レアンドルの謝罪
* * * * *
「殿下、お話があります。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
アリスティードが学院に到着した早朝。
まだ人気のない正門で、レアンドルが一人で待っていた。
その頬には大きな布が当ててある。
「それは構わないが……。その頬はどうした? 大丈夫なのか?」
目立つそれにアリスティードが眉を寄せた。
馬車を降りたリュシエンヌも、レアンドルの顔を見て驚いた表情を見せる。
だがレアンドルが苦く笑うだけだった。
「少し痛いですが大丈夫です。これは俺自身の愚かさが招いた結果ですから」
アリスティードは一瞬目を丸くし、そして、一言「そうか」とだけ返した。
「リュシエンヌ、すまないが先に教室へ行ってくれないか? 私はレアンドルと大事な話がある」
「分かりました。ではお兄様、また後ほど」
「ああ」
リュシエンヌはルフェーヴルを伴い、アリスティードとレアンドルに浅く頭を下げると先に正門を潜っていった。
それを二人は見送り、そして互いを見やる。
「人に聞かれたくない話か?」
「はい、出来れば人の耳のない場所がよろしいかと」
「分かった、では私の休憩室に行こう」
アリスティードとレアンドル、そしてアリスティードの護衛の騎士が歩き出す。
第二校舎の三階、生徒会室だけでなく、三年生の上位十名までが与えられる休憩室。
その中の、第一位専用の部屋へ向かう。
アリスティードが扉の前へ立つと、魔法が展開し、扉の鍵が外れる音がした。
上位十名に与えられたバッジにはそれぞれ識別出来るようになっており、それによって、休憩室やカフェテリアなどが利用出来る仕組みになっている。
「入れ」
アリスティードの言葉にレアンドルが入室する。
「失礼します」
護衛の騎士も同席しているが、騎士達は職務中に見聞きしたことは口外禁止なので、ここで聞いたことを誰かに話すことはない。
もし話すとしたら、それは国王だけだ。
アリスティードがレアンドルに椅子を勧めたが、レアンドルは座らず、腰を曲げて深く頭を下げた。
「まずは謝罪を。これまで、俺は殿下のお言葉を無視してオリヴィエ=セリエール男爵令嬢と密かに手紙のやり取りを続け、殿下の信頼を裏切り続けましたこと、謝罪いたします。……申し訳ございません」
アリスティードは驚かなかった。
レアンドルの話が何なのか見当はついていた。
今朝、リュシエンヌから本物のオリヴィエ=セリエールが書いた手紙を見せられた。
そこにはリュシエンヌへの手紙の返事があり、最後に追記のように、レアンドルへ関係を断つための手紙を送ったと書かれていた。
オリヴィエ=セリエールはこちらの事情を知らないので、学院在学中の様子によってはレアンドルが側近から外されることも知らないはずだった。
……いや、オーリは違うんだったな。
少々礼儀に疎い部分も見受けられるが、アリスティード達に纏わりついていたオリヴィエ=セリエールよりかはずっと常識的である。
それはリュシエンヌから見せられる手紙を読んで理解していた。
……でもまさか彼女の方からレアンドルとの関係を断つとは。
もう一人のオリヴィエ=セリエールは恐らくそれを良しとはしないだろう。
「……ようやく気付いたか」
それでもアリスティードは内心でホッとした。
レアンドルが自身の間違いに気付いてくれた。
まだ今後の行動次第だが、それでも、これ以上の罪を重ねないでくれれば側近の道へのチャンスはある。
「はい……」
「それはオリヴィエ=セリエールから受け取った手紙を読んだからか?」
レアンドルが驚いた様子で顔を上げた。
「何故それを……?」
アリスティードは一瞬躊躇ったが、全てをレアンドルへ話すことを決めた。
レアンドルが自身の行いを悔い改めたなら、これまでの事情を説明しても良いと、父から許可はもらっていた。
そしてこれ以上レアンドルに馬鹿な真似をさせないためにも、教えておくべきだと思ったのだ。
アリスティードは話が長くなるからとレアンドルを椅子に座らせる。
「これから話すことは全て事実だ。恐らく信じられないと思うところもあるだろう。だが証拠もある。もし信じられないとお前が感じたなら、後日証拠を見せる」
そうしてアリスティードは十歳の洗礼の儀に見た夢の話から、今日までのオリヴィエ=セリエールの行動、そしてリュシエンヌも見た夢の話をレアンドルへある程度かい摘んで説明した。
これについては何れアンリやリシャールにも伝えるつもりだったので、一足先にレアンドルが知るだけの話である。
レアンドルはアリスティードの話を始終驚いた様子で聞いたのだった。
