放課後の手伝い(2)/ 裏側の事情
翌日の放課後。
ルルと共に生徒会室の隣の休憩室でわたし達はリシャール先生を待った。
休憩室で少し待っていると扉が叩かれる。
昨日と同様にルルがまずは対応した。
訪問者はやはりリシャール先生だった。
「昨日の今日で悪いな」
そう言った先生にわたしは首を振った。
「いえ、わたしもお話を聞きたかったので」
「そうか……」
リシャール先生が部屋の中に入ると、ルルがパタンと扉を閉めた。
先生がルルを振り返り、そしてわたしの方を見る。
「えっと、もしかしてニコルソン男爵も転生者だったりする、のか……?」
戸惑った様子の先生にもう一度首を振った。
「いいえ、ルルは違います。でも前世についてはわたしから話してありますので、大丈夫ですよ」
「そうなのか……」
どこか残念そうに先生は肩を落とす。
先生はわたしから一番離れた席に座った。
ルルがわたしのところへ戻ってくる。
「それで、昨日の話を聞いて考えたんだが、俺はオリヴィエ=セリエール嬢に近付かない方が良いんだよな?」
「ええ、彼女に好意を抱いていないのであれば極力近寄らない方がよろしいかと。彼女はその、少々しつこい性格のようなので、下手に関わると粘着されます」
実際、お兄様やロイド様がどれだけ粘着されていたか説明するとリシャール先生が眉を寄せた。
「俺はハーシア一筋だ」
……なるほど、ハーシア様が婚約者ともっと仲良くなりたいと言うわけだ。
家同士の婚約だろうけれど、両想いらしい。
原作のリシャールの面影は欠片もない。
「ふぅん?」
「っ」
ルルの視線にビクリと先生が肩を跳ねさせる。
ちょっとその顔色が悪い。
「ルル、先生で遊んじゃダメ」
横を見上げれば、ルルがふふっと笑う。
「はぁい」と返事をしたルルから漂っていた冷たい空気が四散する。
リシャール先生が疲れたように息を吐いた。
「あー、ニコルソン男爵は大丈夫なのか? オリヴィエ=セリエール嬢はあなたを狙っているんだろう? ……勇気あるな」
ぽつりと呟かれた言葉に思わず笑ってしまう。
……確かにそうね。
オリヴィエもルルが暗殺者だと知っているはずだ。
しかもわたしの婚約者だともう知っていて、それでも狙ってくるのだから、ある意味では勇者だろう。
ルルがどういう意味だとジッとリシャール先生を見て、リシャール先生が視線を泳がせる。
昨日のことがあったからか、どうもルルはリシャール先生に対して冷たくて、リシャール先生はルルを少し苦手に感じているようだ。
「リシャール先生はこのまま、男爵令嬢と関わらないように気を付けてください」
先生が残念そうな顔をする。
「同じ転生者同士、仲良く出来ないか?」
それが出来たら良いのだけれど。
「彼女はヒロインで、わたしは悪役です。そして彼女はわたしが転生者であると恐らく気付いています。気付いた上で、わたしを貶め、ルルを奪おうと考えているのです」
「……和解は無理ってことか」
「はい。彼女が変わらないのであれば、わたしと彼女の関係は平行線のままでしょう」
オーリとは仲良くしているけれど、オリヴィエと仲良く出来る気がしない。
そもそもルルをわたしから奪おうとしているのだ。
仲良くする必要性がない。
それにお兄様も彼女のせいで色々と苦労してる。
行動も制限されているし、ストレスも感じているようだし、レアンドルの件もある。
今更、仲良くなんて無理な話である。
「レアンドル=ムーラン伯爵子息のお話はお聞きになりましたか?」
「ああ、側近候補を外れるらしいな。……ちょっと待ってくれ。レアンドルは女絡みで問題を起こしたって聞いたが、まさか……?」
リシャール先生が呆然とこちらを見る。
わたしはそれに肯定の頷きを返した。
「はい、レアンドルはオリヴィエに攻略されたも同然でした。そして彼は側近の道を諦めて、オリヴィエ=セリエール男爵令嬢を選んだのです」
「っ、あの馬鹿……!」
「……お兄様もとても残念そうにしておりました」
リシャール先生が唸り、悔しそうに顔を顰めた。
歳が違うと言っても同じくお兄様の側近を目指していた者同士、それなりに交流も深かっただろう。
