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005 古強者と師範

 夕刻――。

 〈筋肉応援団〉の二階に設けた訓練室は、夕日の朱色と男たちの熱気でむせ返るようだった。


 ギルドを開設してから数日。

 即席で揃えたベンチプレス台や懸垂バーは、早くも手狭になりつつある。

 そんな活気に満ちた空間の片隅に、場違いなほど枯れた気配を漂わせる一人の老人が立っていた。


 ガストン・ハルト。

 白髭を蓄え、顔には無数の傷跡が刻まれている。

 かつてはAランク冒険者として名を馳せた古強者(ふるつわもの)だそうだ。

 しかし今の彼は背を丸め、一本の杖に体重のすべてを預けていた。


「……ふう。やはり、今のわしにはここに来るだけでも一苦労じゃな」


 ガストンが自嘲気味に呟く。

 その視線は、汗を流して鉄塊に挑む若者たちへ向けられていた。


 羨望と、諦め。

 その二つが入り混じった、痛々しい眼差しだ。


「わしゃ昔は、ワイバーンの首を素手でへし折るくらいのことはできたもんじゃが……今は腰が痛くてな。引退した身じゃよ」


「ガストンさん、過去形にするのはまだ早いです」


 声をかけると、ガストンは寂しげに首を横に振った。


「慰めはいらんよ、嬢ちゃん。老いには勝てん。筋肉も骨も、もうガタが来とる」


「筋肉がなくなればおしまいですよ。ですが――あなたの筋肉には、まだ残り火がある」


 私は彼の上腕三頭筋に触れた。

 確かに萎縮しているが、それでも素人のそれとは比較にならない。

 かつて鍛え抜かれた筋繊維の密度は、さながら使い込まれた鋼のような感触だ。

 若い頃はさぞかし良い筋肉をしていたのだろう。

 思わず舌なめずりをしてしまった。


「無茶を言うな。この歳で鍛え直したら体が壊れる。わしが恐れているのは、敵じゃなくて自分の体が砕けることなんじゃ」


「やめとけ爺さん。無理すると死ぬぞ」


 壁際で腕を組み、様子を窺っていた大男が低い声で割り込む。


 〈鋼身(こうしん)道場連合〉の師範、バルド・ケインだ。

 実に見事な筋肉質の腕を持ち、笑顔すら凶器に見えるこの男は、私の噂を聞きつけて「見学」に来ていた。

 口調は乱暴だが、その目はガストンを気遣っている。


 ちなみに〈鋼身道場連合〉は、冒険者や護衛向けに「勝って帰るための身体操作と鍛錬」を教える武術道場の連合体だ。

 筋肉と鍛錬を尊び、無茶ではなく再現性を重んじる――そういう点で、私のやり方とも相性がいい。

 何でも魔法に頼りがちなこのご時世において、筋肉を尊重している数少ない集団と言えるだろう。


「なあ、爺さん。ここに来る奴らは、明日をも知れぬ現役の馬鹿どもだ。引退した人間が夢を見る場所じゃねえよ」


「……ふん、若造に言われるまでもないわ」


 ガストンが杖を握りしめる。

 その手が微かに震えていた。


 私にはわかる。

 ガストンには未練があるのだ。

 本当はまだ現場で誰かの役に立ちたいと渇望している。


 だから、私は「いいえ」と首を振った。


「ガストンさん、私を信じてください。私はあなたに、『体を壊さないための筋肉魔法』を与えます」


「体を壊さないための筋肉魔法じゃと……?」


 私はガストンの前に立ち、その背に手を当てた。


「老人には老人の、筋肉の運用法があります。たしかに瞬間最大筋力では若者に劣るでしょう。しかし、経験が物を言う持続力ではあなたのほうが上です」


「持続力……」


「はい。いきますよ」


 私は魔力を繊細にコントロールし、ガストンの全身へと浸透させる。


 今回の魔法は、出力の向上ではない。

 若き日の筋肉を呼び覚まし、現在の肉体に応じて制限をかけるものだ。

 その名も――。


「筋肉魔法〈マッスル・リコール〉! 〈マッスル・セーフティ〉!」


 淡い光がガストンの体を包み込む。

 直後、ガストンの丸まっていた背筋が、軋む音を立てて伸び上がった。

 曲がっていた膝に力が戻る。

 杖に頼っていた体重が、彼自身の二本の足へと分散していった。


「む……? こ、これは……!」


 ガストンが目を見開く。

