カフェテリアデート
「すまない、今日は一緒に帰れそうにない」
珍しくお兄様がそう言った。
どうやら生徒会の仕事が残っているようで、それを済ませると帰りが遅くなってしまうらしい。
同じ馬車で登下校してるため、先に帰っても良いと言われたが、わたしはお兄様を待つことにした。
「ではルルとカフェテリアで待っていますね」
お兄様が嬉しそうな顔をする。
「待っていてくれるのか?」
「はい、お兄様と一緒に帰りたいので」
「分かった。出来るだけ早く終わらせよう」
よしよしとお兄様に頭を撫でられる。
そうして生徒会室へ向かうお兄様達を見送った。
その姿が階段の上に完全に消えたところで、振っていた手を下ろし、ルルと手を繋ぐ。
「カフェテリアデート、しよ?」
実を言えばそれが目的だった。
それを理解してるのかルルがおかしそうに笑う。
「カフェテリアデート、しましょうか?」
繋いだ手を一旦離して、ルルの腕に改めて手を添えて、エスコートしてもらいながら二人でカフェテリアへ向かう。
学院内でエスコートというのは珍しいので少し人目を引いたけれど、ルルもわたしも特に構わなかった。
そうしてカフェテリアに着き、二階へ上がる。
放課後だけど人はいない。
目立たない場所にある席を選んだ。
ルルが椅子を引いてくれる。
「どうぞぉ」
人がいないからかルルの口調が戻っている。
「ありがとう」
二人がけの小さなテーブルだ。
ルルが向かい側に座る。
「何食べよっかぁ?」
テーブルには注文表が置かれていた。
ルルがテーブルの上に広げてくれたそれを覗き込む。
……わ、思ったよりもデザートも充実してる!
前回昼食を摂った時は、デザートの注文票より、食事の方を集中して見ていたので気付かなかった。
「わたし、ケーキ食べたい」
「じゃあオレもケーキにしよっかなぁ。それぞれ別の注文して、分け合う〜?」
「いいの?」
「いいよぉ」
品が決まるとタイミングを図ったように給仕が注文を取りにやって来た。
わたしはフルーツタルトを、ルルはチョコレートケーキ二つとクッキー、そしてマカロンを、飲み物は二人とも同じ種類のストレートの紅茶を頼んだ。
給仕が下がっていくとルルは頬杖をつく。
「そういえば、街に出てもカフェに入ったことなかったよねぇ」
「そうだね。あんまり出かけなかったから、出かけた時は思わず屋台の食べ物に意識が向いちゃうし」
今まで何度も街に出たことがある。
でも、いつもオシャレなカフェより道端の屋台の食べ物が食べたくなってしまう。
……あの誘引力からは逃げられないんだよね。
「ああ、だよねぇ。街の屋台ってなぁんか食べたくなっちゃう不思議〜。前は滅多に食べられなかったしぃ」
ルルが納得した風に頷く。
「前って?」
「リュシーの侍従になる前のことぉ。匂いの強いものとかは体に匂いがついちゃうからぁ、翌日仕事がない日じゃないと食べられないんだよねぇ」
「そっか、普段の生活から気を付けなきゃいけないんだね。……今はいいの?」
ルルは今も、夜は闇ギルドで仕事をしている。
昼間はわたしについて侍従や護衛の仕事をして、夜は闇ギルドの依頼を受けて、こんな生活で大丈夫かといつも気になってしまう。
でもルルに言っても「前よりずっと楽だよぉ」と返ってくるばかりなのだ。
「うん、今はそこまで厳しくしなくてもいい仕事を選んでやってるよぉ」
「そうなんだ、良かった」
「? 何がぁ?」
ルルが小首を傾げる。
「ルルが好きなもの我慢しなくていいんだなって思ったら、なんか嬉しい」
きっと暗殺業をしている間、普段の生活も色々と制限がかかっていたんじゃないかと思う。
食べ物、身に付けるもの、行く場所、その他諸々、気を付けなきゃいけないことは沢山あるのだろう。
ルルが目を丸くし、それからふっと笑う。
「リュシーのそういうとこ好き」
緩くない口調で言われてドキッとしてしまう。
「き、急に言わないで……恥ずかしい……」
「あはは、リュシー顔真っ赤だよぉ」
伸ばされた指がツンとわたしの頬をつつく。
