方向転換
それから数日後、手紙が届いた。
差出人の名はオーリとだけ書かれていた。
セリエール家の家紋の封蝋がされた手紙を、ルルは少しばかり嫌そうな顔で見た。
それでも恭しく銀盆で持って来る辺りは侍従の仕事が随分と馴染んだものだ。
そして机に銀盆を置くと手紙を手に取る。
ルルは手紙を検分し、ペーパーナイフで封を切って中身を確認する。
サッと便箋の内容に目を通すと、一つ頷き、わたしへ便箋を差し出した。
それを受け取って便箋に目を落とす。
…………なるほどね。
オーリからの手紙はこのような内容だった。
新歓パーティーでオリヴィエが自身の色を纏ったわたしとルルを見て酷く憤慨したこと。
それでわたしに対して憎悪が増したこと。
どうやらわたしがヒロインの居場所を奪ったと考えているらしい。
しかしオリヴィエは自身の手を汚したくはない。
そこで攻略の仕方を方向転換することに決めた。
まずは授業を真面目に受けて、社交にも励み、自分の味方を増やすことを選んだようだ。
原作では攻略対象達がヒロインの味方だが、現在の状況を見て、さすがのオリヴィエもそれが難しいことには気付いている。
だからこそ、それ以外の人間を味方につける道を選んだのだろう。
オリヴィエの行動はそれから一変した。
授業にも意欲的に参加し、魔法やダンスの練習も増やし、今後は貴族のご令嬢だけのお茶会やパーティーにも母親と共に出来る限り出席するつもりらしい。
でも、とオーリの手紙では続きが書かれていた。
元々オリヴィエはそういったことに興味がないため、その分、苛立ちが募り、自宅では癇癪を起こすことが増えたそうだ。
両親はそんなオリヴィエを心配して、更に甘やかしているとのことだった。
使用人達に申し訳ないとオーリは書いている。
同じ体と言ってもオーリとオリヴィエの意識は別物なので、オーリに責任はないと思う。
「男爵令嬢の評価はどうなってるの?」
ルルが小さく肩を竦める。
「今のところは変化はないよぉ」
「そっか」
悪い噂を払拭するのは大変だろう。
でも逆を言えば、悪い噂を聞いていた人が、真面目なふりをするオリヴィエを見て、噂は嘘だったと思う可能性もあると言える。
評価が最低な人間はそれ以下になることはない。
……不良がちょっと良いことしただけで、実はとても良い人だと思われるあの現象である。
「……油断は出来ないかな」
もしもオリヴィエが味方を増やせば厄介だ。
原作の強制力がこの世界にないことは、今までの様子から分かっている。
オリヴィエが原作のヒロインだからと言って、必ずしも誰からも好意的に思われるわけではないのだろう。
それでも絶対に大丈夫だと断言出来る要素もない。
「リュシー」
ルルに後ろから抱き締められる。
「イイコト教えてあげるよぉ」
よしよしと頭を撫でられる。
「イイコト?」
それは何だろう、と見上げればルルが笑う。
へらっとした笑いはどこか愉快そうだ。
「あの男爵令嬢の悪い噂、聞いたことあるぅ?」
「ううん、エカチェリーナ様達から聞いたのと、報告書で読んだだけ」
「あれねぇ」
ルルがこっそり耳元で囁く。
「オレが依頼して流してもらってるんだぁ」
その言葉にギョッとする。
「えっ、いつから?」
「リュシーが全部話してくれたちょーっと後かなぁ」
「それってほぼ最初からだよね?」
ルルが「うん」といい笑顔を浮かべる。
確かに最初の頃の報告書では、オリヴィエ=セリエールは家ではかなり横暴だったけど、社交にはあまり出ていないようだった。
でもいつの間にか報告書にはオリヴィエが社交の場に相応しくない行動をした、礼儀作法がなっていないという内容と噂が出るようになった。
「何で噂なんて流したの?」
ルルがわたしの頭に頬を寄せる。
「ん〜、そりゃあリュシーの敵になるかもしれない相手だからねぇ。敵の評判を落として味方を減らすって一番手っ取り早くて効果あるし〜?」
本当、ルルって敵と判断すると容赦ない。
というか、全く知らなかったし気付かなかった。
「じゃあ噂は嘘なの?」
「ううん、全部本当だよぉ。オレはただ事実をちょーっとだけ誇張して噂として流すようオネガイしただけぇ」
「ちなみにお願いしたのって……」
「闇ギルドだよぉ。あそこは人脈すごいからねぇ、あっという間に噂が広がって面白かったなぁ」
つまり闇ギルドはルルにオリヴィエ=セリエールの調査と同時に彼女の悪い噂を流すように依頼を受けて、噂を流しつつ、さも無関係な顔でその噂が社交界で流れていると報告していたわけだ。
……何それ闇ギルドこわい。
「だからぁ、あの男爵令嬢が頑張っても噂を完全に払拭するのは難しいんだよねぇ」
「また流すから?」
「大正解〜。人目のある外では猫を被っててもさぁ、屋敷では相変わらず横暴なんでしょ〜? それを広めるだけでも十分効果あるしねぇ」
……確かに。
貴族は体面や世間体を気にする。
いくら表向きは優しく天真爛漫なご令嬢をオリヴィエが演じたとしても、自宅である屋敷の中まではそうではない。
オーリの手紙にも書いてあるけれど、恐らく家の中のことは漏れないと思っているのだろう。
