11、酔い
「――す、すごいごちそうですね……!」
「好きなだけ食べて! 今日のために張り切って準備しちゃったんだから!」
テーブルに並べられた料理に、ラゼは目を輝かせる。
無事に婚約の挨拶が終わった後、バネッサとアディスの昔話なんかを聞きながらお茶をして。
ラゼさんの部屋を用意したんだと言われて、屋敷を案内してもらっていれば、あっという間に時間は過ぎた。
そして、お待ちかねの夕食はラゼの想像を超えていた。
お肉に魚に色とりどりのサラダに、パイにスープ……。
「今朝とれた魚介だからとっても新鮮よ。海老もぷりぷりだから食べてみて」
「こっちのスペアリブも美味しいよ、ラゼ」
「ラゼくん。ワインはいけるかな?」
全員から料理をすすめられて、あっという間に皿がいっぱいになる。
ウェルラインが用意したボトルを見れば、年代物のお高いワインで。
とても飲みやすくて、さらさら酒と食事が進んだ。
「ねぇ、ラゼさん。アディスはなんと言って、あなたにその指輪を贈ったのかしら?」
「――ちょ。母さん!?」
「直球のプロポーズでしたよ。かっこよかったです」
「――!?」
隣でぎょっとするアディスの反応を楽しみながら、ラゼはワインを仰ぐ。
「この息子は、君のことになるとしつこいからな……。うざったく思ったら、ハッキリ言ってくれて構わない」
「そんな。アディス様はいつも紳士ですよ。令嬢方にも『青の貴公子』と呼ばれて人気ですから、少しでも釣り合うように私は頑張らないと。……実は最近、作法の勉強も改めて始めたんですが、なかなか難しいですね」
「えっ。ラゼさん、そんなことまでっ! 言ってくれればわたしが講師をするのに!」
「今日、おふたりにご挨拶をするために叩き込んでもらったんです。……その、今後はもしご迷惑でなければ、バネッサ様にご指導いただいても……」
「もちろんよ!!」
こんなに好意的に自分を受け入れてくれる家なんて、本当にこのザース家以外にないだろう。
全く疎外感を感じないでいさせてもらえるこの空間に、すっかりくつろいでいる。
話も盛り上がって、夕食の時間は気が付けば二時間近く経過していた。
「ラゼ。もう夜も遅いし、帰りは送るよ」
「ええっ。ラゼさんも明日はお休みでしょう? 泊まっていきなさいな!」
「だいじょうぶです。家までは直接かえれますので」
帰りを心配してくれるアディスとバネッサ。
自分を送るためにアディスが夜道を歩くほうが、ラゼとしては心配だ。
「…………ラゼ?」
「はぃ」
隣からアディスに顔を覗き込まれて、ラゼは返事をする。
なんだか、先ほどから目の前がフワフワしていた。
アディスの顔がぼやけて見える。
「なんか、耳が赤く――? って、もしかして!?」
「??」
何を言われているのだか分からなくて、ラゼはこてんと首を傾げた。
「君、まさかお酒、弱いんじゃ――!?」
アディスがハッとして顔色を変えたが、もう遅い。
「だいじょうぶです。私は強いので、ちゃんと家までひとりでかえれます!」
にこにこしてラゼは答える。
少し性格が明るくなってるなくらいにしか思っていなかったのだが、完全にラゼが酔っていることをしったザース一家は狼狽えた。
「あなた! ラゼさんに何杯飲ませたの!?」
「す、すまない! 顔色が変わらないから強いとばかり!」
「ラゼ! とにかく水飲んで!!」
アディスにコップを渡されるが、その程度でラゼの酔いは覚めない。
「今日はなにからなにまでありがとうございました。たとえどんな事情があったとしても、私、ザース家の皆さんに受け入れてもらえて、本当にしあわせです。……少しでも長くアディス様のお役に立てるよう、もっと努力します」
「……え?」
唖然とするアディスを置いて、ラゼは席を立つ。
「それでは。ウェルライン閣下、バネッサ様、アディス様。本日はこれで失礼します。夜分まで歓迎いただき、光栄でした」
「――ま、待って!」
ぺこりと頭を下げた彼女にアディスは手を伸ばす。
そして次の瞬間。
アディスの視界は暗転する――。
◆◆◆
最初に目に入ったのは暗闇だ。
「……ただ、いま」
真っ暗なそこにぽつりと囁かれたのは、ラゼの声。
自分が掴んでいるのがラゼの腕で、そこが彼女の家だと気が付いたのは、部屋の明かりが付いてからだった。
(――えっ。え!?)
