8、デート③
「よかったら、テイクアウトにしない? ちょっと歩くんだけど、見晴らしのいい場所があって」
「いいですね。私、ピクニックの道具なら一式、すぐに出せます」
「流石。逆に君が用意できないものがあるのか、俺は気になるよ」
ワッフルと一緒に飲み物も買うと、アディスの提案でピクニックをすることになった。
「荷物、しまっときましょうか」
「本当は俺が持つべきなんだろうけど、お願いしようかな」
「荷物や移動については、遠慮しないでください。適材適所というやつです」
紙袋を受け取ると、ラゼは一瞬でそれを自分の家に飛ばす。何かあった時にも、荷物は少ないほうが動きやすい。
「この後はどちらへ? 近くまで飛べるかもしれません」
「うん。案内するから、しばらくじっとしていてくれる?」
「え?」
会話が噛み合わなかった気がして小首を傾げた彼女に、アディスはいたずらな笑みを浮かべる。
「何も『飛べる』のは君だけじゃないよ」
彼はそう言って、呆気に取られたラゼの背中と膝裏に手を回した。
ぶわりと身体の周りに強い風を感じたかと思えば、あっという間に視界が変わって、景色が青く染まる。
「う、わ……!?」
「掴まってて」
ラゼを横抱きにしたアディスは建物の屋上を軽やかに経由していく。
「あ、ア、ディス様!? 私、自分で――」
「うん。知ってる。でも、たまには俺も役に立たせて欲しいな。――余裕があるなら、周り見てみて」
「…………?」
言われるまま、ラゼは顔をアディスから外側に向ける。
サァアアア――――と。風が吹き抜けた。
澄み渡る青い空と地上の狭間。
視界を遮るものは何もなく、皇都の街と空と風を感じる。
「……鳥になったみたいです。風が気持ちいい……」
――ああ、彼にとって「飛ぶ」とはこういうことなのだろう。
風を切って、風に乗って、風を纏って。
風魔法の使い手である彼の思考が垣間見えた気がした。
「なかなかこうやって街を見おろすこともないんじゃない?」
「はい……。見慣れた街のはずなのに、また違って見えて不思議です」
彼が何を言いたいのかを理解して、ラゼの目元は緩む。
アディスは徐々に街を外れて東の山に入っていく。
「歩くのはちょっとだけじゃ?」
「君が歩くのはね。俺が飛んでるのはカウントしない」
飄々として宣うが、割と距離がある。
帰りは自分が飛んだ方がいいだろうと考えながら、ラゼはアディスに抱かれていた。
文官なのに学生時代と変わらず――いや、心なしかもっとたくましくなっている気がする。
「……アディス様、文官なのに鍛えているんですか」
「君の職場の人に比べたら大したことないでしょ」
「は!? 筋肉馬鹿と比べちゃダメですよ!!」
「――ばっ……!?」
可哀想でしょう!?と、ラゼが突っ込みを入れると、アディスは吹き出しそうになりながら腕に力を込め直す。唐突に彼女の口からあまり聞いたことがない強い言葉が飛び出てくるものだから驚いたのだ。
「君って、結構部下に対する当たりが強くない?」
「これくらいで強いなんて言ってたら、うちの部隊は収集がつきませんよ。集まった当初はもう、動物園みたいな感じだったんですよ?」
魔物はびこる土地で、おのおの好き勝手に暴れるのは魔物vs化け物とでも表現すべきカオスだった。
「言葉で戦う知性が武器の文官サマが戦闘もできるなんて言ったら、うちの部下たちの立場がなくなります。ただでさえ騎士と比べられて、あまりモテないのに……」
しゅんとした彼女に、アディスは何とも言えない。
「機会があったら令嬢を紹介してくださいなんて言われることもあるんですよ」
「……君が女性を紹介しているところ、あまり想像つかないな……」
「でしょう? 自分のことだって面倒見切れないのに、部下の見合いのセッティングなんてできませんよ」
