封印魔法
オリヴィエとの対面から一月後。
わたしは相変わらず宮廷魔法士長の下へ、オリヴィエを封じる魔法を作るために通っていた。
封印魔法はとても難しい。
混じり合っているオリヴィエとオーリの記憶を分離して、それぞれを個とし、それに結界を応用した封印の魔法をかけて内側で眠らせる。
人間の精神に作用するので本来は禁忌だ。
お父様の許可を得ているけれど、これが成功するかも少し心配だ。
出来上がったとしても試すことが出来ない。
魔法士長とルルと三人でそれでも作った。
封印魔法にはきちんと解除も組み込んでおく。
オリヴィエの場合は解除は不要かもしれないが、こういう魔法を生み出す者として、解決法を共にしておくのは当然のことだった。
そうして三ヶ月。
豊穣祭の直前に、魔法は完成した。
「ようやく完成いたしましたね」
初めて生み出す魔法にはみんな苦戦した。
発動して効果を確かめることも出来ず、魔法式を作り、それを読み解いて効果がどうなるのか予想しながら更に新たな魔法式を混ぜ合わせてという作業だ。
全員でああでもない、こうでもない、と何度も話し合った。
出来る限り、対象に負担をかけないようにした。
魔法発動時には対象者は眠りに落ちる。
そして記憶が二つに選り分けられる。
恐らくその間、対象者は自分の記憶を追体験するか、夢のように思い出すかしていると思う。
そうして選り分けられた記憶、個別に分けられた人格のうちの片方を発動者が選ぶことが出来る。
選んだ方に結界が張られ、記憶が混ざらないようにし、封印で結界が崩れないようにする。
イメージで言うと鎖でガチガチに巻く感じだ。
解けないようにしっかり封じる。
最後にそこへ状態を固定する魔法をかける。
そうすれば年月が経っても封印は綻び難くなる。
しかしこの魔法、膨大な魔力が必要となる。
発動と維持にかなり魔力が使われるのだ。
だから発動時は魔法の発動者の魔力を使用して魔法が展開し、それ以降の維持に関しては対象の魔力を使用するように指定してある。
この魔法をオリヴィエに使えば、オリヴィエは封じられてオーリが表へ出てくることだろう。
ただしオーリは常に魔力を消費している状態なので、今までよりも使える魔法は減る。
……多分、生活で使う魔法には困らない。
大きな魔法は無理だろうけれど、初級魔法の辺りならば問題なく使用出来ると思う。
「魔法士長様、お手伝いくださりありがとうございます。想像よりも早く出来たのは魔法士長様のおかげです」
実際、わたしとルルだけではもっとかかっただろう。
宮廷魔法士団という国中でも魔法士の精鋭であり、その中でもトップを務め、魔法の造詣に深い魔法士長が手伝ってくれたからこそこの短期間で完成に至ったのだ。
「あとはきちんと発動出来るかというところが問題ですが、さすがに試すことは難しいでしょう」
「そうですね、人格を封印する魔法ですし、発動後にたとえ解除しても対象者に何らかの障害が出てしまうかもしれません」
「むしろ解除後の方が不安ですね。一度分離したものをまた混ぜるわけですから、対象者の精神が持つかどうか……」
無理やり切り取って封じたものを、また混ぜ直す。
恐らく二つの記憶が混同されて両方の人格そのものが崩壊して廃人となるか、どちらか一方にもう片方が吸収されてしまうか。
何にせよ元に戻すことは不可能だろう。
「とりあえず、今回この魔法をかける予定の人物は解除することはないと思います」
今まで散々自分の体で好き勝手にされたオーリが、封じたオリヴィエを後から元に戻してくれとは言わないと思う。
「魔法を発動するのはニコルソン子爵でよろしいですね?」
それに頷き返す。
わたしは魔法を使えない。
発動してもらうとしたらルルしかいなかった。
「はい、そうです」
私の横でルルも頷いている。
「では、こちらの魔法石をお持ちください」
立ち上がった魔法士長が鍵のかけられた棚から小ぶりの箱を取り出し、蓋を開けた。
そこには綺麗な紅い宝石が納められていた。
「魔力を貯めた魔石です。計算上ではこれがあればニコルソン子爵自身の魔力を消費せずに、この魔法を行使出来るでしょう」
「ですが、それはかなり貴重な物なのでは……?」
魔石は大きさと内包する魔力量によって価値が変わる。
