7、デート②
「へぇ〜。じゃあ、アディス様は外交関係のお仕事を中心に?」
「うん。だから、カーナ嬢のお父上にもお世話になってる」
「マーギス様、結婚式の時は号泣でしたね」
「はは。あれは俺もちょっと驚いた」
程よい賑わいのレストランで、美味しい食事に舌鼓を打ちながら、話すことは絶えなかった。
話題を探す間もなく、ぽんぽん話したいことが出てくる。
「そういえば、母さんが早く君を家に連れて来いってうるさいんだけど、来週、また会える?」
「はい。大丈夫ですよ」
「よかった。……というかずっと気になってたんだけど、どうして俺の母さんと君は仲良いの?」
アディスは怪訝な眼差しだった。
「私が閣下の直属になって今の部隊の隊長を任された時に、ちょっと失敗して、しばらく入院してたときがありまして」
「え……」
「気を遣ったバネッサ様が、お見舞いに来てくれたんです。初めて会った時は本当にびっくりしましたよ。女神かと思いました」
懐かしいなぁ〜と、ラゼは当時を振り返る。
まだ五三七大隊が結束したばかりの頃の話だ。
なかなか部下をまとめることができなくて、まあ好きにやってもらって、自分はもしもの時に彼らを守れればそれでいいかと思って仕事をしていた。
その甘い考えのせいで、部下を危険に晒して、自分の腹には穴が空いた。
あの時もらった黒傷は、フォリアに治してもらうまで、一番大きな傷だった。
内臓まで牙が届いていたので死んでおかしくない致命傷だったのだが、何とか傷を塞げたおかげで命拾いした。病院送りは免れなかったが。
治癒魔法ですぐに傷は治してもらえたが、五日ほど意識が戻らなかった。
「なんでも、閣下の様子がおかしいから探ってみたら、自分の息子と同じ年の部下が重体らしい――と突き止めたそうで。……別に閣下のせいじゃないのに、わざわざ謝ってくれて」
目覚めたばかりで、うまく身体が動かないのに頭を下げられた時には、それはもう慌てた。
何がお気に召したのか分からないが、あの時からバネッサにはものすごくよくしてもらっている。
毎日のように病院に来て、手づから食事を食べさせてもらったのは、一生忘れられない。
「たまーに要請があってダンジョンに行った時とかにもご一緒する機会がありまして、その度に声をかけていただいて今に至ります」
狼牙ちゃん!といつも優しく手招きしてくれる彼女は、今となれば、一番お世話になっている大人の女性だ。
「入院って……」
「軍人ですからね。怪我は付きものですよ――と言いたいところですが、純粋な力不足でした」
怪我なんて誇れるものじゃない。
ラゼは過去の自分に溜息をつき、呆れた様子でちぎったパンを口に放り込む。
「誰にやられたの」
「誰、というか魔物ですね。自分が避けたら部下の首に噛みつかれるところだったので、そのまま腹をパクリと」
水魔法をぶん回している最中の部下を運ぶこともできず、巨大な亀の身体に棲みついた他の魔物たちが飛び出てくるのを対処しきれなかった。
「死にかけたんですけど、私、運だけはいいみたいで」
「…………」
ラゼは談笑を続けているつもりだった。
だから、「こうして今も元気に生きてます」と笑って言った自分を、全く笑っていない彼の眼差しに射止められて言葉を止めた。
「……ア、アディス様……?」
恐る恐る伺ってみれば、アディスは握っていたフォークを置いて、ゆっくり口を開く。
「ごめん。そういう危険もある仕事だって、分かってるつもりなんだけど……。やっぱり笑えない」
「……すみません……。つまらない話を……」
「だからと言って、隠される方がもっと嫌だ」
はっきり嫌だと明言されて、何かに胸を掴まれた気分になる。
――心配、されているのだ。
「狼牙」なんてイカつい称号を持っている軍人だと知っているのに、この人は、自分の身を案じてくれている。
(そんなに弱くはないんだけどなぁ……)
強さと共に、可愛げもなくした。
心配する言葉をもらえばもらうほど、自分はそんなに弱くはないから大丈夫だと、より仕事に専念する。
心配されなくなるくらい、強くなりたかった。気を遣われるのが苦手だから。
なんだかんだ、鬼畜な任務が回って来るのは、自分が信頼されていると思えるから気は楽だった。
言われた仕事を、きちんと遂行できれば認めてもらえる。
それがやり甲斐で、生き甲斐でもあった。
だから、心配されるのは得意じゃない。
「……分かりました。話せることは全部話します。貴方が知りたいことにも全部答えます。……だから、そんな顔はしないでください……」
そんな辛そうな、何かを耐えるような顔は見たくなかった。
彼はきっと軍人という仕事をあまりよくは思っていないのだ。身の危険が伴う仕事だから。
