ウィルビレン湖(2)
エカチェリーナ様の侍女とルルが昼食の準備をしてくれて、わたし達は湖畔で昼食を食べる。
これから湖の周りを散策するので、軽く摘める食べ物が多いのが嬉しい。
運動前に食べ過ぎると気持ち悪くなってしまう。
ルルに渡されたお皿を受け取る。
サンドウィッチにスコーン、くるみたっぷりのパウンドケーキが載っている。
まずはサンドウィッチから。
……あ、これ野菜たっぷりだ。
塩気のあるハムに、たっぷりの葉野菜とトマト、キュウリ、スライスした玉ねぎ、チーズが入っている。
パンには薄くバターが塗ってあり、野菜から出た水分でパンが柔らかくなってしまわないよう工夫がされていた。
ソースはないが、粗く挽いた胡椒がたっぷりかけてあって、チーズとハムとの相性が抜群である。
野菜もたっぷりなので食べるとシャキシャキする。
「美味しいです」
「それは良かったです。わたくしがここに来る時に、いつも料理長がこれらを作ってくれるんですの」
スコーンにたっぷりのジャムを乗せてエカチェリーナ様が食べている。
ルルはくるみのパウンドケーキを頬張っていた。
どうやら口に合ったようで、そればかり食べているルルに、お皿を寄せる。
「わたしのも食べていいよ」
「ありがとぉ」
ルルはフォークとナイフでわたしのお皿からくるみのパウンドケーキを取った後、一口大に切って、それをフォークに刺してわたしへ向ける。
「はい、あーん」
言われるまま口を開けてパウンドケーキを食べる。
しっとりとしたパウンドケーキはバターの味がして美味しく、沢山入ったくるみの香ばしさとカリカリとした食感の違いが楽しい。
確かにルルの好きそうな味だった。
エカチェリーナ様が「そればかり食べられると、わたくしの分がなくなってしまいますわ」と自分の分をギリギリで取り分けていた。
結局ルルはパウンドケーキを一本分くらい食べてしまった。
相変わらず見た目に反して胃が大きい。
パウンドケーキの代わりにわたしはもう一つサンドウィッチを手に取る。
……これはベーコンとチーズと卵だ。
あまりソースは使わないらしく、こちらも胡椒がよく効いている。
素材本来の味を楽しめていい。
宮で食べる手の込んだ料理も美味しいし、ソースなども好きだが、こうしてシンプルな味付けで食材の本来の味や甘みを感じられるのも好きだ。
ルルが今度はスコーンに手を伸ばしている。
細身だけれど、本当によく入る。
「前から思っておりましたけれど、ニコルソン男爵は健啖家ですのね。何でも召し上がりますし、量も多いですし」
エカチェリーナ様の感心したような言葉に同意して、わたしも頷く。
「やっぱり体が大きいと食事量も多くなるのかな?」
「どうだろうねぇ、仕事によっては食事をするのも難しい時もあるから、食べられる時に食べておくっていうのはあるかもなぁ」
「そっか」
暗殺とか間諜とか、時間になったら食事が出来るようなのんびりした職業ではないだろう。
ルルは仕事を減らしたけれど、相変わらず、椅子で寝ているようだ。
わたしが寝るまで傍にいて、闇ギルドの仕事を済ませたら戻ってきてわたしの部屋の椅子で寝ている。
そしてわたしより先に起きて着替えたり入浴を済ませたりして、朝、わたしが起きた時には枕元にいるのだ。
椅子で眠って体が疲れないのか疑問だが、ルルいわく「座り心地が凄く良いから寝やすいよぉ」とのことだった。
それに熟睡すると何かあった時にすぐに対処できないから椅子の方がいいらしい。
昼食の半分以上がルルの胃に納められた。
エカチェリーナ様がそれに「あれでも普段は控えていらしたのね……」と驚いていた。
……ルルはよく食べるからね。
片付けを侍女に任せて、わたし達は食後にゆったりと紅茶を飲んで胃を休める。
「心地好い風ですね」
山から吹き降りる風だろうか。
やや涼しくて、夏の暑さが出てきた今頃には嬉しいものだった。
紅茶を飲みつつ景色を眺める。
ただそれだけなのに、贅沢をしている気分になる。
こんな綺麗な景色をまるで独り占めしているような気分がして、不思議と満ち足りた気持ちになれる。
特に会話がなくてもつらくはない。
一杯の紅茶を時間をかけて飲み、休憩した後に、わたし達は散策に出掛けることにした。
