クリューガー公爵領到着(2)
クリューガー公爵領に到着した当日。
その日は疲れもあるだろうから、ということで予定を入れず、休息を取ることになった。
わたしの部屋はお城の上階である四階の、王族専用の貴賓室へ通された。
部屋の広さはわたしの宮の自室と同じくらいで、侍女や護衛達の控えの間や応接室、専用の浴室、小さなサロンといった必要な部屋が周りにある。
四階には貴賓室が四部屋もあるそうだ。
それだけ、このクリューガー公爵領を王族もよく訪れていた証だろう。
リニアさん達は荷解きに追われている。
わたしはルルとエカチェリーナ様、ルイジェルノ様、そしてエルネティア様とティータイムを過ごしている。
「改めまして、エカチェリーナとルイジェルノの母、エルネティア=クリューガーと申します。王女殿下のことはエカチェリーナより、よく聞き及んでおりますわ」
穏やかな微笑を浮かべて挨拶をされる。
エカチェリーナ様に似ているからか、ほぼ関わりのなかった相手でも、緊張はない。
「リュシエンヌ=ラ・ファイエットです。公爵夫人はわたしの十二歳の誕生パーティーの時に祝いに来てくださいましたね」
「ええ。夫の代わりに領地の経営を行っておりまして、あまりここを離れられず無作法をしてしまい申し訳ございません。本来であれば殿下方の誕生パーティーや夜会は毎年出席しなければならないのに……」
「いいえ、お気になさらないでください。代わりに毎年素敵な布を贈っていただけて、そのお気持ちだけで十分嬉しいです。公爵家より贈られた布で作ったドレスはどれも着心地も良く、デザインも素晴らしくて、以前より気になっておりました。今回は視察を受け入れてくださり、ありがとうございます」
「そんな、勿体ないお言葉ですわ。我が領地でよろしければ、どうぞお好きなだけご覧になってくださいませ」
……ああ、そっか。
どうして夫人に親近感が湧くのか分かった。
話し方やちょっとした仕草がエカチェリーナ様とそっくりなのだ。
いや、この場合はエカチェリーナ様が母親であるエルネティア様によく似てるということだ。
現に二人が並んで微笑んでいる姿は瓜二つだ。
そしてまだ幼いルイジェルノ様も二人に似ていて、三人並ぶと、なるほど家族なのだなと納得する。
「お母様、ご安心ください。わたくしが責任を持ってリュシエンヌ様をご案内いたしますわ。我が公爵領を訪れて損はなかったと思っていただけるよう最善を尽くしますもの」
胸を張って、そこに手を当ててエカチェリーナ様が言う。
エルネティア様が「あなたがそこまで言うならば大丈夫ね」と笑みを深くする。
それにルイジェルノ様も僅かに身を乗り出した。
「僕も案内に同行します!」
お兄様にわたしを頼まれたからか、ルイジェルノ様が意気揚々と名乗り出たが、エルネティア様が「あら」と小首を傾げた。
「ルイジェルノ、あなたはお勉強があるでしょう? 今日だって王太子殿下と王女殿下をお迎えするからと言って授業を休みにしたではありませんか」
「う……」
図星だったようでルイジェルノ様が言葉に詰まる。
そのしょんぼりした様子にわたしは声をかけずにはいられなかった。
「ルイジェルノ様、よろしければ後でこのお城を案内していただけますか? 街の案内はエカチェリーナ様にお願いしておりますが、このお城の中も是非見てみたいのです」
そう言えばルイジェルノ様の表情がパッと明るくなる。
「はい、案内させていただきます!」
「よろしくお願いしますね」
ルイジェルノ様が大きく頷く。
今日ならば授業はないのだろう。
先ほど休みにしたとエルネティア様がおっしゃっていたので、ルイジェルノ様も今日であれば案内出来るようだ。
喜ぶルイジェルノ様にエルネティア様が苦笑した。
その金の瞳が申し訳なさそうにわたしを見たので、わたしは微笑み返す。