色々、先生も思うところがあるに違いない。
「オリヴィエ=セリエール嬢はレアンドルと両想いってわけじゃないんだよな? ニコルソン男爵が推しってことは」
先生が不快そうに顔を顰めたまま問うてくる。
「はい、彼女はレアンドルを利用してお兄様やアルテミシア公爵子息に近付こうとしました。結局それは叶いませんでしたが、レアンドル=ムーラン伯爵子息に恋愛感情はないようです」
「なんて奴だ……最低だな……」
「ですので、リシャール先生もオリヴィエ=セリエール男爵令嬢に近付かないようお願いします」
「分かった、そういう奴なら近付かないよ。……頼まれたって近付きたくもない」
そう言った先生の顔は心底嫌そうだった。
これでリシャール=フェザンディエが攻略されることもなくなった。
……まあ、今のオリヴィエはそれどころではないだろうけれど。
自分の悪評を払拭することに彼女は奔走している。
最近のオリヴィエに関する報告書を読んだ感じは、レアンドル以外の攻略対象とも上手く出会えていないようだし、そちらの心配はもうしなくても良さそうだ。
「もし何かあれば遠慮なく手紙を送ってくれ。そうだ、ニコルソン男爵は風魔法の警報を使えるか?」
「ええ、使えますが」
「なら、もしセリエール嬢が何かやらかしたら、その時はすぐに警報を鳴らしてくれれば教師として止めに入る」
警報は基本的に探知魔法と併用し、特定の人物が指定範囲に入ると範囲内にいる者に警報音が聞こえるという魔法だ。
でも警報だけでも使用出来る。
ただ警報音を鳴らすだけの魔法だ。
初級だけど意外と覚えるのが難しい魔法らしい。
「分かりました」
そこは反発する必要性を感じなかったようだ。
ルルは一つ頷いた。
「それじゃあ、そろそろアリスティード殿下達も終わる頃だろうから失礼するよ」
リシャール先生が立ち上がった。
「同じ転生者がいてくれて嬉しかった」
「わたしもです」
互いに略式の礼を執った。
そして先生は部屋を後にした。
ルルがふと声を上げた。
「あ、あのセンセーに『男爵令嬢に転生者であることは秘密』って言った方が良くなぁい?」
「うーん、あの様子なら言わないと思うけど……」
「あのセンセーうっかり多そうだから一応ねぇ。ちょっと言ってくるよぉ」
……うっかり前世の諺使っちゃったしね。
「分かった、行ってらっしゃい」
ルルが後を追って部屋を出て行った。
……さて、明日の予習でもしようかな。
* * * * *
「フェザンディエ先生」
休憩室を出て、ルフェーヴルはリシャールを追いかけた。
幸いまだリシャールは近くにおり、ルフェーヴルの声に呼ばれて振り返る。
「ん? あ、ああ、ニコルソン男爵か。どうかしたのか?」
やや困ったように眉を下げてリシャールが問う。
「お伝えするのを忘れたことがございまして。オリヴィエ=セリエール男爵令嬢に、あなたとリュシエンヌ様が転生者であることは内密にするようにお願いしたいのです」
それにリシャールが頷いた。
「分かった。まあ、いくら同郷と言っても気の好い人間じゃあなさそうだし、俺も極力近付かないつもりだ」
「そうですか、それならば良いのですが……」
「?」
ルフェーヴルにまじまじと見つめられたリシャールは首を傾げた。
昨日の件もあり、リシャールは少しルフェーヴルのことが苦手だった。
いくら主人を守るためと言っても魔力で圧をかけてくるとは、とリシャールは思った。
この世界で、いわゆる殺気と呼ばれるものの正体は魔力である。普段は体の中を循環している魔力を、敵意を込めて相手へ向ければ、それが殺気となる。
その魔力量が多ければ多いほど強い殺気になる。
だから魔力のないリュシエンヌは殺気を感じ取ることが難しい。
スッとルフェーヴルがリシャールに近付いた。
「先生のお祖父様はドルフザーツ様でしたでしょうか?」
「え? ああ、祖父さんの名前は確かにドルフザーツ=フェザンディエだが……」
すぐ目の前に立ったルフェーヴルがリシャールに顔を寄せる。
どちらも長身だが、僅かにルフェーヴルの方が高いらしく、戸惑うリシャールの耳元で囁いた。