思わず頬を膨らませたが、ルルは笑って二度、三度とわたしの頬を軽くつついている。
しかし不意にスッと手を引っ込めた。
視線をルルに戻すと、ルルの視線がわたしを通り過ぎていることに気が付いた。
何だろうと思いかけたが、盆を持った給仕が現れたので、それで離れたのだと分かった。
給仕が注文品を並べ、漏れがないことを確認すると、一礼して下がっていく。
給仕が姿を消すとルルが立ち上がった。
ルルは椅子の背を掴み、ズリズリとそれを引きずってわたしの横へ持って来て座り、注文した品を引き寄せた。
肩が触れ合うほど近くに座ったルルに何となく安心感を覚える。
どうしても学院では授業があって、その間、ルルは廊下で控えている。
だから以前よりも一緒にいる時間が減った。
それが少し残念で、寂しく感じていた。
こうして触れ合うほどの距離が心地好い。
「はい、リュシー、あーん」
先に一口食べたルルが、自分の注文したチョコレートケーキをフォークで切り分けて口元に差し出してくる。
わたしはぱかりと口を開けた。
「あー、ん」
丁度食べやすい大きさに分けてフォークで差し出されたそれを食べる。
……ん、このチョコレートケーキ濃厚だ!
「これ美味しいよねぇ」
ルルの言葉にうんうんと頷いた。
あまりの美味しさに口元に手を当ててしまう。
……これ、すごく美味しい!
口の中にケーキがあるので喋れず、きちんと味わってから飲み込んだ。
「チョコレートがすごく濃いね。まったりしてて、甘くて、でもちょっと苦味があって、スポンジ生地がしっとりしてるからチョコレートの濃厚さと合うね」
「うん、リュシーの宮のケーキに劣らないくらい美味しいねぇ」
ルルが自分のケーキを一口食べる。
わたしの宮のお菓子専属の料理人、ティータイムでルルが沢山食べてくれるから、いつも頑張ってくれているのだ。
でも学院に通うようになってからは時間の関係上、宮でティータイムをしなくなったので、お菓子専属の料理人が少ししょんぼりしてるらしい。
メルティさんがこっそり教えてくれた。
わたしが自分のケーキを切り分けていると、それに気付いたルルが口をぱかりと開けた。
まるで親鳥から餌をもらう雛みたいだ。
さっきはわたしもそうだったのかな。
「はい、あーん」
「あー、ん」
ルルが差し出したフォークにかじりつく。
ナイフを入れた時に感じたけど、このフルーツタルト、タルト部分がかなり固めでサクサク感があるのだ。
しっとり生地も好きだけど、サクサクした固めの方が水分が多いフルーツともったりしたクリームとの食感の違いがあって個人的に好きだ。
「うん、これも美味しいねぇ」
むぐむぐ食べながらルルが言う。
わたしも一口食べる。
……うん、こっちも美味しい!
「そうだね、こっちも美味しい」
ちょっと酸味のあるフルーツ達と甘いクリーム、そしてサクサクなタルトの生地。
さっぱりしたフルーツと甘いクリームは相性抜群だけど、そこに固めのタルト部分が合わさると、食べた感が出る。
……あ、これ間にカスタードクリームも入ってる。
フルーツにクリーム、カスタードにタルト。
……なんだか得した気分だ。
横を見ればルルがチョコレートケーキを黙々と食べている。
ルルはチョコレートが好きだ。
ティータイムでチョコレートやチョコを使ったお菓子が出ると、それを優先して食べていた。
それが好きなものに夢中になる子供みたいに見えて、ルルの方が大人だし、男性だけど、すごく可愛いと思う。
……全然フォークから手を離さない。
紅茶もあるのに一口も飲んでない。
わたしは紅茶を一口、口に含む。
ルルは一つ目のケーキをあっという間に食べ終えて、二つ目にフォークを入れる。
そしてモッモッと食べている。
……かわいい〜、癒される〜……。
わたしがジッと見ているとルルが気付いて、フォークを咥えたまま、不思議そうに小首を傾げた。
「リュシー?」
「どうかしたぁ?」と問われて首を振る。
「ううん、ルル、美味しそうに食べてるなぁって思って」
「え、オレ顔に出てたぁ?」
