困ったさん(2)
またこれだ。
何かにつけて「酷い、酷い」と彼女は言う。
何が酷いのかさっぱり分からない。
「何がですか?」
涙目でオリヴィエが口を開く。
「どうして私だけお茶会に招待してくださらないのですか? 確かに我が家は男爵家と爵位が低いですが、それでも貴族の一員です!」
ふっと懐かしい感覚に襲われる。
……ああ、そっか。
オリヴィエの台詞は原作通りのものだ。
リュシエンヌが放課後に大規模なお茶会を開き、学院に通う貴族のご令嬢達を招いて優雅な時を過ごす。
ヒロインちゃんにも招待状が届くのだ。
しかし行ってみると席がない。
座る場所がなく、途方に暮れるヒロインちゃんをリュシエンヌとその取り巻き達がクスクスと嘲笑う。
そしてヒロインちゃんはお茶会を追い出され、一人泣いていると最も好感度の高い攻略対象が声をかけてくれる。
時には席がなかったり、時には招待状が送られて来なかったり、わざと時間や日時をズラした招待状だったこともあった。
そんなことが何度か繰り返されるのだ。
そのうち、攻略対象達がついて来てくれたり、悪役達に物申してくれたりする。
……確かそういう流れだったはず。
でも残念、と内心で思う。
「どうしてあなたを呼ぶ必要があるのでしょう?」
わたしはわざとらしいほどゆっくり首を傾げた。
「このお茶会は高位貴族の、それもわたしと関わりのある方々のみをお招きしたものです。むしろ男爵令嬢に過ぎないあなたを招待しては、困るのはあなたの方ですよ。何より、わたしとあなたはお茶会に招待する仲でもございません」
オリヴィエがわたしの言葉を聞いて周りを見た。
大きなテーブルを囲んでいるけれど、お茶会自体はそれほど大規模なものではない。
オリヴィエが勘違いしているのは放課後にカフェテリアで過ごす生徒達の存在だろう。
ご令嬢達が多いために大規模なお茶会に遠目からでは見えたのだろうが、よく見れば他の席には男子生徒の姿もある。
「え……」
オリヴィエにご令嬢達の視線が突き刺さる。
殆どのご令嬢が扇子で顔を半分隠した。
それは拒絶の意味を表している。
男爵令嬢などお呼びでない。
そういう態度であった。
第一、高位貴族のお茶会に下位貴族を招くことはないし、その逆もありえない。
高位貴族と下位貴族では習得する礼儀作法の程度に違いもある上に、お茶会で用意される物も爵位によって差が出てしまう。
高位貴族のお茶会に下位貴族が出席するには、そのお茶会に見合った装いに手土産を用意し、恥ずかしくないように作法を学び直す必要がある。
装いや手土産の用意だけでも下位貴族では財政を圧迫してしまう。
そして下位貴族のお茶会に高位貴族を招く場合、招く側が高位貴族に合わせたお茶会を開かねばならなくなる。
当然、他の出席者もお茶会に見合った装いなどを強いられる。
高位貴族と下位貴族でお茶会を分けるのにはそういう理由がある。
王家主催の舞踏会や園遊会なども、基本的に装いは問わないし、出席も自由ということで決まっている。
大抵の下位貴族は高位貴族の下げ渡しなどを手に入れ、少し直して着るのだが、そうもいかない家もある。
どうしても衣装がない場合は出席しない。
表向きは別の理由を述べているが、そういう家も実は少なくない。
「さあ、どうぞお引き取りください」
呆然とするオリヴィエに言う。
わたしが転生者だと知っているだろうに。
そのわたしが原作と同じことをすると、どうしてそうも自信を持っていられるのか不思議である。
それでもオリヴィエは立ち竦んだままだった。
「卒業パーティーの衣装ですが、どのようなデザインなのかお訊きしてもよろしいでしょうか?」
「わたくしも知りたいですわ」
ご令嬢達がオリヴィエから視線を外す。
完全にいないものとして扱われ、他の席の生徒達からクスクスと笑われ、羞恥でオリヴィエの顔が真っ赤に染まった。
新緑の瞳がルルを見た。
「ルフェーヴル様っ、王女殿下が私を虐めるんです……!」
今にも泣き出してしまいそうな顔で言う。
庇護欲を誘う外見もあり、何も知らなければ絆されてしまうかもしれない。
しかしルルは不快そうに眉を寄せた。
「名前で呼ばないでいただきたい。あなたにそのように名を呼ぶことを許した覚えはない。不愉快だ」
冷たい声でピシャリと返され、オリヴィエが目を丸くした。
「ルフェーヴル、様……?」
ルルは更に顔を顰める。
そしてオリヴィエから顔を背けた。
「まあ、礼儀がなっておりませんのね」
「相手から了承も得ずに勝手に名前を呼ぶなんて」
