帰還(1)
そしてついに王都へ帰る日になった。
お城を色々と案内してくれたルイジェルノ様も、この五日間であちこちに連れて行ってくれたエカチェリーナ様も、とても残念そうな顔をした。
わたしも二人と別れるのは少し寂しい。
特にルイジェルノ様は王都に来ることがあまりないようなので、次に会えるのはもしかしたらわたしの結婚式かもしれないのだ。
そう思うと別れが惜しくなる。
エカチェリーナ様はまた数日もすれば会えるだろう。
本人も領地での用事が済んだら王都へ戻ると言っており、ルイジェルノ様が羨ましがっていた。
午前中はエルネティア様をあわせて四人でお話をしながら過ごさせてもらった。
エルネティア様は領地経営もしていて忙しいだろうに、時間を取ってくれて、感謝の気持ちでいっぱいだった。
あまり顔を合わせることはなかったけれど、話す時はいつも穏やかで優しく、わたしが過ごしやすいように見えないところで色々と配慮してくれたのだ。
「もう帰らなきゃいけないんだね」
ルルに膝枕をしながら窓の外を眺める。
窓辺に移動してもらったソファーから、ウィルビレン湖が見えた。
美しいサファイアブルーがここからでも望める。
「帰りたくなぁい?」
ルルの問いに苦笑が漏れる。
「ちょっとね。凄く楽しかったし、まだまだ見たいところも沢山あったし。でも、お父様やお兄様達にも早く会いたいって気持ちもあるの」
「お土産も早く渡したいんでしょぉ?」
「ふふ、うん、そうだね」
初めての旅行で買った初めてのお土産だから。
……喜んでくれるかな?
お父様とお兄様ならどんなものでも喜んでくれそうだけれど、出来れば、きちんと使えるもので喜んで欲しい。
二人とも華美さよりも実益を優先するので、ただ飾るだけのものばかりでは意味がない。
……まあ、湖では置物を買っちゃったけど。
家族三人でお揃いで部屋に置こうと言えば飾ってくれるだろうか。
「それにメルティさんにも会いたい」
五歳の頃から仕えてくれている彼女はわたしにとっては姉のような存在だ。
エカチェリーナ様がお姉様だとしたら、メルティさんはお姉ちゃんといった感じである。
「ミランダ様やハーシア様ともお茶会がしたい」
「でも」と言葉を続ける。
「ここを離れ難く感じるのはどうしてかなあ」
たった五日間しか過ごしていないのに。
「それだけ居心地が良かったってことだねぇ」
ルルがわたしの髪の毛先を指で弄ぶ。
「オレとしてもぉ、ここでの五日間は結構楽しかったかなぁ。特に最終日のデートは良かったねぇ」
本屋を見た後に近くの広場の噴水まで腕を組んで歩いたりもして、とても楽しいデートになった。
エスコートされるのと腕を組むのとではかなり違う。
恋人同士のように腕を組んで、歩きながら眺めた街並みは本当に可愛くて素敵だった。
王都ではお忍びと言ってもあんな風には出来ない。
王女の顔を知らない人の多い場所だからこそ出来たのである。
「それに王城に戻ったら『距離が近過ぎる』とか『結婚するまでは〜』とか王サマがうるさいしぃ?」
「この前は怒られちゃったよね」
「ちょ〜っと一緒に寝たくらいで大騒ぎだもんねぇ」
二人で思い出して笑ってしまった。
お父様からは注意されて、お兄様にも微妙な顔をされて、リニアさんとメルティさんには呆れた顔をされたっけ。
……同衾自体ダメなのは分かってるけど。
ルルの体温を感じながらだとよく眠れるのだ。
「まあ、結婚後の楽しみに取っておこうよぉ。どうせもうあと一月もしたらリュシーも十六になって婚姻届が受理されるんだしぃ?」
ルルの言葉に頷いた。
「もう、あと半年くらいなんだね」
お父様やお兄様と一緒に過ごせるのも。
みんなと離れるのは少し寂しいけれど、同時にルルとの新生活への期待もある。
わたし達には収入がある。
結婚後、わたしは鉱山の一つをもらえるし、これまで生み出した魔法の報奨金もまだ手をつけていないし、わたしの勉強ノートも参考書として売られることになっている。そのお金もしばらくは入るだろう。
ルルもある程度はお金を貯めてくれているようだし、金銭的な問題は焦る必要がないと思う。
半年後、学院を卒業したらルルと式を挙げる。
場所は王都で最も大きな教会、洗礼を受けた、あの場所で挙げることが決まっている。
ドレスはお父様が少し待てと言うので待っている。
会場の飾り付けも、ドレスも、全ては王家主導で行われる。
わたしは招待状を書いたり、先に届くだろうお祝いの品の目録を見て、お返しを考えたり。
「式は半年後だけどぉ、あと一月でリュシーはオレの奥さんだねぇ」
ルルの灰色の瞳が煌めいた。
「うん、そうしたらお父様はそこまでうるさく言わなくなると思うけど」
「どうかなぁ、式を挙げるまでは色々禁止だ〜って言いそうな気がするよぉ。でも後二年は色々我慢するけどねぇ」
「そうなの?」
……色々って、あれとかこれとかの色々だよね?
