勉強会と教本と
大分暑さが増してきた季節。
原作『光差す世界で君と』の中で必ずあるイベントの一つ、前期試験が近付いてきた。
このイベントは作中では攻略対象の好感度上昇に欠かせないものだ。
明るく優しいヒロインが成績も良く、攻略対象は、努力するヒロインに更に好意を抱く。
そういうイベントなのだ。
そしてこのイベント、ヒロインを操作するプレイヤー側が何かせずとも、自然に好感度が上がる。
このゲームが好かれた点はそこもある。
攻略対象を選び、きちんと会う回数を重ねておけば、最低でもトゥルーエンドは見られるのである。
むしろバッドエンドにするためには選択肢を外しまくらなければならない。
そして選択肢を全て正解すればハッピーエンドルートに入れる。
原作のイメージがあると、前期試験と聞いてもただの好感度上昇イベントに過ぎないが、今は違う。
「リュシエンヌ、良かったら試験に向けて勉強会を開かないか?」
そろそろ試験に向けて勉強しようかと考えていたわたしに、お兄様がそう声をかけてきた。
わたしはそれに一も二もなく頷いた。
「はい、開きたいです」
そういうのって学生っぽくていいと思う。
「そうか。メンバーはエカチェリーナとロイド、ミランダ嬢、フィオラ嬢、アンリ、エディタ嬢にしようと思っている」
「学年別ではないのですね……?」
「ああ、二年生と一年生には私達が教えられるし、私達も互いに教え合えるからな」
なるほど、と少し疑問を感じながらも頷いた。
そうして勉強会はお兄様がセッティングして、三年生第一位に与えられた休憩室で行われることになった。
試験一週間前になると、授業は大体、試験に向けての勉強に割り当てられることが多くなる。
そこで今日、わたし達は一堂に会して勉強することに決めた。
授業が終わり、廊下で待機していたルルとお兄様の護衛の騎士と合流して、お兄様とロイド様とミランダ様の大所帯で三階へ向かう。
他の第十位までの人達も何人か三階へ上がってきて、それぞれの部屋へ入っていく。
やはり個室の方が勉強が捗るのだろう。
わたし達は一足先にお兄様の休憩室へ入った。
お兄様の休憩室は広く、十人ほどが座れる大きなテーブルが部屋の中央にあり、端の方には簡易のキッチンが備え付けられている。
……わたしに与えられた部屋とほぼ同じだ。
違いがあるとするなら、お兄様に与えられた部屋の家具は最高級品だということ。
わたしの部屋もそうだけれど、僅かにこちらの方が装飾が豪華なものになっている。
そのせいか非常に華やかな部屋だった。
「勉強会をするのでお菓子を持ってきました」
ロイド様が持ってきたバスケットを持ち上げて、ニコリと微笑んだ。
「私は紅茶をお持ちしました」
ミランダ様もそう言って綺麗な柄の紙袋を取り出した。
恐らく二人とも示し合わせて持ってきたのだろう。
わたしを椅子に座らせるとルルが「じゃあオレがお茶の準備をするよぉ」と簡易のキッチンへ向かう。
珍しく袖を捲り、キッチンで手慣れた様子で紅茶を淹れたり、皿にお菓子を盛り付けたりする姿をぼんやり眺める。
……ルルの腕、細いなあ。
あれで同年代の中では長身のリュシエンヌをひょいと抱え上げてしまえるのだから驚きだ。
「アリスティード、今日はどの科目を勉強する?」
「私は算術だな」
「じゃあ私もそれをやろうかな」
「ミランダ嬢はどうする?」
「私も算術にします」
ロイド様とお兄様とミランダ様が話している。
お兄様がわたしの方を向いた。
「リュシエンヌは?」
「わたしも算術にします。みんなで同じ科目を勉強した方が、お互いに教え合えるし、一緒に考えることも出来るので」
「そうだな、せっかくだからそうしよう」
そんな話をしているうちに部屋の扉が叩かれる。
騎士が対応し、エカチェリーナ様とフィオラ様が現れる。
レアンドルと婚約を解消したフィオラ様だが、その後、エカチェリーナ様の侍女を目指すと公言し、既にエカチェリーナ様の配下としてよく一緒にいるのを見かけるようになった。
こう言っては何だがフィオラ様はレアンドルの婚約者だった時よりも輝いていて、表情も明るく、聞くところによると次期王太子妃の覚えめでたい有望な女性として貴族の男性達の中にはフィオラ様に婚約を申し出る者もいたらしい。
けれどフィオラ様はそれを断ったそうだ。
「ご機嫌よう、皆様」
「遅くなり申し訳ありません」
「いや、私達もまだ来たばかりだ」
エカチェリーナ様の傍に控える姿は既に侍女のようで、どこか生き生きとした雰囲気がある。
目が合うとフィオラ様にニッコリと微笑まれた。
私も思わずニッコリしてしまうような、そんな笑みは、とても楽しそうなものだった。
エカチェリーナ様とフィオラ様が座ると、また扉が叩かれる。
今度はアンリとエディタ様だ。
「お、お待たせしました」
「本日は勉強会にお招きくださり、ありがとうございます」
ちょっと息の乱れたアンリと平然としたエディタ様。
もしかして急いでやって来たのだろうか。
「いや、こちらこそ集まってくれて礼を言う」
勉強会は数回開かれる予定だ。
多分、全員参加することになる。
アンリとエディタ様も席に着く。
これで扉から一番離れた席にお兄様がおり、そこから右手側にわたし、ルル、ミランダ様、アンリ、エディタ様。左手側にロイド様、エカチェリーナ様、フィオラ様となっている。
二年、三年、一年という並び具合だ。
ちなみにミランダ様は当たり前のように私の横を一席分空けて座り、お菓子を並べに来たルルがそれを見て、無言で口角を引き上げていた。
