消えた憂い
学院祭まで残り二日になった。
喫茶店の飾りも制服も、順調に準備は出来ている。
後はわたし達軽食班がお店に出すものを作っておくだけだ。
この世界、冷蔵庫はないけれど、その代わりに空間魔法で色々な物を収納しておけるし、中に入れた物は傷まないので非常に便利である。
先日、宮の料理長にお願いして軽食やお菓子作りの先生として来てもらった。
……あの時はみんなビックリしてたなあ。
まさか王女が自分の宮の料理長を連れて来るなんて思いもよらなかったようだ。
でも学院は貴族の生徒が多いので、食べる人は当然、舌が肥えている。
素人が適当に作ったものなんてとてもじゃないが食べさせることなんて出来ないし、それでお金を取るのは難しい。
だからきちんとした物を作るためにも料理長にお願いするのが良いと思ったのだ。
実際、料理長に教えてもらって作ったものは、試食してみたらどれも文句なしに美味しかった。
班のみんなも自分達で美味しいものを作れるという自信もついたのか、料理にも前向きに取り組んでくれている。
「それでは、本日はよろしくお願いいたします」
今日は料理長ではないが、宮の料理人二人とキッチンメイド二人に来てもらっている。
監督と手伝いをお願いしたのだ。
全員が「よろしくお願いします」と挨拶を返す。
今日は料理をするからとドレスは出来る限りシンプルなものにしてあり、その上からエプロンをして、頭にはきちんと三角巾をつける。
……最初に三角巾をつけた時、みんなに不思議そうな顔をされたっけ。
誤って髪が入ってしまわないようにつけているのだと説明したら、みんなも真似して三角巾をつけてくれたので、優しいクラスメイト達だ。
「本日はクッキーとスコーンを作りましょう。スコーンはクリームも用意するということですが」
料理人に視線を向けられて頷き返す。
「はい、ジャムは購入したものを使用します」
「分かりました」
そういうことで、本日はクッキーとスコーンを作ることになった。
班を二つに分けてクッキー班とスコーン班にすると、それぞれ料理人とキッチンメイドが一人ずつついてくれているので安心である。
ちなみにわたしはスコーンの班だった。
* * * * *
ついにアレが処刑された。
リュシエンヌの長年の悩みの種だった、オリヴィエ=セリエール。
その中にいた存在。
ルフェーヴルに異常な執着を見せていて、自分をこの世界の中心だと勘違いしていたあたまのおかしい女。
名前は知りたいとも思わない。
記憶に残しておきたいとも思わない。
だが、どうしても記憶に残ってしまう。
記憶から消したいと思っても、消せないほどに、その存在はルフェーヴルの中にも、リュシエンヌの中にも色濃く在る。
……死んでも鬱陶しいヤツだなぁ。
生きている間も迷惑をかけられ続けた。
特にリュシエンヌはずっと、それこそ前世を思い出した時からゲームのヒロインの存在を気にし続けていた。
自分が悪役になるのを恐れて、リュシエンヌはいつだって良い子だった。
皆の思う『善良な王女』になるよう努力していた。
それがルフェーヴルには我慢しているように見えた。
リュシエンヌの心が抑圧されている。
寛容で、穏やかで、物静かな王女。
旧王家の血筋として常に見られているため、決して贅沢も好まないし、王族でありながら威張ることもない。
王城に来る前、ファイエット邸ではもう少し我が儘を言っていたが、それだって本当の意味での我が儘ではない。
リュシエンヌは好きなことを制限されていた。
そのせいか物事への関心が薄い。
どんな物でもいつか自分の手から消えてしまうと考えているらしく、物への執着はあまりない。
確実に執着しているのはルフェーヴルだけだ。
ルフェーヴルにとっては嬉しいことだが。
他の物への関心が薄いせいか、ルフェーヴルへの執着は年々と強く、しかも深く依存してくれている。
だが心を全て傾けているわけではない。
アリスティードなどにもリュシエンヌの心は少なからず向いているけれど、オリヴィエ=セリエールに関しては別だ。
何年もリュシエンヌを苦しめた。
そしてリュシエンヌの心に居座り続けた。
アレが処刑された日。
リュシエンヌはどこか元気がなかった。
本人は普段通りに振る舞っていたのだろうが、時折、琥珀の瞳が物憂げに窓の外へ向けられた。
たとえ苦手な相手であっても、やはり前世の同郷だった者の死は色々と思うところがあったようだ。
……リュシーは優しいからなぁ。
散々迷惑をかけられたのに。
本物のオリヴィエ=セリエールももう王都にいない。
学院を辞めて、王都を出て、東の修道院へ向かった。
出立する日、リュシエンヌはわざわざ門まで見送りに出た。
