祝福
あっという間に数日が過ぎ。
ついに明日、わたしとルルの婚姻が承認される。
そうなればわたし達は晴れて夫婦となるのだ。
お父様の話では既に婚姻届に国王陛下のサインと玉璽を捺してあるため、日付が変われば婚姻は成立する。
この二週間近く、毎日明日のためにピカピカに磨き上げられた。
恐らくわたし史上、最も美しいだろう。
サラッサラの髪ももちもちツヤツヤの肌も、我が身のことながら非常に触り心地が良い。
毎日触っているルルは余計に違いが分かるのか、夜になると、手や頬、髪などによく触れたがる。
今日に至ってはベッドに腰掛けて、わたしを後ろから抱き締めている。
……ちょっと背中が硬いけどね。
今なら、この硬さが仕込んだナイフなのだと理解出来るが、常に装備を外さないのは職業柄なのだろう。
ルルがつけていたいならそれでいい。
「もうちょっとだねぇ」
ルルが置き時計を見ながら言う。
「うん」
わたしも大きく頷いた。
今日だけはリニアさんもメルティさんも何も言わずに、ルルとわたしを二人きりにしてくれた。
「十一年、経っちゃうね」
「経つねぇ。色々あったけどぉ、結構面白かったしぃ、あっという間だった気がするよぉ」
ルルがクスクスと笑う。
何を思い出して笑っているのかは知らないが、ルルが楽しそうで何よりである。
……十一年。長い時間だ。
その十一年をルルは全てわたしに捧げてくれた。
そして今度はわたしが、自分の人生をルルに捧げる番が来る。
でもそれはルルだって同じである。
ルルもわたしに人生を差し出してくれる。
「特に十二歳になってからは毎日凄く早かったなあ」
「王族としての公務があるからねぇ」
「そっか、そういうのも、そう感じる理由の一つかも?」
この人がわたしのものになって。
わたしがこの人のものになる。
この十一年はそのための準備期間だ。
……ルルが他の人を見ないでくれて良かった。
もしもルルが他の人に心変わりしたら、きっとわたしは耐えられないだろう。
「ずっと好きでいてくれてありがとう、ルル」
向きを変えてルルに抱き着く。
「リュシーもずっとオレを好きでいてくれてありがとぉ」
ギュッと抱き返される。
思えば色んなことがあった。
後宮で初めてルルに出会った。
手当てしてもらったり、薬や食べ物をもらったり、長くつらい時期だったけれど、ルルに出会えたことは幸運だった。
ファイエット邸に来てルルと一緒の生活が始まった。
朝起きるとそこにいて、一日の大半は傍にいてくれて、何でも一緒に経験して、夜は眠るまで見守ってくれていて。
……誘拐された時もいたんだよね。
思い出すとおかしくて笑ってしまう。
ルルが「ん〜?」とわたしの顔を覗き込む。
「どうかしたぁ?」
見上げれば灰色の瞳がわたしを見つめる。
「昔、教会派の貴族に誘拐されたことがあったでしょ? あの時、ルルも一緒にいて、誘拐されたのに全然怖くなかったなって思い出したら何だかおかしくって」
「ああ〜、あれねぇ」
ルルもおかしそうに笑った。
「ちょっとした冒険みたいだったでしょぉ?」
「うん」
「オレが傍にいるんだからぁ、リュシーに怖い思いをさせるような状況にはさすがにさせないよぉ。でも昔っからリュシーはあんまりそういうのに怖がらなかったよねぇ?」
「まあ、後宮でのことがあったから」
旧王家の、元王妃やその子供達から受けた虐待を思えば、大抵のことは受け流せる。
誘拐された時だって袋の生地が粗くて痛いとは思ったけれど、それ以外は特に何ともなかった。
ルルがいる安心感も強かったのもあるが。
「リュシーは大きな音とか、大声とか、女の怒った時の甲高い声は苦手だもんねぇ」
十一年経った今でも引きずっている部分もある。
ルルが言ったように、大きな音や怒鳴り声、女性のヒステリックな声なんかは聞くと体が強張る。
お父様もお兄様も、もちろんルルも、穏やかな方なのでそういうのはない。
もしかしたら気遣ってくれていたのかもしれないけれど、とにかく、わたしの周りにはそのような人達はいなかった。