それでもこうやって、こちらを尊重して心配するだけに留めてくれている。
だから、自分も少しでも彼に応えたかった。
「……俺、そんなに酷い顔してた?」
「どんな顔でも男前ですよ」
「…………君の好みじゃなきゃ意味ないけどね」
なかなか踏み込んだカウンターだが、ここで狼狽えてはいけない。
「大丈夫ですよ。これから私の好みはアディス様ですから」
「……………………………………え」
異性に対する好みなんて、今まで考えたこともなかった。
でも、アディスの顔はちゃんとカッコいいと分かっているので、多分これが好みってやつなのだと思う。
それに――
「これだけは宣言しておきますが、自分の夫以外に脇目を振るような妻になる気はありませんよ」
見くびられては困る。
結婚を承諾しておいて、他の誰かに目移りするなんて不誠実なことをする気はない。そんな自分は自分じゃないし、絶対に許せない。もしそういう「余地」が自分にあったなら、最初からこの話は受けていない。
「…………ごめん。今、さっきよりもっと酷い顔してるから見ないで……」
「はは。照れてる顔も素敵ですよ」
「ちょっと、黙っててもらえるかな!!」
赤くなった顔を隠そうと、アディスは片手で口元を覆っているが、照れているのは丸わかりだ。
女性相手に蜜を吐くのは得意なはずなのに、ここは照れるのかと思うと、慣れていない感じに好感が持てた。
ラゼは言われた通り口を閉じたが、その顔には満面の笑みを浮かべて、そんな彼を見守っていた。
◆
それから色んなことを話した。
今日のレストランはどうやって見つけたのか。
普段の食事はどうしているのか。
どのあたりで買い物をして、どんな料理をするのか。
「今度、また君の手料理を食べたいな」
「あれ? 作ったことありましたっけ……?」
「フォリア嬢の誕生日会の時、作ってたでしょ」
「――ああ! よく覚えてますね」
「美味しかったから、覚えてる」
店を出た後も、のんびり歩きながら皇都の街を散策して。
「アディス様、一時期ダンジョン巡りをしてましたよね? 市井に慣れてるのも、その影響ですか?」
「そうだね。貴族の男にしては、街のことも分かってるつもりだよ。……母さんが自由奔放な人で、良くも悪くも令嬢らしくないところ、今は結構感謝してる」
「私もバネッサ様のお人柄、すごく好きです」
「……君、母さん目当てでこの婚約受け入れたところあるでしょ?」
「否定はしません」
慣れた様子で隣を歩くアディスが、本当は自分の足で買い物に出るような身分ではないことを思いながら、自分に合わせてくれていることを改めて認識する。
「……混んできたね。この先に新しくできたワッフル屋さんがあるらしいけど、どうする?」
「えっ。私も気になってたんです、そのお店!」
たぶん、今日のために調べてくれたんだろうなぁ、と。
ほぼルーティン作業の仕事をこなす自分と違って、毎日色んな内容の仕事を対応しなくてはいけなくて忙しいのに、お菓子屋さんまで把握している彼には舌を巻く。
「じゃあ、行こう。でも、はぐれないでね? 君、小さいから人混みに入ったら埋もれそう……」
「アディス様は一瞬で見つけられる自信があります。女性の人だかりが目印です」
「そこは、もっと他の理由にして欲しかったな」
適度に会話のレシーブを楽しみ、休日で賑わう商店街を進むことにした。
(……いつもひとりで来ることがほとんどだからな……。アディス様から離れないように着いていかないと)
アディスに身惚れて、ラゼには気付かずにぼうっと歩いてくる女性陣を避けながら、目的のワッフル屋を目指す。
「……ラゼ」
「はい」
名前を呼ばれて返事をすると、見上げればそこに何故か不満そうな表情のアディスがいる。
「人を避けるのはいいんだけど、間を通られるのは不満かな」
そして彼はそう言って、ラゼの手を取った。
握られた手に驚いて視線を落とす。
彼の大きくて角張った男らしい左手が、優しく自分の右手を包んでいる。
――誰かと手を繋いで歩くのなんて、いつぶりだろう。
(……リドがいた時は、よくこうして手を繋いだな……)
彼女の脳裏に、死んだ弟のことが蘇った。
あの子が生きていたら、こんな風に自分より背が伸びて大きくなっていたかもしれない。
不意に思い出してしまったその記憶に、ラゼは切なさを胸の奥に押し返す。
ただ――。
(……この手は、離したくないなぁ…………)
あの子の手はもう握れないけれど、この手は離したくない。
そう思ったことは、押さえ込まなかった。
彼から繋いでくれた優しいその手が、解けないように。
ラゼは確かめるようにしっかりと、右手で握り返した。
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