アディスは心底うろたえた。
まさか、好きな人がひとりで住んでいる家に転移してしまうとは思ってもみない。
「ラ、ラゼっ」
転移の前、咄嗟に掴んだラゼの腕が離れていく。
片手で照明をつけた後、ふらふらとラゼが向かった先は、ベッド。
ラゼはアディスがいることも無視で、ベッドのふちに上半身を預けて床に座り込んでしまった。
「っ!? ラゼ――??」
アディスはそんな風にラゼが座り込むところなんて見たことがなかったから、慌てて隣に膝をつく。
彼女の肩を触れて顔色を窺えば、そこにあるのは――すやすや眠るラゼの穏やかな寝顔だった。
「寝て、る……」
眠っているだけだと分かって安堵するが、アディスは自分が置かれている状況を理解してラゼに触れた手をパッと離す。
「――っ。う、嘘でしょ……」
アディスは眠てしまったラゼの横で、途方に暮れた。
こんな無防備に彼女が寝ているのも困るし、何よりここはラゼの家だ。
「ラゼ。……ラゼ」
寝ている彼女を起こすのは忍びなかったが、背に腹は変えられない。
何度か名前を呼んで起こそうと試みたのだが、驚くくらい目を覚ます気配がなかった。
そのまま床に座って寝させるなんてできなかったアディスは、やむなく彼女の身体に腕を回す。
しっかり抱えると立ち上がり、ゆっくりベッドに横たえる。
ものすごく迷ったが、靴だけは脱がせた。服はシワになってしまうだろうが、これ以上は流石に触れない。
アディスはラゼに毛布を被せると、彼女の寝顔を見て溜息をついた。
「…………人の気も知らないで……」
まあ、元はと言えば転移寸前の彼女を掴んでしまった自分が悪いのだが……。
それにしたって、国の英雄ともいわれる軍人に、これだけ無防備な瞬間があるなんて知らない。
アディスはとりあえず、遠慮がちに周囲を見渡した。
――ベッドとチェストと机と、奥にキッチン。
備え付けなのか、彼女が用意したのか。
そこまで判断はつかなかったが、全て統一されたシンプルな家具が置かれている。
時計の秒針がチクタク回っている音は、静かな部屋だと大きく聞こえた。
「…………ここに、帰って来てるのか? 毎日……?」
アディスは顔を歪める。
普段の呑気に笑っている彼女からは想像付かない、生活感がない部屋だった。
無駄なものは何ひとつない。
帰って、着替えて食事をして眠るためだけの部屋だ。
花も、写真も。本棚さえない。
カーテンや時計のような品までシンプルで、無機質に感じる。
キッチンに回って見れば、案の定置いてある食器は白で統一されていて、この部屋には彩りがなかった。
きっと、引っ越しをする時には、さぞ楽に荷物がまとまることだろう――。
アディスはラゼを振り返った。
寝ている彼女の左手には、自分が用意した指輪がつけられている。
これから一緒に生きていくことを、アディスはあの指輪に誓った。自分が幸せにしてみせると。誰にも彼女の隣を譲れないと。
こんないつ消えてもいいと言わんばかりの部屋に、彼女をひとり残して帰るなんて有り得ない。
「……俺がいる。これから先ずっと俺がいるから」
だからどうか、たとえどんな遠くに飛べたとしても、必ず俺のいる場所に戻ってきてくれ――。
アディスの祈りは、主人の眠る小さな部屋に溶けていく。
あと2話。




