10. 判断基準は勘ですが
カイトは一人で駅に入る。
紙ヒコーキの指示に従うにしても帰宅するにしても、冷静に考えれば駅までは道が同じだ。だから駅まではマナブと別行動をする必要はなかったのだが、なんとなく気まずくなり各々一人で駅に向かった。
マナブが時間をずらしたため再び出会うこともない。
そうしてカイトが駅の改札を抜けようとしたとき、その先に何かが落ちているのを見つけた。
紙ヒコーキだ。
「……」
偶然とは思えない。
たかが紙ヒコーキなのにカイトは心臓が高鳴るのを感じた。息苦しい。
改札前に落ちているというのに誰にも踏まれていないということは、ここに落ちてからそれ程時間が経っていないのだろう。いくら駅構内とは言え雨の日なのに濡れている感じもしない。
つまり、監視されているのだ。今もなお。
周りを見回して誰もこちらを見ていないことを確認し、素早く紙ヒコーキを拾い上げる。
カイトはそのまま駅の隅に隠れるように移動してから紙ヒコーキを広げ、中身を確認した。
先程の指示には従うな。そのまま帰宅しろ。
購入した高輝度照明はホーム南寄りのゴミ箱に捨てて行け。
帰宅後端末の電源を入れ、もう一人に「あの後やっぱり帰った」と連絡しろ。
明日午前十時、端末の電源を切って自宅から最寄りのA-インダストリ支社に行け。
総合受付に進み、稼働中のホストAIを見せてくれと頼め。
◆
アルは遠くからカイトの様子を窺っている。紙ヒコーキを用意したのはアルだったのだ。
アルは明日予定しているA-インダストリ施設侵入の準備のためトオルをおいて単独行動をしていた。その際に遠くの廃墟からトオルを呼ぶ声が聞こえたのだ。アルは耳が良い。
どうやらトオルの友人がトオルを探しにきたらしいとアルは理解した。
そのまま放置しておくと、その二人は自分達のところまで来てしまう可能性があった。
二人が持つ端末は件のAIの影響下にあると考えられる。そうでなければここまでピンポイントに自分達の居場所を絞り込めない筈だった。こちらの位置を絞り込んだのは件のAIだろう。
今は外出制限が出されており、出歩いている人には警察などが警告してまわっている。であるのに、この二人はそれらから意図的に見逃されて行動していた。
件のAIの意思が介在しているに違いない。二人を使ってこちらの詳細位置を探させているのだろう。
こちらの位置を探す手段がこの二人だけとは思えないが、放置はできなかった。
件のAIの影響下にある機器を所持したままこちらまで来られてしまうと、こちらの詳細位置が件のAIにバレてしまう。
そうなればA-インダストリ施設侵入は強引な正面突破にならざるを得ない。
アルにとっては友人二人にはそのままお帰り頂くのが一番良かった。
しかし、ただ帰れと言っても素直に帰るだろうか。休みの日に半身ずぶ濡れになって廃墟に侵入する程友人思いの人間なのだ。だからアルは二人にこちらの協力をさせてみることにした。
その結果一人は帰り、もう一人はこちらに協力する素振りを見せたのだった。
◆
夕方から降り始めた大雨でトオルは体を洗う。体を洗うために手を動かす度、筋肉痛やら寝違えやらで体中が痛い。
石鹸や洗髪剤はアルが何処からか入手してきていた。ドライヤーやタオルなどもある。明日の行動用に傘や鞄といった物も用意されていた。
いったい何処から集めてきたのだろう。何に使うのか、折り畳み式の台車まである。
トオルの傍でアルも素体を洗浄している。金属製の体であるのに妙に艶めかしい。トオルは自分がロボット相手に興奮してしまうことに驚いた。
体を洗った後、ドライヤーを使うには電源をアルからもらわなければならない。トオルはドギマギした状態でコンセントの届く至近距離で髪を乾かす。
「消費電力の心配はありません。今日色々とまわった際に私自身の充電も済ませてあります」
「あ、そうなんだ」
トオルはそんなことを気にしていたのではないと思いつつも、正直な気持ちを言う気にはならない。
その後、アルは拾ってきた大き目の懐中電灯になにやら細工を始めた。トオルには知らされていないが、カイトが捨てていった高輝度ライトだ。
