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黒髪の少女

* * * * *







 体の痛みと冷たさで目が覚める。


 視界に石造りの冷たい床が映り込んだ。


 ……床?


 ガンガンと痛む頭に手を添えつつ、起き上がる。


 そしてまだぼんやりとしながら辺りを見回した。


 薄暗く、どこかじっとりと湿った冷たい空気に包まれたそこは、床も壁も、天井すらも硬そうな石で囲まれていた。


 ほぼ石に囲まれた部屋は、一面だけ開いている。


 だが開いたそこには鉄の棒が何本も立ち、外と内とを無情にも仕切っていた。




「……え?」




 オリヴィエはその内側にいた。


 外にはランタンが置かれており、その明かりが申し訳程度にオリヴィエのいる場所を照らし出している。


 思わず見回した室内には、壁に対して板が横向きに取り付けられたベッドとすら言えないような寝る場所らしきものと、何とか間仕切られたトイレがあるだけだ。


 広さはオリヴィエが両手を広げて二人並んだくらいで、床も壁も石が剥き出しだった。


 体が痛かったのは石の床に寝転がっていたからだ。


 だがオリヴィエには理解が追いつかなかった。


 先ほどまで、オリヴィエは王都の中央広場の舞台にいたはずだった。


 見下ろした服は確かに歌姫のものである。


 しかし見回してみても全く場所が違う。


 ……そう、たとえるならまるで牢屋のような……。


 そこまで考えてオリヴィエは思い出す。


 ……私、あの女に切りかかったはず。


 あの後どうなったのか記憶にない。


 痛む身体を引きずって鉄柵を掴む。




「ちょっと! 誰かいないの?!」




 オリヴィエの声が虚しく木霊する。




「ここから出しなさいよ!!」




 掴んだ鉄柵は頑丈でビクともしない。


 それでも叫び続けてみたが誰も現れない。


 どれほど叫んだが、時計もないので分からないが、オリヴィエの体感では一時間近くは騒いでいたような気がする。


 叫んで喉が痛くなってくる。


 疲れたオリヴィエが叫ぶのをやめた頃、カツ、コツ、と二つ分の足音がした。


 顔を上げた先、目に眩しい光が入る。


 思わず手を翳したオリヴィエが閉じた瞼を開ければ、二つの人影が鉄柵越しに視界に入る。


 そして明るさに目が慣れ、その人影が何者なのか気付いたオリヴィエは唸る。




「リュシエンヌ……!」




 そこにはこの世で一番大嫌いな人間が、一番大好きな人を伴って立っていた。











* * * * *













 報告を受けて来てみれば、黒髪の少女は思ったよりも元気そうだった。


 黒髪に焦げ茶色の瞳をした、黄色味を帯びた肌。


 彫りの浅い顔立ちは幼さを感じさせる。


 懐かしい、と思った。


 だが、感じたのはそれだけだった。


 横でルルが自分のピアスに触れると防音用の結界魔法が発動した。


 これならば会話は外に漏れない。




「意外と元気そうだね」




 そう声をかけると睨まれた。


 牢屋の鉄柵を少女が掴む。




「ここから出しなさいよ! この性悪女!」




 吠えるように言われても怖くない。




「彼の前でそんな態度をしていいの?」


「っ……!」




 横にいたルルを手で示せば少女が顔を歪めた。


 そしてすぐに悲しそうに焦げ茶色の瞳を揺らすと、ルルへ手を伸ばした。


 だがそれは鉄柵のせいで後一歩、届かない。


 ルルが伸ばされた手を冷たい瞳で見る。




「ルフェーヴル様、助けて……!」




 牢の中で座り込む少女をルルが見下ろした。




「どうして私があなたを助けないといけないのですか?」




 普通にすら接したくないのか、ルルは外面用の態度のまま冷えた声で一蹴する。


 少女が縋るように伸ばした手を避けるように動くと、ルルはわたしの肩を抱いた。




「何か勘違いされていらっしゃるようですが、私はリュシエンヌ様の夫であり、妻を害そうとした者に手を差し伸べるほど慈悲深くはありません」




 少女の焦げ茶色の瞳が見開かれる。


 その唇がルルの名前を呼ぶ。




「ルフェーヴル様……っ」


「やめてください。あなたに名前を呼ぶことを許した覚えはありません。……家名ですら呼ばれたくもない」




 少女が手を伸ばしたまま呆然とルルを見上げる。


 そしてルルの冷え切った瞳を見て、ひぐっ、と息を詰まらせる。




「私が愛しているのはリュシエンヌ様だけです。今までも、そしてこれからも、彼女だけで、私があなたを愛することは万に一つもありえない」




 感情一つ宿っていない冷徹な声だ。


