織物市
午後になり、昼食を摂ったわたし達は予定通り織物市へ行くことになった。
昨日と同様に比較的動きやすいドレスに着替えて、薄く化粧をして、髪を編み込んで纏めてある。
ルルも貴族らしい格好をしているけれど、普段着というか、ちょっとラフな格好だ。
エカチェリーナ様とその侍女と、そしてわたしとエカチェリーナ様両方の護衛の騎士達も来るため、なかなかの大所帯になる。
騎士は二人ずつだが、少し離れて他にも騎士達が周辺を警戒してくれるそうだ。
市の少し手前で馬車を降りる。
「申し訳ありません。市の周りは人が多くて、そこまで馬車が入れませんの」
エカチェリーナ様が申し訳なさそうに言う。
「いいえ、街並みも見たかったので丁度良いです」
白や淡い水色、アイボリーの壁に、緑の屋根。
そんな可愛らしい家々が軒を連ねる様は見ていて楽しいし、それを歩きながら間近で眺められるなら、少しの距離くらいなんてことはない。
ルルと手を繋ぎ、エカチェリーナ様に案内してもらいながら織物市までの短い距離を歩く。
家は柱や窓枠などがそれぞれ色が違っていたり、白と言っても明暗があって、実はそれぞれ微妙に色合いが違う。
それに窓辺に飾られた花などが良いアクセントになっていて、可愛らしい家を更に可愛く見せてくれる。
そんな街並みを見ながらなので、あっという間に織物市に到着した。
織物市は非常に賑わっていた。
通りの左右に並ぶ家は一階がお店になっているようで、通りのずっと向こうまで、店が並んでいる。
しかも店先には布がひらめいている。
繊細な絵柄を織り込んだ布、染めてカラフルな布、一色染めの布に刺繍が施された布、色々な布が展示会のように並ぶ。
道の左右は色んな布でカラフルになっており、それだけで賑やかな明るい雰囲気が感じられる。
そこに人々が通り、店先を覗き、時には店主と値段を交渉しているらしい声や複数人で買い物に来たのだろう人々の「あの布がいい」「この布がいい」と話す声などが重なって更に賑やかさが増している。
どの店の人も華やかな布で作った服を身に纏っていて、自分自身を広告として見せている風だった。
「凄い活気ですね」
ワイワイと響く声は途切れることがない。
「そうですわね、ここはウィルビリアの中でも随一の賑やかな場所かもしれません」
クス、とエカチェリーナ様が笑う。
それから騎士達に警護されながら、人の流れに乗って市場へ入っていく。
とりあえず、まずは市場を軽く見て回り、気になるものがあれば戻る道の途中で購入することにした。
お店によって一色染め、刺繍入り、染めと刺繍、模様の染めなど特色があるようだ。
そこから更に模様やモチーフの違い、染めの色味や使われる布の違いなど、店によって個性がある。
だが、どの布も綺麗で目移りしてしまう。
……あ、あのお店の布はお父様とお兄様に似合いそう。
そのお店の場所を覚えておく。
歩きながら店先を覗いていく。
……どれもこれも素敵だなあ。
よくよく見ると若者向けのお店やある程度歳のいった人向けのお店もあって面白い。
若者向けのお店は明るい色が多い。
壮年者向けのお店は原色から暗めの色が多い。
でも後者の方が華やかな刺繍や柄が目につく。
若者向けの方はあまり派手になり過ぎないものが多くて、そこは年齢で似合うものが変わるのだろう。
「あら、あの布はリュシエンヌ様にきっとお似合いですわ」
「あちらの布はエカチェリーナ様に似合いそうですね。あ、あの布はルルに似合うと思う」
「どれぇ?」
「あれ、あのお店の布」
あれこれと話しながら市場を巡る。
そして市場の端まで辿り着いた。
「それでは戻りながらお買い物をいたしましょう」
「そうですね」
エカチェリーナ様の言葉に頷いた。
来た道を戻っていく。
覚えていたお店の一つに立ち寄る。
「ほら、ルル、この布見て」
黒く染められた布に紅い花が描かれている。
ルルが布を手に取って体に当てる。
「似合う〜?」
「似合う!」
前世の記憶にあるチャイナ服とか作ったら絶対に似合いそうである。
……この布で作ってもらえないかなあ。
ルルが「これ買おうかなぁ」と言う。
「わたしのお金で買う」
「え?」
「それでルルに似合いそうな服を作るの。色違いの布があるから、お揃いでまた衣装を作ろう?」
黒に赤い花の布の横にあった、対のように白に赤い花の布も手に取る。
男性は黒をよく着るからいいだろう。
わたしは白地に赤い花の布でチャイナドレスっぽいものを作って、揃えて夜会でまた着たい。
「いいねぇ」
想像したのかルルが目を細めて笑う。
「せっかくだからぁ、お揃いの布を何枚か買って行こうよぉ。いっそ、夜会とかではいつもお揃いにしちゃう〜?」
「それいいね、そうしよう」
夜会やお茶会、パーティーなどでいつもお揃いの衣装で出れば、わたしとルルがどれほど親しいのか周りにも伝わるだろう。
……それでオリヴィエが諦めてくれたらいいんだけど。
小さく頭を振る。
……今日はそういうことは考えない、考えない!
