13、一緒に
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ラゼが泣いているのを見て、アディスは確信した。
彼女を絶対、ひとりにしては駄目だと。
「一緒に暮らそう」
だから、その提案は案外すんなり音になった。
先に食事を終えて、小さな口で自分の作った簡素な料理をもぐもぐ一生懸命に頬張っているラゼに告げる。
「…………え?」
ラゼは急に言われたことに驚いたようだったが、アディスにとっては、ここ最近ずっと考えていたことで。
この部屋を見てから、いち早くそうするべきだと考えが変わった。
「うちの屋敷に来てくれてもいい。それが気に悩むなら、新しい家を探そう。小さくても、大きくても。郊外だろうと、皇都の中心だろうと。君と一緒に住める家なら、どんなところでも構わない」
とにかく、彼女を迎えられる家が欲しい。
こんな、まるでいついなくなってもいいように片付けられた部屋ではなくて、彼女の好きなものや思い出のあるものを飾った部屋が必要だ。絶対に。
「…………あ。えっと……。もしかして、その、気を遣わせましたか……」
ラゼは自分の部屋を見回した後、アディスに言う。
彼女のことだから、質素なこの部屋が貧相に見えたのでは――とか考えているのだろうが、そういうことじゃない。
「ずっと考えてたんだ。これから式の準備もあるし、もっと会える時間が欲しいって。もちろん結婚してからでもいいと思ってたんだけど、君が嫌じゃなければ今すぐにでも一緒に暮らしたい」
「………………」
ラゼは明らかに戸惑っていた。
どうして恋愛結婚でもないのに、そこまでするのか。
そう考えていることは簡単に察せた。
まあ、そう思うのも仕方ないだろう。
アディスはひと言だって、ラゼに好きだと言えていないのだから。
彼女がどこまで察しているかは分からないが、少なくとも彼女自身は自分のことを「そういう」対象としては見ていないはずだ。
だが、恋愛感情はどうでもいい。
「君が無事に帰ってくることを、心配させて欲しい」
真っ暗な部屋にただいまと言う彼女に、自分が「おかえり」と言いたい。
軍人として働くラゼが、毎日無事に家に帰ってくるのを見て安心したい。
あわよくば、彼女にとって自分が帰る場所になれれば、それ以上に求めることなんてこの世にない。
「……なんて。ちょっと、うざいかな……?」
シンと静まり返った部屋で、ラゼが思い詰めないようにアディスは自嘲した。
「………………ほんとうに、私なんかでいいんですか……」
そして、返ってきたのは消え入るような、自信のない声だった。
少なくとも自分の前で、ここまで小さく縮こまる彼女は見たことがない。
「アディス様なら、一国の姫君とも結ばれることができるんですよ……? 名誉貴族とはいえ元平民で、令嬢としての品位なんて私にはありません……。決して美人でもなければ、仕事は軍人なんてやっていて、女性らしさや可愛げもどこかに置いてきてしまいました」
ラゼは俯いたまま、言葉を紡ぐ。
何に怯えているのだか、全くアディスを見ようとしない。目が合うのを避けているようだった。
「……アディス様は家を継ぐだろうし……その、お世継ぎのこともちゃんと考えないと。踏み込んだ話、私は受け入れるだけで済みますが、アディス様にも好みはあるはずです。そもそも、元平民の軍人の娘なんかと結婚するより、家柄のいいご令嬢と結婚した方が余計な障害もないでしょう……」
反論したいのを堪えて聞いていれば、彼女の主張は止まらない。
「私はこんな身の上ですから、普通に結婚はできないだろうなとは何となく思っていました。今まで仕事ばかりで恋愛ともご縁がなかったので、政略結婚を命じられたら、よほどのことでもない限りお受けしようと最初から決めていました。……でも、今回、アディス様と婚約することになって、私は……」
ぐっと言葉に詰まって、ラゼの声が途切れる。
これが彼女の本音なのだと途中から分かったから、アディスはただ真摯に話を受け止めることに徹する。
ここで言葉を遮ったら、もう二度と本心を語ってくれないと読み取っていた。
「…………私は、嬉しかったんです」
そして、その結論に、アディスは銀色の眼を見張る。
「こんな自分のことを分かった上で、アディス様もバネッサ様も、閣下も受け入れてくれて……。ちゃんと私のことを尊重してくれる人たちと家族になれることが、どうしようもなく安心して、嬉しかったんです……」
泣きそうな顔が、上を向いた。
鳶色の綺麗な目が、自分だけを写している。