「顔というか雰囲気? 好きなものたべてます! って感じがしてたよ」
ルルがぺたりと自分の頬を触る。
「ん〜? まあ、チョコレートは食べ物の中でも一番好きだからねぇ」
あむ、とまたチョコレートケーキを食べる。
ふと浮かんだ疑問を口にする。
「ルルは何でチョコレートが好きなの?」
チョコレートが好きなのは知ってる。
だけど何で好きなのかは知らない。
ルルが「ん?」とケーキを飲み込んだ。
「昔のぉ、オレがまだ娼館にいた頃の話ってしたことあったっけぇ?」
「ううん、ない」
ルルは自分の過去をあまり話さないから。
ぺろりと唇を舐めたルルが、思い出すように視線を斜め上へ向けた。
「オレがいた娼館はさぁ、いわゆる高級娼婦だけのお貴族様専門店でねぇ。オレはそこで六歳まで暮らしたんだけどぉ──……」
* * * * *
ルフェーヴル=ニコルソンが生まれたのは、貴族御用達の高級娼婦のみが住んでいる娼館だった。
子供の頃は父親が誰なのか知らなかった。
だが母親はルフェーヴルを生んだ後、しばらくして体調を崩してあっさりこの世を去ってしまった。
ルフェーヴルは非常に母親に似ており、他の娼婦達は、早くに母親を亡くしたルフェーヴルを代わりに可愛がってくれた。
娼館の主人である老女はルフェーヴルを何れは娼館の護衛として働かせるために育てていて、娼婦達もそれを知っており、ルフェーヴルもまた、それを聞かされていた。
ルフェーヴルは生きることに困らなければ自分の道は何でも良かった。
娼婦達はよく抱き締めたり頭を撫でたり、ルフェーヴルを我が子のように、皆で面倒を見てくれた。
それに多少の感謝は感じているが、彼女達を家族と思うことはなかった。
そもそもルフェーヴルには母親の記憶もなく、父親も会ったことがなく、家族の情というものが理解出来なかった。
ただ同じ場所に住み、自分を構う人間達だった。
だからルフェーヴルは娼婦達の名前を覚えていない。大抵は「ねえ」で事足りたし、娼婦達の会話はあまり聞いていなかった。
子供のルフェーヴルは物静かな子供で、外で遊びたいとか誰かと遊びたいとか、そういうことは一切感じず、元々母親が使っていた部屋で一人で過ごすのが当たり前だった。
それを心配した老女が他の子供と外へ遊ばせに行ったこともあったが、ルフェーヴルは他の子供よりも運動神経が良く、一緒に遊んでもつまらなかった。
他の子供と遊ぶくらいなら、屋根に登って家から家へと伝って遊ぶ方が楽しかった。
子供にしては感情も乏しくて、きっと可愛くない子供だっただろう。
それでも娼婦達は客がくれた菓子や高級な食べ物などをルフェーヴルによく分け与えてくれた。
その中で唯一、ルフェーヴルが素直に美味しいと感じたのがチョコレートだったのだ。
「このちゃいろいの、なに?」
初めてチョコレートを見た時は何だこれはと思った。
茶色くて、妙にツヤツヤしていて、高そうな綺麗な箱にたった十粒ほどしか入っていなかった。
チョコレートを最初にくれた娼婦が誰だったかは忘れてしまったが、箱から漂う甘い匂いだけはよく覚えている。
娼婦はルフェーヴルに「チョコレートよ」と言った。
変な色の食べ物だったが、今まで嗅いだことのない独特な甘い匂いに釣られてルフェーヴルは近寄った。
そして箱から一粒手に取った。
「ずっと持ってると溶けてしまうから早くお食べ」
と、言われて、それを口へ放り込む。
つるりとした感触が口の中に転がり込んできて、それが緩く溶けると、ふわりと口の中で甘さが広がった。
砂糖のしつこい甘さではない。
香ばしくて、少し苦くて、でもそれ以上に甘い。
「!」
口を押さえたルフェーヴルに娼婦が笑った。
「気に入った?」
ルフェーヴルが頷くと、娼婦は箱から一つだけチョコレートを取り、残りをルフェーヴルへくれた。
「……いいの?」
「ええ、でも溶けやすいから早めに食べるのよ?」
「うん、ありがとう」
受け取った箱を両手で持ち、ルフェーヴルは神妙に頷いた。
「あんたの母親もそれが一番好きだったよ」
娼婦はそう言ってルフェーヴルの頭を撫でた。