元々、貴族は体面を気にするので、そこまで感情的に振る舞う人の方が少ないだろう。
「どうしても克服出来ないんだよね」
「しなくて良いんじゃない〜? 王女サマに怒鳴りつけるような奴なんていないしぃ、オレと結婚したらそんな奴絶対に雇わないしぃ、無理に克服しなくても大丈夫だよぉ」
よしよしと頭を撫でられる。
「そうかなあ」
「そうそう〜、気にしなくていいよぉ」
ルルに言われると、そうかもなと思ってしまう。
正直、自分で何とかしたいと考えていても体が反射的に強張ってしまうのだ。
これが刷り込みというものなのだろう。
分かっていても簡単には治せない。
「リュシーを怒鳴るような奴がいたら、オレが直々に『分からせて』あげるからさぁ」
それはそれで不穏である。
「無理しないでね? もしそういう人がいても、爵位が上だったりしたらルルの方が悪くされちゃう」
「その時は王サマと王太子サマにちゃぁんと説明して、どっちが悪いか判断してもらうよぉ」
……お父様とお兄様に……。
「ふふ、それは不公平だよ」
お父様とお兄様なら、わたしに怒鳴りつけた貴族の方が悪いと言いかねない。
と言うか、十中八九そうなるだろう。
ルルも笑った。
「不公平でいいんだよぉ。だって王女サマを怒鳴りつけるなんて不敬なんだからぁ、普通に考えてダメだよぉ」
「……確かに」
よほどの理由がなければ王族を怒鳴りつけるなんてしないだろうし、それが許されるとは思えない。
一応、貴族も王族も寛容な態度が好まれる風潮だけれど、常にそうというわけではない。
貴族には貴族の、王族には王族の身分がある。
寛容だからと言って不敬は不敬だ。
「前から思ってたけどぉ、リュシーって王女サマって感じあんまりないよねぇ」
頬に手を当てられて、目元を親指の腹で撫でられる。
「うん、自分でも疑問は感じてる」
根本の問題なのだろうが、王女としてお披露目されてから四年、いまだに王女という自覚は薄い。
王族としての振る舞いや公務、考え方はあっても、自分が王女だということを忘れてしまいそうになる時がある。
前世の記憶もあって、旧王家の王女と言っても扱いがアレだったし、今の王家も養子だし、やはり子供の頃の記憶が根強く残っている。
あんな貧乏通り越した暮らしをしていて、王女でしたとか言われても全然実感がなかった。
現在も実感がないのは、あまりにその時の記憶と落差が激しくて、ちょっと現実味がないのかもしれない。
……こんなに愛してくれる人もいるしね。
「そこがリュシーらしいかなぁ」
「わたしらしい?」
「そぉ、王女になっても傲慢じゃなくてぇ、誰に対しても優しくてぇ、良い子?」
褒めるようにまた頭を撫でられる。
「わたしが優しいとしたら、それは周りの人がわたしに優しくしてくれるからだよ。優しくしてもらえたから同じだけ返したいって思うの。単純でしょ?」
わたしは結構単純な人間だ。
優しくされたら同じように優しくしたい。
冷たくされたら近付かない。
ただそれだけのことなのだ。
わたしが優しいとしたら、それは、周りの人が沢山優しくしてくれたからだ。
誰かに優しくするというのは、自分が経験しないと出来ないものだとわたしは思う。
だからわたしの優しさは、ルルやお兄様、お父様、リニアさんやメルティさんなどのファイエット邸のみんな、お義姉様達など多くの人から受け継いだもの。
「単純かもしれないけど、それを実践出来る人間って少ないよぉ」
「だから良い子」とルルは言う。
ルルに褒められるなら悪い気はしない。
ふと何かに気付いた様子でルルが「あ」と声を上げ、少し体を離した。
「指輪貸して」
言われた通りに指輪を外して渡す。
それを受け取ったルルが魔法の詠唱を呟く。
非常に長い詠唱だった。
何とか聞き取れた感じからして防御系の、恐らく、結界魔法に近いものだと思われる。
長い長い詠唱は、それだけ強い効力の魔法か、重ねがけの魔法か、またはその両方かだ。
指輪が強く輝き、ルルの唱えた複雑な魔法式が三つほど浮かび上がり、指輪に吸収されていった。
…………とんでもない魔法入れなかった?