……貴族の使用人って実は他所の貴族の使用人と意外なところで繋がってたりするんだけどね。
もしオリヴィエが本物のオリヴィエであるオーリを真似して良い子のふりをしても、使用人への態度は本性は違うという証明になる。
「ついでに新しい噂でも流しておこうかなぁ」
ルルの言葉に問う。
「どんな噂?」
「王女殿下とニコルソン男爵は相思相愛でぇ、常に片時も離れず傍にいるっていう噂〜?」
「噂というか事実だね」
しかもルルを狙っているオリヴィエを盛大に煽っていくスタイルである。
……ルルもなかなかに性格悪いなあ。
止めないわたしも悪いけど。
* * * * *
オリヴィエは苛立っていた。
あの新歓パーティーから数日。
作戦を実行するためにも、先ずはと自分の社交界での評価について母親にお願いして調査をしてもらった。
結果は散々なものだった。
礼儀作法がなっていない。
常識がない。
流行や風潮を学ばず、野暮ったい。
派手好きで金遣いが荒い。
婚約者のいる異性に近付く恥知らず。
その他諸々、色々と書かれていたが、要は社交界でも爪弾きにされているのである。
今までオリヴィエの元に届いた招待状は少なく、それも、行くと馬鹿にされるので行かなくなった。
ヒロインを馬鹿にするなんて。
そう思って怒りのままに席を立って帰ってきていたが、それすらも笑いの種にされているありさまだった。
オリヴィエは社交界で流れている自分の噂を目の当たりにして、その書類を母親の手から奪うと、自室に飛び込んだ。
書類を破り、踏み付け、それでも怒りは鎮まらない。
……何よ! 脇役達のくせに!!
紙がぐしゃぐしゃになるまで踏み付け、オリヴィエは怒りのままにテーブルの上に置かれた菓子を手で払い落とす。
母親が言っていたが、この質素で面白みのないクッキーは王女がよく行く孤児院で売っているものらしい。
あの女が行く孤児院のものを食べていたなんてと思うと、クッキーですら憎らしく見えて、オリヴィエはそれも踏み付けた。
美しい絨毯に砕けたクッキーが広がった。
腹立たしい噂が広まっているのは心外だが、しかし、オリヴィエは「それならば」と思う。
「悪い噂を良い噂で上書きすればいいのよ」
オリヴィエは最近、外での行動を変えていた。
学院の授業を真面目に受けるようにした。
苦手なダンスも逃げずに練習しているし、面倒臭い魔法についても学んでいる。
前世のアニメでは異世界に転生した者は魔力がものすごく高かったり、イメージで色々な魔法が使えたり、転生者最強みたいなものが多かった。
だからオリヴィエも期待した。
確かにオリヴィエは魔力が一般人より高い。
でも貴族の中では中の上くらいで、珍しく聖魔法が使えるけれど、この世界はもう魔物がいないらしい。
魔法にはきちんとした理論があって、それを理解し、魔法式と呼ばれる図形を覚えないと魔法は使えない。
オリヴィエは元の世界でも数学や化学が苦手だった。
……なんでイメージで魔法が使えないのよ。
だが覚えないわけにもいかず、現在は学院の授業を真面目に受けている。
一応、前世の理科の授業に近い部分もあって、オリヴィエは何とかついていけていた。
放課後は仕方なく訓練場で練習している。
初歩しか出来ないオリヴィエを笑う者もいる。
それを我慢して無視したが、内心では笑った者達に魔法を叩きつけたいほどであった。
しかしそれはヒロインのすることではない。
オリヴィエは改めてヒロインであるオリヴィエ=セリエールとして、それらしく振る舞うことにしたのだ。
原作のオリヴィエは明るく、優しく、元気で、誰にでも分け隔てのない性格の少女である。
……わたし、攻略対象の前ではそうしてたけど、他は脇役だから放置してたのよね。
でもそれではダメだとオリヴィエは思った。
原作のヒロインであるオリヴィエは攻略対象だけでなく学院の他の生徒からも慕われていた。
オリヴィエはそれを目指すことにしたのだ。
オリヴィエの味方を増やし、悪役王女の味方を減らし、オリヴィエを信じる者が多くなったら、あの女に虐められたと涙ながらに訴えるのだ。
そうすれば、きっと原作通りになる。
アリスティード達もヒロインであるオリヴィエを見てくれるだろう。
そしてあの女の本性に気付くはずだ。
「そのためにも面倒だけど社交も慈善活動も参加しなきゃ……」
社交界に出て、あの酷い噂を消さなければならない。
母親について行って慈善活動にも積極的に参加し、ヒロイン・オリヴィエの優しいところもアピールしていく必要がある。
やりたくないが勉強もしなければ。
「……それもこれもあの女のせいよ」
悪役王女リュシエンヌ=ラ・ファイエット。
オリヴィエと同じ転生者だろう。
ヒロインの居場所を奪った性悪女。
「絶対にルフェーヴル様は渡さないわ」
オリヴィエが彼を愛しているように。
彼もオリヴィエを愛するべきだ。
それこそが正しい世界なのだから。
「お母様に慈善活動に参加するって話しておかないとね」
オリヴィエはそう呟いて部屋を後にした。
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