やれやれと呆れた表情をしてみせるラゼを、アディスは一目見やると前を向いた。
「――そろそろ着くよ」
◆
「……ここって、まさか旧アニラ教会じゃ?」
「ああ、やっぱり知ってた?」
「知ってはいましたが、来るのは初めてです。だって、閉鎖されてからは魔法がかけられてて中に入ることはできないって……」
幻術やらなんやらが多重にかけられていて、一般人では辿り着けない、この国の重要文化財。
アディスは迷わずここに辿り着いたが、禁足地のはずである。
「ちゃんと許可は取ってあるから心配しないで」
「……そう、なんですか」
何故こんな場所への入場許可を取ってあるのだろう。
疑問に思ったが、使用理由なんて彼の自由だ。
踏み込むことでもないかなぁと思い直して、ラゼはアディスの腕から降りる。
そして、ここまで人ひとり抱き抱えて飛んできたというのに、汗ひとつ見えない彼に感心した。
「中に入れるんだけど、このまま案内していい?」
「……はい。お願いします」
自然と差し出された手に一瞬理解が遅れたが、彼は紳士だからエスコートしてくれるということだろう。
街中と違ってここには自分たち以外、誰もいない。
はぐれることは絶対にないと思いつつ、ラゼはアディスの手に手をのせた。
「……?」
すると、彼にその手を見つめられる。
「なにか……?」
「小さい手だなぁと思って」
「まあ、大きくはないですね」
今更な気がする会話に答えて、ラゼはあいまいに小首を傾げた。
その反応を悟ったアディスは苦笑する。
「こんなに小さい手で、俺が想像する以上のことをこなしてきたんだろうね」
「……? 手の大きさ、関係ないと思いますけど」
「はは! それはそうだ」
おかしそうに笑って、アディスはラゼの手を握ると前を向いた。
魔法で鍵のかけられた扉を解除して、彼は扉を押し開けるとラゼを中に誘う。
(――意外と綺麗だ。定期的に掃除してるのかな?)
入ってみての感想は、まずそれだった。
教会が新設されるまで、このアニラ教会が皇都で一番大きな教会だった。魔法がある世界なので、何年経とうが修繕は完璧にされていたが、皇都が大きくなるにつれて不便が多くなり、新しい教会を建設しようということになった結果今は使われていない。
たまに教会の人たちが集まるのに使われている、と聞いて怪しい集会でもしているのかなぁーなんて思っていた場所だった。
この国の教会といえば、ステンドグラスと天井画。
夜に浮かぶ星々が描かれるのがお決まりだ。
「壮観ですね」
周囲を見渡し、天井を見上げて。
緻密な石造の建築と装飾に、ラゼは告げる。
彼女が鑑賞に浸るのを察してか、アディスの手は離れていた。
「これを貸切で見れるなんて、すごく贅沢です。連れてきてくれてありがとうございます」
「どういたしまして。喜んでもらえてよかった」
安心したように綻ぶアディス。
なんとなく、今日は元からここに案内してくれるつもりだったのではないかと察した。
青の貴公子なんて二つ名をもらう紳士な彼のことだから、多分色んな案が頭にあって一番その時にあったルートを選択してくれているのだと思う。
(……改めて考えると、教会って葬儀で来ることが多いから、こうしてゆっくりするのは初めてかも……)
中央まで進み、天井を見上げる。
たまにはこうして芸術鑑賞するのも悪くない。
あまりにも周りが静かだから、まるでこの空間に飲まれてしまいそうな凄みがある。
「…………ラゼ」
徐々に慣れてきた、彼に呼ばれる名前が聞こえた。
現実に引き戻されて、ラゼは後ろを振り返る。
そして、目が合った彼にぴたりと身体を止めた。
いつも余裕のある振る舞いをするアディスの雰囲気が、なんとなく違う――?