「あのクソ親父に『母に種をくれてありがとう』と言っておいてください」
顔を離したルフェーヴルがニコ、と笑う。
リシャールは一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
目の前にいる男の顔をまじまじと見る。
「くそおやじ……?」
ルフェーヴルは頷いた。
「そうです、私はドルフザーツ=フェザンディエと没落して娼婦に落ちた元貴族の令嬢との間に生まれた子なので、まあ、あなたの叔父とも言えますね」
「え、え?! だけど全然似てないだろうっ?」
「あなたもお父君に似ていらっしゃらないではありませんか。私も、あなたも、母親似だったようです」
ハッとリシャールが言葉に詰まる。
リシャールは非常に母親似で、父親には色彩も見た目もほぼ似ておらず、完全に母親似だった。
もしも目の前の人物もそうであったとしたら。
「ああ、別に侯爵家に興味はありません。ご心配なく。それに今更父親だと名乗り出られても不愉快なだけですので、その辺りをよく伝えておいていただけますか?」
ルフェーヴルは微笑んでいるけれど、目は全く笑ってはいなかった。
父親であるドルフザーツには感謝している。
母に種をくれ、自分が生まれたことで、ルフェーヴルはリュシエンヌという唯一に出会うことが出来た。
だが感謝するのはそれだけだ。
母の妊娠後、ドルフザーツは娼館に訪れるのをやめた。
実は堕ろせと何度も母に迫ったようだが、母は頑として譲らず、ルフェーヴルは生まれたのだ。
これまで放置してきた父親に、今更我が物顔で父親だと名乗り出られても不快で腹立たしいだけである。
ヒンヤリとした殺気にリシャールが冷や汗を掻く。
「っ、わ、分かった。祖父さんにはあんたに関わらないよう、俺の方から言っておく」
「リュシエンヌ様に近付くのもやめてください」
「ああ、必ず、伝えるよ……」
リシャールが頷けばふっと圧力が消える。
しかしそれに安堵したのも束の間、風が通り抜け、リシャールの横の髪が数本散った。
壊れた人形のように緩慢な動きでリシャールが後ろを見る。
壁には細身のナイフが一本、突き刺さっていた。
「もし警告を無視したら、殺す」
首がもげそうなほどリシャールが頷く。
それにルフェーヴルは満足そうに口角を引き上げたのだった。
* * * * *
ルフェーヴルが休憩室に戻るとリュシエンヌが明日の授業の予習をしているところであった。
すぐに顔を上げたリュシエンヌに問われる。
「先生に追いついた?」
「うん、追いついたよぉ」
そう声をかけ、リュシエンヌの傍に立つ。
フェザンディエ前侯爵はルフェーヴルの父親だ。
だが、母に種を残しただけの男であり、自分を殺そうとした男でもある。
一度も会ったことのない男を父と認識すること自体がルフェーヴルにとっては無理な話だった。
しかし、その前侯爵がルフェーヴルについて最近、調べようと闇ギルドに来た。
当然、情報は売らなかった。
しかしリシャールを通して伝言を送れば、そう頭の悪い人間でなければ理解するだろう。
ルフェーヴルは前侯爵の行いを知っている。
そして繋がりを持つつもりはない。
ルフェーヴルを利用して、更に王族に近付こうとしたならば、その時は殺してやる。
「ルル、なんか怒ってる?」
リュシエンヌの言葉にルフェーヴルは笑った。
「んー、そんなことないよぉ?」
「そう? 気のせいならいいけど……。リシャール先生に何か言われたとかじゃないよね?」
「うん、何もなかったから大丈夫〜」
髪型を崩さないように、そっとリュシエンヌの頭を撫でる。
ルフェーヴル=ニコルソンがリシャール=フェザンディエの叔父などということは、リュシエンヌは知らなくても良いことだ。
リシャールへ興味を持たせたくない
同じ転生者というだけでもルフェーヴルからしたら面白くないのに、もしリシャールとルフェーヴルが甥と叔父という関係だと知ったら、リュシエンヌは絶対にリシャールに興味を持つだろう。
……教えるのは結婚後でいい。
ルフェーヴルはニコニコと微笑みながら、リュシエンヌの予習に付き合ったのだった。
* * * * *




