昼食の一時
武器屋を出て馬車に乗る。
時間は昼前で、馬車は通りを戻り、街の中央地区の大通りにあるレストランへ向かう。
何でも元々はお城で働いていた料理人が独立して始めたお店だそうで、貴族などの富裕層向けらしい。
ウィルビリアには貴族も観光に訪れるため、貴族向けのお店が結構あるようだ。
馬車が店の前に停まる。
白地に緑の屋根、窓枠は柔らかな水色で、色は周辺の建物とあまり変わらないけれど、レンガ造りの建物はどこかオシャレで高級な雰囲気が漂っている。
「ここのお料理はとても美味しいんですのよ」
エカチェリーナ様が自慢げに言う。
扉の前に控えていた従業員が丁寧に扉を開けてくれ、入り口を潜って中へ入る。
ホールがあり、一瞬どこかの邸宅に来てしまったのではと思う。
そのまま従業員の案内でホールを抜け、廊下を進み、建物の奥へ通される。
恐らく一番奥だろう部屋の扉を従業員が開ける。
そこには広い部屋があり、室内の真ん中に大きな丸テーブルが鎮座しており、椅子が三つ置かれている。飾り棚や絵画などで品良く纏められた部屋は、壁際には暖炉があり、寝転がれそうな長椅子やソファーもあって、ゆっくりと寛ぐことが出来そうだ。
脇に別の扉があり、エカチェリーナ様の侍女にそこへ通される。
ドレスを脱ぎ、濡らしたタオルで全身を拭う。
それから侍女が新しいドレスを持って来てくれた。
汗をかくと分かっていたため、着替えを用意してくれていたようだ。
ドレスを着て、髪とお化粧を直して部屋に戻る。
ルルが椅子を引いてくれて座る。
今度はエカチェリーナ様が入れ替わりで隣室に入っていき、しばらくして着替えて戻ってくる。
エカチェリーナ様の椅子は侍女が引いていた。
「ただ今お料理をお持ちいたします」
静かに控えていた従業員が礼を執ると下がっていった。
ルルがわたしの右隣の椅子に座る。
「午前中の見学はいかがでしたでしょうか?」
先に用意されていたグラスと飲み物をルルがわたしとエカチェリーナ様に注いでくれた。
わたしの分はルルが一口飲んで確かめた。
そしてちょっとだけ多く注いでくれたので、多分、わたし好みの味だったのだろう。
「とても面白かったです。特に武器屋の店主の方は博識で、話も面白くて、あのままだったらきっとお昼を食べ損ねてしまったでしょう」
「ふふ、それには同意いたします。あの店主は少々暑苦しいのですけれど、武器に関しては非常に詳しいので勉強になりますわ」
グラスに口をつける。
……あ、リンゴのジュースだ。それも炭酸が結構強めで、暑いこの時期にはサッパリとして丁度良い。
「ルルもホルダーを新調出来て良かったね」
「うん、これ柔らかい革で凄く馴染んで動きやすいかもぉ。今度からはあの店で買おうかなぁ」
「そんなに気に入ったんだ?」
「今まで使ったホルダーの中では一番だねぇ」
だからなのか、ルルの機嫌が良さそうだ。
常に身に付けるものだから、こだわりとかありそうだけれど、ルルがそう言うということはかなり良い品なのだろう。
ルルが嬉しそうでわたしも嬉しい。
部屋の扉がノックされる。
そして給仕だろう従業員達と料理人らしき人が現れ、給仕が料理を並べている間に、料理人が自己紹介と料理について教えてくれた。
元々お城の料理人だったのでエカチェリーナ様とも面識はあるようで、どちらも笑顔だった。
料理は近くの山で採れた山菜、ウィルビレン湖から流れる川の魚、そして周辺の森で獲った鹿など、領地のものがふんだんに使われているそうだ。
給仕達は料理を並べると礼を執り、下がっていく。
料理人も料理の紹介を終えると「ごゆっくりお楽しみください」と礼を執って戻っていった。
室内にはエカチェリーナ様とわたしとルルだけ。
気兼ねせずに食事が出来そうだ。
ルルが立ち上がると自分の料理の盛られた皿を全て、わたしの方へ寄せ、自分も椅子ごとズリズリとわたしの真横へ来る。
それから自分の皿の料理を全て一口ずつ食べていき、一つ頷くと、わたしのものと皿を全て交換した。
「リュシーこれ美味しいよぉ」
そう言いながら、料理の一つをルルが切り分け、一口大にしたそれをフォークで刺して差し出される。
ぱく、とそれを口に入れる。
ほうれん草とベーコンを使ったキッシュだ。
細かく刻んだニンジンも入ってるらしい。
