その後の彼女達
* * * * *
そして捕縛から三日後。
黒髪の少女は国王が直々に判断を下す、貴族裁判にかけられた。
本来は言葉の通り、罪を犯した貴族が裁かれるべき場なのだが、今回は特例であった。
裁かれるべき人間が、別の人間の体を乗っ取って罪を犯したという異質な状況も理由の一つであるけれど、何よりは王族を害そうとしたことが一番の問題だった。
王族の殺害未遂。
これは国王が自ら裁くべき罪状だと判断された。
裁判は非公開で行われた。
そしてその裁判記録を目にした後世の人々は、裁判にかけられたという黒髪の少女の不可解さに首を傾げることとなった。
名前も記載されていない黒髪の少女は、記録によると異国の外見をしていたという。
黒髪に焦茶色の瞳、黄色味を帯びた肌、彫りの浅い幼い顔立ち。
裁判は行われたものの、記録には、黒髪の少女は全く国王の話を聞こうとしなかったそうだ。
ただぶつぶつと意味不明な言葉を繰り返すばかりで、異様なその様子に当時の記録者も気味悪がったと残されていた。
国王の話を聞いておらず、質問にも答えない。
それでも国王は粛々と判決を下した。
黒髪の少女は王族である王女の悪評を立てようとし、また、その後も王女に虐げられたと虚言を口にし続け、王女の名誉を傷付けようとした。
そしてそれが叶わないと知ると王女を害そうとした。
王族に危害を加えることは重罪である。
法に照らし合わせ、国王は黒髪の少女に処刑──この時は絞首刑であった──を言い渡した。
裁判中、ぶつぶつと意味不明な言葉を呟き続けた黒髪の少女だが、国王に処刑を言い渡された時だけは反応を示した。
酷く怯えた様子ではあったが、それでも、やはり意味不明な言葉を口走っていた。
これはその一部を抜粋したものである。
「嘘、うそ、こんなのありえない。私はヒロインなのに。リセットしなきゃ。何かの間違いよ。メニュー画面はどこ? こんなクソゲーじゃなかったはず。やり直さなきゃ。ヒロインは私なのに。あんな女がヒロインなはずない。リセット、リセット、リセット、リセット、リセット……」
どこか遠い目をした黒髪の少女は心を病んでいるようだった。
だが、減刑はない。
既に王女が二度、この黒髪の少女の罪を見逃した。
悪評を立てられそうになった時も。
虐げられていると冤罪を着せられそうになった時も。
その不敬な行いを王女は見逃した。
けれども黒髪の少女は凶行に走った。
言動は意味不明なものであったが、それまでの行いを鑑みて、更生の余地なしと判断された。
裁判に立ち会った数少ない貴族の一人は言った。
「あれはまともではなかった。修道院へ入れても、放逐しても、害にしかならないだろう。それほどまでに異質で薄気味悪い存在であった」
黒髪の少女はその後、地下牢へ戻された。
そして裁判から一週間後、王城内の処刑場で密かに刑が執行された。
それには国王と王太子が自ら立ち会いを行った。
その際に刑を実行した処刑人が残した手記が後に発見されることになるのだが、その処刑人ですら、黒髪の少女のあまりの不気味さに近寄るのを一瞬躊躇ったという。
首に縄をかけられそうになり、黒髪の少女は暴れたそうだが、処刑人に押さえつけられて縄はかけられた。
そうして裁判と同様に粛々と刑は済まされた。
黒髪の少女が息絶えると、その体はまるで燃え尽きた灰のごとく、ボロボロと崩れ去った。
元は魂として他の人間に憑依していた黒髪の少女は、女神によって一時の肉体を得ていたらしい。
死したことで、その魂がどうなったかは不明であるが、誰もが永久に滅したことを願っただろう。
刑の執行後、王家からそれは民へ伝えられた。
豊穣祭で王女を害そうとし、女神の神罰が下った者が裁判の結果により処刑された。
それは一時的に国民達の間で広まったものの、元より王女自身があまり目立たない存在だったこともあってか、話題としてはそう長くは続かなかった。
ただ、後世にも語り継がれる言葉がある。
「女神の慈悲も三度まで」
恐らく女神の神罰と王女の行動を指したものであろう。
罪人である黒髪の少女の罪を王女は二度許した。
しかし三度目は王女も女神も許さなかった。
どんなに慈悲深く心優しい者でも、無礼な振る舞いを繰り返せば怒るという意味である。
他にも大人が悪いことをした子供に「女神様が見ているよ」と注意するのも、ここから生まれたらしい。
そして、この黒髪の少女に憑依されていた貴族の令嬢は全面的に被害者として扱われた。
王家で保護された後、令嬢は東の修道院へ入ることとなった。
憑依されており、令嬢自身に非はないとは言えど、既に広まった醜聞は酷く、王都では暮らせなかったことは想像に難くない。
令嬢の実家も、憑依されていたことを気付けなかった、憑依されている間の行動を止められなかったとして責任を取ることとなった。
当主は男爵位を辞して弟夫婦に爵位や領地などを譲り、夫妻は自領に蟄居したという。
