5、許されるなら
「今朝もブリュリットの姫君から手紙が来てたが、どうするつもりなんだ? アディス」
「婚約者がいるから、もう手紙の相手はできないって伝えるだけだよ」
「……流石に、嘘はつけないぞ?」
「嘘じゃないから大丈夫」
皇城にて。
アディスはルベンに呼び出されていた。
理由は、熱烈なアプローチを受けている姫君をどう対処するのか、という話をするためである。
ルベンに同行してかの国に行ったら、毎日毎日、手紙と一緒に贈り物が届くようになってしまった。
他国の姫君なので、強く断ることもできずに本日を迎えていたが、アディスはもうこれ以上彼女の相手をする気はなかった。
「嘘じゃない?」
「うん。婚約することになった」
「は? 誰とだ? 聞いてないぞ?」
ルベンは思わず控えていたクロードに視線を向ける。
「わたしも聞いていません」
その答えを聞いてから、ルベンは再びアディスを見た。
執務室の長机から、前に置いてあるローテーブルとソファに腰掛けるアディスは、観念したようにこちらを向く。
そして一度口を開いて答えようとした彼は、何故か口を閉じた。
その様子にルベンは眉尻を寄せる。
「まさか、適当に婚約者を見繕った……とは言わないだろうな」
「ちが……いや。違くはない、のかな? でも、その。そうじゃないんだ……」
戸惑いのまま告げられる言葉に、ルベンとクロードは顔を見合わせた。
いつも飄々と物事をこなしてみせる彼の、この反応は滅多に見ない。
「――――ゼと」
「?」
「ラゼと結婚することになった、んだ……」
だから、彼の答えに反応が遅れた。
何をうじうじしているのかと思えば、最適解ではないか――?
「そうか。よかったな」
「ええ。彼女となら安心ですね」
平然として、ルベンとクロードは言った。
セントリオールに入学するまで、アディスはずっと騎士を目指していた。
それが、今や文官として働いているのは、彼女と出会ったからに違いなく。
彼女がいるから、他のどんな令嬢に声をかけられてもなびくことはないと知っているから、ふたりは心配をして損をした気分だった。
「〜〜〜〜っ! よくないよ!」
が――、アディスは吠える。
「彼女は平民の出身なんだ。貴族のしがらみとか、そういうのは気にせずに好きな人と結ばれた方が幸せに決まってる。こんな、政略結婚みたいなこと――」
そこまで捲し立てるように声を上げた彼は、自分に向けられるポカーンとした二つ分の表情にハッとして口を閉じた。
政略で結婚したルベンを前では、失言だった。
たとえ、想いが通じ合って結ばれたのだとしても。
「…………ごめん。今のは忘れて」
「それは無理な頼みだな」
ルベンは誤魔化そうとするのを逃さなかった。
碧眼が自分をまっすぐ見据えていて、アディスはお手上げだ。こうなったら、ルベンは逃してくれない。
「とりあえず、話を聞こう。まずはそれからだ」
どうやら彼らの婚約には事情があるらしい。そう悟ったルベンは席を立った。
そして、アディスの座るソファの方まで行くと、自分も定位置に座る。
話が長くなりそうだと見たクロードは、何も言わずに飲み物の準備を始めた。
「……仕事があるので戻っていいですか、殿下」
「悪いが、それは聞き入れない」
「…………だよね……」
アディスはにこりと笑って却下する幼馴染に、ため息をついて顔を手で覆った。
「お前の反応を見るに、自分から望んだ婚約ではないんだな」
「……あの腹黒宰相のせいだよ」
「グラノーリにも他国から縁談の申し込みがあったからな。ちょうどいいから結婚しろと話が持ち上がったところか」
「…………その通り」
簡単に言い当てられて、アディスは頷くことしかできない。
「でも、政略結婚『みたいなこと』ってことは、強制された訳ではないのでは?」
ティーカップを置きながら、クロードが尋ねた。