このお城の中を見学したいのは本音である。
だから気に病む必要はありませんよ、と意味を込めて微笑んだわたしに、エルネティア様はどこか安堵した様子で微笑んだ。
「良かったですね、ルイジェルノ」
「はいっ」
本当に嬉しそうに笑うルイジェルノ様に、提案したわたしまで嬉しくなってくる。
話が落ち着いたところで、わたしは隣に座るルルを紹介することにした。
「もうご存知かとは思いますが、こちらはニコルソン男爵で、護衛であり、わたしの婚約者でもあります」
「ルフェーヴル=ニコルソンと申します。数日間ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします」
ルルが座ったまま胸に手を当てて礼を執る。
エルネティア様も頭を浅く下げて礼を執った。
「ニコルソン男爵のお噂もよく聞き及んでおります。王女殿下のお側に忠誠心厚く、お強い、男爵のような方がいらしてくださってとても安心しておりますの。滞在中はどうぞゆっくりしていってくださいな。多少羽目を外しても我が領内であれば構いませんわ」
お強い、の部分がやや強調された言葉にルルの笑みが深まった。
……もしかしてルルの正体を知ってる?
チラとルルを見れば目だけで肯定される。
……まあ、それもそうか。
大抵の貴族ならば王女の婚約者について調べようとするだろう。
前に聞いたが、ルルが許可した家にはルルの情報が闇ギルドから売られているそうだ。
当然、どこに売られたかルル自身も把握している。
エカチェリーナ様がルルについて知っていたのだから、母親であるエルネティア様も知っていてもおかしくない。
ルイジェルノ様も既に知っているのか、ニコニコとした表情を崩さない。
ルルは笑みを浮かべたままこう言った。
「ありがとうございます」
ただ『多少羽目を外しても良い』という言葉に関しては少し嬉しそうだった。
* * * * *
和やかにティータイムを終えると、エルネティア様はまだお仕事が残っているそうでエカチェリーナ様とルイジェルノ様に後を任せて戻って行った。
わたしはルルだけでなく、エカチェリーナ様とルイジェルノ様、という花だらけの状態である。
そしてそのままルイジェルノ様にお城の中を案内してもらった。
なかなかに複雑な造りで、基本的に目的地に着くには遠回りをしなければいけないので、どうしても歩く距離が長くなる。
そのため今日は蔵書室と庭園を案内してもらうことにした。
「たった二つだけですか……?」
残念そうな顔をするルイジェルノ様に、エカチェリーナ様が言う。
「五日もあるのだから、少しずつ案内すれば良いのよ。そうですわよね、リュシエンヌ様?」
「ええ、また明日もお願いしますね」
わたしが頷けば、ルイジェルノ様は嬉しそうに笑った。
「分かりました」
そういうことで、わたし達はお城の蔵書室と庭園を見学することとなった。
ルイジェルノ様のお話では蔵書室は二階にあるらしい。
階段を上ったり下りたり、廊下を進んだり曲がったりで、わたしは自分がどの階にいるのかも分からなくなりそうだった。
そうして到着した蔵書室は両開きの重厚な扉の向こうにあった。
二階、と言っていたけれど、それは正確には二階と三階の両方を使用した広い場所だ。
舞踏の間かと思うほど広い室内に、壁際以外にも大きな本棚が並び、居心地の良さそうなソファーやテーブルが至る所に配置されている。
蔵書室内は火気厳禁なので、光魔法を使用したランタンが沢山あり、窓は少ないが、ランタンの光が十分室内を照らし出していた。
「ここが蔵書室です。この蔵書室がクリューガー公爵領でも随一で、歴史学や経済学から最近流行りの小説まで色々な種類の本があるのです」
まるで自分のことのようにルイジェルノ様が言う。
「それは凄いですね。ルイジェルノ様はよくこの蔵書室を利用されていらっしゃるのでしょうか?」