やや濃いめの味でまったりとしている。
わたしが食べてる間、ルルが自分の分を切り分けて、ぱくぱくと食べていた。
……ルルって早食いだよねえ。
それでいて食べかすを落とさないのが凄い。
わたしが口の中のものを飲み込むと、また一口分、差し出される。
「……自分で食べられるよ?」
ルルが目尻を下げて笑った。
「知ってるよぉ。でも、今日はリュシーに食べさせてあげたい気分なんだぁ。リュシーは嫌ぁ?」
「嫌じゃないよ」
よく分からないが、ルルがわたしの給仕をしたいと言うのであれば、それでも構わなかった。
他の人だったら嫌だけれど、ルルは別だ。
エカチェリーナ様がルルにやや呆れた目を向けたものの、わたしが嫌がらなかったからか、何も言わずに自分の料理を食べている。
ルルが差し出したキッシュをまた食べる。
……懐かしいなあ。
たまにあーんはするが、こうして食事を全て食べさせてもらうのはもう随分と久しぶりだった。
ファイエット邸に来た当初はこうだった。
食事の作法が分からないわたしに、ルルは、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
ルルの手から食事をするのがあの頃は当たり前だった。
前菜のキッシュは数口ほどで終わった。
野菜と卵、ほうれん草にベーコン。まったりと濃厚なチーズとクリームの味は数口だけでも食べた感じがする。
次はスープだ。
ルルが掬ってすぐに差し出したので冷製らしい。
茹でたとうもろこしを丁寧に裏漉ししたスープは野菜本来の甘みと旨みがする。暑い時期の冷たいスープは食欲が増す。
「このスープ美味しいねぇ」
わたしに食べさせている合間にルルも食べる。
「わたし、とうもろこしのスープ好き」
「あとカボチャのスープも好きでしょぉ? リュシーは細かく切ったカリカリのパン耳が入ってると喜ぶよねぇ」
「そう、あれがカリカリのうちに食べるのもいいけど、スープを吸って柔らかくなったのも好きなの」
コーンスープもカボチャのポタージュも、クルトンが入っているものが一番好きだ。
あれがあると食感が変わって楽しいし、香ばしさも出るし、見た目も良い。
個人的にはトマトスープに入っていても良い。
あのクルトンがたっぷり使われたサラダも好きだ。
「リュシーって食感の違うものが入ってる料理が好きだよねぇ。サンドウィッチも肉だけとか卵だけじゃなくて、野菜もいくつか種類がある方がよく食べるしぃ」
ルルの言葉に頷く。
「うん、確かにそうかも」
わたしは食事が好きだ。
あまり沢山は食べられないけれども、食べることが好きだ。
幼い頃の後宮での記憶がどうしてもあるから。
どの食べ物も美味しく食べられる。
そして食事が出来るということはとても素晴らしくて、幸せなことなのだ。
「リュシーが美味しそうに食べてるところ見るの、好きなんだよねぇ」
またスープを差し出されて口に含む。
ルルはそっとわたしの口からスプーンを引き抜いた。
昔もそうだったが、ルルは人に食べさせるのが上手いと思う。
食べさせてもらっていてこぼれたり、落としたり、食器が歯に当たるということがないのだ。
いつも口に入れると食器がするりと抜けていく。
そして口の中のものがなくなると、タイミング良く、次の一口が差し出される。
「美味しい?」
「美味しい」
スープを終えたら魚料理だ。
見たところ香草を使ったムニエルらしい。
ルルが一口大に切り、骨を除ける。
香りからしてバターがたっぷり使われている。
差し出されたそれにかじりついた。
……うん、これも美味しい。
もぐもぐと味わっていると視線を感じた。
横を見れば、ルルがニコニコしながら片手で頬杖をついてわたしを見ている。
唇の端についたバターを拭われる。
口にものが入っているため言葉は出せなかったが、浅く頷くと、ルルは「どういたしましてぇ」と言った。
ありがとうという意味の頷きが通じたようだ。
視線を動かすとエカチェリーナ様と目が合った。
呆れられるかと思ったが、エカチェリーナ様は微笑ましそうに目を細めるだけだった。
「リュシー、はい、あーん」
食事は始終、そういった感じである。
わたしは結局ルルに全て食べさせてもらった。