それがちょっと意外で聞き返す。
「体格差もあるからさぁ、リュシーが十八になるまで待ってからの方が体に負担がかからないかなぁってぇ。それに結婚しちゃえば急ぐ必要もないしねぇ」
伸ばされた手が頬に触れる。
「ルルはつらくないの?」
「ぜ〜んぜぇん? リュシーが傍にいてぇ、こうやって触れ合ってるだけでも十分満足してるよぉ。だからまだまだ待てるねぇ」
わたしのためを思って言ってくれているだろう。
それが嬉しかった。
「ありがとうルル。後二年、頑張って成長するね」
ルルの額にキスをすると、くすぐったそうに灰色の瞳が細められた。
そうしてお昼過ぎ頃。
出立の準備を終えて自室にいるとお兄様が到着したと使用人が伝えに来て、わたしはルルと共にお城の正面玄関へ向かった。
既に馬車も用意してあり、リニアさん達侍女が荷物を積み込んでくれて、後はわたしが迎えに来たお兄様の馬車に乗って行くだけとなっている。
五日も顔を合わせなかったお兄様だが、出迎えに行くと、いつもと変わらない笑みで振り返った。
「ああ、リュシエンヌ、五日ぶりだな」
何とも言えない気持ちが湧き上がってくる。
「お兄様っ」
思わず早足で近寄り、お兄様に抱き着いた。
ちょっと勢いがあったけれど、しっかりと受け止めつつ、お兄様の笑い声がする。
「何だ、この五日で甘えん坊になったな」
頭を撫でられて体を離す。
「お兄様と会えなくて寂しかったです」
「ははは、それに今日は随分と素直だ。良い子にしていたか? 私がいなくて泣かなかったか?」
また、よしよしと頭を撫でられる。
「そこまで子供ではありません。でもクリューガー公爵家の皆様が良くしてくださったおかげで、寂しくも楽しい五日間でした」
「そうか、後で話して聞かせてくれるか?」
「もちろんです」
わたしとお兄様の会話が止まったところで、エカチェリーナ様達が近付いてくる。
エカチェリーナ様、ルイジェルノ様、エルネティア様、そして使用人達などが揃って礼を執る。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
お兄様が頷き、手を上げた。
「頭を上げてくれ。この五日間、妹が世話になった。この様子だととても楽しい時間を過ごせたのだろう」
お兄様の視線に大きく頷き返す。
顔を上げたエルネティア様が微笑んだ。
「勿体ないお言葉でございます。エカチェリーナとルイジェルノ、そして私も短い間でしたが王女殿下と楽しい時間を過ごさせていただきました」
「ああ、本当にありがとう」
それからお兄様がエカチェリーナ様とルイジェルノ様を見た。
「エカチェリーナ、ルイジェルノ、この五日間リュシエンヌの相手をしてくれてありがとう」
「エカチェリーナ様には街を、ルイジェルノ様にはお城の中を案内していただきました。とても楽しくて、面白くて、心地の良い五日間でした」
お兄様とわたしの言葉に二人が嬉しそうに笑う。
姉弟だけあって、よく似ている。
「わたくしもとても楽しい一時でしたわ」
「リュシエンヌ様と城内を回れて楽しかったです」
ルイジェルノ様は分かっているのだろうか。
次にわたしと会える時がいつになるのか。
その後、わたしがどうなるのか。
またお会いしたいですと言わないところに気遣いが感じられて、ホッとする。
わたし自身ですら次の機会があるのかすら分からない。
だからその言葉はない方がありがたいのだ。
「この五日間のこと、わたしは絶対に忘れません」