ルルはわたしのエスコートをしてくれて、エカチェリーナ様の案内で穏やかに湖辺の道を歩く。
「あそこに見えるのが貴族用の別荘の一つですわ。この辺りはクリューガー公爵家の敷地で、ああいった建物がいくつかあり、観光にいらした貴族の方々がよく泊まっていかれるのですわ」
「他の貴族の方が所有しているわけではないのですね」
「ええ、観光や避暑地と申しましても大抵は長くても一週間ほどの滞在ですから、屋敷を所有するより、その間だけお金を払って泊まった方が経済的ですもの」
クリューガー公爵家の事業の一つなのだろう。
洒落たコテージのような木造の別荘は、確かにそれを建てたとしても維持費が色々とかかるだろうし、他領に別荘を持つとなると地価もそれなりのものだと思う。
ずっとそこに住むならばともかく、年に一、二度くらいしか来ないであれば、むしろ宿のように料金を払って泊まった方が互いに良いこと尽くめなのかもしれない。
「そうですわ、もう少し先に貴族向けのお店があるのですが、見て行かれませんか? ウィルビレン湖のお土産を売っておりますのよ」
「いいですね、行きたいです」
そういうことで、五分ほど歩くとすぐに貴族向けのお土産屋だろう建物が見えてきた。
白を基調として青が差し色に使われた建物は、青い扉を潜ると中は思ったよりも広かった。
色々なお土産が並んでいる。
……あら、魚のヌイグルミもある。
思わず手に取ると「それはこの湖でよく獲れる魚ですわ」とエカチェリーナ様が教えてくれた。
なるほどと思いながら棚へ戻した。
ヌイグルミ以外にも、この湖の小さな絵や、その絵を飾る小さな額縁、湖の色によく似たブルーサファイアを使った装飾品、ウィルビリアの特産品らしきお菓子やウィルビレン湖をイメージした波模様のハンカチなど様々なものがあった。
中でも置物の一つに目が留まった。
小さな湖と山、周囲の建物などを精巧に模した小さな模型である。
それが小さなガラス瓶の中に出来上がっていた。
……何だっけ、こういうの?
ボトルシップのようなそれが可愛らしい。
全て手作業で作っているからか、よくよく見比べるとどれも微妙に違いがあって面白い。
値はやや張るけれど、お土産にちょうど良さそうだった。
「これを三つください」
そう言えば、店主の男性がわたしの選んだ三つの置物を丁寧に運び、クッション材らしき綿を入れてから納め、綺麗なリボンでラッピングまでしてくれた。
「三つも買うのですか?」
「ええ、お父様とお兄様と自分の分を」
「ご自分の分も?」
驚くエカチェリーナ様に頷く。
「思い出の品があった方がいいでしょう? それを見れば楽しかった記憶をすぐに思い出せますから」
エカチェリーナ様がうんうんと頷いた。
「自分用というのもよろしいですわね。お土産というと誰かに渡す物と考えがちでしたが、自分用を選ぶのも楽しそうですわ」
「そういった物も考えてみましょう」と言った。
「ここのお土産もクリューガー公爵家が?」
「全てではありませんが、一度我が家でどのような物か確認してから販売しております」
「そうだったのですね」
だから「考えてみる」に繋がったのだろう。
これで更に新しいお土産が出来たら楽しそうだ。
お土産屋さんに並んだ物を見て回った後、わたし達は店を出ることにした。
買った物はお城に運んでくれるそうだ。
ちなみにお金はルルが持ってくれているので、わたしが支払いをすることはない。
お父様がそれなりの額を用意して持たせてくれたのだが、あまりに額が大きくて、怖くて自分では持てなかったというのもある。
王女が自由に使えるお金の一部だと言われたものの、だからと言って湯水の如く使うのもどうかと思う。
ただお父様からは「旅先である程度金を落とすことは経済を回す上で必要なことだ」と言っていた。
全部使い切る気はないけれど、お土産と、本当に欲しい物があったら買うことにする。
わたし達は一時間半ほど辺りを散策してから、馬車が待っている元の場所へ戻ってきた。
時間的にはティータイムをする頃である。
「それでは、そろそろ帰りましょうか」
というエカチェリーナ様の言葉でそうなった。
馬車に乗り込み、流れ出す車窓を眺める。
……初めて見に来た湖がここで良かった。
こんなに綺麗な湖なんて、前世でもそうはなかっただろうし、行くとなればかなり大変だろう。