何が凄いって、わたしの食べられる量をルルは正確に分かっていて、出された料理を良い具合に差し出してくるのだ。
この料理はこれだけ、こっちの料理はこれだけ、と全ての料理を食べられるように配分してくれた。
デザートまでしっかり食べる。
わたしが食べ終えると、ルルが自分の分を食べつつ、わたしの残った料理も綺麗に平らげていく。
一皿一皿はあまり量はない。
でも何皿かあればそこそこの量になる。
食後にまたリンゴジュースを飲む。
今度はわたしがルルの食事風景を眺めた。
動かす手が早いし、咀嚼して飲み込むまでも短くて、でも不思議と食べ方は綺麗で。
まるで流れ作業のようにルルは食事をする。
「ルル、美味しい?」
表情は変わらない。
「美味しいよぉ」
言いながら、口の端についたソースを指で拭い、ペロリと舐め取った。
それから口元と手を拭っている。
しばらくルルの食事を見て、気付く。
……ああ、そっか、ルルは一口が大きいんだ。
しかも食べる速度が一定だ。
だから、あっという間に料理が消えていく。
ティータイムの時もそうだけど、ルルが食事をしてると何となく目が向いてしまう。
ルルもそうなのかもしれない。
ルルは自分の分とわたしの残りを時間をかけずにぺろっと食べてしまった。
そして小さく、くぁ、と欠伸をこぼす。
「ルル、眠い?」
「ん〜、ちょっとねぇ」
またルルが欠伸をこぼす。
昨日の昼も同じ光景を見た。
「エカチェリーナ様、午後の見学までまだ時間はありますか?」
「ええ、一時間ほどございます」
椅子から立ち上がり、ルルの手を引く。
長椅子の端に座ってわたしは自分の膝を叩いた。
するとルルの頭がすぐに乗ってくる。
……膝枕、気に入ったのかな?
よしよしと頭を撫でる。
ルルの灰色の瞳が眠そうに見上げてくる。
「リュシー、歌ってぇ」
甘えるような声に少し感動してしまった。
いつもは甘えさせてくれる側のルルに甘えられてると思うと、存在すら怪しかった母性本能らしきものが刺激される。
「いいよ」
ルルの胸にそっと手を置く。
ゆったりと拍を取って胸元を優しく叩く。
見上げてくるルルに笑いかけ、そして昨日と同様に女神の賛美歌を歌い始める。
レストランなので声は抑えて。
囁くような声だがルルに聞こえればいい。
ルルの瞳がとろとろと閉じていく。
そして瞼が完全に落ちて、少しして、寝息が聞こえてくる。
それでもしばしわたしは歌い続けた。
やがてルルの体から完全に力が抜けると、わたしは歌うのをやめた。
エカチェリーナ様が口に手を当てて、まじまじとわたしとルルの様子を見ていたのだった。
* * * * *
エカチェリーナは驚いていた。
ルフェーヴルがリュシエンヌに甘えたことも、膝枕でぐっすりと眠っていることも、リュシエンヌの歌の上手さにも。
いつもリュシエンヌ以外には警戒しているルフェーヴルが、今は幼子のように熟睡している。
そしてリュシエンヌは然もそれが当たり前のように膝枕をしてやっていた。
……いつもとは逆だわ。
背の高いルフェーヴルが長椅子に横になっている。
長椅子の肘置きに膝を乗せ、足を外へ投げ出し、リュシエンヌの膝に頭を預けている。
それが婚約者同士と見れば微笑ましい。
けれど、眠っているのは『暗殺者』のルフェーヴル=ニコルソンである。
暗殺者という職業の人間は基本的に主人にすら無防備な姿を見せたりしない。
その職業柄、警戒心が強いのだ。
……それなのに。
まるで母子のようだ。
ルフェーヴルがあんなに気を許している姿は初めて見た。
エカチェリーナは驚きながらもひっそりと気配を殺し、ルフェーヴルの頭を撫でるリュシエンヌを眺めていた。
……ああ、惜しいわね。
今ここに画家を連れて来て描かせたい、と思った。
それほどまでにリュシエンヌもルフェーヴルも柔らかな表情をしており、雰囲気も穏やかで、優しいものだった。
それからエカチェリーナは一時間近く、飽きもせずにリュシエンヌとルフェーヴルを眺めて過ごした。
不用意に動けばルフェーヴルは起きるだろう。
動けずにいたエカチェリーナに気付いたリュシエンヌは申し訳なさそうだったが、見守る会の会員であるエカチェリーナはリュシエンヌの新しい一面が見られて嬉しかった。
ルフェーヴルは小一時間ほどよく眠っていた。




