剣武会(3)
対抗祭最終日、剣武会二日目。
今日は準決勝の三回戦と決勝の四回戦が行われる。
今日も今日とてわたしの横にはルルがいる。
反対の隣にはロイド様だ。
最初の試合はお兄様とミランダ様である。
「どちらが勝つと思います?」
横のロイド様へ問いかける。
ロイド様が苦笑した。
「ミランダって言えたら良かったんだけど、今年も優勝するのはアリスティードじゃないかな」
「どうしてですか?」
「去年よりもずっと強くなってるから」
ロイド様の目からみても明らかに違うようだ。
そうだとすれば、他の人もお兄様が去年よりも確実に強くなったことに気付いているはずだ。
「アリスティードはこの一月、どうやって鍛錬していたの?」
ロイド様の問いにルルを見る。
「お兄様はルルを相手に鍛錬されておりました。でもその内容まではわたしも知りません」
「そうなんだ? だけどニコルソン子爵と鍛錬していたのなら、アリスティードの成長も分かる気がする」
「それはありますね」
思わずロイド様と頷き合う。
ルルは基本的に手加減や容赦がない。
だから騎士達との手合わせもきっちり叩き伏せる。
お兄様との鍛錬も、恐らくだけれど、お兄様を何度も打ちのめしたのではないだろうか。
でもお兄様も負けん気が強いところがあるので、それで心が折れるどころかむしろより一層鍛錬に励んだと思う。
そういう意味では相性が良かったのかもしれない。
誰であろうと手加減しないルル。
手加減されるのが嫌いなお兄様。
闘技場の中にお兄様とミランダ様が現れる。
二人とも、まるで散歩でもするかのような軽い足取りでやって来ると向かい合った。
「互いに全力を尽くそう」
「はい、よろしくお願いいたします」
お兄様とミランダ様が握手をする。
そして離れ、向かい合い、剣を構える。
お兄様もミランダ様も片手で構えているけれど、お兄様は相変わらず利き手ではない左手だ。
試合開始の笛が鳴った。
しかしお兄様もミランダ様も動かない。
そのまま数秒が経過し、動き出したのはミランダ様の方だった。
じりじりと距離を縮めつつ、横へ移動する。
お兄様はただ黙ってミランダ様へ構えている。
「参ります」
ミランダ様が発した。
お兄様が口角を引き上げる。
「来い」
ミランダ様がグッと地面を踏み締め、弾丸のように飛び出した。
わたしの身長よりも開いていたはずの距離があっという間に縮まり、ミランダ様の剣がお兄様へ向かう。
カコォンッと木剣同士がぶつかった。
ガッ、とミランダ様がお兄様を押すように剣を弾き、後方へ下がる。
しかしすぐに体勢を立て直して、左へ左へ蛇行するように動きながらもう一度お兄様へ近付き、剣を振り上げる。
だがそのまま振り下ろさずに剣を突き出した。
……フェイントだ!
お兄様は右足を下げて体を横に向けて避ける。
そうして突き出された剣に自分の剣を滑らせると、上へ振り上げた。
ミランダ様の体が剣ごと上へ放り出される。
しかしミランダ様はひらりとお兄様の後方へ着地した。
「ミランダ嬢、その程度ではないだろう?」
お兄様が振り向く。
それにミランダ様も顔を上げた。
「切り札は最後まで取っておきたかったのですが」
ミランダ様の言葉にお兄様が笑う。
「『全力を尽くそう』と言ったはずだ」
笑っているはずなのに笑っていない。
お兄様の相手をしているわけではないのに、何故だろう、お兄様から圧を感じる気がする。
ミランダ様の表情が一瞬強張った。
「……そうですわね、アリスティード殿下相手に余力を残して戦おうという方が間違っておりましたわ」
「それで良い」
「ですが、それならば殿下こそ全力を尽くすべきではございませんか?」
ミランダ様がチラと左腕を見る。
……ああ、それもそうか。
ミランダ様だって気付いているのだ。
お兄様が利き手ではない方の腕で剣を握っていることに。
お兄様がふっと困ったような顔をする。
「そうしたいんだが、実を言うとまだ利き手は加減が出来ないんだ」
その言葉にミランダ様が怪訝そうな顔をした。
「どういう意味でしょう?」
「そのままだ」
「……では手加減など必要ないと判断していただけるように努力いたします」
ミランダ様が剣を構えた。
そして跳躍するように前方へ飛び出した。
一瞬でお兄様との間合いを詰める。
ガツン、と木剣同士の重い音が闘技場に響く。
一度受け止められてもミランダ様は怯まない。
今度は右下から左上へ向かって振り上げ、お兄様がそれを受け止める。
それでもすぐに剣を弾くとミランダ様は今度は突きを繰り出す。
お兄様が一歩下がって避けた。
ミランダ様はそこへ踏み込み、追撃する。
ミランダ様の素早さを生かした鋭い突きがお兄様を襲った。
だがお兄様は剣でそれらを弾くか、避けるかして、一度たりとも当たることがない。
最後の突きを受けたお兄様が攻勢に出る。
半歩踏み出した。
その構えから攻撃が分かる。
……突きだ!
