初めての旅(3)
そうして街道を馬車で走ること、半日。
お兄様が言っていたように太陽が傾き、日が落ちる前に、本日の宿泊先である町に辿り着いた。
町に入ると人々が出迎えてくれた。
大勢の人が道の左右にいて、わたし達はまた、王都を出る時と同じように手を振りながら入っていく。
そうして町の中で一番立派なお屋敷に到着した。
どうやら町長の家らしい。
「王太子殿下、王女殿下、ようこそお越しくださいました! 狭い家ではございますが、どうぞごゆるりとお過ごしください!」
恰幅の良い、随分と元気な初老の男性が町長のようで、町長の家の家族総出で迎えられる。
お兄様が苦笑しながら頷いた。
「ああ、またよろしく頼む」
「はい! 今回は王女殿下もご一緒とのことでしたので、いつも以上に整えてございます!」
「そうか、それは助かる」
それぞれの紹介を受けてから、わたし達は屋敷の中へ通された。
小さなホールを抜けて、廊下を上がり、三階にわたしとお兄様の部屋はあるようだ。恐らく客人用の部屋だ。お兄様と部屋は隣同士だった。
他にもミハイル先生とルルの部屋もあった。
騎士達は別棟があるそうで、そちらへ泊まり、警備は交代して行われることになるだろう。
小さな町にしては随分と立派なお屋敷だ。
思わず屋敷について問うと、町長は笑ってこう言った。
「ここは王都に最も近い町ですから、貴族の方々もよく休んで行かれるのです! そのため、大きな屋敷を建てて、皆様を歓迎出来るようにしたのです!」
それになるほどと思う。
国の東に住む貴族達は王都を訪れるには、必ずこの街道を通る。
そして王都に住む貴族が東へ向うにしても、やはり、この町で一泊することになるのだろう。
つまり、この町に貴族が寄る確率は高い。
そこで、町長の屋敷を大きく造ったのだ。
貴族となれば町で最も権力のある者が出迎え、歓待することとなるため、そうしたのだろう。
「晩餐まで今しばらくございます! 時間になりましたら家の者が参りますので、それまでお部屋でお寛ぎください! 必要でしたら湯のご用意もしてあります! 何なりとお声かけください!」
町長はハキハキとそう言ってわたし達を部屋へ案内すると、腰を低くして去っていった。
それを見送ったお兄様がぼそりと呟く。
「悪い者ではないんだが、相変わらず騒がしいな」
それについ吹き出してしまう。
そう、町長は悪い人ではなさそうなのだ。
変な媚びを売らず、萎縮もせず、けれど礼儀に欠けているわけでもない。気も好さそうだ。
ただ一つ問題があるとしたら、声が大きくて、そのせいか一人で喋っているだけなのにとても騒がしい。
「面白い町長さんですね。元気で、明るくて、ああいう人が束ねている町なら、きっと町の方々も明るく朗らかな感じなのでしょう」
「まあ、そうだな。裏表がなくて気は楽だ」
お兄様と顔を見合わせてもう一度笑う。
それから一旦部屋へ下がることになった。
わたしの部屋にはルルとリニアさんと侍女二人が来て、リニアさん達は持ってきた荷物のいくつかを部屋に運び入れる。
その間、わたしはルルと邪魔にならないように、窓際に椅子を動かして、二人で窓の外を眺めた。
町の家々の向こうに森があり、山があり、そこへ夕日が少しずつ沈んでいく。
空も、町も、わたし達もオレンジ色に染まる。
学院の帰り道で見る夕日と同じはずなのに、今見ている景色の方が綺麗に見える。
「ルル、夕日って綺麗だね」
「そうだねぇ」
隣で同じように窓を外を眺めるルルが頷いた。
「夕日のオレンジ色って暖かい気がしない?」
「そうなのぉ?」
「うん、だって全部オレンジで、見た目的にも暖かいような感じがする」
「あー、火に当たってる時もこういう色になるよねぇ。それを思い出すからかなぁ?」
「そうかも」
ルルと二人で取り留めもないことを話す。
最近はオリヴィエのことや原作のことを話し合うことが多かったから、こうして穏やかにお喋り出来る時間が何度もあるのは嬉しかった。
ルルと話している間にリニアさん達は荷解きをして、わたしは別のドレスに着替えることになった。
今日は朝から旅用の軽装なドレスだったけれど、湯をもらって軽く湯浴みをして、汚れを落としたら普段着ているしっかりとした重いドレスを着る。
髪も整え、薄く化粧もして、装飾品を身に付ける。
準備を終えると扉が叩かれた。
リニアさんが出て、一度自分の部屋へ行っていたルルが、同じく着替えて戻って来た。
わたしを見て灰色の目を細める。
「軽装のリュシーも可愛いけどぉ、着飾ったリュシーも凄く綺麗だねぇ」