「きちんと教育を受けた貴族であれば、あり得ませんわ」
「きっと男爵家では満足な教育も受けられないのね」
「それか本人の問題かしら?」
ご令嬢達が扇子の下でクスクスと笑う。
オリヴィエがこちらをギロリと睨めば、ご令嬢の一人が「あら」と声を上げる。
「王女殿下を睨むなんて不敬だこと」
「……多勢に無勢で虐める方が人としてどうかと思います」
「何か勘違いされていらっしゃるようですが、わたくし達は虐めてなどおりませんわ」
オリヴィエの言葉にご令嬢達が心外だと返す。
「招かれてもいないのにお茶会に乱入してきた挙句、王女殿下の言葉を無視して居座っているのは一体どなたかしら?」
「しかも王女殿下の御夫君に懸想して、嫌がられているのが分かっていないなんて不思議だわ」
「分かっていたら許可も得ずに名前を呼ぶという無作法をしないでしょう」
「それもそうですわね」
オリヴィエが何を言ってもご令嬢達には敵うまい。
だがこれ以上やれば本当に虐めになってしまう。
「皆様、どうかその辺りで」
そう言えばご令嬢達が静かになる。
「セリエール男爵令嬢、貴族の常識では相手の許可なく名前を呼ぶことは失礼に当たります。わたしの夫はあなたにその権利を与えていません。ですから、あなたはわたしの夫をニコルソン子爵と呼ばなければなりません」
オリヴィエは黙って唇を噛んでいる。
ヒロインならルルに会えば助けてもらえると思ったのかもしれないが、それは間違いだ。
ルルがオリヴィエを助けることはない。
……むしろ面倒だから今すぐにでも消したいって感じなんだよね。
それをわたしが止めているのだ。
「さあ、理解したなら下がりなさい。いつまで残っていても、高位貴族のお茶会に男爵令嬢の席はありませんよ」
そう言えば、オリヴィエが俯いた。
そして無言で踵を返して走り去っていく。
ご令嬢達がそれに眉を顰めた。
「まあ、挨拶もなさらなかったわ」
乱入してきた挙句に勝手に走り去っていく。
貴族にはあるまじき行動だ。
「本当に貴族なのかしら? マナーすらなっていないのにご自分を貴族の一員だとおっしゃっていたけれど……」
「そういえばあの方、対抗祭の間は謹慎処分だったそうですわ。エカチェリーナ様の件で騒ぎを起こしたでしょう? 他にも色々あって学院側から一週間の謹慎を言い渡されたとか」
「謹慎なんて一体何をしたのでしょうね?」
……あー、まあ、机を破壊したり?
あれもしっかり学院側は把握してるからね。
思わず苦笑が漏れた。
「まあまあ、皆様、男爵令嬢についてはそれくらいにいたしましょう。せっかくのお茶会なので、皆様と楽しく過ごしたいです」
横でまだ機嫌の悪そうなルルの手を握る。
そうすればしっかり握り返してくれた。
見上げれば、灰色の瞳から少し険しさがなくなって、雰囲気も和らいでいる。
名前を呼ばれたのがよほど嫌だったようだ。
かく言うわたしもオリヴィエの前ではルルを愛称で呼ばないように気を付けている。
うっかりルル、なんて呼ぼうものなら、絶対にオリヴィエは自分も呼ぼうとするはずだから。
……ルルをルルと呼んでいいのはわたしだけだ。
「そうですわね、せっかくのお茶会ですもの」
「何の話をしていたかしら?」
「卒業パーティーのドレスについてですわ」
その後は和やかなお茶会となった。
オリヴィエは罠の一つにかかった。
今のやり取りを見ていた生徒も多い。
たとえオリヴィエがわたしに虐められたと言っても、目撃していた生徒達は否定するだろう。
むしろ王女のお茶会に乱入してきた無作法者としてオリヴィエの方が冷たい目で見られる。
オリヴィエはわたしの悪評を広めようとした。
だからわたしも反撃する。
ただでさえあまり良い噂を聞かないオリヴィエが、こういった言動を繰り返したらどうなるだろうか。
少なくとも味方はいなくなる。
……別にヒロインになりたいわけじゃないけど。
オリヴィエの魂を分離して封印する魔法もかなり構築が進んでおり、あともう少しで完成する。
そうしたら、これまでの件を問題にしてオリヴィエや男爵家に責任を追及する。
判断が下された後にオリヴィエに魔法をかけて、封印したら、王都からの追放という名目でオーリを地方に逃せば良い。
今のところ東にある大きな教会付きの修道院が候補に挙がっている。
規律は厳しいが、他の修道院に比べたら過ごしやすく、町からも近いのでそこまで不便はないそうだ。
……早く魔法を完成させないと。
* * * * *
