学院祭(2)
下級クラスの展示を見て教室を出る。
すると隣の教室から良い匂いが漂ってきた。
……パンの焼ける匂い?
パンフレットで確認すると中級クラスは手作りパンを売っているらしい。
教室を出たお兄様とお義姉様も漂ってきた香ばしい匂いに思わず、といった様子で立ち止まる。
「良い匂いだな」
「そうですわね」
朝食は食べてきたけれど、お腹の空く匂いだ。
「昼食用に買っていきませんか?」
午後はわたし達もそれぞれクラスの出し物に参加することになる。
ここでパンを買って、後で、どこかで早めの昼食を摂ってから教室へ戻れば良い。
お兄様とお義姉様も頷いた。
「そうだな」
「この美味しそうな匂いには勝てませんものね」
「ああ、全くだ。もう空腹になりそうだ」
お兄様がお腹を押さえる仕草をするものだから笑ってしまった。
でも本当にその通りである。
ほんのり甘くて香ばしい焼きたてのパンの匂いがする。
みんなで中級クラスへ向かった。
この匂いに釣られたのか生徒の数も多い。
教室の前に出来ている行列に並ぶ。
見た目より混んでいなかったのか、列はスムーズに進んで、あっという間に教室の中へ入ることが出来た。
教室へ入ると更にパンの匂いが濃くなる。
机が並べられ、その上に箱に入れられたパンが並べられている。
最初にトングとお盆を渡された。
「お会計は最後にお願いします」
ということで、パンを買うことになった。
色々なパンが並べられている。
……あ、動物の形のもある。
猫や小鳥などが可愛らしくデフォルメされて、作られていた。
しかもよくよく見るとパンの入れてある箱に状態固定魔法が付与してある。
焼きたてのパンを箱に入れておけば、魔力が続く限り、ずっと焼きたてを維持出来るということだろう。
これはなかなかに良い案だと思う。
「ルル、どれが食べたい?」
渡されたトングを持って言う。
「あれとあれ、それからこちらをお願いします」
「分かった」
ルルが選んだのはホットドッグみたいなパンとベーコンと野菜のサンドウィッチ、バゲットを一本。
見た感じどれも大きくてボリュームがある。
しかしルルは痩せの大食いなので、これくらいならペロリと食べ切るだろう。
わたしは先ほど見た猫と小鳥のパンにした。
色々と美味しそうなものは沢山あるけれど、購入しても食べ切れないので仕方がない。
会計はルルにしてもらう。
基本的にわたしは財布を持ってない。
ルルが管理してくれている。
学院内や王城ではないものの、街ではスリに遭うこともあるし、王女の使える金額は結構な大金なのでルルに持ってもらっている。
ルルならば空間魔法に収納しておける。
盗まれる心配がないのだ。
会計後は、良い香りのするパンは全員分ルルの空間魔法に収納してもらう。
そうしてみんなで中級クラスを出る。
「可愛いパンや美味しそうなパンが多かったですね」
「ええ、生徒の手作りにしてはなかなかにしっかりとした作りのパンでしたわ」
「お義姉様は何を買いました?」
パンは紙袋に入れてもらったので、誰が何を買ったのかは見えなかった。
「わたくしはサンドウィッチと猫のパンを」
「私も猫のパンを買いました。可愛いですよね」
お義姉様が深く頷いた。
女の子ならつい可愛くて手に取ってしまう。
そんな可愛らしい猫のパンだった。
「お兄様は?」
「私はサンドウィッチを二つとマフィンだな」
「どれにしました? チョコチップ? それともラズベリージャム? 色々ありましたよね」
「栗を使ったものを買った」
秋に栗とは季節感があって良さそうだ。
昼食が楽しみである。
パンを購入してご機嫌のわたし達はそのまま、上級クラスのバザーへ向かうことにした。
教室を丸々一つ使ってのバザーだ。
教室の入り口から中を覗いてみると色々な物が置いてあった。
貴族が多いからか、ネックレスやピアスなどの装飾品やティーカップ、本、中にはドレスなんてのもあり、色々と種類が豊富である。
この統一感のない感じがバザーらしい。
それぞれの品物に値札がつけてある。
高い物もあるけれど、どれも本来の値段を考えたら中古というだけあって安い。
数人の生徒が品物を眺めている。
わたし達も買う買わないは別として眺めた。
……まあ、王女がバザーで中古品を買うってあんまりないだろうし。
購入するとしても本くらいのものだろうか。
「あら、このティーカップ素敵ね」
お義姉様が並んでいたティーカップを手に取る。
カップとティーポットのセットだ。