せっかくの楽しい時間なのだ。
この旅の間はオリヴィエに関することは忘れて、めいっぱい楽しむことにしているのだから。
「他にも布を探してみよう?」
「そうしよっかぁ」
その後、いくつかのお店でお揃いの布をいくつか購入した。
購入したものは後でお城へ届けてくれるということなので、わたし達は荷物を気にせず買い物が出来る。
自分達用の布を購入したら、今度はお父様とお兄様へのお土産の布を購入する番だ。
先ほど見て回っていた時に目星をつけておいたお店へ向かう。
そこはグラデーションや一色染めの布に動物や植物の刺繍を施した布が売っているお店だった。
店先には様々な色の布が置かれており、どの布にも丁寧な刺繍が刺してあり、それを見ているだけでもうっとりとしてしまいそうだ。
「いらっしゃい」と声をかけてくれた中年の店主の女性も綺麗な植物の刺繍がされたワンピースを身に纏っており、その手元には刺しかけの刺繍と布があった。
「こんにちは。素敵な刺繍が多いですね。このお店の刺繍は店主さんがご自分でなさっているのですか?」
店主の女性が笑う。
「いやいや、あたしのもありますけどね、近所の奥さん達が縫ったものが多いんです。夫が働いている間に妻が家で刺繍をして、それを収入の足しにするのがこの辺りの昔からの嫁仕事なんですよ」
「嫁仕事……」
「そうですよ、だから刺繍の上手さで結婚相手が決まることもあるので女の子はみぃんな一生懸命勉強するんです」
貴族の女性も刺繍は必須である。
夫の小物にイニシャルや家紋、夫の好きなものを刺繍するのは妻の仕事なのだ。
だから貴族の女性は全員刺繍を学ぶ。
わたしも刺繍は習っていて、出来るけれど、このお店に並んでいるほどの腕前には到達していない。
繊細な刺繍もあれば、豪快に縫い上げた刺繍もあり、それぞれ個性が感じられるのは縫い手が違うからだろう。
「どの刺繍も丁寧に刺してありますね」
夫を待つ間、夫を支えるために縫う。
きっと色々な気持ちがこもっているはずだ。
「あたしも近所の人も刺繍が大好きなんです。だから、どんなものでも買う方が喜んでくれるような、そんな刺繍に出来たらと思って刺しています」
店主が嬉しそうに笑う。
あの刺繍の一刺し一刺しに心がこもっている。
わたしはずっと気になっていた布を手に取った。
真紅の一色染めに宙を舞う鷲が刺繍されている。
鋭くキリリとした顔立ちの鷲が、両翼を広げ、堂々たる姿で描かれている。
それを見た時、わたしはお父様を思い浮かべた。
いつでも見守っていてくれて、堂々とし、包容力のあるお父様にはこの大きく気高い鷲のようだと思ったのだ。
「これと、あとこれも買います」
もう一枚は綺麗な澄んだ青色に若い獅子が刺繍で描かれている。
整った顔立ちの獅子が悠々と寝そべってこちらを眺めており、やはりこの獅子も堂々とした姿をしていた。
……お兄様は若獅子って感じ。
「どなたかへの贈り物ですか?」
「ええ、父と兄に」
「それはきっと喜ばれるでしょうねえ」
「何せ可愛い娘が選んだものですから」と店主が愉快そうに笑った。
「あの、この刺繍に付け足しをしていただけませんか?」
どちらも素晴らしい刺繍である。
でもお父様とお兄様に贈るなら、どうしても刺繍して欲しいものがあった。
「付け足しって、何を刺すんですか?」
店主が不思議そうに首を傾げた。
「この鷲と獅子に王冠を被せて欲しいんです」
わたしの言葉にエカチェリーナ様がサッと店主に近寄り、何事かを耳打ちする。
すると店主が目を丸くして驚いた顔をした。
小声で「えっ、お、王女殿下……?!」と言うので頷き返す。
「面倒かもしれませんが、お願い出来ますか?」
そう訊くと店主が何度も頷いた。
「数日お時間をいただけるのであれば……!」
「ウィルビリアには後三日滞在するのですけれど、間に合いますか?」