そしてその箱を持って部屋に戻った。
とても甘くて美味しいこのチョコレートという菓子は高価なものなのだろうと分かった。
もしそれほど値の張るものでなければ、きっと、もっと娼婦達がもらっているはずだ。
部屋に戻るとルフェーヴルは机の上に丁寧に箱を置き、椅子に座り、またチョコレートを一つ食べた。
母親のことは覚えていないが、このチョコレートが好きだということは、ルフェーヴルと食べ物の好みは似ているのだろう。
全く覚えていないのに好みが同じということに不思議さを感じながら、ルフェーヴルはチョコレートを食べていく。
その甘さは体に染み込むようだった。
その感覚は好きだなと思った。
それから好物はチョコレートになった。
そしてルフェーヴルが娼館の護衛ではなく、もっと金になる仕事に就きたいと思うきっかけであった。
* * * * *
「──……でもぉ、もしかしたらオレも子供なりに母親が恋しかったのかもしれないねぇ」
そう締め括ってルルがチョコレートケーキの最後の一口をわたしへ差し出した。
いいの、と目で問いかければルルが笑う。
そんな昔から好きなものをルルはわたしへ分けてくれていたのだと思うと、ルルがくれるチョコレートの特別感が増す。
差し出されたチョコレートケーキを食べる。
甘くて、苦くて、香ばしい。
これを初めて食べた子供のルルを想像する。
……その時のチョコレートはとても美味しかったんだろうな。
だからルルはいつもチョコレートを持っているのだ。
子供の頃から好きなものをずっと好きでいて、それをいつも持っているって……。
「ちょっとかわいい」
ルルが目を丸くする。
「かわいい? オレが?」
「うん、子供の頃から好きなものをいつも持ってるのって、なんだか、ちょっと子供っぽくてかわいい」
「あ〜、そういうことぉ? 自分でも子供っぽいかなぁとは思ってるけどさぁ、やっぱ、やめた方がいいかなぁ?」
困ったような、照れたような顔で、ルルが頬を掻く。初めて見る表情だ。
「ううん、いいと思う」
それにルルの傾向が分かった。
ルルは多分、好みがあまり変化しないのだ。
だから子供の頃好きだったものは今でも好きで、いつも持っているくらい、執着している。
そして、それはわたしを安心させた。
ルルは時々わたしをチョコレートみたいだと言う。
それはつまり、チョコレートと同じくらいわたしを好きに思って、執着しているんじゃないかと思う。
肌身離さず持っているチョコレート。
それと同じだと言ってもらえるなら嬉しい。
「ルルはわたしをチョコレートみたいだって言ってくれたよね。それって、ルルの好きなチョコレートくらい、わたしのことを好きでいてくれてるってことだよね?」
ルルが頷く。
「オレの今の一番はリュシーだよぉ。リュシーに会う前はチョコレートが一番だったけどぉ、今は二番かなぁ」
そう言って、チョコレートクッキーを一口かじると、それをわたしに差し出した。
それを受け取ってわたしも一口かじる。
「美味しい〜?」
「美味しい」
「なら良かったぁ」
ルルがふわっと笑う。
その二番もわたしにくれるところに、ルルがどれだけわたしを想ってくれているのか伝わってくる。
わたしは自分の分のタルトを切って、それをルルへ差し出した。
「わたしの一番もルルだよ。二番は……多分、食べ物かな? 昔はあんな暮らしだったから。でもルルと一緒にいると、ルルと美味しいものを分け合いたいって思うよ」
ルルがフォークにかじりつく。
「オレが好きだからぁ?」
「うん、ルルが好きだから。大好きなルルに、わたしの好きなものを分けたいのかも」
「そっかぁ、それは嬉しいなぁ」
ルルの表情は嬉しげだ。
テーブルの上にあるルルの手に、自分のそれをそっと重ねれば、ルルの手が裏返って掌同士で繋げ合う。
互いにきゅっと手に力がこもる。
ルルの手は昔から大きくて、筋張っていて、指が長くて細く、優しくわたしへ触れる。
ずっと触れている肩に寄りかかる。
……早く結婚したいなあ。
* * * * *