数年前まではよく可愛い可愛いと言ってくれていたルルだけど、最近は可愛いよりも綺麗という言葉をよく使ってくれるようになった。
女の子としては可愛いも嬉しいが、やっぱり綺麗だねって言われる方がもっと嬉しい。
特に今のわたしは大人に成長しているところだ。
前世の記憶もあるが、大人っぽくしたいというか、背伸びしたいと思うのである。
だから綺麗の方が嬉しいのだ。
「ありがとう。ルルも普段から格好良いけど、今の服はもっと格好良くて素敵だね」
「ありがとぉ」
そんな話をしていると、町長の家の使用人がやって来て、晩餐へ招かれた。
廊下へ出ればお兄様とミハイル先生と会う。
わたしはルルにエスコートしてもらい、四人で使用人の案内を受けて食堂へ向かう。
食堂では既に町長達がおり、わたし達が入ると席を立って出迎えてくれた。
「大したものはご用意出来ませんが、今宵の晩餐を楽しんでいただけたら幸いです! ささ、どうぞお席へ!」
そうしてわたしとお兄様が並んで座り、わたしの左隣にルルが、お兄様の右隣にミハイル先生が腰を下ろす。
向かい側には町長とその家族達がいる。
町長の夫人に、息子と娘が一人ずつ。
そしてテーブルの上には色々な料理が並んでいた。
それをミハイル先生とルルが取り分け、毒味を行い、お兄様とわたしが口にする。
町長達は毒味があっても嫌な顔一つしない。
それどころか料理についてあれこれと説明を始め出して、夫人に「あまり騒がしくしては、落ち着いて食事が出来ないでしょう」と諌められているくらいだった。
元気で明るい夫に、物静かで落ち着いた妻。
子供達もしっかり教育を受けているようで、会話を聞きつつも、必要以上に混ざるようなことはしない。
主にお兄様と町長が町についての話をしている。
それを聞きながらわたしは料理を食べていた。
ルルはわたしの好みを熟知しており、わたしの好きそうなものを取り分けて、食べてみて口に合うものであれば渡してくれる。合わないものは自分の皿に避ける。
おかげで初めて来た場所でも美味しく食事が出来る。
時折、ルルが小声で「おかわりしますか?」「あれとこれではどちらがお好みですか?」と話しかけてきて、わたしもそれに小声で返す。
そんなことを何度か繰り返していたら、気付いた町長に「婚約者同士で仲睦まじくて羨ましいですな!」と言われた。
お兄様が「兄の私より仲が良いんだ」と返すと、冗談だと思ったのか「それは妬けますね!」とガハハと笑ったのだった。
豪快な笑い声だが、明るくて、気持ちが良い。
町長の妻が「困った人」というような顔で少し眉を下げたものの、その表情はどこか楽しげで、きっと普段からこういう人なのだろうと分かる。
晩餐は町長の豪快な笑い声が響いていたが、始終和やかで、居心地の良いものだった。
食後はお兄様とミハイル先生は町長とシガールームへ、わたしとルルは町長の夫人や子供達とサロンへ行って、それぞれそこでしばらく談笑を楽しんでから自室へ戻った。
妻や子供達は非常に礼儀正しかった。
それでも子供達は好奇心旺盛で、王都のことや王城のこと、王女の暮らし、婚約者とのことなど、様々なことを訊かれた。
あまりに質問責めにするので母親に窘められていた。
孤児院の子供達と変わらない。
子供の好奇心旺盛な部分は可愛いと思う。
「ふふっ」
ドレスを脱ぎ、もう一度湯浴みをしている最中に、思い出し笑いをしてしまった。
リニアさんが微笑を浮かべて問うてくる。
「リュシエンヌ様、晩餐は楽しかったですか?」
それに頷き返す。
「うん、とっても楽しかったです。町長さんは闊達とした方で場の雰囲気を明るくしてくださって、面白い方でした。夫人は物静かな方で、家族を優しく見守っていらして、ご子息とご令嬢も礼儀正しくて可愛らしい子達でした」
「それは良うございましたね」
わたしの体に湯をかけてくれながらリニアさんが微笑んだ。
……わたしには母親の記憶がないけれど、もし母親がいたとしたら、リニアさんみたいな人だったら良かったな。
町長の夫人と子供達のやり取りを見ていて、少し羨ましくなったくらいだ。
わたしには母親はいないが、代わりに五歳の頃から仕えてくれているリニアさんやメルティさん達がいて、わたしの中ではリニアさんがそれに一番近い。
いつも一歩後ろで見守っていてくれて、でもわたしが悪いことをすれば叱ったり窘めたりして、いつも世話を焼いてくれる。
メルティさんは歳の離れたお姉さんという感じだ。