「どうぞぉ」
ルルがお菓子を並べ、淹れたての紅茶をそれぞれに配ってくれる。
……あ、わたしのだけミルクティーだ。
紅茶はストレートでも飲むけれど、こういう頭を使う時にはお菓子は控えめにして、蜂蜜とミルクたっぷりのミルクティーをよく飲む。
わたしの好みをきちんと覚えていてくれるルルに嬉しくなった。
全員に紅茶を淹れ。ちゃっかり自分の分も用意して持ってきたルルがわたしの横に腰掛ける。
「今日は算術を勉強しようと思うが、大丈夫か?」
お兄様の言葉に全員が頷いた。
そうして各々、勉強道具を取り出し、テーブルの上へ広げていく。
大きなテーブルなので勉強道具をあれこれと置いても全く狭さを感じないし、隣の人と肘が当たることもない。
「ではそれぞれ勉強を始めてくれ。もし分からないところがあれば、遠慮なく訊くように」
そうして勉強会が始まった。
みんな集中力が高いようで、始まっても静かな時間が続いていく。
これならわたしも集中出来そうだ。
今まで勉強してきた範囲を、まずは教科書を読んで思い出し、それから自分が授業中に書き留めたノートの内容を分かりやすく別のノートとして使っている本へ纏めていく。
お兄様達は教科書に載っている問題を解いて復習しているらしかった。
……勉強というか、この時間は好き。
授業中に書いた雑多なノートを、後から読み返して自分なりに分かりやすく纏めるこの作業。
人によっては面倒臭いと感じるだろうけれど、わたしからしたら、復習と共に、忘れてしまった内容を思い出す作業でもあるので結構楽しいのだ。
自分なりに纏めるので、今どれくらい理解しているのか分かっていい。
ノートに色々と書き込むわたしを横でルルが見守っている。
「リュシエンヌは面白い勉強の仕方をするよな」
横からお兄様もわたしの手元を覗き込んでくる。
それに他のみんなも顔を上げた。
「そうなんですの?」
エカチェリーナ様が興味を示した風にこちらを見たので、わたしはノートをお兄様とロイド様経由で手渡した。
ロイド様、エカチェリーナ様、フィオラ様が身を乗り出してテーブルに広げたノートを覗き込む。
「へえ、分かりやすいね」
「あら、注意点も書いてありますわ」
「公式の解き方が細かく書いてあってよろしいですね。これなら読み返すだけでも勉強になりますね」
感心するようにノートを見られてちょっと照れる。
「実は私もリュシエンヌの勉強方法を真似させてもらって、いつも予習と復習をしているんだ」
返ってきたノートが今度はミランダ様達の方へ流れていく。
ミランダ様とアンリとエディタ様もノートを見て、感嘆の声を上げた。
「授業で書き写したものより分かりやすいですわ」
「そ、そうですね、これを本にしたら勉強もしやすいと思います」
「本……。いいですね。これが本になったら是非購入させてただきたいです」
「そうしたら僕も買いたいな」
それぞれの言葉にお兄様がふと目を瞬かせた。
「確か私が教えた一年生と二年生の分も残っていたよな?」
お兄様の問いに頷き返す。
「ええ、ありますが……?」
「いっそ、それらを本にしないか? 教科書とは別に、勉強用の教本として出すんだ。きっと皆欲しがるぞ?」
今度はわたしが目を瞬かせる番だった。
「え、でも、わたしが自分の分かりやすいように書いたものなので、他の方もそうとは限りませんよ?」
中にはわたしなりの解釈で公式を解いている部分もあり、それが正しいかと言われると困る。
お兄様がふむ、と腕を組む。
「これを見る限りは大丈夫だと思うが、もしそういうところがあるなら少し修正すれば良い」
「それは名案ですわ、わたくしも本になるならば欲しいですもの」
エカチェリーナ様までお兄様に同意する。
思わずロイド様を見やれば、微笑み返された。
「うん、そういうものがあったら生徒は勉強がしやすくなっていいね」
「ロイド様まで……」
「本になればリュシエンヌ様にとっても良いことだと思うよ? 私財が増えるし、学院の生徒の学びの質が上がれば国のためにもなるし、それってリュシエンヌ様の功績にならないかな?」
ロイド様の言葉にお兄様とエカチェリーナ様が「リュシエンヌの功績……」「リュシエンヌ様の功績……」と同時に呟き、顔を見合わせ、頷いた。
……これは絶対本にするやつだ……。
お兄様とエカチェリーナ様が動くなら、絶対になる。
「これについては試験が終わったら話を詰めよう」
「そうですわね、今は勉強に集中しましょう」
と、いうことになった。
どうやらわたしの勉強ノートは本になるらしい。
……でも字の上手な人に書き写してもらおう。
ルルが「良かったねぇ」というので、とりあえずは頷いておいた。
ルルと結婚する前に少しでも私財が増えるのは良いことだし、ロイド様の言う通り、学生の学力が上がるなら、それは何れ国のためになることだろう。
……でもまさか教本がないなんて。
だけど、そういえば、勉強で使う教科書や問題集はあっても、試験向けの教本や学習を手助けするような本は見かけたことがない。
確かにそういうものはあってもいいと思う。
将来国を担う子供達の学力が上がれば、きっと、それは国のためにも、お父様のためにも、そしてお兄様のためにもなるだろう。
……わたしは途中で王族から抜けちゃうしね。
少しでも王族として、家族として協力出来ることがあるなら、それはわたしにとっても確かに良いことだから。
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