 見開いた少女の焦げ茶色の瞳が潤む。




「そんな、どうして……? だって私はヒロインよ……? 好きになるはずでしょ……?」




 ルルが「は?」と低い声を出す。




「何を意味不明なことを言っているのですか? 申し上げた通り、私が愛しているのはリュシエンヌ様だけです。あなた、頭がおかしいのでは?」




 少女が硬直する。


 ……ああ、私でも言えなかったことを。


 しかも彼女にとっては最も好きな人からの言葉だ。




「あ、う……」




 ぱくぱくと口を開閉させているが、さすがに少女も言葉が出てこなかったらしい。


 不機嫌そうなルルの背に腕を回す。


 宥めるように撫でればギュッと抱き締められる。


 それを見た少女がくしゃりと顔を歪めた。




「絶対に許さない……! 悪役がヒロインの居場所を奪うなんて間違ってるわ……!!」




 そう言った少女にわたしは首を傾げる。




「さっきからヒロインヒロインと言っているけれど、あなたはオリヴィエ=セリエールではないでしょう?」




 目の前にいる少女は明らかにオリヴィエ=セリエールではない。


 少女が「はぁ?」と怪訝そうな顔をする。




「何言ってるの? 私はヒロインのオリヴィエよ!」




 …………あ、そっか。




「ルル、鏡持ってる?」


「鏡はありませんが、水属性の氷魔法を応用すれば鏡の代わりにはなりますよ」


「それ、ここに作ってもらえる?」




 わたしの言葉で全てを理解したらしきルルが詠唱を行い、少女の正面に氷の鏡が出来上がる。


 淡い水色の氷の鏡が鉄柵越しに少女を映す。


 それを見た少女の表情も凍りついた。




「え」




 少女が自分の頬に触れる。


 すると氷の鏡の中の少女も頬に触れる。


 それで全てを理解したようだった。


 ザッと少女の顔から血の気が引いた。




「嘘、うそ……? 何よこれ?!」




 少女が自分の髪を掴んで引っ張る。


 痛かったのか眉が寄せられた。




「それが今の、いえ、本来のあなたの姿みたいね。女神様が本物のオリヴィエ=セリエールを救い、偽物のあなたをオリヴィエ=セリエールの体から引っ張り出したの」


「何言ってるの? 私がオリヴィエよ!?」


「いいえ、本物のオリヴィエ=セリエールはずっとその体の中にいた。あなたが気付いていなかっただけ」


「嘘よ!!!」




 少女が吠える。




「じゃあ、あなたの今の姿は何?」


「知らないわよ!! こんなのヒロインわたしじゃない!! 元に戻しなさいよ!!?」




 まだヒロインにこだわっている。




「何度も言うけどあなたはヒロインオリヴィエではないし、わたしにはどうしようもないわ。いえ、女神様以外にそれを出来る者なんて誰もいないでしょう」


「女神はわたしに加護を与える存在でしょ?! どうしてこんなことするの?!! ヒロインを助けるのが女神の役目でしょうが!!!」




 少女が天井に向かって叫ぶ。


 それを呆れた気持ちで眺めてしまった。




「その日本人特有の外見でまだ言うの?」




 どう見ても彼女はオリヴィエ=セリエールではない。




「もうあなたはヒロインじゃない。元々オリヴィエでもなかったのだから、原作通りに進むはずがなかったんだよ」


「うるさいうるさいうるさい!!」




 少女が嫌々と頭を振る。


 怒りと憎悪に満ちた顔でわたしを睨み、手を伸ばしたが、鉄柵に阻まれる。




「全部あんたが悪いのよ!! 悪役のくせにちゃんと悪役をしないから!! 全部あんたのせいよ!!!」




「殺してやる!!」と伸ばした手が宙を掻く。


 ……まだそんなことにこだわっているのか。


 今の少女の立場を考えれば、とてもそんなことを口に出来るものではないのだが。


 つい溜め息が漏れてしまう。




「そんなことより、あなたは自分の心配をするべきだよ」




 ギロリと睨まれたが痛くも痒くもない。


 むしろ憐れさすら感じられる。


 結局、この少女は最初から最後まで自分の世界で生きて、周りを見ようとしなかった。


 もっと周りを見ていたら色々と気付けただろうに。


 ……理解出来ていたらここにはいないか。


 ルルがわたしを抱き締めたまま口を開く。




「あなたは王女殿下を害そうとしました。つまり、王族の殺害を企てたのです。当然、罰が下りますよ。まあ、処刑が妥当でしょう」




 ルルの言葉に少女が「しょけい……?」と呟く。




「法にあてはめてもそうなるでしょう。あなたは先ほどから不敬な態度を取っておりますが、こちらにいらっしゃるのはこの国の王女殿下ですよ? 王族を殺害しようとするなんて、どの国でも極刑ものです」