「見てください。なかなか良い物を取得しましたよ」
そう言ってアルは高輝度ライトを点灯させる。予想以上の明るさにトオルは思わず目を閉じた。
「何それ? すごく明るいし、それに、なんで縞々なの?」
高輝度ライトの前面は縞模様にスリットが開けられたカバーで覆われ、その光は縞模様を描いていた。そのカバーはアルが自作したらしい。
「映像や画像から物体を検出するには照明の当て方が重要なのです。狭指向性の光を浅い角度で当てれば立体物に光の当たる箇所と影となる箇所がでます。明暗が細かく広く分布するならその物体表面はザラザラ。大きく影が延びるならその物体には突起状の形状があると判断できます。拡散光を上から均等に当てればその物体の凹凸をある程度無視して色や印字を確認できますね」
「へぇ。じゃぁその縞模様にも意味があるってこと?」
トオルはあまり理解できなかったが、縞模様の意味を知りたいだけなので気にせず話を進める。
「そのとおり。立体物に縞模様を投影すると、その物体の形状により縞模様は歪みますよね? その歪み具合を計測することで対象物の立体形状を把握できるのです。縞投影法と呼ばれる手法ですよ。原始的な手法であり使用する照明もお手製のため精度はあまり期待できませんが、これで認識阻害を施された物体が出てきてもある程度は視認できる筈です」
「あ、そうなんだ。すごいじゃん」
細かい話はよく分からないが、その縞模様の光を当てれば認識阻害を回避できるということらしい。これで敵が見えなくてアルがやられてしまうという可能性は低くなった。
「拡散光の照射模様が平行になるよう加工するのに苦労しました。ほら、とても綺麗な平行模様でしょう? 輝度も申し分ありませんし、そこそこ広角なのも良いですね」
アルは色々な物にその縞模様の光を照射しては、その場所をぺたぺたと触っている。まるで遊んでいるかのようだ。
「楽しそうだね」
「……遊んでいる訳ではありません。歪補正中です。縞投影処理で得られた立体形状と、接触により得た実際の立体形状の差異をすり合わせています。覚えておいてください。大抵の測定器には校正が必要なのですよ。体重計ですら設置場所を変更すれば校正するでしょう?」
「そうだっけ?」
体重計は設置場所の傾斜などによって重量表示が変わってしまう。また、地球の遠心力の影響で緯度により測定値が変わるのだ。そのため設置場所変更後は初期設定が必要となる。
しかしトオルの自宅には体重計など存在していなかった。金欠のため生活にどうしても必要な物以外は購入していないのだ。そのため体重計の初期設定なんてものもトオルは知らない。
今は体重計どころか自宅そのものが爆破されて存在していないのだが。
「ところでさ、明日行く施設って何処なの?」
「件のAIの設置場所がこの県内のどこかであるところまで説明しましたね?」
「うん」
「そのAIは秘密裏に開発され運用されていたことが分かっています。そのため公安では通信内容などから存在は把握していましたが、設置場所は不明でした。そして、当初の運用目的はA-インダストリ社が有利となるよう市場を操作することだったようです」
「うん?」
トオルは明日の行先を訊いたつもりだったが、なにやら別の説明が始まった。トオルは思わず疑問の声を上げる。
「社内ネットワークから得られた情報によりますと、名称はアイギパーン」
「アイギパーン? 変な名前」
しかしここで話を遮っても余計話が長くなるだろう。トオルは大人しくアルの説明を聞き続ける。
「おそらくギリシア神話の羊飼いの神から名付けたのでしょう。開発者は市場の人間を羊の群と捉えていたのかもしれませんね。アイギパーンは中連のハッキングにより公安の捜査対象となるような犯罪的動作を開始しましたが、どうやらそれ以前からA-インダストリ社は元々かなりグレーな運用をしていたようです」
「へぇ」
そんなグレーなことを行えるAIだから外国の悪い奴らに目を付けられたのかなとトオルは思った。
