持ちが伝わりますように。
* * * * *
舞台で歌うリュシエンヌを、ルフェーヴルは舞台袖から眺めていた。
ライトに照らされるリュシエンヌは美しい。
その表情は柔らかく微笑んでいる。
アリスティードのピアノの伴奏に合わせて、リュシエンヌの透き通った艶のある声が講堂に響き渡る。
生徒達も教師も、誰もが聴き惚れていた。
リュシエンヌの歌から、声から、その感情が伝わってくる。
嬉しい。楽しい。ありがとう。幸せ。
正の感情に満ちあふれていた。
きっとリュシエンヌがそう思っているからだろう。
たった一度きりの学院祭だけれど、リュシエンヌにとっては良い思い出になったはずだ。
学院祭の準備期間も含めて、ずっと楽しそうだった。
思えば、リュシエンヌは大勢の誰かと協力して何かを行うということは初めてだったはずだ。
それに普段は王女として傅かれているが、学院祭の間は、クラスメイト達もリュシエンヌを同じ目標を達成する仲間として接している風であった。
学院祭が始まった日の夜、リュシエンヌは言った。
「もう半年もないけど、やりたいことはやるし、学院祭も精一杯頑張るよ。悔いが残らないようにしたいの。その後はルルとの結婚生活に集中したいから」
式を挙げた後、リュシエンヌはルフェーヴルと共に決めた屋敷へ居を移す。
そこでの暮らしは退屈に感じるかもしれない。
何せ、ルフェーヴルはその屋敷から必要以上にリュシエンヌを出すつもりはないからだ。
リュシエンヌもそれを理解している。
理解した上で、名残惜しくならないように、今を楽しむのだと言う。
その前向きさが愛おしい。
……この歌声もあと数ヶ月でオレだけのものになるんだよねぇ。
どこか熱に浮かされたようにリュシエンヌが歌っている。
初めての学院祭で少し周囲の空気に感化されているのだろうが、明るい表情を見れば、それも悪くないと思う。
アリスティードも楽しげだ。
二人がこうして歌い、伴奏し、共に音楽を奏でるのは久しぶりのことだ。
ファイエット邸ではよく見かけた光景だ。
あの頃は小さかった二人も成長した。
アリスティードはルフェーヴルの技を盗めるくらい強くなり、背もかなり伸びた。
それでもまだまだルフェーヴルには及ばないが。
……あれがオレの義兄なんだよなぁ。
ルフェーヴルには兄弟がない。
同じ師についた兄弟弟子はいる。
だが、家族という括りではない。
いまだにアリスティードやベルナールが家族になるという感覚はあまりよく分からないが、近しい間柄になることに忌避感はない。
ベルナールは昔から雇い主として関わってきたため、その人となりは知っている。
アリスティードも幼い頃からその性格は知っている。
どちらも、きっとルフェーヴルに困ったことがあれば、何だかんだ言いながらも助けてくれるだろう。
あの二人は身内には非常に甘い。
……でもあの二人を義父とか義兄とか呼ぶのはないなぁ。
恐らくそう呼べば二人はよく似た顔で、変なものでも飲み込んでしまったかのような表情をするだろう。
それはそれで面白そうだけれど。
身内という感覚もあまり分からないが。
それでも、二人が困っていたらルフェーヴルも助けてやっても良い、くらいには思うようになっていた。
リュシエンヌが大事に思う二人だから。
ただ、本当にそれだけかと言われるとルフェーヴル自身も少し首を傾げてしまう。
リュシエンヌの家族だからルフェーヴルも大事にするが、それだけでもないような気もする。
しかしその複雑な感情が何というのかルフェーヴルには理解出来なかった。
少なくとも、二人はルフェーヴルの思い描く未来に必要な人間だ。
リュシエンヌの笑顔に必要な人間でもある。
……早く式を挙げてリュシーと巣ごもりしたいなぁ。
居心地の好い家も手に入れた。
家具も、内装も、整えた。
リュシエンヌが学院へ入学するのとほぼ同時に屋敷は使用人を雇い入れ、手入れさせ、いつでも暮らせる状態にしてある。
使用人の殆どは闇ギルドで雇った。
全員と面通ししたが、皆、口も堅く、戦うことも出来る者達だ。
中には兄弟弟子もおり、あれは気が弱いけれど、信用には値する。
リュシエンヌを連れて行くことで、ベルナールやアリスティード達には屋敷の所在地は知られてしまうだろう。
けれども、王や王太子はそう簡単に王都を離れることは出来ないし、リュシエンヌの居場所を他の者達に知られないためにも、訪れることはない。
リュシエンヌの侍女二人と厳選した数名の護衛騎士達は、王都を出たところでルフェーヴルのスキルを使用して姿を消して移動させるつもりだ。
リュシエンヌとルフェーヴルだけの世界。
この十一年、それだけを願ってきた。
もうすぐ手に入る。
以前リュシエンヌに、ルフェーヴルが死にそうになったら戻ってきてリュシエンヌを殺してから死ぬと話した。
だが予想外に女神の祝福を受け、ルフェーヴルはずっと強くなった。
闇ギルドにいる鑑定スキル持ちに依頼して自分の現在のステータスを調べたが、やはり魔力は倍以上に、身体能力に至っては数値は三倍に跳ね上がっていた。
これで死んだら相当の間抜けだ。
そう思うくらいには強くなっていた。
闇ギルドのランク第一位の奴は相変わらず忙しく各地を動き回っているため、まだ手合わせを行えていないが、何れはランク一位の座を奪うつもりである。
……色々楽しみだなぁ。
アリスティードの伴奏が変わる。
女神の賛美歌だ。
リュシエンヌの笑みが僅かに強張った。
ふと視線が合う。
それへ頷き返した。
大丈夫、怖いことは何もない。
リュシエンヌの表情が柔らかく戻る。
そして最後の曲だろう、女神への賛美歌がリュシエンヌの唇からあふれ出す。
敬虔な信者ではないルフェーヴルだが、女神には感謝している。
祝福をくれたおかげで、きっとこの先、ルフェーヴルはリュシエンヌと共に生きられる時間は伸びるだろう。
死と隣り合わせの暗殺者という職業だ。
いつ死んだとしても不思議はない。
でも今のルフェーヴルならばそう簡単に死ぬことはない。
……殺されてもあげないけどねぇ。
リュシエンヌを遺して死ぬものか。
リュシエンヌの歌にルフェーヴルも内心で祈る。
どうか、一分一秒でも長く、リュシエンヌと共に在れるようにと。
それはルフェーヴルの数少ない祈りだった。
* * * * *