お兄様の構えに気付いたミランダ様が剣を構えて受ける姿勢を取った。
二人の距離は近過ぎて、たとえバックステップで下がったとしても、リーチのある突きでは避けきれない。
受けるか、受け流すか。
ほんの瞬きの間、お兄様が溜めた。
そしてたった一発、剣を突き出した。
ガキィインッと鈍い音が響き、同時にザザザッと土の上を物が滑る音がする。
お兄様の突きを受けたミランダ様は踏ん張ったものの、突きがあまりに強かったのか、ミランダ様の体は一メートル近く後退していた。
「よく受け切ったな」
お兄様がミランダ様へ言う。
ミランダ様の持っていた木剣は、お兄様の突きを受けた部分が少しへこんでいる。
体勢を立て直したミランダ様の額には僅かに汗が滲むが、ミランダ様は笑った。
「お褒めに与り光栄ですわ」
お兄様が剣を右手に持ち替える。
「あの突きを受けたなら、利き手を使っても大丈夫そうだ。……もし腕を折ってしまったらすまない」
「ここは剣の腕を競う場ですわ。怪我なんてして当たり前でしょう。それに治療してくださる先生方もおりますもの」
ミランダ様が「全力を尽くします」と宣言する。
そして二人がどちらからともなくぶつかった。
一際大きな音が木霊する。
鍔迫り合いになればお兄様の方が強いとミランダ様も理解しているのだろう。
力で押し切ることはなく、何度も剣を合わせる。
立ち止まらずに動きながら剣を振り合う二人はどこか鬼気迫るものがあり、それでいて、とても楽しそうだった。
祝福を受けたお兄様は、もしかして、力を持て余しているのではないだろうか?
身体能力が上がり過ぎて、魔力が上がり過ぎて、周囲の人間より頭一つどころか腕一本分くらい飛び抜けているかもしれない。
そうだとしたら、対抗祭も、剣武会も、お兄様は全力を出し切れないはずだ。
「ルル、鍛錬でお兄様はルルに勝った?」
ルルが答える。
「いいえ、一度も」
「じゃあお兄様と近衛騎士ならどっちが強い?」
「アリスティード殿下の圧勝ですね」
ルルが即答する。
近衛騎士達だって相当に腕が立つ。
その近衛騎士相手にお兄様が圧勝するというのなら、それは、本当のことだろう。
お兄様とミランダ様が打ち合っている。
ミランダ様の速度にお兄様はついて行っている。
いや、それどころか段々と打ち合いが激しくなり、ミランダ様の方が速度で押されてきている。
「もう一度行くぞ」
お兄様が突きの構えを取る。
ミランダ様が受けの構えに入る。
「望むところですわ」
お兄様が嬉しそうに笑った。
そして利き手の突きが繰り出された。
バキィッと派手な音がして、ミランダ様の木剣が折れ、同時にガラスの割れる音が重なった。
威力に耐え切れなかったミランダ様の体が後方へ押し飛ばされる。
ズザァッとミランダ様が地面へ倒れ込んだ。
試合終了を告げる笛の音が闘技場に響く。
「ミランダ!」
静かな闘技場に、慌てて立ち上がったロイド様の声が広がり、その一拍後に歓声に包まれる。
ミランダ様がゆっくりと体を起こした。
だが動くのがつらそうで、待機していた教師達がすぐに駆け寄って治癒魔法をかけるのが見えた。
ミランダ様が顔を上げて、わたし達の方へ大丈夫だと言うように小さく片手を振る。
それにロイド様がホッとした表情をした。
お兄様もミランダ様に歩み寄って、怪我の具合を確認している。
治癒魔法を受けたミランダ様はすぐに立ち上がったので、わたしも一安心した。
「……凄い突きでしたね……」
ミランダ様の持っていた木剣は砕けていた。
いくら木と言っても、使われているものはとても硬くて、しなやかで、そう簡単に砕ける代物ではない。
ロイド様が腰を下ろしながら頷いた。
「……うん、一瞬、ミランダが死んでしまったのではと思ったよ」
あの吹き飛び方と木剣の砕け方を見たら、そう心配してしまうのも分かる。
「もちろん、アリスティードがそんなことをするはずがないって分かってるけど、でも、そう思うくらい、さっきのは凄かった」
ロイド様がどこか呆然と口にする。
わたしはお兄様が祝福を受けたから強くなったと知っているが、ロイド様はそうではない。
それからロイド様がゆっくりルルを見た。
「どのような鍛錬をしたのですか……?」
ルルが灰色の瞳を細めた。
「どうと言われましても、本人がもう良いと言うまで叩きのめしました。殿下は最後まで『やめろ』とおっしゃいませんでしたが」
「お、王太子ですよ?」
「王太子であろうと手加減はしません」
ロイド様がドン引きしてる。
……うん、やっぱりそうだったか。
それにしてもルルってそういうところ、とんでもないと言うか、度胸があると言うか。
普通、一国の王太子を相手に叩きのめす?