「きょっけい……」


「つまり、死罪です。あなたは死ぬのですよ」




 少女が「しぬ……?」と繰り返す。


 その表情は言葉の意味を理解していない風だった。


 それをわたしは黙って見下ろした。


 本当に憐れな人だと思う。


 ゲームとよく似た世界に転生して、記憶を取り戻して、そして原作の夢を見てしまった。


 夢は所詮夢でしかないのに。


 夢にしがみついて、夢に固執した。


 でもここは現実だ。


 誰もが意思を持ち、考えを持ち、ゲームのように規則正しく決まった動きをするはずがない。


 それを理解しなかったからこうなったのだ。




「あなたはヒロインじゃない。ううん、ヒロインだったとしてもわたしに手を出してはいけなかったの」




 少女が呆然とわたしを見る。




「この世界には身分があって、わたしは王女だった。わたしもあなたも、他の人間にも、きちんと意思があって、心があるんだよ。ゲームの世界じゃない」




 少女の唇が小さく戦慄いた。




「あなたは全部間違えたの」




 むしろ、正しい選択肢(みち)を外し続けた。




「それにあなたは言ったよね? わたしがヒロインの居場所を奪ったって。それじゃあ悪役の居場所にいたのは誰だと思う?」




 少女が緩く首を振る。


 聞きたくないと言うかのようだ。


 でも、わたしはやめない。




「悪役の居場所にいたのはあなた。だから本来の悪役の立ち位置に入ってしまった。リュシエンヌが死ぬ、バッドエンドルートの代わりだと思う」




 リュシエンヌのバッドエンドはお兄様に切られた傷が原因で、その後衰弱死する。


 死因は違うけれど、死という点では同じだ。




「いや、いや……! 死にたくない! また死ぬなんてありえない!!」




 少女が叫ぶ。


 ……わたしもあなたも一度死んでいる。


 それなのにまた死ぬなんて嫌だろう。


 けれども、それは彼女の選択の結果だ。




「わたしは警告した。でもあなたは聞かなかった」


「だってヒロインが死ぬなんてありえないじゃない!」


オリヴィエヒロインはもういるの」




 少女の手が鉄柵を殴る。




「違う違う違う!! ヒロインは私よ!! 私がオリヴィエ=セリエールなのよっ!!!」




 まるで自分に言い聞かせるように絶叫する。


 もう、わたしの話なんて聞いていないだろう。


 同じ言葉を延々と繰り返している。


 その狂気じみた様子にルルがうへぇ、という顔でドン引きしていた。


 視線で「どうする?」と問われて首を振る。


 これでは話にならない。


 あれだけわたし達を困らせた少女が、今は死に怯えて、自分の殻に閉じこもってしまった。


 きっと何を言っても理解を拒むだろう。


 そうしてこのまま処刑されるのだろう。


 同じ転生者だけど、彼女を助けてあげるほどわたしも慈悲深い人間ではない。


 唯一の人を狙われて、殺されそうになって、それらを許すなんて出来ない。


 ……わたしは悪役だからね。


 ヒロインのように心は広くないのだ。


 ルルがピアスに触れて結界魔法を消す。


 すると少女の喚き声が地下牢全体に響き渡る。


 それにルルが嫌そうな顔をして、もう一度ピアスに触れると声は聞こえなくなる。




「行こう、ルル」




 あとはお父様が判断してくれる。


 だが減刑にはならないだろう。