「政略結婚だとは分かっています。アディス様にも事情があって、私も婚期だった。運に恵まれただけだということも、ちゃんと分かってます。…………でもっ。……だから……っ。もしアディス様が私に情けをかけてこの婚約を呑んでいるのであれば、やっぱり、お受けすることはできません」
ひとりでどれだけ考えていたのだろう。
いつから、自分ひとりで決断しなければならない選択を重ねてきたのだろう。
社交場の令嬢は、素敵な旦那様との結婚に憧れて着飾っているというのに。
目の前の彼女は、結婚してひとりじゃなくなることが嬉しいと言う。
自分の利益を取ればいいのに、バカ真面目にこちらのことばかり気を遣って。
幸せになれるかもしれないと分かっている道を、自ら手放そうとする。
「アディス様には、ちゃんと幸せになって欲しい」
本当に、バカだ。
彼女も、自分も。
「俺が君と結婚したいのは、君のことが好きだからだ」
そこまで言わせて、アディスは黙ってなどいられなかった。
「……………………………………え」
長い沈黙のあと、本気で何を言われたか分かっていないラゼの声がこぼれる。
「君のことが好きだから、君のことを狼牙としてしか見てないような男にやるくらいなら俺が幸せにしたかった。……君が婚約を受けてくれた時、本当に嬉しかったんだ。君は望めば貴族のしがらみに囚われず、自由に生きられる。生粋の貴族の俺が選ばれることはないと思っていた」
ラゼが心の内をみせてくれたのだから、次は自分の番だ。
腹を決めたアディスは答える。
「正直、告白するつもりはなかった。たとえ政略結婚でも、ラゼといられるならそれで十分だったから」
ルベンの言う通りだ。
彼女に好かれる自信がないから。
だったら、関係を壊さないために告白なんてしなければいいと。本気でそう思っていた。
「……つまり、俺は、この政略結婚を口実として利用していたんだ。自分の私欲を満たす為だけに、今日まで君に告白することもなく。…………卑怯でしょう……」
ラゼは自分を貴公子だ、紳士だというが、それは見当違い。
ただ自分が傷付かないように、自分の身ばかりを優先させる自己中心の卑怯者だ。
「……だから。君こそ、こんな、自分中心にしかものを考えられない肩書きばかりが立派な貴族の男と結婚しても、本当にいいの……」
ひどい告白だという自覚はある。
それでも、彼女にここまで言わせて、自分は本音を隠していることはできなかった。
ここで考え直させて欲しいと言われたら、当分立ち直れない自信がある。
癪だが、ルベンに骨を拾われる日もそう遠くはないかもしれない。
「…………アディス様が、私を、好き……?」
手に汗を握って返事を待っていたアディスに聞こえて来たのは、呆然としたラゼの呟きで。
長々と語ったのに、一番最初に告白したことを驚いているらしいラゼに、肩透かしを食らった気分になる。
今は「そういう関係は求めていない」と言われて玉砕するか否かの、大勝負をしているはずだったのに。
「……そんなに信じられない……? これでも、ラゼにはいいところを見せようと結構、頑張ってだんだけどな……」
特別扱いをしているつもりしかなかったのだが、それすら伝わっていなかったのだろうか。
アディスはだんだん、ラゼが自分に対してどんな人間だと思っているのか気になってくる。
「まさか君、俺が誰相手にも君と同じ対応をするとでも思ってる?」
「………………」
「――!?」
沈黙という名の肯定が返ってきて、アディスは絶句した。
「君は俺のことを誤解してる! ラゼ相手じゃなければ、自分から手なんて繋がないし、抱きしめないし、プロポーズだってもっと適当に済ませただろうし、結婚前に一緒に暮らそうなんて絶対に言わない!」
誤解されていると知って、アディスは前のめりに叫ぶ。
「…………全部、アディス様が優しいからだと思っていました。私が婚約者だから、アディス様も婚約者として振る舞ってくれていると……」
「それはその通りだけど、そうじゃないっていうか……」
言われて初めて、確かに自分がラゼの立場にいたら、そう思うのも無理はないかと気が付いた。
好きだということを隠していたのだ。
気持ちがないのなら、形を守るために振る舞っているとしか思えないだろう。
「…………ごめん。俺が馬鹿だった……」
「……いえ。アディス様が謝ることはないです……」
アディスは謝罪した。
ラゼはまだ戸惑っているのが分かるが、そんなことはないと首を横に振った。
会話が一段落して、ふたりはそれぞれカップに口をつける。
