剣武会(4)
何と、ケイン様が頭の上で腕を交差させて木剣を受け止めていた。
あんなことをすれば魔道具が反応するはずなのに。
あのガラスの割れるような音はしない。
「っ……!」
振り払うように剣を弾かれたエディタ様が数歩、よろけるように後ろへ下がる。
ケイン様が高く跳び上がった。
落下してくる木剣を掴む。
そして、その勢いのまま、まだ体勢を整えていないエディタ様へ剣ごと落下する。
ドゴォンッと重い物が落ちる音がして、落下地点から土埃が舞い上がる。
同時に二つ、ガラスの割れる音が響いた。
観客席の生徒達が「どうなった?」「どっちが勝った?」と思わず騒めいたり、立ち上がったりする。
土埃はすぐに薄れ、その下から一つの影が現れる。
地面へ仰向けに倒れ込んだエディタ様が、両手で剣を構え、顔の直前ギリギリのところでケイン様の木剣を防いでいる。
ケイン様は仰向けのエディタ様にのしかかるように力を加えていた。
エディタ様が困ったように眉を下げた。
「……私の負けだ」
その言葉にケイン様が剣を引く。
試合終了の笛が鳴った。
ケイン様が退くと、エディタ様が教師達へ手を上げて見せた。
「申し訳ありません、治癒魔法をお願いいたします。恐らく、手の骨が何本か折れています」
その申告に教師達がすぐに動く。
ケイン様が離れようとするとエディタ様が「君、」と声をかけて引き止めた。
「君も治療してもらうといい。次の試合、それで負けたなどと言い訳にするつもりか?」
「……分かった」
ケイン様も教師に治癒魔法をかけてもらう。
生徒達は何がどうなったのかサッパリ分からない。
治癒魔法を受けるとエディタ様が口を開いた。
「今の試合は私の負けだ。彼も傷を負ったが、私の魔道具の方がほんの一瞬、先に壊れた。実戦ではその一瞬が命運を握る。彼が勝ち、私が負けたのは事実だ」
エディタ様が横にいたケイン様の肩を叩いた。
ケイン様は一瞬目を丸くして、それから無邪気に笑ってエディタ様の肩を叩き返す。
そのやり取りに、観客の生徒達からも「よくやった」「アルヴァーラ侯爵令嬢に勝つなんて!」と声が上がる。
「え、あんた女だったのか?!」
そんなケイン様の驚きの声に観客席が笑いに包まれたのは言うまでもない。
* * * * *
一時間ほどの休憩を挟んだ後。
ついに決勝戦が行われる。
ここまで勝ち進んだのはお兄様とケイン様。
お兄様はともかく、まだ一年生の、それも平民が勝ち進んだとあって観客席は騒ついている。
闘技場に現れた二人は楽しそうに笑っていた。
「数年前は木の枝でやったよな」
お兄様の問いにケイン様が頷く。
「ああ、よく遊んだな。いつも俺が負けてた」
「今回も私が勝たせてもらう」
「いいや、俺だってあれから成長したんだぜ?」
二人が軽口を叩きながら向かい合う。
お兄様は右手に剣を構えている。
ケイン様も双剣使いのあの独特な構えだ。
二人の準備が整い、試合開始の笛が鳴る。
それとほぼ同時に二人がぶつかり合った。
ガツンと大きな音がして、足元で土埃が舞う。
木剣が削れてしまうのではと思うほどに荒々しい鍔迫り合いだ。
「成長か。まだ私より小さいな!」
「あと二年も経てば超えるさ!」
「そうか、それは楽しみだ!」
互いの剣を弾き、打ち合う。
休む暇もない攻防に思わず息を詰めてしまう。
二人の腕は多分互角だ。
もしかしたらお兄様はまだ手加減しているのかもしれないが、それはケイン様も似たようなものらしい。
どちらの表情にも余裕が窺える。
「昔みたいに何でもありだ!」
ケイン様がお兄様へ足払いをかけた。
お兄様が地面をゴロンと転がって跳ね起きる。
「ああ、良いだろう!」
服に土がついているのも気にせず、お兄様がケイン様へ木剣を投擲した。
それをギリギリでケイン様が避ける。
お兄様は避けたケイン様を視界に入れつつ、身体強化で底上げした体で半円を描くように駆け、地面へ落ちた剣を足で引っ掛けて手元へ戻す。
体勢を立て直したケイン様がそこへ剣を振り下ろすも、お兄様は振り向きざまにそれを受け止める。
これまでの生徒の戦い方とは違う。
お兄様が立ち上がる反動を利用してケイン様の剣を押し返す。