ファイエット邸時代からずっと仕えてくれている二人には、ルルとはまた違った親しさを感じていた。
「それでね、ご子息とご令嬢ともお話したんだけど、質問責めにされちゃいました。王都の暮らしや王族のことを知りたかったみたいで」
好奇心旺盛な、キラキラ輝く子供の目に見つめられると弱い。
リニアさんが納得した風に頷いた。
「王都に近いと言ってもやはり町と王都では生活は違いますから。滅多に会うことの出来ない王女様と話せて、お二方はよほど嬉しかったのでしょう」
「うん、そうかも。ルルなんて大変そうでした。ご子息とご令嬢に『どこで王女殿下と出会ったのですか?』『どんな風に仲を深めたのですか?』『王女殿下のどこがお好きなのですか?』って詰め寄られてあれこれ訊かれて、ちょっと困ってました」
それにリニアさんが腰に手を当てた。
「ニコルソンはいつも周りを困らせていますから、そういう経験をして、少しは行動を改めてもらいたいですね」
「まあ……!」
顔を見合わせてクスクスと笑う。
寝間着の準備をしていた他の侍女二人も、わたし達の会話を聞いて微かに笑っている。
ルルはわたしのことになると融通が利かないところもあって、そういうところで、リニアさん達が困ることもあるそうだ。
侍女の中には王女であるわたしの傍でもっと仕えたいと思う者もいるが、ルルが常にわたしの傍におり、わたしの世話をあれこれ焼いてしまうため、王女様に仕えている感じがしないと不満も少し出ているようだ。
侍女長のリニアさんから言われてもルルはどこ吹く風で、あまり話を聞かない。
それどころか「今までオレがしてた仕事なのに横取りする気ぃ?」と逆に威嚇されるとか。
「最近では侍女達の方が折れてくれているのですよ」
そうリニアさんは苦笑した。
そこでルルに強く言わないのは、ルルと離れたくないというわたしの気持ちも分かってくれているからだろう。
「ありがとう。迷惑かけてごめんなさい」
わたしがルルに「他の侍女にも仕事を回しなさい」と言えば済む話なのだ。
でも、わたしはルルと離れたくない。
ルルが傍で世話してくれるのが嬉しい。
だから、その言葉は言えないのだ。
「いいえ、リュシエンヌ様が謝られる必要はございません。ニコルソンは昔からああですから。あれでも丸くなって、大分マシになりましたけれど」
「ふふ、昔はリニアさんとルルとでよく喧嘩していましたよね」
「あれは全面的にニコルソンが悪いのです」
実はファイエット邸時代の最初の頃は、リニアさんとルルはあまり仲が良くなかった。
わたしの前ではそれなりに話したりもしていたが、思い返してみると、それは仕事についてばかりだった。
でもたまに意見が対立すると睨み合いが始まるのだ。
リニアさんもルルも怒っていても、怒鳴ることはなくて、お互いに笑顔のまま淡々と言い合いをする。
最初は喧嘩なのか交渉しているのか判断出来なかったのだが、段々とそれが二人なりの喧嘩だと分かるようになった。
だけど十年も経てばさすがに色々と変わる。
リニアさんの言う通りルルの性格は丸くなったし、リニアさんもルルの言動の意味が理解出来るようになったそうで、二人の喧嘩はほぼなくなった。
ルルもリニアさんも互いに意見は同じらしい。
全ては王女殿下のために。
そこさえ一致していれば良いそうだ。
ちなみにルルに面と向かって意見を言える数少ない人物の一人がリニアさんでもある。
「さあ、そろそろ上がりましょうか」
侍女二人が体を拭くための布を用意する。
わたしは頷き、湯船から出る。
優しく体を拭いてもらいながら考えた。
……ルルなりにリニアさん達のことは信用してるから、結婚後も一緒に来ても良いって思ってくれたんだよね。
あのルルにそう思わせるなんて、リニアさんもメルティさんも凄い。
メルティさんは最初はルルをちょっと怖がっていたものの、今ではハッキリと物申せるようになっていた。
いつからそのようになったかは覚えていない。
気付けば、リニアさんもメルティさんも、そんな風に変わっていた。
……十年って凄い。
……わたしは何か変わったのかな。
外見しか成長していない気もする、と香油を塗られながら内心で唸る。
香油を使ったマッサージを受けて、体や髪を乾かし、寝間着に着替える。
そうするとタイミングを図ったように扉が叩かれ、ルルがやって来る。
「髪を梳かしに来たよぉ」
そんなルルにリニアさんが苦笑して櫛を手渡す。
侍女二人も仕方ないなという顔をしていた。
それが少しおかしくて、わたしは笑ってしまった。
旅先でもルルの行動はブレなかった。




