6、デート
アディスとの婚約が決まってから、二週間と数日があっという間に過ぎた。
一周目の土日は話が出てからすぐだったので特に何もせず、二周目はラゼがバルーダ遠征だったせいで、休みが合わなかった。
仕事終わりに会おうとしてみたが、アディスは毎日残業三昧の日々らしく。父親と同じくワーカーホリックの片鱗をすでに見せているそうで、ラゼは休日に会う方が嬉しいと希望を出した。
そして、今日。
彼の婚約者になってから三回目の土曜日。
ラゼはアディスと会うために、街で待ち合わせをしていた。
――まあ、つまり、デートである。
「……アディス様の好み、結局分からなかった……」
ラゼは鏡の前で溜息を吐いた。
もうそろそろ約束の時間だ。移動魔法が使えるからといって、のんびりしていられない。
しかし、鏡に映る自分がしっくりこなくて、彼女は家を出るに出られなかった。
「カーナ様にも、フォリアにもそのままで大丈夫って言われたけど。アディス様の隣を歩くんだよ……? 下手な格好はできないよ……」
アディスとの婚約について、ラゼはカーナとフォリアにも伝えていた。彼女たちには伝えておくべきだと思った。
ふたりとも急に会いたいと言ったのに時間をとってくれて、婚約したと言えば、驚かれはしたが、それはそれは喜んでくれた。
口を揃えて「アディス様なら、幸せにしてくれる」と彼女たちは確信したように言われた。
…………それには、ラゼも同じ意見だった。
あの紳士で真面目な「青の貴公子」は、絶対にこちらの嫌だと思うことはしないだろう。
――誰にだって、優しい人だから。
とはいえ、その優しさに甘えては駄目だ。
ちゃんと、彼の婚約者としての努力をしなければ、到底釣り合わないのだから。
そう思って、この日のためにアディスの好みを探ったというのに。
(……アディス様、付き合ってた女性がいないってどういうこと? あれだけモテるのに??)
分かったのは、彼は令嬢の誘いを受けて出掛けることはあっても、恋人はいなかったという衝撃の事実。
遊んでいたというよりも、令嬢に合わせてあげていた、と表現するべきような交流をしていたらしい。
そんな訳で、彼と関わった令嬢のタイプはてんでバラバラだった。せっかく諜報部にいたころのツテなんかも使って調べたのに、全く参考にならなかったのである。
「……気合い入れすぎて、引かれるのもな……」
デートということで、ここは女性らしくスカートを履くことは決めていた。
ただ、あまり可愛らしいフォリアが似合うような服装は、自分らしくない気がして。
ほぼ素の状態だった学生時代の自分を知られているから、彼に見合う可愛い令嬢になりきることもできなかった。
「でも、これじゃ流石に地味すぎ? いや、でも……」
シンプルに、白いシャツに青いリボンとスカート。
街で昼食を食べて、その後は商店街をゆっくり回って買い物でもしようかなんて言われているので、歩きやすいブーツ。
ちょっと良い店で選んだ、どれも品のいい服ではある。問題があるとすれば、それを着こせないモデルの方だろう。
少しでもよく見せようと、化粧をして、髪もいじってみた。
それなりに様にはなっているとは思うが、これが正解とも思えなかった。
「うああっ、どうしようっ……」
デートなんてしたことがない。
何が正解なんて、さっぱりだ。
「もう駄目だ。家を出ないと! 遅刻だけはできない!」
最後にもう一度だけ、着崩れがないかだけ確認して、ラゼは支度を終えた。
鏡の前から離れると、机の上に置いておいた紙袋を見る。
「うん。ちゃんとマーキングはしてあるね。置いていくけど、渡すのだけは忘れないようにしないと」
これはアディスへの贈り物だ。
自分の今日着る服より、倍悩んで決めたものだ。
あとは渡すタイミングだけ逃さないようにだけ、気をつけなければ。
フゥーとひとつ深呼吸をして、ラゼは気持ちを落ち着かせる。
(……いつも通り。いつも通りで。変に意識しすぎたら駄目だ)
こちらが挙動不審では、彼に気を遣わせる。
気楽に婚約できるというメリットを提供できなければ、自分なんてお役御免だろう。
「――よし。いってきます……!」
気持ちを切り替えたラゼは、誰もいない部屋に出発の合図を告げる。
待ち合わせの時間まで、あと二十分はある。
魔法で近くのポイントに飛んでから、約束の時計台まで少し歩くが、充分間に合うだろう――
「…………え」
――と、そう思っていたのは間違いだったらしい。
「お兄さん。おひとりですか?」
「……いえ。人を待っているので」
「じゃあ、その人が来るまでそこのカフェでお茶でもしませんか!」
「すみません。お誘いは嬉しいんですが、彼女を待っているんです」
「えっ、残念。彼女さんいらっしゃるんですか……? でもお兄さん、もう二十分は待ってません?」
約束をしていたその人は、すでに先にいて。
見知らぬ女性に逆ナンというやつをされていた。
流石、社交界の新生。
逆ナンされるイケメンなんて見るのは初めてだ。
学生時代より更に伸びた高身長。
着こなすのは、ジャケットにパンツというカジュアルだけれど育ちの良さが滲み出るブランド服。
サラサラの青髪の間から覗くのは、切れ長のシルバーアイ。
本日も絶好調で、舞台俳優みたいなオーラを出していらっしゃる。
これは、女性が放っておかないのも仕方ない。
(――だから、早く来ようと思ってたのに!)