本物のオリヴィエとリュシエンヌは気が合いそうだったが、だからこそ、ルフェーヴルには面白くなかった。
……どっちもオレは嫌いだねぇ。
自分勝手でルフェーヴルに一方的に執着してきたアレも。
結局何も出来ずにリュシエンヌの優しさに頼りきりの本物も。
どちらもリュシエンヌの記憶に残る。
どんな形であれ、それが気にくわない。
しばらく元気のなかったリュシエンヌを見て、ルフェーヴルは内心、アレとオリヴィエ=セリエールに嫉妬した。
それから怒りも感じた。
死んでも、表舞台から去っても、リュシエンヌの心に陰を落とすのが腹が立つ。
最近になって学院祭の準備が始まると、段々と調子も戻ってきて、陰は消えつつある。
……でも妬けるなぁ。
ルフェーヴルが目の前で死んだら、リュシエンヌの心に深い傷を付けて独占することが出来るだろうか。
そんな仄暗い考えをしてしまう。
けれども実行はしない。
それもなかなかに魅力的だが、リュシエンヌの笑顔の方がルフェーヴルは好きだ。
リュシエンヌが笑顔だとルフェーヴルも嬉しい。
だからそのようなことはしない。
スコーンの生地を混ぜているリュシエンヌと目が合うと、ニコッとリュシエンヌが微笑んだ。
自然とルフェーヴルも笑顔になる。
……うん、やっぱりリュシーは笑顔が一番だねぇ。
甘い菓子の匂いに包まれて、楽しそうに笑っている姿にルフェーヴルは穏やかな気持ちになる。
どんなに嫉妬していてもそれを見たら負の感情は消えてしまう。
……惚れた弱みってやつかなぁ。
それがちっとも嫌ではない。
先ほどまでの苛立ちはどこかへいってしまう。
アレもオリヴィエ=セリエールも気に入らないが、今はもうここにいないのだから、気にするのはやめようとルフェーヴルは思う。
封印魔法も使わずに済んで良かった。
使えばきっと、リュシエンヌはずっとそのことで苦しんだり、悩んだりしただろうから。
* * * * *
「今日はどうだった? 軽食作りは順調か?」
帰りの馬車の中でアリスティードは問う。
甘い香りを纏わせた妹は微笑んだ。
「はい、クッキーとスコーンを作ったんですが、沢山出来ました。味もルルが味見してくれたので大丈夫です」
「そうか、それは当日が楽しみだな」
ルフェーヴルならば多少味に問題があっても、リュシエンヌの作ったものは喜んで食べるだろうが。
そう思ったが、あえて突っ込む必要はない。
嬉しそうなリュシエンヌにアリスティードも微笑み返しながら頷いた。
オリヴィエ=セリエールの中にいた存在。
何年も悩みの種だった。
アリスティードも自分だけなら、ここまで怒りを覚えることもなかっただろう。
王太子である以上、注目を浴びたり、近付こうとしたり、そういうことには慣れていた。
だがオリヴィエ=セリエールの中にいた存在は、リュシエンヌを害そうとした。
豊穣祭のあの日、観客に混じってアリスティードはその場面を目にし、今までに感じたことのないほどの怒りに包まれた。
家族を、妹を、リュシエンヌを。
大切な人をまた目の前で失うのか。
もう、そんなことは母親だけで十分だ。
魔法を発動させても間に合わない。
見えなくとも傍にいるであろうルフェーヴルだけが頼りだった。
目を開いていられないほどの閃光と耳を劈く轟音、一瞬、光が天上から雷のように落ちたのが見えた。
音が消えると同時に耳元で声がした。
優しい、柔らかな女性の声だ。
初めて聞くはずなのに、どこか懐かしい……。
そして光と音は一瞬で消えた。
呆然としていたアリスティードの背中が叩かれる。
「早く行って差し上げてください!」
「! すまない!」
そうして背を押されてアリスティードは舞台へ向かう。
人混みを掻き分けて、舞台へ上がったのだった。
あの時は大司祭がこちらに合わせてくれて助かった。
舞台の上にはオリヴィエ=セリエールともう一人、黒髪の少女が倒れていた。
同じ黒髪だが、少女の髪は茶がかった色で、アリスティードは一目でオリヴィエ=セリエールの中にいた存在だと理解出来た。
女神の言葉がそう告げていたから。
捕縛した黒髪の少女は王城の地下牢へ入れた。
リュシエンヌがどうしても話をして確かめたいと言うので許したが、やはり、オリヴィエ=セリエールのもう一つの人格で間違いないようだった。
その後、アリスティードも父親と共に黒髪の少女と話をするために地下牢へ行ったが、薄気味悪い少女だった。
見慣れない肌の色。彫りの浅い顔立ち。
だがそれ以上に焦げ茶色の瞳は狂気に満ちていて、こちらが何を問いかけても全く質問の答えになっていないことを口走る。
「ああ、アリスティード! ヒロインを助けに来てくれたのね! やっぱり私はヒロインなんだわ! この世界の中心は私なのよ!!」