一歩、二歩、と後ろへ後退するケイン様へ横からお兄様が回し蹴りを繰り出した。
「うわ、っと」
ガンッと蹴りを止めたケイン様の腕から硬質な音がする。
二人とも、身体強化を能力だけではなく体の丈夫さに割いているらしい。
「おらよっと!」
回し蹴りできたお兄様の足をケイン様が掴んで投げ飛ばす。
お兄様は投げられても平然と空中で二回転して体勢を立て直し、地面へ着地した。
そこからはもう、剣だけでなく足や手が出る、もはや喧嘩に近いものだった。
ルルが「楽しそうですね」と呟く。
観客席の生徒達も最初は「え」という顔をしていたけれど、楽しそうに戦う二人に段々と野次が飛ぶ。
……まるでお祭り騒ぎだ。
二人がガツンと剣をぶつからせる。
「まだ遊ぶか?」
「いや、もう体も解せた!」
お兄様とケイン様が会話をし、距離を置く。
それまでのじゃれ合うような雰囲気が一変した。
お兄様から、またあの『殺気』が感じられる。
ルルの腕が伸びてきて腰を抱かれた。
「いいな」
ケイン様からも少し弱いが殺気を感じる。
あの肌の表面を触れるか触れないかの微妙な距離で撫でられるような、何とも言えない感覚だ。
お兄様が構えを解いた。
だらりと両手を下げて立つ。
「アリスティード」
ケイン様がムッとして呼ぶ。
お兄様がそれに笑った。
「いつでも来い」
それはわたしにとっては見覚えのある、構えとは言えない構えで。
ハッとしてルルを見上げる。
灰色の瞳がお兄様を見つめていた。
「じゃあ行くぜっ!」
ケイン様の声に慌てて顔を向ける。
剣を手に距離を詰めるケイン様。
それに対し、お兄様は何の反応もしない。
このままではやられてしまう。
誰もがそう思った。
わたしとルル以外は。
振り下ろされるケイン様の木剣。
お兄様が腕を上げるのが見えた。
ケイン様の剣の柄の底と、お兄様の剣の柄の底がぶつかったのが分かった。
見えなくても分かる。
カァアアンッと甲高い音がして、続いて、ケイン様の剣が宙を舞う。
「え?」
カラァンッと木剣が地面へ転がった。
お兄様の木剣はケイン様の喉元に突きつけられている。
「残念だが、また私の勝ちだ」
だって、その技はルルの得意なものだから。
ルルが小さく「ふふっ」と笑った。
酷く嬉しそうな声だった。
ルルをもう一度見上げれば、灰色の瞳がお兄様を見て、細められる。
「私の技を盗むとはやりますね」
灰色の瞳の瞳孔が若干開いている。
……あ、これダメなやつだ。
怒っているのではない。
多分、とても、ルルは喜んでいる。
自分の技を盗んだお兄様と戦いたいと思っているに違いない。
わっと歓声が広がる中、わたしは内心でお兄様に両手を合わせて健闘を祈った。
……帰ったら絶対に手合わせしようってなる。
そしてお兄様は容赦なくボコボコにされるんだろうな、という確信に近いものを感じた。
怒ってないけど、愉快でもない。
自分の技を盗まれるなんて、ルルは初めてだったのかもしれない。
とりあえず腕を伸ばしてルルに抱き着く。
「ルル、落ち着いて。……ね?」
灰色の瞳に見下ろされる。
ジッと見上げれば、視線が絡んだ灰色の瞳の瞳孔が段々と元に戻っていく。
ぱちぱちと灰色の瞳が瞬いた。
「……殺気出てました?」
「大丈夫、出てないよ」
もしルルが殺気を放っていたら、周りの生徒達だって気が付いたはずだ。
それがないので、恐らく大丈夫だろう。
ルルにギュッと抱き締められる。
凄く小さな、囁くような声が「盗まれた……」と拗ねたように呟く。
背中を撫でてあげながら返す。
「ルルと鍛錬したんだから、覚えることもあるよ」
「……帰ったら鍛錬再開します」
「ふふ、ほどほどにしてあげてね」
そう言ってもルルは手加減しないだろうけど。
見下ろせば、お兄様とケイン様が握手をしていた。
今回も前回に引き続き、対抗祭と剣武会の優勝をかっさらっていったのはお兄様だった。
そのすぐ後に表彰式があった。
対抗祭と剣武会。
それぞれの成績優秀者に、学院長直々にトロフィーなどが贈られた。
お兄様はどちらも優勝。
対抗祭は二位がエカチェリーナ様。
三位が同率でアンリとロイド様。
剣武会では二位がケイン様。
同率三位がエディタ様とミランダ様。
……ミランダ様も十分凄いと思うのはわたしだけ?