特にオリヴィエ=セリエールの中に二つの魂、二つの人格がある話をすると、非常に驚いていたが、同時に納得した風に頷いてもいた。
「だから今回俺のところに届いた手紙は文体や字体が違っていたのですね」
そしてレアンドルは肩を落とした。
自分が想いを寄せていたオリヴィエ=セリエールが幻想であると言われたのだ。
ショックも受けるだろう。
「……信じるのか?」
意外にもあっさり受け入れたレアンドルに、アリスティードが問う。
レアンドルはそれに頷いた。
「実は、少し変に思っていたことがあったんです。オリヴィエは俺に対してとても優しくて、親しげで、でもいつも殿下やロイドウェルについて色々と聞きたがったり会いたがったりしていました」
「俺は利用されていたのに気付かなかった大馬鹿ですね……」とレアンドルが悲しげに笑った。
「私やロイドの行動について話したか?」
「いえ、さすがにそのようなことは」
「そうか、ではやはりオリヴィエ=セリエールも私やリュシエンヌのように夢を見て、いくつかの未来を知っていたのだろう」
「だから俺のことも知っていて、あれほど親身になって話を聞いてくれたんですね……」
気落ちするレアンドルにアリスティードは、その事実を言うべきか、言わないでいるか、考えた。
だが、それも話すことにした。
「お前に別れを切り出した方のオリヴィエ、本人はオーリと名乗っているが、彼女はお前を利用するつもりはなかったようだ。それどころかオリヴィエの行動に酷く心を痛めている」
「オーリ……?」
「本物のオリヴィエ=セリエールだ。リュシエンヌと手紙のやり取りをしており、これまで、ほとんど表に出られなかった方の人格だ」
レアンドルの茶色の瞳が揺れた。
「では、今のオリヴィエは……」
「所詮は偽物にすぎない。お前を騙していたのもそちらのオリヴィエだ。きっと、本物のオリヴィエ=セリエールはお前を利用するもう一人の自分の行いに耐えられなかったのだろう」
レアンドルの瞳はしばらくテーブルに落ち、そしてアリスティードを見た。
「オーリ嬢を救うことは出来ないのでしょうか?」
その問いにアリスティードは小さく唸る。
それはリュシエンヌも考えていたことだ。
しかし、そもそも一つの体に二つの魂、二つの人格ということ自体が非常に珍しい。
少なくともそのような事例は聞いたことがない。
「それは私にも分からない」
「そう、ですか……」
レアンドルが視線を落としたものの、それはすぐに上げられ、茶色の瞳がアリスティードを真っ直ぐに見た。
「それでも、俺も調べてみようと思います。……オリヴィエに騙されたショックはありますが、そのオーリ嬢は俺の目を覚まさせてくれました。もしお許しいただけるなら彼女を助けたいです」
アリスティードが片眉を上げた。
「それは、つまり、オリヴィエ=セリエールを選ぶということか?」
レアンドルは頷いた。
「はい。俺は彼女を選びます。……それに、フィオラ嬢は俺には過ぎた女性です。きっと、俺なんかと婚約しない方が、フィオラ嬢はもっと上を目指せる」
「側近候補から外れるぞ」
「それも覚悟の上です。何より殿下の言葉を聞かなかった俺に、殿下の側近になる資格なんてありません」
「……そうか……」
アリスティードはそれ以上は何も言わなかった。
レアンドルの茶色の瞳は真っ直ぐにアリスティードを見据えて「今までありがとうございました」とハッキリと言葉を口にする。
もう、その瞳は揺れていなかった。
* * * * *
その日の昼休み、レアンドルは二年の上級クラスに向かった。
フィオラは突然のことにも関わらず、いつもの微笑を浮かべて、レアンドルと顔を合わせた。
「レアンドル様、何かご用でしょうか?」
「あなたに話したいことがあります。……人目につかない場所でしたいのですが……」
後半は声を落としてレアンドルは言った。
フィオラはそれに頷いた。
「では、裏庭の方に行きましょう」
断られなかったことにレアンドルはホッとした。
そして二人で校舎を出て、裏庭の、人が滅多に来ない、校舎からやや離れた東屋へ向かった。
そこは周りを植物の壁に覆われており、人目もなく、人の耳もない場所だった。
レアンドルはまず頭を下げた。
「フィオラ嬢、今まで私はあなたを欺いていました。もうご存知かもしれませんが、私はオリヴィエ=セリエール男爵令嬢に懸想し、彼女と何年も手紙のやり取りを行っていました。それは婚約者であるあなたを裏切る行為です。そして、私は優秀な婚約者に劣等感を抱き、向き合う努力を怠っていました。……申し訳ありません」
深く頭を下げたレアンドルにフィオラは驚いた。
