公爵令嬢と男爵令嬢(2)
……やっぱり演技でしたのね。
「男爵令嬢よ、エカチェリーナがそなたを虐げたというのは本当か?」
アリスティードが言葉を続ける。
「それが事実であるならば家名にかけて誓えるか? もしも虚言であった場合はそなただけではなく、家にも責任を問うことになる」
「責任……?」
男爵令嬢が不思議そうに顔を上げた。
明らかに思っていたのと違う、という表情だ。
アリスティードが真顔で頷いた。
「もしも虚言であったなら、そなたは家格が上の公爵令嬢を貶め、クリューガー公爵家に楯突いただけではなく、王家が認めた王太子の婚約者を罠にはめようとしたことも罪に問われるだろう。……そうだな?」
振り向いたアリスティードにエカチェリーナは頷いた。
「はい、その通りでございます」
「その場合、男爵家はどうなると思う?」
「未来の王太子妃、そして王妃となる者を陥れようとしたのですから、その者の家は王家に叛意の疑いありと判断されるでしょう。我が公爵家も冤罪を許しはしません。裁判が行われるかと」
「そうだな、王家に叛意があり、王命で決められた婚約を崩そうとしたこと、家格が上の者を貶めようとしたことはどちらも非常に重い罪となる。最悪、家は取り潰され、当人は処刑ということもありえる」
男爵令嬢の表情が強張る。
王家に刃向かうようなものだ。
さすがにそのことについては理解出来るらしい。
自分でやっておきながら、事の重大さを今の今まで分かっていなかったと見える。
アリスティードも若干呆れた雰囲気だ。
「もう一度問う。エカチェリーナがそなたを虐げたというのは事実か?」
男爵令嬢が一瞬唇を噛み締めた。
そして震えながら口を開いた。
「いいえ、その、私の……勘違いです……」
「申し訳ありません……」と男爵令嬢がエカチェリーナへ頭を下げるが、その手が強く握り締められていた。
「分かっていただけて良かったですわ」
「ああ、王家としても一つの家を断絶させたり、若い子女を処刑するのは望むところではない。この件は学院側にも伝える。恐らく騒ぎを起こした罰として数日の謹慎が与えられるだろう。以後、気を付けるように」
アリスティードの言葉に男爵令嬢が頭を上げ、俯いたまま「……はい」と返事をした。
それに満足するとアリスティードはエカチェリーナに腕を差し出した。
エカチェリーナはそこに手を添える。
アリスティードにエスコートされながらエカチェリーナは第一校舎へ戻りつつ、チラと振り返る。
俯き加減だったけれど、男爵令嬢と目が合った。
新緑の瞳がギラリと睨み付けてくる。
……あれは反省していないわね。
エカチェリーナは内心で溜め息を吐いた。
* * * * *
「え、そんなことがあったのですか?」
学院から帰る馬車の中でお兄様が教えてくれた。
どうやら学院が始まってから、オリヴィエは行動を起こしていたらしい。
わたしは気付かなかったけれど、最初の一週間、オリヴィエはわたしとお兄様の行動を監視するように第二校舎を見ていたそうだ。
お兄様だけでなくルルもそれは分かっていたようで「確かに登下校と昼休みなんかはずっと見られてたねぇ」とのことだった。
ただ見るだけで実害はなかった。
お兄様もわたしも王太子と王女という立場上目立つし、人に見られることが多いため、視線をあまり気にすることはない。
オリヴィエは一週間ほどそれを続けた。
その後、何を考えたのか、お義姉様に標的を変更して、自ら近付いていった。
最初は登校時に後ろから近付いて行って、お義姉様の目の前で転ぶというものだった。
それからはお義姉様を見かけると怯えて見せたり、カフェテリアでわざと足を引っ掛けて転んで見せたりといった行動を始めたそうだ。
そのせいでお義姉様がオリヴィエを虐めているのではないかという噂が立っているらしい。
ただそれはお義姉様やクリューガー公爵家を良く思わない者達が口にしてるようだ。
さすがに噂まで立てられて黙っているわけにはいかず、お義姉様はオリヴィエを呼び出して注意しようとした。
しかしオリヴィエと会話が噛み合わず、オリヴィエが泣いて騒いだことで、目立ってしまったという。
「あのままではエカチェリーナに非があると思われかねなかったから、私が割って入った」
お義姉様が近付いたり声をかけようとしたりすると、男爵令嬢が大声であれこれと騒ぎ、何もしなければ泣いている人間を放置する冷たい者だと、もしかしたら本当に虐めているのではと言われてしまう。