 彼は恐る恐る杖を床から離し、自分の足で大地を踏みしめた。


「痛みが、遠のいた……? いや、消えたわけではない。だが、腰を支える筋肉がコルセットのようにガッチリと固定されておる。力が芯から湧いてくるようだ」


「ミレイユ団長、あんたまさか、回復魔法に頼ったんじゃないだろうな……? それは爺さんのためにならないぞ?」


 バルドが眉をひそめて私を見る。


「いいえ、回復魔法など使っていません。私はガストンさんの冬眠していた深層筋(インナーマッスル)を魔法によって呼び覚ましたのです」


 私は解説を加えながら、ガストンに軽く屈伸をするよう促した。


「そして、ガストンさんが言っているコルセットのような感覚とは、〈マッスル・セーフティ〉の効果です。無理な動作……例えば腰を捻りすぎたり、膝に負担がかかる角度になったりする直前に、筋肉が自動的にブレーキをかけます。これなら、ぎっくり腰になる前に体が止まります」


 ただ筋肉を呼び覚ますだけでは、調子に乗って体を壊しかねない。

 そうならないための安全装置、それが〈マッスル・セーフティ〉なのだ。


「おお……おおお! 動ける、動けるぞ!」


 ガストンがその場で軽くジャンプしてみせた。

 着地の衝撃も、強化された脚部がしなやかに吸収している。

 先ほどまでの枯れた老人の姿はどこにもない。

 彼にはもう、杖など必要なかった。


「これなら、また迷宮に行ける! 若者の荷物持ちくらいなら、十分に務まる!」


「荷物持ちどころか、いざとなればその杖でゴブリンの一匹や二匹、叩き伏せられるでしょう」


 私が笑うと、ガストンは「豪胆だな、嬢ちゃんは!」と快活に笑い返した。

 そのとき、訓練室の扉が勢いよく開く。


「団長、大変です! 王都の続報が入りました!」


 リリナが血相を変えて、一枚の新聞記事を持って駆け込んでくる。

 ペンネが書いた最新の号外だ。


「ラグナス様たちのパーティーが、王都近郊の小任務で失敗したって……!」


「失敗だと? あのSランクパーティーが?」


 バルドが眉をひそめて記事を覗き込む。

 そこには、下水道の掃討作戦という地味な任務において、〈ブラッディ・ナイトメアーズ〉が不手際を起こし、悪臭にまみれて撤退したという情けない顛末が書かれていた。

 記事の端には『連携不足』『体力切れ』の文字が踊っている。

 さらには私の活躍と比較して、『筋肉聖女がいれば違う結果になっていたのではないだろうか』と締めくくられていた。


「やはり筋肉不足ですね。筋肉を軽んじ、地道な筋トレを怠るからああなるのです」


 駆け出しだった頃、ラグナスたちは筋肉を大事にしていた。

 しっかり体を鍛え、その上で魔法を活用して英雄的な地位にまで上り詰めたのだ。

 だが、高度な魔法攻撃を身につけたことで、「魔法があれば筋肉は不要」と考えるようになってしまった。

 その結果がこれだ。


「若くても、筋肉を信じない者は脆い。逆に言えば、老いていても、筋肉と正しく付き合えばこれだけ動けるのです」


 私が指し示す先には、部屋の隅にあったダンベルを片手で持ち上げ、満足げに頷くガストンの姿があった。

 それは、王都で腐りつつある英雄たちよりも、よほど英雄的に見えた。


「まさか爺さんを現役復帰させるとは、さすがは〈筋肉応援団〉。大したもんだ」


「筋肉を主軸とし、それを魔法で支える――それが私の筋肉理論ですから」


 バルドが凶悪な笑みをいっそう深くした。

 彼の目から懐疑の色は消え、興味の光が宿っている。


「うちの道場にも、怪我や老いで引退した連中が山ほどいる。そいつらに、もう一度夢を見させてやれるかもしれねえな」


「可能ですよ。筋肉は、誰にでも平等ですから」


「気に入ったぜ、団長。こりゃあ、うちの道場生にも〈筋肉応援団〉を紹介してやるか!」


「歓迎しますよ、バルドさん。ただし――私の指導は厳しいですからね?」


「望むところだ!」


 バルドがニカッと笑い、ガストンも「わしも負けておれんな」と杖を剣のように構えてみせた。

 夕日に照らされた訓練室で、世代を超えた筋肉の輪が広がり始めていた。

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