熱かったはずのコーヒーは、すっかり冷めていた。
「俺は君が嫌がることだけはしたくない。だから、改めて君のことが好きな貴族の男と結婚することについて考えてみてほしい」
アディスはそう言うと立ち上がった。
まさか今日、このタイミングで腹を割って話すことになるとは思っていなかったが、これでよかったのだと自分に言い聞かせる。
遅かれ早かれ、この政略結婚に対する捉え方の違いは溝を生んでいたはずだ。
「……気持ちが決まったら教えて。……待ってる」
椅子にかけていた上着を持つと、玄関を目指す。
振り向いたら余計なことを口走りそうだった。
他の誰よりも君を想うから、自分を選んでほしいと。望むことならなんでも叶えるから、結婚してくれと。
だから、ただ真っ直ぐ出口に。
ほとんど逃げるようにして、ドアノブに手を伸ばした――。
「――待って、ください」
「っ、」
もう出ようとしたところで、くいっと。服が後ろに引かれる。
もちろん、アディスは足を止めた。
視線を斜め下に流せば、引き留めるラゼと視線が重なる。
そして、
「……アディス様が、いい……です……」
答えは告げられた。
「結婚するなら、あなたとがいい」
刻み込むように、二回繰り返された答え。
猶予はあるはずなのに、自分を引き留めてまで伝えられた選択に、言葉が出てこない。
「そんな理由じゃ、だめ、ですか……」
懇願にも似た眼差しに、脳を焼かれた。
――だめ、かって? そんな訳があるものか。
一体何を言っているのか。この人は、その許しがどれほどの価値を持つか、何も分かっていない。
他の誰でもない、自分をその相手に選んでくれるということこそが、アディスにとっては至上だった。
「いいに決まってる。俺が一体どれだけ、君と一緒にいる許しがほしかったことか――」
募りに募った思いで、ぐちゃぐちゃだ。
どうにかなりそうだった。
今にも叫んでしまいたいような感情のまま、アディスはラゼを抱きしめる。
自分より小さくて柔らかい身体が、胸の中に収まって、彼女の髪からほのかに花の香りがした。
これからは夫婦として、家族として彼女の隣にいられる。こんな幸運なことがあるか? 本当にこれは現実なのか?
感情に制御が効かない。
彼女をここで離してしまったら、夢から覚めてしまいそうで恐怖さえあった。
「………………」
腕の中のラゼは沈黙している。
――ああ、もう。最初から彼女を戸惑わせてどうする。
早く離れないといけない。そうは分かっているはずなのに――。
苦悩するアディスを現実に引き戻したのは、一瞬の出来事で。
「――!?」
腕の中でもぞりと動いたかと思えば、ラゼがアディスを抱きしめ返していた。
間にできた隙間を埋めてしまうくらい、自分の腕の中にいた彼女が、応えるように背中に手を回して抱きしめてくれている。
そこにためらいは一切なく、しっかり力が込められていてアディスは硬直した。
色々考えていたことが霧散して、頭が真っ白になる。
「…………ぇ、……」
「……はは。心音、はやいですね」
顔を上げた彼女は困ったような顔ではにかむ。
すぐそこに見えるラゼの耳は赤く染まっていて、照れているのだと知って。
そんな彼女がどうしようもなく愛おしかった。
こんな自分に応えてくれたことが、心底幸福だった。
情けないことに、泣きそうだ。
口を開いては閉じて。
やっとの思いで声を絞る。
「もう、嫌と言っても離してあげられないからね」
アディスはもう躊躇しなかった。
自分より遥かに小さな身体で受け止めてくれた彼女の頬を両手でそっと挟むと、その唇に口付けた――。
最後までお読みいただきありがとうございました!
絶対に、このふたりが最初に愛を認める瞬間は、人から見ればありふれた日常にしたいと決めていました。
「軍人少女、」を初めて投稿してから、約五年。
ここまでお付き合いいただいた読者の皆様に、心からの感謝を。本当にありがとうございました。
まだまだ続きを書きたいところではあるのですが、
あと百年はこの作品を引きずって生きていきそうなので、ここでひとつ区切りをつけさせてください…
特に際立った話題にもなりませんでしたが、
書籍を五巻も出版していただけたことは、ほとんど奇跡です。この作品を最後まで追ってくださった方々の“愛”めちゃくちゃ感じていました。
力不足で申し訳ありません。好きな作品を書くだけで生きていけるくらい強くなれるよう精進します。いつか、このご恩を返せるように。
大変お世話になりました!!
またどこかでお会いできれば光栄です!それでは!