ブローチなどに使われるかなり大きな宝石だ。
この膨大な魔力を要する魔法を、ルルの魔力を消費せずに扱えるということは、かなりの魔力を内包していることになる。
国宝にされないのが不思議なほどだ。
「陛下より使用する許可をいただいております」
差し出されたそれをルルはひょいと手に取った。
一度、光に翳すように宝石を見たルルが頷く。
「これなら足りそうです」
ルルが「ありがとうございます」と言う。
お父様が許可を出し、魔法士長がこれならと思って選んだ物ならば信用に足る。
ただ、魔法は大掛かりなものになるだろう。
出来れば人目のないところで使いたいものだ。
「お気遣いありがとうございます」
「いえ、上手くいくと良いのですが……」
そればかりは発動してみないと分からない。
失敗すればオリヴィエもオーリも混ざり合った人間になるかもしれないし、逆に両者とも全く違う人間になる可能性もある。
精神が崩壊して廃人になることも……。
不意にルルに手を握られる。
「魔法の発動は私が判断した時に行い、責任も全て私が持ちます。リュシエンヌ様が気に病む必要はございません」
それは、つまり、失敗してもわたしのせいではなく、魔法を発動したルルに責任があるということか。
慌てて首を振った。
「それはダメ。お願い、わたしにも背負わせて」
ルルだけに押し付けるなんて嫌だ。
失敗した時の苦しみも、罪悪感も、全てをルルに押し付けて、わたしだけのうのうとしてるなんて出来ない。
それなら、魔法を組み立てたわたしだって同罪だ。
わたしの言葉にルルが微笑んだ。
「リュシエンヌ様の御心のままに」
開発された魔法は人格封印魔法と名付けられた。
そのまんまだけど分かりやすくていい。
あとはオリヴィエが盛大にやらかして、身柄を確保出来れば良い。
この戦いにもそろそろ決着がつきそうだ。
* * * * *
その夜、ルフェーヴルは闇ギルドへ足を運んだ。
今現在は仕事を受けていない。
ルフェーヴル本人の希望である。
それなのにギルドを訪れたルフェーヴルに、ギルド長のアサドは驚いた。
「珍しいですね、どうかしましたか?」
深夜にルフェーヴルが訪れたにも関わらず、アサドは書斎にいた。
……コイツいっつもここにいるよねぇ。
夜でも昼でも、いつ訪れてもここで仕事をしているアサドにルフェーヴルは若干の呆れを感じながらもソファーの背もたれに寄りかかる。
「要らない人間がいたら一人欲しいんだよねぇ。壊れるかもしれないからぁ、それでもいいっていうのが理想かなぁ」
アサドが小首を傾げる。
「いるにはいますけど、何に使うんですか?」
「魔法の実験〜」
「ああ、なるほど」
書斎の机の引き出しを開けつつ、アサドが納得した様子で頷いた。
それから書類を取り出して机へ広げる。
「今は三人ほどおりますよ」
ルフェーヴルが背もたれから離れて近寄る。
サッと書類を確認し、その中から一人を選ぶ。
「じゃあコイツでぇ」
「分かりました。実験後の処理はどうします?」
「そっちでヨロシクぅ」
ルフェーヴルが懐から出した金貨を数枚机へ積む。
それにアサドが頷き返した。
「それでは良い夜を」
部屋を出て行く時に声をかけられ、ルフェーヴルはそれに背を向けたまま、ひらひらと手を振った。
闇ギルドを出て夜の街を屋根伝いに走る。
そうしてギルドが借りている倉庫へ着く。
かなり大きな倉庫で、地下室もかなりある。
ルフェーヴルの選んだ人間はこの地下の一室に拘束されている。
合言葉を交わして倉庫へ入り、そこにいたギルドの人間に書類を差し出す。
「ちょ〜っと魔法の実験で借りるよぉ。片付けはそっち持ちで話は通ってるからぁ」
ルフェーヴルがそう言えば、ギルドの者は地下牢にルフェーヴルを案内した。
地下牢は全て独房になっている。
石造りの冷たい廊下を抜けて一つの牢屋の前で立ち止まった。
どうやら、ここにいるらしい。
鍵束から一つだけ外した鍵を渡される。
「どぉも〜」
案内したギルドの人間は頷くと去っていった。
無口な人間だったがそれでいい。
こういう場では必要以上の詮索は身を滅ぼす。
ルフェーヴルは渡された鍵を使って独房を開けた。
中には気の強そうな男が壁に拘束されており、ルフェーヴルを見ると顔を顰めた。