しかしその後、元男爵夫妻は離婚している。
令嬢は元男爵と元夫人の子ではあったが、両親が爵位を辞したことで平民となり、王家が紹介した東の修道院で過ごしたそうだ。
令嬢に関する情報は少ないが、一説には聖騎士と結婚したとも、生涯独身だったとも伝えられているが、真実は定かではない。
* * * * *
「オーリ、お願い! 洗濯物代わって!」
同僚の若いシスターが目の前で両手を合わせる。
それにオーリは苦笑しながら頷いた。
「いいよ。でも、こっちの掃き掃除が終わってからでもいい?」
そばかすのあるその若いシスターの表情が明るくなり、何度も頷いた。
「うん、うん! ありがとう! 午後からベスと街に行く約束をしてたんだけど、洗濯物当番になっちゃって困ってたの!」
修道院や教会で使われているリネンは多い。
そのため、毎日当番が決まっており、代わる代わる決められた場所のリネンの類を洗っているのだ。
洗濯物当番になると、回収して、洗って、干して、取り込んで、アイロンをかけたら畳んで、戻して、とどうしても一日作業になってしまう。
これでは出かけられないだろう。
「そうなんだ? デート?」
「えっと、多分そう……かな?」
ベスとは教会で暮らしている男の子の名前だ。
元は孤児院で目の前にいる同僚のシスターと共に育った子だそうで、共に教会で見習いとして暮らしている。
気が強くて照れ屋なベスと明るく元気な目の前のシスターはお似合いの二人だと、オーリは思っていたし、実際二人の仲を応援していた。
なかなか進展しない二人だったが、やっとデートに行くようになって、オーリは素直に嬉しかった。
「良かったね」
オーリが微笑むと相手も笑った。
「手伝ってくれたお礼にお土産買ってくるね!」
「ありがとう。デート、楽しんできてね」
「うん! シスター・ドロシーには言っておくから!」
バタバタと慌ただしい足音と共に離れていった。
シスター・ドロシーは彼女やオーリの先輩のシスターで、厳しいけれど、きちんと仕事が出来れば褒めてくれるし、仕事も丁寧に教えてくれる良い人だ。
きっとシスター・ドロシーも呆れながらも彼女の恋を応援してくれるだろう。
オーリが初めてこの東の修道院に来た時に、色々と教えてくれたのもシスター・ドロシーだった。
……あれからもう一年経ったんだ……。
初めて自分で自分のことをしなければならなくて、最初のうちはオーリは失敗ばかりだった。
教会や修道院は朝早くて、夜眠るのも早い。
規則正しい生活だけれど、それまでの生活とは全く違って、寝坊したり、逆に寝付けなかったりした。
……殆どの時間は彼女に奪われていたから、余計に初めてのことばかりだったんだよね。
それでも失敗ばかりのオーリを叱る人はいなかった。
誰もが「最初はみんなが通る道だ」と笑って、どうすれば同じ失敗をしないか一緒に考えてくれたり、声をかけてくれたりして、オーリはこの一年でかなり修道院に馴染んだと思う。
それに時折、手紙が届く。
一人は父親である元男爵。
自分も男爵位を辞した後に蟄居して、そう裕福な生活ではないだろうに、寄付という形で幾ばくかのお金を送ってくれていた。
もう一人は王女殿下。
……今は子爵夫人なんだっけ。
手紙の頻度はあまり多くないが、返事と共にいつも色々な物を送ってくれる。
毛糸や編み物に必要な道具、刺繍などの裁縫道具、布、厚手の暖かい上着や服など、その時々で違うが、オーリにはありがたかった。
質素な暮らしは嫌いではない。
けれども、余裕があるわけでもない。
まるでオーリの状況を知っているかのように、送られてくる物は、オーリが本当に欲しいと思っている物だった。
子供達のために手袋を編みたいと考えていれば、編み物に必要な道具や材料が届けられた。
街のバザーに刺繍のハンカチを出したいと他のシスター達と話していれば、刺繍道具や布などが届けられた。
肌寒くなると当たり前のように暖かな上着が数着送られてきて、そろそろ街に出て私服を買わなきゃと頭を悩ませていたら服が届いた。
そのどれもが一度使われたり、着た後の形跡があって、あえてそういう物を送ってくれているのだと気が付いた。
……新品だったら、きっと申し訳なくて使えなかった。
だからオーリは送られてきた物は全て大事に使っているし、どれも宝物のような気持ちで触れている。
手紙にはいつも「もう使わないから」「もう着ないから」と書かれていた。
それを目にする度にオーリはクス、と笑った。
そんなに簡単に編み物や裁縫の道具は捨てたりしない。
送られてくる上着や服だって、子爵夫人が着るようなものではなく、ちょっと小綺麗で少し裕福な街娘が着るようなものだ。
わざわざ買ったものを一度開けたり、袖を通したりしてから送ってくれているのだろう。
その姿を想像すると心が温かくなる。
……そんな王女殿下をお可愛らしいと思うのは不敬かな?