「アイギパーンの技術資料などから推測しますと、設置可能なスペースを持つ施設で、想定される可動電力以上を消費している県内A-インダストリ社関連施設は三施設。その中で、公開情報から推測される消費電力と実際に消費されていた電力が最もかけ離れているのが、この近くにあるA-インダストリ社のデータセンターです」
「その差分電力でアイギパーンってAIを稼働させてるってこと? じゃぁ明日はそこに行くんだね」
「いいえ。おそらく消費電力差は罠だと思います」
「え」
「根拠はありませんけどね。ハッキングにより入手した情報とはいえ、これ程怪しまれる状況を放置しておくでしょうか? 私なら対策します。ですから、明日行く場所は三施設の内、最も平凡な怪しさのない外部AIモジュール開発製造工場です。こちらに潜伏したのは、相手に私達の行き先を誤認させるためですよ」
「なるほど」
「場所選定の判断基準は最早、私の勘なのですけどね」
「ふーん。分かった。アルを信じるよ」
トオルにはアルがどのような判断をしようとも信じるしかない。だから意義など初めから唱える気はなかった。
それよりも、AIでも勘に頼るときがあるんだなぁと気楽なことを考えていた。
◆
カイトは指示通り帰宅後にマナブへ、あの後やっぱり帰宅したと連絡を入れた。
安心したマナブはカイトに色々とメッセージを送ってくるため会話が続くが、その夜カイトはずっと心ここにあらずの状態であった。
翌朝、昨夕から降り始めた大雨は止む兆しを見せない。
かなりの大雨の中カイトは傘をさして家を出た。端末の電源を切っておくのも忘れない。
土とアスファルトが濡れる独特の匂いが朝から充満しておりカイトはむせそうだ。大雨だが幸い風は弱く、横殴りの雨に濡れる心配は今のところない。
外出制限のかかっている平日の朝、しかも大雨なのに所々に見慣れないロボットを見かける。
平日は普段学校へ行っているため、平生の平日午前のロボットの行動なんてカイトは知らないが、それにしても自分のまわりだけ不自然に多いように思えてならない。ロボットが何の作業もせずにただ突っ立っているものなのだろうか。
まるで監視されているようだとカイトは感じた。
紙ヒコーキで指示されていた最寄りのA-インダストリ支社の場所は昨夜の内に調べてあった。昨日行ったいくつかの廃墟とは自宅から反対方向だ。電車とバスを利用して問題なく辿り着く。
その支社を見れば外出制限がかかっているにもかかわらず普通に営業しているらしい。社会人はやはり逞しいなと思いながらカイトは進む。
しかし正面門を抜けようとしたところで守衛ロボットに止められてしまった。
「えーと、なに? キミ、高校生?」
見た目はヒューマノイドですらない黄色いロボットだが、喋る言葉はやけに人間らしい。しかし珍しいことではない。外部AIモジュール方式の確立した現代ではこういった正にロボットといったロボットにも感情のようなモノが窺える。
「あ、はい」
「んー、困るよ。何しにきたの? こんな雨の中。就活生にも見えないし。学校は? あー、今日も休みだっけ?」
「稼働中のホストAIを見せてもらえないですか?」
「何処で聞いてきたの、それ。駄目駄目。帰って」
「俺AI技師目指してんですよ。後学のため! ちょっとだけで良いですから! お願い!」
「駄目だって」
いくら相手が人情溢れる中年男性の喋り方をしているからと言って、その感情は仮初だ。いくら情に訴えかけても、その判断が予め決められたラインを超えることは絶対にない。
カイトが何を言っても守衛ロボットは駄目の一点張りだった。
しかしカイトも引き下がることができない。
紙ヒコーキの指示に従うことがトオルへ繋がる細い細い唯一の道なのだ。ここで帰ってしまうと次の指針はカイトには本当に何もない。
「そこを何とか!」
「君もしつこいねぇ。それ以上騒ぐと拘束することになるけど? だいたい今は外出制限中だろう? 警察呼んじゃうよ?」
守衛ロボットが、緑のラインが入った黄色い腕を上げて後ろを指差す。
カイトが振り返ると四体の警備ロボットが自分を取り囲んでいた。