「…………先にラゼの方に話がいったんだ。だから、俺ももしかしたらあの人に命令されたのかと思って本人に直接確認したけど。自分も困っていたところだから、とりあえず婚約して結婚まで半年、様子をみようって……」
「「…………」」
あっけらかんとしてその台詞を、社交界で女性を騒がせているこの男に言い放つラゼ・シェス・オーファンの姿が思い浮かび、ルベンとクロードは同情した。
「どうして自分のことになるとあんなに無頓着なんだろう」
「……誰かのためになら、すごい力を発揮できるタイプなんでしょうけどね……」
クロードは苦い笑みを浮かべる。
学生時代、自分がルベンの影であったように、ラゼも学生たちの影だった。もっと言えば、この国を支える陰の立役者だった。誰かのために動くという姿勢は共通していて、何となく自分と似ていると感じていたから、クロードはラゼをやんわり擁護する。
「俺は、彼女がどこかで笑って暮らしているなら、別にそれでよかったんだ。でも……」
「グラノーリなら、国のために人生を捧げることも躊躇わないだろうな。『狼牙』の称号がそれを証明している」
「………………」
ルベンはアディスが何を考えてこの婚約に悩んでいるのか理解した。
アディスはグッと息を呑み、拳を握る。
「それで? 結局、お前自身はどうしたいんだ」
経緯は分かった。
ただ、肝心な本人の意思を聞けていない。
ルベンは核心を突いた。
「…………他の誰かに無理やり嫁がされるくらいなら、俺がもらう」
静かな部屋に、アディスの声が染み入る。
「恋愛結婚はさせてあげられないけど、それ以外のことなら全部彼女の望みを叶えてみせる」
アディスは腹を括った男の顔だった。
そして――
「貴族の男として彼女の隣にいることを許されるなら、俺はもう引けない」
その告白こそ、彼の底に眠り続けていた本心だった。
――アディス・ラグ・ザースは、自身がラゼ・シェス・オーファンと結ばれることはないと察していた。
ラゼは平民の出身。自分は根っからの貴族。
彼女が、他の令嬢のようにドレスや装飾品に胸を躍らせ、身分のいい男に嫁ぐことが幸せ――なんて思うような価値観ではないことくらい、重々理解していた。
いつも助けてもらうのは自分の方で、いいところなんて見せられた試しがない。不甲斐ないところばかりを彼女には見られている。
こんな頼りない男のことを、彼女は選ばない。
そもそも、その選択肢にすら入れてはもらえない。
彼女にとって自分は、上司の息子で、守るべき対象くらいに思われているはずだ。
他の貴族令嬢だったら喜んで食いついてくる、身分も、容姿も、能力も。
何ひとつとして、彼女を振り向かせる理由にならない。
逆に、その全てが、自由に飛び回る彼女を縛る枷にしかならないのだから最悪だった。
いつから自分の感情に気付かないフリをしていたか。
どれだけ、彼女に胸を締め付けられてきたことか。
気が付いた時にはもう手遅れで、彼女だけが特別だった。
この感情に名前をつけてしまえば、諦めることが出来なくなるのだって分かっていた。
そして、もしそれを玉砕覚悟で彼女に伝えたところで、関係が崩れるだけなことは目に見えていた。
そうなったが最後、ラゼは一生、自分に気を遣うだろうことも知っていた。
だから、これはただの友愛だった。
友としてなら、ずっと彼女の何かでいられた。
友人だったら、大切にするのは当然で、困っていたら助けることもできる。くだらない話をして笑い合えるし、心配することくらい許してもらえる。
それで十分だった。十分だと言い聞かせていた。
――それなのに。
自分と婚約してもいいと、彼女は言ったのだ。間違いなく。
心の底から望んでいた。一縷の希望を目の前に垂らされて、どうして掴まずにいられるだろう。
絶対に結ばれることはないと思っていたのに、こんな幸運が舞い込んでくるなんて、どうかしている。
それこそ、彼女は命令されて自分との婚約を呑んだと疑わずにはいられないほど、アディスにとってはあり得ないことだった。