そう気が付いたのは、少し遅かったのかもしれない。
アディスはラゼの目の前で、片膝をついた。
そして――ひとつの小さな星が輝く箱を開けて、彼は告げる。
「――俺と、結婚してください」
ド直球のプロポーズ。
シアン皇国のレディたちにとって憧れの貴公子が、自分にひざまづき、誓いを立てている。
「……っ」
それが、どれだけ尊く貴重で得難い幸運かを、ラゼは分かっていた。
(………………胸が、苦しい……)
彼にも事情があるとは知っている。
知っているが、自分と一緒に生きてくれるという誓いをもらえたことが、想像以上に心に響いた。
今までに、感じたことのない感情だった。
決して、嫌ではない。嫌ではないのに、苦しい。
なら、この気持ちはなんだ。
(――ああ、そうか。私、嬉しいのか……)
理解した瞬間、胸につかえていたものがストンと落ちた。
この人に、将来を約束してもらうことが嬉しいのだ。
家族を失って、この得体の知れない世界をひとりで生きていかなければならないのだと、自分で自分を奮い立たせて今日ここまできた。
この先も、いつ目覚めるか分からない父親を待ちながら、たぶんこうしてひとりで生きていくんだろうと。
フォリアとカーナが幸せそうにゼールとルベンの隣にいる姿を、どこか遠くに感じながら、自分で線を引いていた。
でも、本当は……。
独りは、寂しかったのかもしれない。
「……はい。星の導きが許す限り、貴方の隣にいさせてください」
この世界のプロポーズの返事は知っていた。
意味は、天寿を全うするまで共に生きる――といったところだ。
まさか自分がこのフレーズを使う時がくるとは想像していなかった。それも彼相手に。
「はは……。結構、照れちゃいますね……」
ラゼはくしゃりと笑った。
それは、自分らしくない台詞を言ったことへの照れ隠しと、訳ありのプロポーズを本気で喜んでしまった自分への苦笑だった。
照れると耳が赤くなるのは昔から。
それを誤魔化そうとして髪を耳にかけるフリをするのはラゼの癖だった。
アディスは立ち上がる。
「――ごめん。嫌だったら突き飛ばして」
「へ」
そして、そんな彼女を。
アディスは真正面から抱きしめた。
ふわりと。身長差があるから、包み込むように抱きしめられて、流石のラゼも言葉を失った。
「……絶対、幸せにする」
アディスの囁きがすぐ上から降ってくる。
心音が今にも聞こえてきそうな距離だった。
微かに、自分のものではない――まあ、つまりはアディスの服がまとう柔らかな香りが鼻腔を掠める。
でも。背に回された腕は、壊れ物でも扱うみたいな不器用さを感じて。
「…………もう十分、幸せですよ」
ラゼはぽすりと、額を彼の胸に預ける。
そして、一瞬躊躇したが、初めて自分からアディスに腕を回して彼を抱きしめ返した。
「っ、!?」
アディスの動揺が直接伝わってくる。
そっちから抱きしめてきたのに、嫌だったのだろうか。
ラゼは手を緩めようとした。が――。
アディスはそれまでより更に力をこめてラゼを腕の中に閉じ込めた。
「……アディス様……」
「…………」
「アディス様?」
「…………」
呼んでいるのに返事がない。
本当に、何を考えているのか分からない人だ。
こんな女性としての魅力に欠ける娘を抱きしめたって、何も楽しくはないだろうに。
それとも、これは彼の照れ隠しなのだろうか。
「……アディス様。…………指輪、くれないんですか?」
ぽつり、と。
思ったことを呟くと、やっとアディスが動く。
彼の顔を下から見つめれば、物言いたげな熱を帯びた眼差しが注がれる。
「…………ほんと、君には敵わないよ……」
「……?」
何も競うようなことはしていなかったと思うのだが。
頭のいい人が考えていることは、よく分からない。
ラゼは疑問符を浮かべたままだったが、アディスは彼女の左手を手に取った。
薬指に通されるのは、ダイヤモンドがきらめく指輪。
こういうところはちゃっかり、前世と一緒なところにどこか落ち着く自分がいる。
