3、返事
「――代表。今、受付にウェルライン閣下の息子さんがいらっしゃってるみたいなんですが……」
「ああ、うん。ありがとう。ちょっと行ってくるよ」
アディスとの婚約について返事をした、二日後。
ラゼはいつも通り自分の執務室で仕事をこなしていた。
彼がわざわざ自分を訪ねに来るなんて、要件はひとつしかないだろう。
(……まだ返事を聞いてないんだけど……。やっぱり断られるのかな)
ゼーゼマン曰く、あの縁談はウェルラインから回って来たものだと言うし、もしかするとアディスの本意ではなかったのかもしれない。
断られたら、そうですよね〜と笑って話を流そう。
頭の中でシミュレーションをしてから心の準備を整えると、ラゼはクロスに後を任せて執務室を出た。
「こんにちは。アディス様」
「――――!」
受付の前に彼の姿を見つけて、ラゼは普段通りの振る舞いで挨拶をする。
すっかり背が伸びて、顔付きも凛々しさが増し、大人の色気なんかも纏うようになってしまって……。
これは他国の姫君にも目をつけられても仕方ないよなぁ、なんて。
「アディス様?」
「…………っ、その、久しぶり。急に来てごめん」
「大丈夫ですよ。これからちょうど休憩に入ろうと思っていたところだったので。アディス様こそ、お忙しいだろうに貴重な時間を割いてしまってすみません」
「気にしなくていいよ。ちゃんと話して来いって上司からも言われてるんだ」
「へぇ。そうなんですね」
アディスの上司。
騎士から文官に転身したアクティブな人だと、前にもらった手紙に書いてあった。
文官として、彼は彼の道を進んでいるのを肌身に感じる。
「……しばらく会えてなかったけど、元気にしてた?」
「はい。こちらは変わりなく。そういえば、最後に会ってから半年ぶりくらいですかね?」
「うん……」
ラゼはバルーダ大陸の遠征や訓練があったし、アディスも他国の視察に同行していたりして、気が付けばこうして顔を合わせるのは半年ぶりだった。
最後に会ったのも、ラゼが皇城に用事があった時に軽くすれ違った程度。
手紙のやり取りはしているが、落ち着いて話すのは久しぶりだった。
「部屋が空いてるみたいなので、よかったら座って話しませんか?」
「……そうだね」
なんだかアディスの口数が少ない気がするのは、気にし過ぎだろうか。
兎にも角にも、皇都の外れまで出向いてもらったからには、お茶くらいは出さないと失礼だ。
ラゼは彼を先導し、応接室に案内する。
「どうぞ」
「ありがとう。……これ、ここに来る途中で買ったんだ。甘いの好きでしょ」
「――! うわぁ、さすが青の貴公子。そんなに気を遣わなくてよかったのに」
「……何も持たずに来れないよ」
ふたりで向かい合うようにソファに座り、ラゼはアディスから渡された紙袋を覗く。
「開けても?」
「もちろん」
断りを入れてから、ラゼは赤いリボンの付いた箱を取り出す。
蓋を開けてみれば、そこに収まっていたのは、長方形に焼かれたアップルパイだった。
ラゼは嬉々として、魔法で紅茶とお皿にナイフとフォークも用意する。
ほんの少しの沈黙が、穏やかに部屋を漂った。
話す準備が整ったのを確認したラゼと、静かに彼女を見守っていたアディスの視線がぶつかる。
「――――――本当に、いいの?」
そして、彼は言った。
銀色の瞳は、真実を写す鏡のように、こちらを見定めている。
大事な主語が抜けていたが、ラゼも「何が」なんて愚問はしなかった。
「アディス様が嫌じゃなければ喜んで」
「――っ」
端的に返答すると、アディスはぐっと息を呑む。
「な、なんで……」
「私も自分の縁談のせいで、いつまでもゼーゼマン閣下の手を煩わせる訳にはいきませんし、アディス様もお困りだと聞いたので丁度いいかなーと」
「…………」
軽く説明したラゼに、アディスの表情が変わった。
それまで真剣だった眼差しが、彼女のこの一言で徐々に怪訝な視線に変わっていく。
「とりあえず婚約してみて様子を見ましょう。それからでも判断は遅くないと思います」
ラゼはカットしたアップルパイが載った皿を手に取った。
まるまるリンゴが半分入っているパイをフォークで刺して、平然と口に入れると、もぐもぐとリスのように咀嚼する。――仕事の合間に食べるデザートは、最高に美味しかった。
「――――――ハァアア……」
そんな彼女を見て、アディスからは盛大なため息がこぼれた。
「そうだった。君はこういう人だった」
「…………なんですか、急に?」
青い髪を片手で掻き乱す彼。
褒められていないことだけは伝わって来たので、ラゼも言い返しておく。
「一応聞くけど……あの人に命令された訳じゃないんだよね」
「あの人って……。ウェルライン閣下のことですか? それは勿論。死神宰相と呼ばれる御仁ですけど、大事な息子さんにこんな訳アリを好き好んでくっつけたがらないでしょう」
何を言っているんだとラゼは苦笑する。
本気でアディスの婚約者を選んだなら、もっと他に相応しい令嬢がいる。自分が選ばれる訳がない。
なら、どうして今回呼ばれたのかと考えれば、答えは簡単だ。
自分とザース家の関係なら、破談になっても困らない。
これに尽きる。
「君、あの人のことを美化しすぎだよ……」
「そんなことないですよ。たとえどんな手を使っても、狙った獲物は逃さない人だということは、ちゃんと知ってます」
これでも直属の部下なんですよ、と。
ラゼはちょっと自慢げに言った。
「…………そうだね。認めたくないけど、それだけは確かだ」
アディスは目を伏せて、不本意そうに告げる。
男親子の仲は、なかなか難しいらしい。
「結婚したら、閣下は私の義理のお父さんになるんですね……。無理にとは言いませんが、私の胃のためにもご家族円満でいてくださいよ」
冗談まじりに、ラゼはアディスの顔を覗く。
「――じゃあ、そこだけは俺も見習うことにするよ」
「…………ん?」
すると目が合った彼は、何故かどこか吹っ切れた顔をしていて。
アディスはおもむろに席を立つと、ラゼの隣に片膝をついた。
彼が何をしたいのか分からなくて、ラゼはただただその様子を見ているしかなかった。
下から見上げられる構図になって、珍しくアディスが自分の目線より下にいる。その眼差しに慣れていないからだろうか。心臓が妙な音を立てている気がする。
「たとえどんな理由があったとしても、婚約するからには必ず君を大切にすると誓うよ」
それはまるで、騎士の誓いのようだった。
ど直球に「大切にする」なんて言葉を言われたのは、生まれて初めてだった。
アディスの青く艶を帯びた髪の間から、銀月が自分だけを写している。
――なんて、贅沢な。
そう思った感想は、胸の内で溶けていく。
「改めて、これからよろしくね。ラゼ」
「こ、こちら、こそ。お世話に、なります……」
どうしてだろう。
今、ものすごく落ち着かない。
何か選択を間違ってしまったのだろうか。
ラゼはアディスから離れた方の手を握り、自分を落ち着かせようと、呼吸を小さく整える。
「それじゃあ、まずは婚約指輪からかな。何か要望はある?」
「――――っえ!?」
が、整えようとした彼女の平常心は、次の一瞬で乱されるのだった。
お読みいただきありがとうございます!
中編くらいの予定です。