その瞳はこちらを見ているようで見ていない。
鉄格子の隙間から伸びてくる腕が気持ち悪い。
「何故リュシエンヌを害そうとした?」
「ここから出して? 私の一番はルフェーヴル様だけど、出してくれたらアリスティードもちょっとくらいは推してあげる」
「王女を殺害しようとしたことを自覚しているのか?」
「そんなに怒らないで。だって悪いのはあの女なの。私から女神の加護を奪おうとしたんだもの」
アリスティードと父親の眉が一瞬動く。
「女神の加護? どういうことだ?」
しかし黒髪の少女はぶつぶつと呟く。
「私がヒロインなのに。私こそがオリヴィエなのに。オリヴィエは加護を得るはずだったのよ。あの女が悪いのよ。私は悪くないわ」
ふとアリスティードは思い出した。
洗礼の日に見た、忘れられない夢。
あの中で、アリスティードとオリヴィエ=セリエールが恋仲になった後、オリヴィエ=セリエールが豊穣祭の歌姫に選ばれるというものがあった。
そこで女神の加護を受け、一番の歌姫となる。
……まさか。
アリスティードはゾッとした。
このオリヴィエの中にいた存在も恐らく、アリスティードやリュシエンヌのように夢を見て、いくつかの未来を知っているのだろうとは分かっていた。
けれども、現実はどの未来とも違っていた。
それなのに、この少女は夢の通りにならなかったことに腹を立ててリュシエンヌを殺そうとしたのだ。
王族へ刃を向けるのがどういうことなのか。
多分、理解していない。
王族を殺害しようとすれば処刑されるのは当然だ。
それは世界中、どの国でも同じだろう。
その常識がまるで通用しない。
外見は同じ人間だが、中身は全く違う。
アリスティードも父親も、これでは話にならないと諦めて地下牢を後にした。
その後、裁判もあったが黒髪の少女の態度は変わらなかった。
裁判に立ち合った貴族数名も、記録を残した書記官も、裁判中、黒髪の少女を気味悪そうに遠巻きに眺めていた。
黒髪の少女はその時には完全に人の話を聞くことが出来なくなっており、何を問いかけても、ぶつぶつと独り言を呟くばかりだった。
そうして絞首刑が下された。
死刑執行の日、リュシエンヌは立ち合わなかった。
リュシエンヌが見るようなものではない。
立会人はアリスティードと父親と、裁判に関わった貴族数名、そして処刑人という最低限の人数である。
黒髪の少女は最後はさすがに抵抗した。
まるで獣のような咆哮を上げながら身を捩らせたり、自由な足で処刑人を蹴ろうとしたり、かなり暴れた。
処刑人の方も一瞬躊躇ったが、それでも処刑人は何とか黒髪の少女の首に縄を通した。
そして刑は執行された。
黒髪の少女が動かなくなる。
すると、その体は色褪せ、灰のようにボロボロと足先から崩れると風に舞って跡形もなく消え去った。
「そうだ、ルル、お兄様にもあれを」
「はぁい」
リュシエンヌの声に意識を引き戻される。
ルフェーヴルが空間魔法を展開し、そこから何かを取り出すと、リュシエンヌへ手渡した。
それをリュシエンヌが差し出してくる。
「これ、先ほどの調理で作ったものです。試食用なのでお兄様もよろしかったら是非味見をしてみてください」
差し出された包みを受け取る。
開けてみればクッキーが数枚とスコーンが一つ。
「ジャムとクリームはないですけど……」
申し訳なさそうな顔をするリュシエンヌ。
作りたてを収納したのか、手の上にあるそれらはまだ温かく、甘い良い匂いがする。
「ありがとう、丁度小腹がすいていたんだ」
アリスティードは微笑み、まずはクッキーを食べていく。
シンプルなものからチョコチップを混ぜたもの、ジャムを使ったものなどがあり、どれもサクサクした生地にほどよい甘みで美味しい。
それからスコーンにかじりつく。
表面はさっくりしているが、中は柔らかく、しかし生焼けというわけではない。
ジャムがなくても十分美味しいと思える味だ。
「どれも美味いな」
リュシエンヌの琥珀の瞳がキラキラと輝く。
「本当ですか?」
「ああ、上手に作れている」
「良かった、お兄様のお口に合うなら他の貴族の方々が食べても大丈夫ですね」
安堵するリュシエンヌに苦笑する。
そこまで心配せずともきちんと作れているのに。
笑顔のリュシエンヌにホッとする。
最近は元気がなかったが、もう大丈夫そうだ。
あんな存在のためにリュシエンヌが苦しむ必要はないし、あんなものはさっさと忘れるべきだ。
「学院祭が楽しみだな」
リュシエンヌにとっては最初で最後だ。
精一杯、楽しんで欲しい。
アリスティードの言葉にリュシエンヌは「はい!」と笑顔で頷いたのだった。
* * * * *