「ええ、ええ、十分でございます! 出来上がり次第、お届けいたします!」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ぺこぺこと頭を下げる店主を手で制して、安心させるように微笑んだ。
それに店主も分かったのかホッとした顔をする。
「ねぇ、この布も買っていかな〜い?」
ルルの声に振り向けば、その手に布が持たれていた。
白地に淡い青緑のグラデーションで染められた薄い布に、白い糸と青緑の糸で美しい植物の刺繍が刺してある。
白地には青緑の糸で、青緑の部分には白い糸で、刺繍されている植物の図案は緻密で繊細だった。
わたしもエカチェリーナ様も思わず、ほうっと感嘆の溜め息が漏れる。
細かな刺繍なのに重さを全く感じさせない。
それどころか軽やかな印象すら受けた。
「これ絶対リュシーに似合うよぉ。確か誕生パーティーで着るのは淡いレモンイエローだったよねぇ? この布で作ったショールを羽織ったら凄く綺麗だと思うんだけどぉ」
「どうかなぁ?」とルルが言う。
エカチェリーナ様の目が光った。
「まあ、それは素晴らしい案ですわ。夏の時期に爽やかなレモンイエロー、そしてそこに差し色でこの布を使えば更に涼しげで華やかになること間違いありません」
「だよねぇ? 絶対リュシーに似合うよねぇ?」
「ええ、絶対お似合いになりますわ」
普段はそれほど話さないルルとエカチェリーナ様がこの時ばかりは何故か訳知り顔で頷いていた。
ルルがわたしに布を当て、エカチェリーナ様が両手を合わせて「まあ、素敵!」と声を上げている。
……ルルが選んでくれたから買おうかな。
たとえ似合っていなくても、ルルが選んでくれたものなら、それだけでわたしには凄く価値があるのだ。
「すみません、こちらの布も買います」
「では、二枚の刺繍が終えたら一緒にお届けいたしますね」
半ば押されるように買ったわたしに、店主が微笑ましそうに目尻を下げた。
ルルに振り返る。
「ショールにしても余るだろうから、それでルルのハンカチとか髪を纏めるリボンとかにして、お揃いにしよう?」
誕生パーティーは衣装を合わせていない。
だから小物をお揃いにすればいい。
ルルが「いいねぇ」と笑った。
「オレ、この刺繍結構好きだよぉ」
「そうなの?」
「なんかぁ、繊細で綺麗だけど、力強くて、リュシーみたいだなぁって思ってねぇ」
その言葉に嬉しくなる。
ルルから見たら、わたしはこの美しい刺繍のように見えるというのだ。
こんなに綺麗なものに例えられて嫌な気分になるはずもない。
思わずルルに寄り添った。
「ありがとう。これからもそう思ってもらえるように頑張るね」
綺麗だと、美しいと、そしてそれだけではなく力強さもあると、そう感じてくれている。
「リュシーはリュシーのままでいいよぉ」
……ルルは本当にわたしを甘やかすのが上手だなあ。
こほん、と咳払いがしてエカチェリーナ様が「さあ、そろそろ次に参りましょう」と言う。
店主が口に手を当てて微笑ましげに目を細め、護衛の騎士達は周囲を警戒するように視線を彷徨わせていた。
どうやらイチャつき過ぎたようだ。
それから別のお店にも寄って、リニアさん達や王都で留守番している他の侍女達のためにハンカチやリボンなどのちょっとした小物を沢山購入した。
いつもわたしのお世話をしてくれているのだから、それくらいのお土産は用意したっていいだろう。
今日一日でかなり色々と買ってしまった。
だけどどれも素晴らしい品であったので、購入したことに後悔はない。
……お父様とお兄様、喜んでくれるかな。
出来れば喜んでほしいなと、帰りの馬車の中で思いながら車窓を眺める。
人が多くて疲れてしまったらしく、帰りの馬車の中で、わたしはルルに寄りかかって転寝をしてしまった。
その間、ルルは機嫌が良さそうだったらしい。
後でエカチェリーナ様がこっそり教えてくれた。
わたしもルルとお揃いの衣装を作る布などを買えたので、とても機嫌が良かったと思う。