そして言葉を発しようとしたが、ルフェーヴルはそれよりも先に防音結界で男の声が聞こえないようにした。
「悪いけどぉ、いちいち話を聞いてるほど時間ないんだよねぇ」
ルフェーヴルの言葉が聞こえなかったのだろう。
男が何やら喚いているが声はない。
男の頭の周囲だけに魔法を発動しているので、男の声は外に漏れないし、こちらの音も男には聞こえない。
ルフェーヴルはゆっくりと歩いて行く。
「じゃあ、楽しい楽しい実験のお時間だよぉ」
ルフェーヴルの長い腕が男の頭を掴む。
そして詠唱を囁くような声で口にする。
長い詠唱だ。いくつも魔法が混合しており、複雑で、膨大な魔力を消費する。
男が暴れるけれど、ルフェーヴルの手の力は強かった。
男の頭上に魔法式が現れる。
それは七つの魔法を組み合わせたものだった。
ルフェーヴルは自分の体からごっそり魔力が引き抜かれる、何とも言えない感覚に襲われた。
そして魔法が発動する。
ルフェーヴルは魔法に指定を入れた。
男の記憶を生きた年数の半分で割り、大人の記憶を封じるようにした。
暴れていた男の体がぐったりする。
どうやら眠ったようだ。
魔法はいまだ発動している。
時間にして十分ほど魔法は発動していた。
それから空気に溶けるように魔法式が消える。
様子を見ながら待っていたルフェーヴルは防音魔法を解いて、男の頬を軽く叩いた。
反応はない。
更にナイフを取り出して、その頬を薄く切りつけてみると、男が目を覚ました。
ただし、その瞳はどこかぼんやりしている。
「君の名前はぁ?」
ルフェーヴルの問いに男がぼんやり答える。
「ぼく……ぼくの名前は……」
それからいくつか質問してみたが、どうやら男の記憶は分離されたようだ。
今は十三歳の頃の人格が表に出ているらしい。
それ以降の記憶は封じられて、思い出そうとしても思い出せない様子だった。
子供の頃の記憶はしっかりと残っているようなので、成功と言えるだろう。
騒ぎ出す前に今度は魔法の解除を行う。
先ほどの半分以下の魔力が体から抜ける。
……七割も魔力持ってかれた……。
元から魔力量の多かった上に、祝福で更に増えた魔力量でもこれほどに持っていかれたのだ。
一般人が使えば魔力が枯渇して最悪死ぬだろう。
誰にでも使える魔法ではない。
目の前の男がまたぐったりとする。
解除が終わり、ルフェーヴルは少し強めに男の頬を叩いた。
目を覚ました男は少し具合が悪そうだった。
「う……、お前、僕に、いや俺に何をした……っ」
どうやら記憶が混濁しているらしい。
男がぶつぶつと呟く声に耳を傾ける。
二つに分けた記憶は混ざり合い、どうやら、記憶の順序がバラバラになってしまったようだ。
男は「僕……? 俺、いや、私は……? この記憶は何だ? これが俺の記憶なのか?」と遠い目で呟いている。
やはり一度分けた記憶を元に戻そうとしたら障害が起こったらしい。
男は自分が拘束されているのも忘れてぶつぶつと呟いている。
……廃人ってほどではないけどぉ、これじゃあ普通の生活は送れないかもなぁ。
しばらく様子を見て変化がないことを確認すると、ルフェーヴルは鍵を使って独房を後にした。
そうして廊下を戻り、ギルドの人間に鍵を放って返す。
「もう終わりましたか?」
「うん、終わったよぉ」
そしてルフェーヴルはいくらかのチップを男に握らせ、自分がここに来たことへの口止め料にすると、倉庫を出ていった。
……分離と封印は多分大丈夫かなぁ。
リュシエンヌが言う通り、一度封じたオリヴィエ=セリエールを解放することはないだろう。
それを考えれば魔法は成功とも言える。
……まあ、このことをリュシーに言うつもりはないけどねぇ。
でもリュシエンヌの父であり、国王でもあるベルナールには結果を伝えておこう。
どうせ禁忌魔法として禁書庫に残るのだから、その結果も明記しておいたほうが良い。
夜の街並みの屋根を王城へ向かって駆け抜ける。
……帰ったら魔力回復薬飲まないとねぇ。
そして朝になったらいつも通りリュシエンヌに「おはよう」と言って起こすのだ。
こんなことをしているなんて知らなくていい。
リュシエンヌが知る必要はない。
これはルフェーヴルの自己満足なのだから。
* * * * *