彼が目を引く存在だとは分かりきったことだった。
だから、ちょっと早めに家を出たと思っていたのに、見積もりが甘かった。
美人な女性に話しかけられている彼に、こんなちんちくりんが近寄って助けようとしても、女避けの効果なんて期待できないのに。
ラゼは足を止めた。
今日一日、彼と一緒に過ごすと思うと、本当に自分なんかでいいのかという疑問が湧いてくる。
「――!! ラゼ!」
が、沈みかけた思考は、そのひと声で浮上する。
ふいに横を向いた彼は自分を見つけた途端、その顔に笑みを浮かべた。
長い脚でまっすぐ、こちらに向かってくるアディスに、ラゼはその場から動けなかった。
「……っ、す、すみません……。お待たせしてしまって……」
「ううん。俺が早く着きすぎちゃっただけだから気にしないで」
アディスは時計台を見上げて時間を確認する。
時刻は待ち合わせの十五分前だった。
「やっぱり早めに来てよかった。君と十五分も長く一緒にいられる」
(――この、人たらしが!!)
すかさず、ラゼの胸中ではツッコミが入る。
まるで本当に自分と一緒にデートするのが嬉しいみたいな反応をしてくるなんて、この人はどこまで「紳士」なのか。恐ろしい人だ。姫君に見初められるのも頷ける。
「ちょっと早いけど行こうか。店、予約してあるんだ」
「さ、流石……。ありがとうございます」
相槌を打つと、歩き出したアディスの隣を着いていく。
「そういう服も着るんだね? 似合ってる」
「……まあ、その。……デートなので」
貴族の男子らしく、今日の服装を褒めてくれる彼にラゼは照れ隠しのために苦笑した。
「……っ、今日のために用意してくれたの?」
「私、普段はもっと適当な服で買い物に出るくらいしかしませんよ」
「そうなんだ。……休みの日は家でのんびり?」
歩調を合わせて、アディスは会話を続けてくれる。
家を出る前は柄にもなく緊張していたのだが、こうしていると案外普通に話せている気がした。
「家でだらだら寝ている日もあれば、海とか山に行って気分転換する時もあります。あとは、美味しいものを食べにいくのが趣味ですかね」
「……そうだった。君の行動範囲、えげつないんだった」
「お望みとあれば、どこへでもお連れしますよ」
自慢げに笑い返せば、アディスは銀色の瞳をラゼに注ぐ。
「俺を置いて、どこか遠くに消えないでね。まあ、絶対探しに行くけど」
冗談なのか、本気なのか。
どちらとも取れないようなセリフに、返事に困る。
「どこにも行きませんよ。ここが私の帰る国なんですから」
任務で色んな土地を回ったが、結局、このシアン皇国が自分の故郷で落ち着く土地だ。
大事な仲間と友人と寝たきりの父親がいるのだから、そう簡単に離れられはしない。
「今の言葉、忘れないでね。婚約者殿」
少なくとも彼の婚約者でいる限りは、どこにも行けないだろう――。
待ちに待った!デート回!!!(血涙)