いや……たとえ、命令だっとしても、彼女は断ることもできたかもしれない。もっといい相手と結婚できるだけの権威を持っているし、彼女には次期皇妃カーナと、聖女として魔性ウイルスの被害に貢献したフォリアが付いているのだ。本気で嫌なら、婚約なんて断ることができたはずだ。もっと言えば、その気になれば、きっとこの国から逃げることだってできただろう。
けれど、ラゼは婚約を受けた。
たとえそれが情けない友人に対する同情からだったとしても、結婚してもいい――と、あの彼女が自分に一瞬でもそう思ってくれたという事実が、アディスには堪え難い喜びだった。
「……あの人の手のひらで踊らされた挙句、結局、自分もその状況に喜んでるのが嫌になる」
自分を嘲る苦笑は、ルベンとクロードを黙らせる。
「――って、ことで。いい宝飾店、教えてくれない? 婚約指輪を用意することになったんだけど、絶対に妥協したくないんだ」
「…………何が『ってことで』だ。勝手に完結するなよ……」
空気を変えようと、話題を切り替えたアディスにルベンは肩をすくめた。
「私に止めて欲しかったんだろ。彼女との婚約を」
びくり、と。図星を突かれたアディスの身体が揺れる。
「婚約が決まった時点で、お前はグラノーリを離す気なんてなかった。――だけど、彼女に好かれる自信がないから、平民としての生き方を奪おうとしている自分を止めて欲しかったんだろ。それなのに私たちが予想に反して、すぐに肯定したから取り乱した」
見事に全てを言い当てられて、アディスの表情はみるみるうちに赤くなる。
改めて言葉にして言われると、自分がどれだけ恥ずかしいことをしでかしたのか丸分かりだ。隠れる場所もない。
「――だから言ったんだ。今の話は忘れてくれって!」
「悪かったな。宝飾店、後でいくつかリストアップしておく」
「…………それはありがとう」
アディスは喉の渇きを覚えて、紅茶を手に取った。そして、一気にすっかり冷めたそれを飲み干す。
それでも、まだ生温かい視線を自分に向けてくるルベンとクロードに、彼は居た堪れなかった。
「……くそ。いっそのこと笑ってくれ。重いって」
「それはとっくの昔から知ってる」
「は!? いやいや、ルベンには言われたくない!」
「いや、私はお前ほどじゃないよ」
自分だって、カーナのことになると信じられないくらい心が狭いくせに。
何をいけしゃあしゃあと上から目線で言っているのか。
アディスはルベンに言い返すが、ルベンは余裕の面持ちだった。
「政略結婚の先輩として、ひと言だけアドバイスしてやる」
「……別にいいよ。最初から互いに好感度が高かった人たちに言われても参考にならない」
「まあ、そう言わずに聞け」
「…………」
カーナとの関係性は否定しないし、自分たちの関係性についても「そんなことはない」なんて慰めてもくれないらしい。
好きな人と結婚できた男の余裕が、今はひどく恨めしかった。
「とにかく諦めるな。拒絶されて破談になるまでは、誰がなんと言おうとお前が彼女の婚約者なんだからな」
しかし、それを聞いてハッとした。
側から見れば両片思いでしかなかった彼らも、決して順風満帆な婚約関係が続いていた訳じゃない。
ルベンにはルベンの苦悩があったはずなのだ。
あのラゼ相手にだって、わかりやすく嫉妬をするくらいなのだから。
「……分かってる。言われなくても、そのつもりだよ」
だから、ここは先輩の有難い言葉を受け取っておくことにする。
「ああ。骨は拾ってやるから安心しろ」
「そこは応援するところじゃない??」
どうして玉砕する前提なんだ。
憤りを露わにすれば、ルベンは楽しそうに笑っていた。
やっぱり、結婚一年目で幸せ絶頂にいる彼の言うことは当てにならない。
アディスはそう心の中に不満を書き殴るのだった。
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