一年前、オーリが王都を出る日に、王女殿下は王城の門まで見送りに来てくれた。
そして路銀としばらくの生活の足しにするようにとお金を持たせてくれた。
王家からいくらかは頂いているからと言っても「お金はあるに越したことはないでしょう」と返すことを許してはくれなかった。
それがオーリの今後を案じてのものからくると分かっていたので、オーリはお言葉に甘えて受け取ったが、必要以上にそのお金に手はつけていない。
……洗濯物の方にいかないと。
オーリは礼拝堂の掃き掃除を終えると、洗濯をしているだろう井戸へ向かった。
井戸では数人のシスター達が大きな桶に水と石鹸を入れて、リネンを足で踏んで汚れを落としているところだった。
「遅れてごめんなさい」
駆け寄ったオーリにシスター達が朗らかに笑う。
「大丈夫よ」
「オーリも代わりを任されちゃって大変ね」
「もう一回目の洗濯は終わったわ」
「オーリが来てくれて助かる!」
その温かな言葉にホッとする。
ここでは誰もが助け合いの精神で暮らしている。
誰かの醜聞を聞いて笑ったりすることもなければ、他人の評価を必要以上に気にすることもない。
規則正しい生活の中で、毎日、小さな幸せを見つけながら過ごす。
そんな修道院での暮らしはオーリの性に合っていた。
貴族の暮らしは裕福だけど、礼儀やマナーで窮屈なものだった。
ここも規則は厳しいものの、暮らしぶりは平民と変わらず、誰もがお互いを支え合いながら生きている。
隣人の温もりや優しさを感じられる生活だ。
シスター達と共に洗濯物を洗って、脱水すると、足を拭って靴を履く。
今しがた洗濯したばかりの濡れたシーツが入った桶を持って、物干し場へ向かう。
重たいが、この一年でオーリの体にはそれなりに筋肉がついて、これくらいなら運ぶことが出来る。
……最初は持ち上げるだけで精一杯だったのに。
自分の成長が嬉しい。
それは他の誰かを助ける力になる。
桶からシーツを引っ張り出して、木の間に張ったロープへ引っ掛けていく。
落ちないように留め具を使うのを忘れない。
そうやって洗濯物を運んで、干してを繰り返していると、不意に足音が聞こえてきた。
シスターの誰かかと思って振り向いたオーリは、そこにいる人物に驚いた。
「こんにちは。今日よりこちらの教会付きになりました、レアンドルといいます」
一年経って少し風貌は変わっているが、確かに彼はレアンドル=ムーランだった。
思わずオーリは両手で口を覆う。
「レアンドル……?」
夢か幻なのではないかと思った。
ずっと、オーリの心の中に彼はいた。
王女殿下のあの言葉を胸に頑張っていた。
いつか会えるかもしれない。
その希望を諦めることは出来なかった。
レアンドルが照れたように笑い、頭を掻いた。
「やっと会えた」
教会付きの聖騎士になれたものの、生活や仕事に慣れるのに時間がかかってしまったとレアンドルは言う。
「ずっと君に会いたかった。あの時、手紙を送ってくれてありがとう。君の手紙のおかげで俺は目が覚めた」
その言葉にオーリは小さく首を振る。
「違うの。謝るのは私の方。あの手紙で傷付けてしまってごめんなさい。……私のせいで、ごめんなさい」
「謝らないでくれ。君の事情は全部知っている。彼女のことも、君がどうしようもなかったことも。あれは君のせいじゃない」
レアンドルがオーリに歩み寄る。
「もう貴族じゃないし、俺はまだまだ未熟だけど、君の傍で、君が笑顔でいられるように支えたい。……迷惑かな?」
それにオーリは困ったように微笑んだ。
「私ももう貴族じゃない。それでも、あなたが傍にいてくれたらってずっと思ってたの。……嬉しい」
オーリの言葉にレアンドルは笑った。
それはオーリが好きで何度も思い返した、少年みたいな屈託のない笑顔だった。
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