「はい、そうです。勉強で分からないところがあったり、もっと知りたい時にここで調べています。物語を読みたい時もここにあるものを読んでいます」
「どのような本をお読みになられるのですか?」
「えっと、冒険や騎士の物語が多いです」
男の子らしいなと思う。
……そういえば、わたしはこの世界に来てから、そういう小説はあまり読んでないなあ。
もっぱら魔法に関する専門書ばかり読んでいる。
「リュシエンヌ様はどのような本をよく読まれますの?」
エカチェリーナ様の問いに素直に答える。
「魔法書ですね。既存の魔法を調べたり、魔法理論を学んだり。物語はほとんど読んだことがありません」
「まあ、リュシエンヌ様は本当に勤勉家でいらっしゃいますわ。だから魔法に造詣が深いのですね」
エカチェリーナ様の目が輝いた。
……勤勉家とは言い過ぎな気もするが。
ルイジェルノ様に見上げられる。
「魔法がお好きなのですか?」
それに頷き返す。
「ええ、好きです。わたし自身は使えませんが、だからこその憧れと言いましょうか? 自分にとっては未知のものですから。それを探究してみたいと思うのです」
「そういえばリュシエンヌ様は色々な魔法を作り出しておられますよね。特にあの空中に文字を書ける魔法が好きですっ」
「ありがとうございます。今、その魔法を改良しているので、また新しい構築式が出来上がった時はルイジェルノ様にご連絡いたしますね」
ルイジェルノ様が「うわあ、楽しみです!」と思わず声を上げて、司書らしき男性に「お静かにお願いいたします」と言われて慌てて口に手を当てた。
そんなに喜んでもらえるなら頑張らないと。
今のその魔法は蛍光色の線を空中に描くだけだが、改良して、文字を点滅させたり動かしたり出来るようにしたいのだ。
そしてやがては図形や地形図など立体的なものを表示する魔法に応用出来たらいいなと考えている。
「もちろん、エカチェリーナ様にもご連絡します」
「まあ、それは楽しみですわ」
そわそわしていたエカチェリーナ様も嬉しそうに頬を緩めて頷いてくれた。
「リュシエンヌ様も滞在中にお読みになりたい本がありましたら、遠慮せず借りてくださいまし」
少し照れた顔を隠すように背けてエカチェリーナ様が言った。
「いいのですか?」
「ええ、何でしたら今ご覧になって何冊か借りていかれてはいかがでしょう? 魔法学の本も沢山ございますのよ?」
「是非お願いします」
魔法学と聞いて反射的に言葉が出ていた。
即答のわたしにエカチェリーナ様がキョトンとし、それからクスクスと笑う。
「魔法学はこちらですわ」
エカチェリーナ様に案内してもらう。
魔法学の本は多く、案内してくれたエカチェリーナ様が「ここからあちらの棚までがそうですわ」と示してくれたが、到底五日間では読み切れない。
とりあえずザッとタイトルに目を通し、その中から気になったものを厳選し、ルルに取ってもらう。
……まずは五冊だけにしよう。
わたしの選んだ本のタイトルにエカチェリーナ様もルイジェルノ様も感心したような顔をする。
「そのような難しい本を読まれるのですか?」
ルイジェルノ様がまじまじとルルの手元を見上げた。
「はい、こちらの本は王城にもありませんでしたから。こちらを読み終えたらまたお借りしてもいいでしょうか?」
「え? ええ、それは構いませんが……。まさかそちらの本、今日中に読むおつもりですの?」
「いえ、さすがに今日中には無理ですが、今日明日で読めると思います」
エカチェリーナ様が目を丸くした。
「わたくし、五日かけてもそちらの本を読み終える自信がありません……」
「わたしも好きなものでなければそこまで早くは読めませんよ。魔法学に関しての本だけです」
「それでも凄いことですわ」
でもそれは多分、前世の記憶があるからだ。