チラッと見えた魔法式、一つ一つが物凄く難解な組み合わせをされていた。
自分でも結構な魔法馬鹿と自覚のあるわたしですら、すぐに読み解くことが出来なかった。
そしてルルはまた同じ魔法を口にする。
長い詠唱が聞こえ、そして魔法式が現れて、今度は手袋を外して取ったルルの指輪に吸収された。
「知ってた? この指輪、魔鉱だけじゃなくて、魔石も砕いて混ぜてあるんだよ。しかも結構な量。だから魔法もかなり付与出来る」
ルルが酷く真剣な表情で言う。
そうなのか、と納得する。
あんな難解な魔法、魔石と魔鉱の両方を使ったものでなければ耐え切れないだろう。
そしてあの魔法式を吸収して何ともないということは、かなり高品質で、当然かなり値の張るものに違いない。
ルルがクルクルと手の中で二つの指輪を転がして何やら確認すると、わたしを見た。
「女神の御名に誓い、ルフェーヴル=ニコルソンはリュシエンヌ=ラ・ファイエットを永遠に愛し、守護し、この命が尽きるまで、この身を捧げると誓う」
わたしの左手を取り、ルルが薬指に指輪をはめた。
そしてそこに口付けられる。
灰色の瞳がわたしを見て、指輪が差し出された。
そしてわたしはそれを受け取った。
「……女神の御名に誓い、リュシエンヌ=ラ・ファイエットはリュシエンヌ=ニコルソンと名を改め、ルフェーヴル=ニコルソンを永遠に愛し、心は常に傍にあり、この命が尽きるまで、この身を捧げると誓います」
ルルの左手を取り、薬指に指輪をはめる。
見上げれば、嬉しそうに灰色の瞳が細められる。
「愛してるよ、リュシー」
「愛してるよ、ルル」
わたし達の言葉が重なった。
近付いてくるルルの顔に目を閉じる。
唇に、柔らかくて、少し冷たい感触が触れた。
そっと腕を回せば抱き返される。
閉じた瞼越しに光を感じて思わず目を開ける。
すると、間近にあるルルの顔の向こうでカラフルな花びらが散っているのが見えた。
ルルの灰色の瞳も見開かれている。
ちゅ、と唇が離れた。
抱き締め合ったまま見上げれば、色とりどりの花びらが頭上から現れてわたし達の周りに降り注ぎ、床やベッドに落ちると空気に溶けて消えていく。
互いを見れば真っ白な光に薄っすらと包まれていた。
……まるで、祝福されているみたい……。
はらはらと散る花びらと虹色に輝く光の粒はあまりにも綺麗で、儚げで、この世のものとは思えないほどに美しかった。
気付けば涙がこぼれ落ちていた。
この光には覚えがある。
十歳の洗礼の日に感じた温もりだ。
不意に見えない腕に抱き締められる。
ルルの体がビクリと震えたので、大丈夫だとルルの背中を撫でれば、珍しく体を強張らせたルルがわたしを見た。
「大丈夫、これは女神様だよ」
ルルがぽかんとわたしを見て、上を見て、またわたしを見下ろした。
「……祝福?」
「多分」
わたしは上を見上げた。
抱き締める腕の感触はまだ続いている。
見上げた顔に花びらがふわふわと触れては消え、優しく撫でられているような感じがした。
「祝福してくださりありがとうございます、女神様」
こんなに祝福していただけて幸せです。
感謝の気持ちを精一杯込めて祈りを捧げる。
祈り始めたわたしにルルも真似するように祈りを捧げ、二人分の祈りが天に届くように願う。
するとゆっくり花びらと光の粒が減り、やがて、最後の花びらが溶けて消えると、体の発光も収まった。
ルルがふっと目を開けると片手を握る。
「なんか、物凄く体が軽い。それに魔力量も増えてるような……?」
呆然とそう呟いた。
「もしかしてリュシーの加護の影響?」
「かもしれないね」
「……」
ルルがわたしの指輪に触れる。
指輪が一瞬温かくなった。
「え、すご、一瞬で魔力充填終わった」
こんなに驚くルルは珍しい。
ぽかんとしてるのかわいい。
「ねえ、何の魔法を付与したの?」
ルルがハッと我に返る。
「物理防御と魔法防御、あと状態異常無効化」
「え」
……待って、それって国宝級じゃない?
付与するだけでもかなりの魔力を消費したはずだ。
「ルル、大丈夫?! 魔力足りなくなってない?! 気持ち悪いとか眠いとかなってない?!!」
慌ててルルの顔に触れる。
しかしルルの顔は健康そうで、お肌の調子もむしろ凄く良さそうだった。
ルルが「うん」と頷く。
「さっき二人分やってちょ〜っとギリギリだったけど、祝福受けたら魔力、全部戻ったみたい。それどころか物凄く増えてる。前の倍以上ある」
「そうなの? ……良かった……」
その言葉に安堵した。
「でもオレの魔力量と、多分身体能力も上げてくれたってことは、それでリュシーを守れってことだよね?」
「そう、なのかな?」
「オレはそう思う」
ルルが真顔で言う。
そうなのかな、と考えて視界の隅に入った置き時計に気付く。
日付けが変わり、五分ほどが経っていた。
わたしの視線を辿ったルルも気付く。
「女神サマにも祝福されちゃったね、オレの奥さん」
照れたように笑うルルにわたしも笑う。
「女神様公認の夫婦になったね、わたしの旦那様」
きっと、わたし達は離れ離れになんてならない。
だって女神様が祝福してくれたのだから。
「みんなには秘密で。あ、でも王サマとアリスティードには話しておく?」
「うん、その方がいいと思う」
「分かったぁ」
わたし達は女神の祝福という予想外のプレゼントをもらったのだった。
……本当にありがとうございます。
ルルの身体能力と魔力を上げてくれて。
これならルルはそう簡単には死なないだろう。
それが最高の贈り物である。