お兄様がどちらも優勝なのは、何かもう、当たり前みたいな感じがしていたが、ミランダ様の文武両道ぶりには驚きだ。
惜しくも三位には入れなかったけれど、ミランダ様だって対抗祭でかなり大健闘していたし、剣武会は三位に食い込んでいる。
……ミランダ様が女子生徒からの人気が高いの、分かる気がするなあ。
そうして対抗祭は七日間の日程を無事終了した。
帰りにお兄様が両方のトロフィーを見せてくれたけれど、本物の純金製だったのには驚かされた。
* * * * *
宮に帰ると、お兄様はルルに引っ張られて半ば無理やり連れて行かれた。
それでも自室の前までルルはついて来てくれた。
その間、王太子であるお兄様の襟首を掴んだままだったのは誰も突っ込めなかった。
……だってルルが笑ってたから。
有無を言わせない笑みってああいうのを言うんだな、と思いながらリニアさん達にお風呂へ入れてもらう。
観戦中は土埃などで汚れがついてしまうのと、どうしても日焼けしてしまうので帰ったらすぐさまお肌の手入れをしたいというリニアさんとメルティさんからのお願いなのだ。
どちらにしてもルルもいないし、お兄様もルルに連れて行かれたので、その間にお風呂に入るのは良い案だった。
入浴して、新しいドレスを着て、部屋でゆっくり紅茶を淹れてもらっているとルルが帰ってきた。
妙にご機嫌だったので、きっと容赦なくお兄様を叩きのめしてきたんだろうなと思った。
当のお兄様は姿が見えない。
「ルル、お疲れ様。お兄様は?」
「動けないって言うから宮に放り投げてきたぁ」
そう言ってソファーへどっかり腰掛けるルルの横顔はどことなくツヤツヤな気がする。
……お兄様もお疲れ様です。
心の中で労いの言葉を投げかけておいた。
ルルがスンと鼻を鳴らす。
「リュシー、良い匂いがするねぇ」
「お風呂入ったから」
「そっかぁ」
よしよしと頭を撫でられる。
お兄様をこてんぱんに叩きのめしたのがよほどスッキリしたらしく、かなり上機嫌だ。
「そうそう、明日、セリエール男爵令嬢に手紙を送ってみるよ」
ルルが「ああ、あれ?」とわたしの肩に腕を回す。
「話し合いなんて出来るのかねぇ?」
「出来るとは言い切れないけど、話してみる」
リニアさん達がそっと部屋を出ていった。
室内に二人きりになったので、ピアスに触れる。
二人で分け合ったこのピアスにこの間、ルルが盗聴防止用の防音結界を付与してくれたのだ。
この魔法が結構便利なのである。
わたし自身は魔法を使えないが、わたしがピアスに触れると発動または解除されるようにルルが設定してくれた。
この魔法があれば会話を周りに聞かれることがない。
ただ、あくまで音を遮断するだけなので、唇の動きで会話を読める人には通じないし、周囲の音をわたしも聞くことが出来なくなるという欠点もある。
「原作のことで訊きたいこともあるし」
「訊きたいことぉ?」
「うん、ルルのルートについて。前にルルが隠しキャラだって言ったよね? でもわたしはファンディスクを買う前に死んじゃったから」
「気になるんだぁ?」
「少しね」
ルルにギュッと抱き締められる。
「なぁんか妬けるなぁ」
ルルの言葉に驚いた。
「え、何が?」
「そのゲームのオレのこと、気になるんでしょぉ? オレであってオレじゃないオレっていう、変な奴。たとえオレでも、オレ以外の男のこと気になるって言われるの嫌だなぁ」
「そっか……」
ルルからしたら自分じゃないって感じなのだろう。
原作のルルがどうなのか知らないけど、最初に出会った頃のルルだとしたら、確かに今のルルとは違う。
「ルルが嫌なら訊かない」
灰色の瞳と目が合った。
「いいのぉ?」
「いいよ。ここにいるルルの気持ちの方が大事。そもそも、ルルのことだから知りたいってだけで、そのルルが嫌だって言うなら無理に知らなくてもいいかな」
どうせ向こうが知っているのはあくまで『原作のルフェーヴル=ニコルソン』なのだ。
ここにいるルルではない、言ってしまえば同姓同名の架空の人物のようなものだ。
今ここにいるルルこそが本物なのだ。
「同じ転生者のよしみで教えてくれたらなって思ったけど、わたしが好きなのはここにいるルルだからね」
もう一度耳に触れる。
「手紙を書いたら、男爵令嬢の机に入れてもらいたいの。……いい?」
「うん、いいよぉ」
多分、わたしの話なんて聞かないだろう。
「ありがとう、ルル」
だからこそ、ここまで来てしまったのだ。
わたしが罠を張ることはお兄様もお父様も、そしてお義姉様達にも話してある。
きっとオリヴィエは食いついてくる。
悪役と関わりを持つにはこれしかない。
物語には悪役が必要だから。




