2、聞いてない
「喜べ愚息。婚約相手が決まったぞ」
「…………………………は?」
珍しく自分より早く家に帰って来ているかと思えば、食後のコーヒー片手間に告げられた内容にアディスは思いっきり顔をしかめた。
「断る理由がないと快諾してくれたそうだ。よかったな。くれぐれも相手の令嬢に失礼がないようにしなさい」
「――い、一体何を勝手に!?」
父親が本気で言っているのだと分かって、アディスに湧いてくるのは焦りと怒りだ。
――婚約? 冗談じゃない。
今は仕事に専念して、一秒でも早く彼女を守れるだけの裁量を持てるようにならなくてはいけないというこに。
アディスの怒りに、夕食を運ぼうとしていた執事やメイドたちも空気を読んで壁と同化する。
「断って来ます。自分のことは自分で対処法するので放っておいてください」
「そういうことは、相手の令嬢を把握してから言うべきだな」
肩をすくめて余裕ぶった苦笑をされて、ますます嫌な予感しかしない。
アディスは椅子から立ち上がると、ウェルラインから便箋を奪い取るようにして手にした。
そして、その内容に目を通し、息を呑む。
「……な、ん。……どう、して、彼女の、名前が……」
みるみるうちに強気な表情が困惑に染まっていく。
「オーファンくんにも、ここ数年何件も縁談が舞い込んでいてね。後見人がゼーゼマン将軍とはいえ、他国からも話が上がっていて、そのうち断れない話も出てくるだろうからってことらしい」
「ことらしいって……。――――まさか、あなたが無理矢理、命令したんじゃ!」
「…………」
くしゃりと便箋を握りしめ、アディスはウェルラインを睨む。
「アディス・ラグ・ザース。こちらこそ聞きたいんだが、まさか、貴族の人間が全員自由に望んだ結婚ができるとは思っていないだろうな?」
しかし、返ってきたのは容赦のない一撃だった。
「オーファンくんは快諾したと私は言ったぞ。その意味をよく考えてから、断るなら断れ。ただし二度と機会があると思うなよ」
本人に了承もなく勝手に話を進めておいて偉そうに。
口先まで出かけたものは、音にはならなかった。
今、自分に与えられている選択肢はふたつだけ。
彼女――ラゼ・シェス・オーファンとの婚約を、断るか否か。
この男が言う通り、これを断れば、たぶん、彼女と自分が結ばれることはないだろう。
それは、つまり、ラゼが自分の知らないどこかの誰かと結ばれて幸せになるということ。
「彼女にはフランカ連邦から、第五王子を婿入りさせたいとの打診がきている。そして、今皇国として一番繋がりを欲しているトウからも是非後宮に呼びたいと言われている。これでも私は宰相だ。いくら自分の部下で息子と交流があろうとも、いつまでも彼女に肩入れはできない」
「…………」
それを聞いて、アディスは思った。
たとえ彼女が誰と結ばれても、それは別に構わない。
――ただし、彼女が幸せでいてくれるなら、だ。
狼牙の称号でしか彼女を見ていない人間に嫁がされる可能性があるくらいなら、自分のところにくればいい。
嫌になったらいつでも離れてくれていいし、何か他に希望があるなら出来る限り叶えてみせるから……。
国のために結婚させられるなんて、それだけは見過ごせない。
「…………お受けします。――ただ。もし彼女が無理をしてこの話を呑んだと分かった時には、俺はあなたを許しません」
それだけ告げると、アディスは部屋を出た。
分け目も振らず、無駄に広い屋敷の廊下を進み、自分の部屋に早足で駆け込む。
バタン――と、後ろ手で乱雑にドアを閉めて、彼は扉に背を任せた。
そして、自分以外誰の視線もないのを確認して、ズルズルとそのまま膝を曲げる。
「…………一体、何を考えてるんだよ。君は……」
見間違いなんかじゃない。
この大きくて見やすい丁寧な字は、ラゼの字だ。
握ったままだった承諾の手紙を見て、アディスは深い、深い溜息をついた。
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