「………………きれいですね……」
角度を変えるとキラキラ反射する宝石。
リングのデザインもこだわりを感じる。
石を巻き込むように緩く波打っている。
「気に入った……?」
「はい。さすが、アディス様。すっごく素敵です。ありがとうございます」
「…………そう言ってもらえて何よりだよ」
満面の笑みで感謝を伝えれば、アディスも安堵の浮かぶ表情に変わった。
「あの、アディス様」
「うん?」
「……その。受け取ってもらえますか……?」
「え?」
婚約指輪の話が出てから、ずっと考えていた。
自分だけがもらうのは違う。もらった分だけ、こちらも彼のために返したい。
取り寄せるのは、今日のために考えて考えて迷いに迷って準備した一品。
「私からの誓いの品です。……アディス様が選んでくれたこの指輪には及ばないかもしれませんが、そう悪いものではないと思うので……」
押し付けるように渡した紙袋を、アディスは呆然と手にした。
「…………開けても……?」
「もちろん」
袋とラゼを二度見した後、許可を得てからアディスは袋から箱を取り出す。
シックな青い箱にかけられた黒のリボンを解いて、現れるのは腕時計。
――我ながらベタだよなぁ、と思う。
色々と迷ったが、結局最初に浮かんだこの品に落ち着いた。
懐中時計がある世界なのに、なぜかあまり腕時計は人気がないのは、たぶんデザインが無骨だったから。
それと、持ち歩かなくても移動魔法で物を取り出せるから、腕につけておく利便性があまり注目されていなかった。
だから、今回ラゼは、シンプルで服に合わせやすそうなものを、カーナにもアドバイスをもらってデザインし特注した。
「これ、腕時計……?」
「はい。職人さんに頼んで作ってもらいました」
「…………君が、用意してくれたの……?」
「当然。もらうだけは嫌だったから、私なりに知恵を絞ってみたんですが……。お気に召しませんでしたかね……」
「――嬉しいに決まってる」
アディスはハッキリ告げた。
ちょっと怒っているような声の強さをしていて、ラゼは瞬きを繰り返す。
「嬉しいよ。君が、俺のために用意してくれたんだ。嬉しくない訳がない。これ以上のものはないよ」
「…………お、大げさですよ……」
食い気味にお褒めの言葉をいただいて、逆に戸惑ってしまう。
喜んでもらえたのなら光栄だが、自分の指にはまっているこちらの指輪が一体どれだけの価値があるのか恐ろしいのに比べたら、きっと大したものではない。
「大事にする。……ああ、でもどうしよう。腕につけていたら傷つけないか不安だな」
「そしたら、また新しいものを贈りますよ」
「――ははっ。君らしいや。ありがとう。……でも、これは大切に使わせてもらうから大丈夫だよ」
「…………はい」
優しく緩んだ銀色の瞳が、腕時計を見つめる。
「つけましょうか?」
「――え。いいの?」
「指輪のお返しですから」
やってもらったことを返したい。
ラゼはアディスから時計を預かると、彼の左手首にベルトを回した。
「いつから準備してくれてたの……?」
「アディス様に婚約指輪を用意するって言われた日から、何にしようか考えてました。一日悩んで決めた後は早かったですよ」
「そっか……」
「――はい。つけ終わりましたよ」
「ありがとう。――うん。すごくいい……」
アディスは腕時計を見て、とても満足そうだった。
慣れないことばかりだったが、準備した甲斐があった。
「喜んでもらえてよかった。考えてみると私、アディス様の好みとか全然分かってなくて。――だから、これからは、どんどん教えてくださいね」
プロポーズのなんとも言えない緊張感から抜け出して、調子を取り戻したラゼは告げる。
「ああ。望むところだよ」
アディスの答えを聞いて、彼女は強く頷いた。
(プロポーズまで書いたら、完結しようと思っていたんですが…ここじゃあ終われないので、あとほんのもう少しだけ…)