きっとお兄様、この一月の間に何度も治癒魔法のお世話になったのだろう。
もし魔法のない世界だったら傷だらけに違いない。
「お兄様ってあんなに戦うの好きでしたっけ?」
「対抗祭が始まってからは鍛錬をしていないので、もしかしたら落ち着かないのかもしれません」
「……あー……」
この一月ルルと全力で戦っていたから、急に力を出さなくなって、ちょっと不満が溜まっていたのかもしれない。
でも今のお兄様はちょっとスッキリした顔だ。
次の試合で相手に大怪我させないといいけど。
そうしてお兄様とミランダ様が下がる。
次の試合はエディタ様とケイン様である。
その二人が闘技場へ現れる。
エディタ様の人気は相変わらず凄くて、観客席からの黄色い声援にエディタ様は真面目に手を振って応えている。
対するケイン様は少し面白くなさそうだ。
「どっちが勝つと思う?」
ロイド様の問いかけに首を傾げる。
「さあ、わたしにも分かりません。ロイド様はどちらが勝つと思いますか?」
「それが分からないんだ。アルヴァーラ侯爵令嬢も、彼も、まだきっと本気で戦っていない」
「だからどちらが勝つか楽しみだよ」と言う。
眼下で二人が互いに騎士の礼を執る。
そして剣を構えた。
エディタ様は片手を拳にして腰の後ろに当て、もう片手で真っ直ぐに剣を構える。
ケイン様は片手を腰の後ろへ回し、もう片手で横向きに剣を構える。
互いの準備が整い、開始の笛が鳴った。
それとほぼ同時にケイン様が駆け出した。
……うわ、速い!
ミランダ様も速かったけれど、ケイン様はまるで風を切って飛ぶ矢のようだ。
ガツンと木剣がぶつかり合う。
エディタ様が半歩下がった。
そしてケイン様を剣ごと弾く。
ケイン様はバックステップで少しだけ距離を置き、剣を構え直す。
「なるほど、君は一撃離脱型か」
エディタ様が剣を構えながら言う。
ケイン様がそれに笑った。
「そうだな、何度も打ち合うのは好きじゃない」
「真っ向勝負が好きそうだ」
「その通り」
言って、またケイン様が駆け出す。
矢のように駆け抜け、力強く木剣を振り、そして弾かれるとあっさり引く。
それを何度か繰り返すとエディタ様が口を開いた。
「君は騎士の戦い方が苦手と見た」
……騎士の戦い方?
「ああ、俺に剣を教えてくれた人が言うところの『実戦向き』の戦い方の方が好きだ」
「そうか、私とは正反対だ」
エディタ様が剣を両手で構えた。
「少し、羨ましい」
それを見たケイン様が笑みを深める。
「そう来なくちゃな」
ケイン様が駆け出した。
低い姿勢から剣を構える。
下から斜めに振り上げるような剣だ。
エディタ様がそれを一歩下がって避け、ケイン様へ突きを入れる。
だがケイン様も腕を振り上げた勢いのままに体を横へ移動させて避けると、腕を後ろ向きに横薙ぎにする。
カァンッとケイン様の木剣がエディタ様の立てた剣によって防がれる。
二人が同時に数歩下がった。
けれども立ち止まることなく互いへ向かう。
ガキィッと木剣が当たり、鍔迫り合う。
「あんた、強いな」
ギリギリと力が拮抗している。
「君もな」
それまで無表情だったエディタ様が薄く微笑んだ。
カァンッと互いに弾き合う。
エディタ様が先に迫った。
振り下ろされた剣をケイン様が左へ受け流す。
剣同士が絡み合うのが見えた。
「あっ?!」
エディタ様がケイン様の剣を弾き上げた。
ケイン様の木剣が宙を舞う。
武器を失ったケイン様へエディタ様の剣が振り下ろされる。
……ケイン様の負けだ。
そう思った瞬間、ガキィンッと硬いもの同士のぶつかり合う音がした。