前世でも本が好きでかなり読書量は多かった。
だから読書という行為自体にとても慣れているし、自分なりの効率的な読み方もあるし、集中力が続く。
学院に通って気付いたけれど、この世界の人は集中力も努力で身につけなければならない。
前世では読書は娯楽の一つだった。
だがこの世界では読書はどちらかと言うと勉強の意味合いが強く、物語もそれなりに多くあるけれど、娯楽というには人々に浸透していない。
そもそも平民が気軽に買えるほど本は安くない。
何より平民の識字率はまだ低いだろう。
生活に困らない程度には読み書きは出来るだろうが、難しい文章などは恐らく無理だ。
それに読書出来るほど集中力も続かないと思う。
……いつか、前世みたいに平民も当たり前に学院へ通えるような国になれたらいいのに。
「ニコルソン男爵、そちらは司書に渡してくださいな。後ほどリュシエンヌ様のお部屋に運ばせておきます」
とのことで、本は司書に任せた。
そして次の庭園へと向かう。
中庭までの道のりは二階分と言っても、やはり長く、内心で案内してもらう場所が二箇所だけで良かったなと安堵した。
うっかり三つも四つも見ようと思ったら足が痛くなってしまいそうだ。
「……まあ……」
案内してもらった庭園は美しかった。
日が傾いて、夕暮れに近い時間帯。
オレンジになりかけた空の下には左右対称の美しい庭が広がっていた。
中央に噴水が配され、そこから東西南北に道が広がり、そこに合わせて低木で囲いがされた場所にやや背の高い花が植えてある。
囲いは三角形だったり四角形だったりとバリエーションがあり、大きな木が生えている場所は円になっている。
季節的には花よりも緑が多い。
でもその数少ない種類の花がむしろ良いアクセントになっていて、花の色と新緑の対比が美しい。
何より一分の隙もなく整えられた庭の、その整然とした静けさに圧倒される。
わたしの宮の庭園も美しいが、そちらは芸術品のような整え方をされており、美しいとは思うがどこか物のような淡々とした感じというか、冷たさがある。
それに比べてこちらの庭園は同じく整っていても、遊び心というか、温かみが感じられる。
その違いは何だろうと思って気付く。
……花の種類だ。
わたしの宮には大輪の花が多い。
でもここは、それとは逆に小ぶりの花が多い。
「この庭園の花は小さいものが多いですね」
わたしが言えば、エカチェリーナ様が頷いた。
「ええ、我が家の庭園の花は領地に生えているごく一般的なものなのです。お母様が派手な花よりもそちらの方がお好きで、そうしているのですわ」
「僕も庭園の花が好きです」
「わたくしもよ」
それが感じ方の違いに繋がっているのだろう。
庭園の花に近寄って見てみる。
小さな花達はそれぞれが小さな花畑のようだ。
「どの花も可愛いね」
隣に立つルルを見上げれば、ルルが頷いた。
「そうですね。……ここの花は摘んでもよろしいですか?」
「少しなら大丈夫ですわ」
ルルにエカチェリーナ様が返す。
するとルルが近くにあった白い花を一輪摘んだ。
それをわたしの髪にそっと差す。
そして手を離すとふわっと笑った。
「ああ、やっぱり似合いますね」
わたしも一輪摘んで、ルルの胸元に差す。
「ありがとう」
お揃いになったことでルルの笑みが深まった。
そんなわたし達をエカチェリーナ様が黙って見守っていて、ルイジェルノ様が少しだけ頬を赤く染めて見ている。
それに気付いたのは少し後の話である。
その後は部屋に戻って、摘んだ花を一度水切りして花瓶に差しておいてもらった。
そうして髪に飾り直してルルとお揃いで夕食の席に行くと、気付いたエルネティア様に微笑ましそうな顔をされた。
……やっぱりお揃いっていいな。
この旅の間に、ルルと二人でお揃いのお土産を買いたくなった。