だがカップが一つしかないので、もしかしたら、一つ割ってしまい、使い道がなくて仕舞われていたのかもしれない。
ティーカップを眺めたお義姉様がバザーの売り子の生徒に声をかけている。
どうやらあのティーカップとポットのセットを購入するらしい。
お兄様も興味深そうにバザーの品物を眺めている。
でもわたしと同様にあまり買う気はなさそうだ。
ルルはわたしの横で微笑んで立っているが、あの笑みは全く興味がない時のものだ。
……ルルはあれで自分の持ち物にはうるさいタイプだから、こういうところで中古品は手に取らないんだろうなあ。
十一年も一緒にいるので知っている。
ルルは自分の身につける物や、わたしの周りに置く物には実はかなりこだわりがあって、適当な物は嫌がるのだ。
その分、気にいると長く愛用する。
しかも手入れも丁寧で大事に扱う。
逆を言えば安くて量産出来る物や中古品などはあまり好まない。
以前聞いたけれど、普段隠し持っているナイフは場合によっては使い捨てるが、それを購入する店も決まっているそうだ。
何でもそこの店のナイフが一番軽くて頑丈で、刃が鋭いらしい。
婚姻してから、ルルはたまにわたしの前で道具の手入れをするようになった。
もちろんわたしは触らないが、道具の手入れをするということは、体から外すので無防備になりやすい。
夜一緒に眠るのもそうだけれど、そういう無防備な状態でいるのはそれだけわたしに心を許してくれているからなのだ。
そう思うと、ルルが道具の手入れをする時には何となく傍に座ってそれを眺めている。
手入れ中はルルも無言だが、心地の好い沈黙なのでちっとも嫌ではないし、真剣な表情のルルを見られるので密かな楽しみでもあった。
「お待たせいたしました」
ティーカップとポットのセットを購入したお義姉様が戻ってくる。
どうやら荷物は後ほど教室へ運んでくれるらしい。
「こういうところで買うとは珍しいな」
お兄様の言葉にお義姉様が目を細めた。
お義姉様が歩き出したので教室を後にする。
ある程度離れてから、お義姉様が口を開いた。
「あのティーカップとポット、あの値段で購入出来たのは幸いでしたわ。恐らくあれはフローレスの作品です」
お兄様が目を丸くした。
「フローレスって、あの陶器の革命を起こしたベンジャミン=フローレスかっ? だが随分と作風が違うように見えたが……」
ベンジャミン=フローレスは有名な食器作家だ。
それまではくすんだ白色の陶器ばかりだった中で、ベンジャミン=フローレスは白く美しい陶器を生み出したそうだ。
それまでのくすんだ白い陶器が、真っ白な陶器へと変化した時代。
真っ白な美しい陶器の生みの親として非常に有名だ。
「わたくしの母が好きで集めておりますの。あれはきっと晩年の作品ですわね。フローレスは初期から中期は鮮やかな色合いの花を好みましたが、晩年の数年は淡い色合いの小花を好むようになったのです」
「それは知らなかったな」
わたしもそれに同意で頷いた。
ベンジャミン=フローレスの食器は素敵なのだ。
真っ白な陶器に発色の良い染料で描かれた可愛らしくも繊細な花々が生き生きとしており、季節ごとの食器は目も心も楽しませてくれる。
王家の食器はベンジャミン=フローレスの作品が多い。
真っ白な陶器を生み出して以降、彼は王家御用達の食器作家となり、亡くなる直前までティーカップやポット以外にも沢山の食器を遺したという。
王城の宝物庫の一つに彼の作品だけを収めた部屋があるほどだ。
「それをカップが一つ足りないと言えど、銀貨三枚で買えるなんて。きっとお母様も喜びます」
そう言ったお義姉様はご機嫌だ。
「そうか、バザーというのは掘り出し物を探すのが目的だし、行って良かったな」
「ええ、本当に良い一日ですわ!」
そしてルルがふと時計で時刻を確認する。
「そろそろ昼食をお摂りになられた方がよろしいかと」
差し出された時計を見れば、そろそろ早めの昼食を摂ってもいい頃だった。
「そうだな。学院内はどこも人が多いし、第二校舎の私の休憩室でも良いか?」
「ええ」
「大丈夫です」
そうして第二校舎へ戻る。
お兄様に割り当てられた休憩室へ入る。
ルルが紅茶の用意をしてくれるので、わたしはパンを食べるためにお皿を出す。
それに気付いたルルが目を細めて微笑んだ。
わたしも微笑み返す。
こうしてると、ちょっと新婚さんみたいだ。
お皿をお兄様とお義姉様にも配る。