きっと、ルルと結婚した後も思い出す。
エカチェリーナ様とルルと街を回ったこと。
ルイジェルノ様と城内を歩いたこと。
エルネティア様の配慮で心地好く過ごせたこと。
三人の笑顔をわたしは忘れない。
「名残惜しいがそろそろ行こう」というお兄様の言葉に頷いた。
出立が遅れると、王城に帰る時間も遅くなる。
そうなればお父様も心配するだろう。
今回はここで休憩を挟んでいかないらしい。
「本当にありがとうございました。初めて王都を出て訪れたのがこちらで良かったです。素敵な街に、ここに住む素晴らしい人々に、出会えて楽しかったです」
エカチェリーナ様に手を取られる。
「リュシエンヌ様、また夏期休暇中にお会いいたしましょう」
「ええ、王城に戻りましたら、お手紙を書きますね」
そしてエカチェリーナ様がお兄様を見る。
お兄様は何か心得た様子で頷いた。
「エカチェリーナ、それではまた後日会おう」
「はい、お二方とも道中お気を付けて」
「クリューガー公爵夫人とルイジェルノも、今後の活躍に期待している。これからもクリューガー公爵領を盛り立てていってくれ」
エルネティア様とルイジェルノ様が頷いた。
わたしは名残惜しく思いながらも馬車へ乗り込む。
そこにお兄様とルルとミハイル先生が乗り、扉が閉まる。
窓から顔を出して、声をかけた。
「エルネティア様、ルイジェルノ様、どうぞお元気で」
エルネティア様が微笑んだ。
「王女殿下もお健やかにお過ごしください」
「僕もお手紙を書きます」
「はい、わたしもお返事を書きますね」
馬車がゆっくりと動き出す。
三人が手を振ってくれたので、振り返す。
たった五日間だったけれど、わたしにとっては長く、意義のある五日間になった。
城外に出ると、人々が見送りに来てくれていた。
わたし達は彼らに手を振り、応えつつ、ウィルビリアの街を後にしたのだった。
街の外に出ると馬車の速度が上がる。
窓のカーテンを閉め、座席に座り直すと、横にいたルルがクッションを背中に差し込んでくれた。
最初、わたしが長時間の馬車に慣れなくて背中が痛くなってしまったのを覚えていたのだろう。
「お兄様の視察はいかがでしたか?」
わたしの問いにお兄様は「そうだな」と言う。
「特に問題もなく終わった。領主の話では今年のブドウは収穫量が去年より多いそうだ。ワインもジュースもその分、多く出来るだろうと言っていた」
「そうなのですね」
あの美味しいブドウジュースを飲める人が増えるのだと思うと嬉しくなる。
「ブドウ畑やワインの醸造所はどのような感じでしたか? やはり広くて大きかったですか?」
お兄様が微笑んだ。
「そうだな、最初から話そうか」
そうしてお兄様は視察に赴いたバウムンド伯爵領について話してくれた。
穏やかで気の好い、真面目なバウムンド伯爵家。
自然豊かなバウムンド伯爵領。
朴訥で働き者な領民達。
広大なブドウ園にはいくつものブドウ畑。
ワイン醸造所も大きく、毎年多くのワインを作るために農夫や農婦達がブドウを摘み取り、踏んで、ワインが樽に詰められて寝かされていく。
醸造所はブドウと樽の好い匂いが漂う。
お兄様の話を聞くだけで容易に想像がつく。
……ああ、きっとお兄様も楽しい視察になったんだ。
それが分かるくらいには、お兄様は詳細に視察先のバウムンド伯爵領で見聞きしたことを楽しげに話してくれた。
そのおかげで半日の旅もあっという間で、途中の街に到着し、そこでまた数日ぶりの熱烈な歓迎を受けたのだった。