そこでお兄様が助けに入った。
……きっとオリヴィエは喜んだでしょうね。
その話を聞いて、わたしはすぐにピンと来た。
原作では悪役だったリュシエンヌが虐めを行わず、悪評を広めることも失敗したから、今度はお兄様の婚約者であるお義姉様を悪役に仕立てあげようとしたのだろう。
原作では攻略対象の婚約者達も虐めに加担していた。
だからお兄様の婚約者のお義姉様なら、悪役に仕立て上げられると思ったに違いない。
けれども、それは失敗した。
「アレはずる賢い。何も知らない者が見れば、エカチェリーナが男爵令嬢を虐めているように見えただろう」
原作のように攻略対象と悪役が不仲であるならばまだしも、お兄様とお義姉様は仲が良い。
お兄様はお義姉様の性格を理解しているし、お義姉様もお兄様の性格を理解していて、二人の普段の気安い姿からもそれは分かる。
「エカチェリーナはあの外見から誤解されることもあるが、比較的寛容な性格だし、虐めなどという卑劣な行為は好まない。今回も一対一で話をするために呼び出したそうだ」
お義姉様の周りにはいつも人がいる。
もしも彼ら彼女らを引き連れていけば、多勢に無勢となってしまうだろう。
お義姉様はそれを避けるために一人で行ったのだ。
「私が来たことを男爵令嬢は喜んでいたみたいだが、王太子の婚約者の公爵令嬢に喧嘩を売るとどういうことになるのか説明してやったら引き下がった。だがエカチェリーナを睨んでいた様子からして反省はしていないと思う」
「お兄様が直々に説明を?」
「ああ、エカチェリーナの言葉では聞かなさそうだったし、エカチェリーナが言った場合は脅しと取られることもあるからな」
なるほど、と納得した。
……まあでも、普通の貴族達はまさか男爵令嬢が公爵令嬢に喧嘩を売るとは思わないよね。
貴族は身分に厳しい。
今の風潮で多少は寛容になっているけれど、だからといって何でも許されるとは限らない。
基本的には上の身分の者の方が立場が強い。
もしも相手がお義姉様でなく、他の貴族のご令嬢であったなら、オリヴィエを含むセリエール男爵家は即座にやり返されて大騒ぎになっただろう。
「お義姉様は大丈夫なのですか? 男爵令嬢に陥れられそうになって、さぞ驚いたことでしょう……」
オリヴィエと話して、罠にはめられかけて、お義姉様が傷付いていないか心配だ。
「それは問題なさそうだ。本人も『以前よりも話が通じなくて驚いたけれど、これくらいで傷付くほど自分は繊細でもない』と胸を張っていたしな」
そう言ってお兄様が思い出し笑いをしていたので、きっと、お義姉様は堂々としていたに違いない。
お義姉様のその強い部分が素敵だなと思う。
「でも、お兄様、もしよろしければ、しばらくの間はお義姉様のお傍にいて差し上げてください。また男爵令嬢が絡んできたら心配です。それに本人が気付かなくても傷付いているということもありますから」
お兄様が傍にいれば、お義姉様もきっと心強いはずだ。
「そうだな、しばらく昼休みはエカチェリーナの方についていよう」
「ええ、是非そうしてください。お兄様がお義姉様の傍にいてくだされば心強いです」
「その間、リュシエンヌは自分用の休憩室でルフェーヴルと昼食を摂ってくれるか? 何ならこちらに来ても構わないが……」
思わず苦笑してしまった。
「いえ、わたしまで行くと目立ちすぎてしまうので休憩室でルルと過ごすことにします」
それに、わたし抜きで過ごす時間を作るべきだ。
前から思っていたが、お兄様もお義姉様も、わたしばかりを構って、わたしがいると二人共、わたしを挟んでのやり取りが多いのだ。
そのこと自体は嬉しいが、婚約者同士なのだから、もっと二人の時間も大切にして欲しい。
……わたしもそろそろ家族離れしないとね。
この間の旅行でそれを実感した。
わたしの世界の中心はルルで、ルルがいれば十分だけれど、お兄様やお父様もわたしの世界にいて。
たった数日なのに不安や寂しさが募った。
これからは離れることに慣れていく必要がある。
「そうか、分かった」
お兄様はすんなり引いてくれた。
わたしとルルが婚姻して、お兄様にも変化があった。
相変わらずわたしを大事にしてくるし、妹として非常に可愛がってくれるけれど、以前よりも少しそれの度合いが落ち着いたというか、こんな風にあっさり引いてくれることが増えた。