それがたった一日半で来られる場所にある。
「リュシエンヌ様、今日は楽しかったでしょうか? わたくしの案内でつまらなくありませんでしたか?」
エカチェリーナ様に頷き返す。
「とても楽しかったです。こんなに素敵な湖を見ることが出来て、本当に来て良かったと思います」
そう返せばエカチェリーナ様がホッとした顔をし、それから嬉しそうに微笑んだ。
隣に座るルルと手を繋ぎ、一緒に車窓の外にある湖を眺める。
青い湖面がキラキラと輝いて綺麗だった。
ブルーサファイアという別名に、お兄様の青い瞳をわたしは思い出していた。
……お兄様も来られたら良かったのに。
それだけが少し残念だった。
* * * * *
お城に帰るとルイジェルノ様が出迎えてくれた。
勉強を早く終えて、待っていたらしい。
恐らく今日もお城の中を案内したいのだろう。
「おかえりなさい」
キラキラした金の瞳に見上げられる。
「ええ、ただ今戻りましたわ」
「お出迎えありがとうございます」
わたし達の言葉にルイジェルノ様がニコッと笑う。
そしてそわそわするのが微笑ましい。
「あの、今日の案内ですが……」
「ルイジェルノ様さえよろしければ今からお願いしてもよろしいですか?」
「はい、もちろんですっ」
表情を明るくしてルイジェルノ様が頷いた。
「リュシエンヌ様もニコルソン男爵も沢山歩きましたよね? だから今日は一つだけ、僕のお気に入りの場所を案内しようと思います」
ルイジェルノ様の案内について行くと、お城ではなく、それを囲っている城壁へ向かった。
話が通っていたのかわたし達を見ても警備の騎士達は慌てず、扉を開けて城壁の中へ入れてくれた。
城門にある階段を上がって行く。
「ここが僕のお気に入りの場所です」
そう言いながらルイジェルノ様が外へ続くだろう扉を押し開けた。
ぶわっと風が通り抜けて行く。
そして視界が広がった。
どこまでも広がる空。
その下にあるウィルビリアの街並み。
街の南北には大きなウィルビレン湖。
街を二重に囲む内壁と外壁。
そして街を囲むように広がる森や山。
夕方近くになって、山に太陽がかかってきたからだろうか、緑色で統一された可愛らしい家々には既に少しずつ明かりが灯っている。
「後ろを見てください」
促されて後ろを見れば、無骨な石造りのお城。
「まるでこの城が街を見守っているみたいで好きなんです」
……なるほど、言われてみればそうだ。
少し高い場所にあるこのお城は他よりも高く建てられており、それが街全体を見守っているというのは間違いではないだろう。
「ルイジェルノ様はこの街がお好きなのですね」
「はい、生まれ育った大切な街です。いつか、大人になったら今度は僕がここを守るんです」
「そうですね、その役目は恐らくルイジェルノ様にしか出来ないでしょう」
エカチェリーナ様はお兄様の下に嫁いでしまう。
そうなれば嫡男であり、公爵家に残された者として、ルイジェルノ様が何れは公爵家当主となり、ウィルビリアの街を守ることになる。
ルイジェルノ様はきっと、もうその覚悟を決めているのだろう。
「僕はこの街を、クリューガー公爵領の民を守ります」
まだ十歳などと子供扱い出来ない立派さだ。
「街や領民を大切に思っていらっしゃるルイジェルノ様であれば、きっと出来ますよ」
風がまた吹いて、少し肌寒く感じる。
山からの風だろうか。
……でも、もう少しだけ眺めていたい。
ルルが近付いてきて後ろから抱き締められる。
そのおかげか寒さが和らいだ。
「ありがとう、ルル」
「どういたしまして」
ルイジェルノ様がいるせいか、また外面ルルになっていたけれど、細められた灰色の瞳はいつものルルのものだった。
それから日が沈むまで、わたし達はその広大な景色を眺め続けた。
この瞬間を記憶に焼き付けたくて。
ルルの体温を感じ続けたくて。
エカチェリーナ様もルイジェルノ様も、目を細めて、愛おしそうに街を見下ろしている。
見上げれば、ルルと目が合った。
わたしやルルも、互いを見る時にあんな風な目をしてるのだろうか。
……ルル、大好き。愛してる。
微笑むルルにわたしも笑って寄りかかる。
抱き締める腕の力が少しだけ強くなったのが、わたしの気持ちに返事をしてくれたみたいで嬉しかった。