 ……さようなら。


 もう二度と会うことはない。


 ルルにエスコートされて牢屋を離れる。


 背後ではずっと少女の声が響いていただろうが、わたしもルルも、振り返ることはなかった。


 地下牢を出るとお兄様が待っていた。




「どうだった?」




 それに頷き返す。




「彼女はオリヴィエ=セリエールの中にいた人格で間違いないでしょう。今までと同様に自分を『ヒロイン』だと信じ続けています。話はあまり通じませんでした」


「今までの言動を考えればそうだろうな」




 お兄様は納得した様子だった。




「あとは父上と私で処理する。リュシエンヌはゆっくり宮で休むと良い。……今日は疲れただろう?」




 そっとお兄様に頭を撫でられる。


 それにわたしは微笑んだ。




「ええ、でも、オーリの様子を見てからにします」




 オーリも疲れているだろうけれど、きちんと自分がどうなったのか詳細を知った方が安心するだろう。


 それにオーリに罪がないと言っても、このまま王都や学院に居続けるのは精神的にも難しいと思う。


 たとえ王家が、女神が、オリヴィエ=セリエールに罪はないと言っても、これまでの行いは消えはしない。


 誰もが好奇の目でオーリを見る。


 その中で暮らすのは苦痛だ。


 今後どうするのかについても聞いておきたい。


 ……セリエール男爵家もお咎めなしとはいかないでしょうし。


 オーリにとってはつらい現実になってしまう。




「そうか。まあ、彼女は被害者だからな、もし今後のことで何か希望があるなら出来うる限り、そうしてやれたらとは思うが……」




 お兄様が言葉を濁す。




「一応、王都を離れたいと言うようでしたら、以前話したように東の修道院を紹介しようと思います。……ムーラン伯爵子息の方はどうでしたか?」


「オリヴィエ=セリエールの意思を尊重するとのことだった。だが、出来れば傍にいたいそうだ」


「そうですか」




 お兄様の返事にホッとする。


 レアンドルがまだオーリを想っていて、傍にいたいと考えてくれているなら少しは救われる部分がある。


 お兄様も苦笑していた。


 色々あってレアンドルもオーリも遠回りしたが、そう遠くない未来に二人一緒に並んで歩くことが出来るかもしれない。


 わたしはそれを見ることはないけれど。


 そういう未来があってもいいだろう。


 ここはゲームではないのだから。








 

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― 新着の感想 ―
[一言] オリヴィエはもしかして、ヒロインであること、つまり自分が「特別な存在」であることにしか自分の価値を見出せなかったのかな? 彼女にとってそれこそが重要で、それにしか興味がなかった。 どうして努…
[気になる点]  すると少女の喚き声が地下牢全体に響き渡る。  それにルルが嫌そうな顔をして、もう一度ピアスに触れると声は聞こえなくなる。 と、声は聞こえなくなっているのに  ルルにエスコートさ…
[一言] 剥き出しの石の上で寝てて体が痛いとか読んじゃうと、オリヴィエの自業自得だとわかってても、不憫に思えてしまう。 優しいシスターに支えられて処刑される日を迎えてほしいなと思いました。 と思った…
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