何というか、そう、以前は横でルルと一緒に過保護に守ってくれていたのが、今は少し離れて見守ってくれるようになった。
わたしとルルの時間を尊重してくれている。
「しかし、何故急にエカチェリーナに喧嘩なんて売ろうとしたのか……」
お兄様が不可解そうに眉を寄せる。
「恐らく男爵令嬢はわたしではなくお義姉様を悪役にしようとしたのではないでしょうか? あの『夢』では、男爵令嬢を虐めていたのはわたしでしたが、わたしが虐めないから、お義姉様を悪役に置き換えようとしたのかもしれません」
「その可能性はあるな。……だとすると、ロイドやアンリの婚約者達にも注意を促しておいた方が良いかもしれない。一応格上の家の者に喧嘩を売ればどうなるか説明したが、本当に理解しているか怪しいしな。今回の件でクリューガー公爵が黙っているとは思えん」
……理解してないかもなあ。
それと、オーリから手紙が来ないのが気になるところだ。
やはり両親との問題で精神的に負担がかかってしまったのかもしれない。
オーリもオリヴィエも、精神的に疲弊するともう片方に主導権が移るようなので、今はオリヴィエに完全に主導権があるのだろう。
……父親も母親も自分の話を聞いてくれないなんて、子供だったらとても傷付く。
しかもオーリは覚悟を決めていたはずだ。
それなのに話を聞くどころか、父親には怒鳴られ、母親には平手で頬を打たれたのだ。
その時のオーリの気持ちを思うと悲しくなる。
「あの魔法のためにもっと魔法を勉強して、一日でも早く完成させます」
そうしてオーリを助けなければ。
意気込むわたしにお兄様も「頑張れ」と言ってくれた。
それまで黙っていたルルが「オレも手伝うよぉ」と手を握ってくれたので、握り返す。
……負けないで、オーリ。
それとわたしは怒ってもいた。
お義姉様を悪役に仕立てあげようとしたこと。
もし原作のリュシエンヌの道をお義姉様に歩ませようとしたのなら、リュシエンヌがどんな末路を辿るか彼女だって知っているはずだ。
お義姉様にあんな酷い道を押し付けようとしたオリヴィエの行動に腹が立つ。
わたしに手を出すなら構わないが、周りの人を巻き込むのは許せない。
……オリヴィエの思い通りになんてさせない。
「対抗祭が終わったら、オリヴィエ=セリエールに接触してみます」
「それは……」
「もしわたしを悪役に仕立てあげようとしたら、今度こそ、彼女を罪に問えますから」
……その時は、容赦しない。
* * * * *
オリヴィエは帰りの馬車の中で考える。
今回の計画は失敗したが、それでも構わなかった。
何故ならアリスティードを引っ張り出すことに成功したからだ。
縁を繋ぐことは出来なくても、アリスティードの周囲の人間をつつけば、彼が出てくる。
「今度はリュシエンヌにすればいいのよ」
今回、オリヴィエの『虐められっ子作戦』がそれなりに通じることが分かった。
今回はオリヴィエが焦ってしまったのも悪い。
もっと噂が広まってから騒ぎを起こした方が効果的だっただろう。
思ったよりも目立ちすぎてしまった。
学院の卒業パーティーまではまだ半年ある。
その間に、今度はリュシエンヌに虐められる可哀想なオリヴィエになれば良い。
「理由は……。そうね、わたしの勘違いを根に持ったアリスティードの婚約者がリュシエンヌにわたしの悪口を吹き込んで、それを信じたリュシエンヌにわたしが虐められているっていうのはどうかしら?」
今回の失敗もこれなら役に立つ。
むしろ、アリスティードの婚約者との間に確執があった方が、よりこの虐められる理由に真実味が出るかもしれない。
原作でもリュシエンヌは攻略対象の婚約者達と共にヒロインを虐めていた。
噂で聞くところによると、この世界のリュシエンヌも攻略対象の婚約者達と仲が良いらしい。
……もしかしたら本当に虐めてくるかも?
それならオリヴィエにとっては渡りに船だ。
「あの女だけは絶対にバッドエンドにしなくちゃ」
そうしなければ愛する彼は手に入らない。
オリヴィエは知らなかった。
リュシエンヌとルフェーヴルの婚姻が王命によって、解消も破棄も出来ないことを。
自分が常に闇ギルドの者に見張られていることを。
彼女が愛する彼には最愛の人が既にいることを。
オリヴィエは気付けなかった。