王城への帰りの馬車で、ルフェーヴルが言う。
「アリスティード、帰ったら手合わせの相手してくれなぁい?」
いつもはアリスティードから鍛錬の相手を頼むことはあるが、ルフェーヴルから相手になって欲しいと声をかけられるのは珍しい。
アリスティードが目を瞬かせた。
「それは構わないが、珍しいな?」
「ちょ〜っとイライラすることがあってねぇ」
アリスティードがリュシエンヌを見る。
それにリュシエンヌが苦笑しつつ、隣にいるルフェーヴルの手を取って握る。
「セリエール男爵令嬢がルルの名前を断りなく呼んだんです。それがルルには凄く嫌だったみたいで……」
リュシエンヌの説明に、アリスティードが「なるほど」と納得した様子で呟いた。
貴族の間では相手の許可を得ずに名前を呼ぶことは無礼な振る舞いとされている。
そして、ルフェーヴルはオリヴィエ=セリエールのことが好きではないので、名前で呼ばれること自体が酷く不愉快であった。
「リュシーだって、あの男爵令嬢の前ではオレのことルルって呼ばないでしょぉ?」
「うん、わたしがルルのことをルルって呼んでるのを聞いたら絶対勝手に呼び始めるのは分かってるからね」
「名前だけでもこんなに不愉快なのにぃ、アレに愛称呼びされたらうっかり殺しちゃうかもぉ」
想像するだけでもルフェーヴルは、うげ、と嫌な気持ちになった。
人に名前を呼ばれただけで、ここまで不愉快に感じるのは初めてである。
暗殺者になる以前、その技術をルフェーヴルに叩き込んだ師は、同時に弟子達をよく過酷な状況に放り込んだ。
暗殺者はいついかなる時も冷静であれ。
そのためには心を殺せ。感情を殺せ。
どのような状況でも耐える精神力が必要だ。
それが師の口癖であった。
ルフェーヴルはそんな師に鍛え上げられて、並大抵のことでは動じない精神力を手に入れた。
人間にとっては酷く不快な環境でも過ごせるし、苦痛にも強くなったし、不測の事態が起こっても冷静に対応出来る。
しかし今回の不愉快さはそれとは別物だった。
ただ名前を呼ばれただけなのに。
自分の中にもまだこんなに強い負の感情があったのかと驚かされた。
正の感情はリュシエンヌが与えてくれた。
それは心地好いものだった。
けれども負の感情はとにかく不快だ。
「ルフェーヴルがそこまで誰かを毛嫌いするのも、そうないよな? そもそもお前はリュシエンヌと自分以外は興味ないだろう?」
「まぁねぇ」
アリスティードの言葉にルフェーヴルは頷いた。
ルフェーヴルにとって重要なのはリュシエンヌであり、自分はその次くらいで、他は大体どうでもいい。
こうして会話しているアリスティードでさえ、ルフェーヴルからしたら、あくまでリュシエンヌの兄だから関わっている。
リュシエンヌがいなければ、ルフェーヴルはアリスティードと関わることはなかっただろう。
いや、アリスティードどころか、自分以外の人間に興味を持つことすらなかったはずだ。
その点では、ルフェーヴルも自分自身がリュシエンヌと出会って成長したことを実感している。
「でもアレに関しては別だよぉ。オレの中では今一番殺したい相手だからぁ、情報収集のために意識を向けてるって感じぃ? 嫌だけど仕方なくってやつ〜?」
アリスティードが苦笑する。
「言いたいことは分かる。私も関わりたくないが、向こうの動きを分からないとそれはそれで不安というか、落ち着かない感じはあるな」
「知りたくないけど調べちゃうんだよねぇ」
「そうだな」
頷き合うアリスティードとルフェーヴルに、リュシエンヌは黙って微笑んでいる。
その手はルフェーヴルと繋がったままだ。
どんなに苛立っていても、リュシエンヌと触れ合っているとルフェーヴルの負の感情は消えていく。
それについてルフェーヴルはリュシエンヌに言ったことがないけれど、まるで知っているかのようにリュシエンヌは自然にルフェーヴルへ触れる。
そんな些細なことがルフェーヴルは嬉しかった。
この喜びという感情すら、リュシエンヌがルフェーヴルに与えてくれたものだった。
「まあ、帰ったら手合せの相手はしよう」
「ただし魔法はなしだ」と言うアリスティードにルフェーヴルも頷いた。
女神の祝福を受けた全属性持ちの二人が魔法で戦ったら周囲がどうなるか、考えるまでもない。
「それでいいよぉ」
僅かにくすぶる苛立ちは剣でもぶつけられる。
うっそり笑ったルフェーヴルに、アリスティードが微妙に口元を引きつらせて「加減しろよ」と言う。
ルフェーヴルは笑うばかりで返事をしなかった。