それからルルにパンを出してもらい、テーブルへ置けば、お兄様とお義姉様が紙袋に手を伸ばす。
二人して紙袋を覗き込んでいて、その仕草がとてもよく似ているものだから内心でかわいいなと思ってしまった。
プレゼントを開ける子供みたいに目が輝いてる。
そして自分達のパンの入った紙袋を引き寄せていた。
自分の席へ戻るとルルが淹れた紅茶を運んできてくれた。
もらったカップに口をつける。
……うん、美味しい。
リニアさんやメルティさんが入れる紅茶も美味しいけれど、ルルの淹れる紅茶が一番美味しい。
そうしているとルルがパンを取り出した。
猫と小鳥のパンを一口分ちぎり、食べている。
それからわたしの皿へパンを置いた。
「はい、どぉぞ〜」
わたし達だけだからかルルの口調が戻る。
「ありがとう、ルル」
「どういたしましてぇ」
お兄様も騎士が毒味をしている。
そして昼食にする。
全員でパンをちぎり、口にする。
ちなみにルルと護衛騎士は普通にかじりついて食べて、片手は空けている。
わたしは猫のパンを食べてみた。
中にカスタードクリームが入っていた。
ほんのり甘い生地にカスタードクリームのガツンとした甘みがあって、甘いものが好きな人間には好きな味だ。
横ではルルがバゲットにかじりついている。
特に何かつけているわけでもないのに、ルルがムシャムシャとバゲットを攻略していくので、ついまじまじと見てしまった。
「何もつけてないけど、美味しい?」
ルルが小首を傾げた。
「ん〜、普通かなぁ。何でも食べられるように訓練させられたしぃ、オレ泥水でも飲めるよぉ?」
「いや、泥水なんて絶対飲ませないよ?」
「あはは、ガキの頃はたまに飲んだけどねぇ。あれ腹痛くなるから結構きついんだぁ」
確かにそういうのに比べたらパンは断然いいだろうけど、暗殺者はそんな訓練もするのだろうか。
お兄様もお義姉様も護衛騎士も固まっている。
……まあ、お兄様もお義姉様も生粋の貴族で生まれも育ちも貴族だから。
きっと食べ物が満足に食べられないって状況は想像するのも難しいかもしれない。
「そういえば、わたしも昔は雑草とか花とかを食べたよ。花は甘くて意外と美味しいよね」
「そうだねぇ、花には蜜があるからねぇ」
ちなみに草は大体苦い。
ルルがバゲットを食べ終えて、サンドウィッチに手を伸ばす。
ルルは痩せの大食いだけど早食いでもある。
わたしは猫のパンをちぎって口に運ぶ。
「あ」
猫のパンは半分はカスタードクリームで、半分はチョコレートクリームだったようだ。
「ルル、はい、あーん」
ルルに差し出すとパクリとかじりついた。
こっちの差し出したものなんて殆ど見ていないのでは、と思うくらい早かった。
もぐもぐと咀嚼するルルの目が嬉しそうに和んだ。
……ルルはチョコレート好きだよね。
ちぎっては差し出し、またちぎっては差し出す。
残りはルルの胃袋に入ったが、気持ち的には大満足である。
「美味しかった?」
「美味しかったぁ」
ニコニコと笑顔になる。
……ルルかわいいなあ。
残りの小鳥のパンへ手を伸ばす。
お兄様とお義姉様が仕方ないなあという顔でパンを食べていて、二人は二人で慣れた様子だった。
…………。
サンドウィッチにかじりつくルルを見る。
手元のパンを見る。
……一回くらい、いいかな?
他の人には見られていないし。
小鳥のパンにかじりつく。
もっちりしたパンを噛みちぎれば、バターと砂糖の甘みが口の中に広がった。
お兄様がわたしを見て、そして同じようにパンにかじりついた。
それを見ていたお義姉様もそっとパンにかじりつく。
人目がないと言っても、何だか凄く悪いことをしている気分だ。
ただパンにかじりついただけだけど、基本的にパンはちぎって食べるものだから、貴族はこういうことはしない。
お兄様は結構やっているみたいだけれど。
向かい側で食べているお兄様は慣れた風だ。
お義姉様は食べ慣れないのか、一口だけかじった後は、いつも通りに手でちぎって食べている。
わたしからしたら懐かしい。
黙々とパンにかじりつく。
前世ではよくこうしてパンを食べていた。
ルルの手が伸びてきて口の端を指で拭われる。
「粉砂糖ついてるよぉ」
そう言って、指についた粉砂糖を舐めた。
「まだついてる?」
「うん、反対側にもついてるねぇ」
「……取れた?」
「取れたよぉ」
ハンカチで口元を拭えば、ルルが頷いた。
小鳥のパンは具はなかったけれど、バターと砂糖の甘みがあって、上に粉砂糖もまぶしてあり、なかなかに美味しかった。