もう何年も変わらなかったレアンドルの態度が変化したこともそうだが、素直に自分の非を認めたこともそうだ。
フィオラは、レアンドルがフィオラに劣等感を持っていたことは気付いていた。
最初の頃はそれを消すためにフィオラも努力した。
だが、フィオラがレアンドルをフォローしたり励ましたりすればするほど、レアンドルは頑なになっていった。
「顔を上げてください」
フィオラの言葉にレアンドルはゆっくりと顔を上げる。
「何故、今になってお気付きになられたのですか?」
「それは──……」
レアンドルは包み隠さず全てを話した。
オリヴィエ=セリエールの中に二つの人格があることは伏せ、それ以外、自分の考えも全て話した。
話を聞き終えたフィオラは言った。
「全て、あなたの自己満足ですね」
突き刺さる言葉に言い返せなかった。
レアンドルは結局、誰に対しても誠実になれなかったのだから、当たり前だった。
友人と言いながら想いを寄せて密かに繋がり続けたオリヴィエ。
側近になりたいと言いながら、心配をかけ続けた挙句に、道を違えることとなったアリスティード。
婚約者として支えてくれていたというのに、一方的に劣等感を抱き、突き放し続けたフィオラ。
家族や他の側近候補達にも迷惑や心配をかけた。
そして今もレアンドルは結局、身勝手で、自己満足な謝罪をしている。
「私との婚約を解消すれば、アリスティード殿下の側近候補から外れるということです」
「分かっています。父にも、アリスティード殿下にも、既に許しをいただきました」
「それで頬が腫れているのですね」
今朝、レアンドルは父親に全てを話した。
父親は全てを知っていて、そして茨の道を選んだレアンドルの頬を打った。
馬鹿者、愚か者、情けないと散々言われた。
そして学院を卒業したら家を出ろと言われた。
それは家名を捨てろということだった。
女を愛して殿下の側近候補を外れたなどと、醜聞以外の何ものでもない。
それでも今すぐではなく、学院を卒業した後というところにレアンドルは感謝した。
即座に家から叩き出されても仕方がない。
「婚約の解消については我が家から出します。もちろん、私の不貞による解消であり、ムーラン家から納得していただける額の慰謝料もお支払いします。もし望むのであれば、私もどのような罰も受けます」
それでもレアンドルはオリヴィエを選ぶ。
たとえオリヴィエがレアンドルを騙していたとしても、二つの人格があったとしても、それでも、レアンドルとオリヴィエが繋がっていた時間だけは本物だ。
……オリヴィエを助けたい。
……俺は、一体、どっちのオリヴィエが好きなんだろうか。
今までのオリヴィエはオーリという本物のオリヴィエの真似をしていたらしい。
レアンドルはそんなオリヴィエに惹かれた。
だが本物のオーリとは恐らく会っていない。
それなのにいまだオリヴィエ=セリエールが好きで、殿下の側近の道を諦めても、家名を失うと分かっていても、諦められなかった。
フィオラが息を吐く。
それは初めて聞く溜め息だった。
「分かりました。レアンドル様が選ばれたのでしたら、私が何か申し上げることはありません。婚約を解消後はどうなさるおつもりですの?」
「一応、学院卒業後は家を出ます。家名を捨てて、平民として生きることになるでしょう」
「そうですか……。では、それが罰になるでしょう。貴族が平民に落ちて暮らしていくのはそれだけでたいへんですもの。十分な罰と言えますわ」
レアンドルは無言でもう一度頭を下げた。
フィオラは追加の罰を希望しない。
それはレアンドルへの情というより、もはや他人になり、関わりを持たないという宣言でもあった。
だがレアンドルはそれに感謝の念を感じた。
フィオラはレアンドルを罵倒しても、頬を打っても許される立場にいる。
しかしそのようなことは一切しない。
けれど、それこそがレアンドルへの罰でもあった。
罵倒された方が、頬を打たれた方が、レアンドルの罪悪感は少しは軽くなったことだろう。
フィオラの言葉はレアンドルの胸に重くのしかかった。
「本当に申し訳ありませんでした」
レアンドルの謝罪にフィオラは目を伏せた。
「さようなら、レアンドル様」
「……今までありがとう、フィオラ嬢」
そしてフィオラはいつもの微笑を浮かべると一礼して、先にその場を後にした。
レアンドルはフィオラの背が見えなくなるまで頭を下げ続けた。
早ければ数日中に二人の婚約は解消される。
婚約者となって三年。
二人の道はついに違えたのだった。
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