表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/28

枯渇

 「宇賀那突入をやめるだと!?」

 連隊本部に実田の声が響いた。仮面を被っているため表情は分からないが、珍しく興奮しているようだ。

 「その通りだ。我が軍はこの戦いだけで600人前後の死傷者を出した。一昨日からの損害を全て合わせると、兵力の1/3を失った計算になる。さらに連戦で将兵は疲労している。本日中の再戦などできるものではない」

 松田連隊長は教え諭すような口調で言った。もはや部隊はこれ以上戦えない。それが指揮官としての彼の判断だった。

 

 「連隊長、宇賀那突入は本日実行して頂きたい。これは人類の危機なのだ。貴軍の消耗には同情するが、そんなことは言っていられない」

 実田がその発言を聞いて叫んだ。

 「どういうことだ。宇賀那に突入するにしても、今日でなければならない理由などあるのかね」

 

 怪訝そうな顔で聞いた松田に、実田はさらに叫んだ。

 「我々の予想では、深き者どもの神、クトゥルフがルルイエの神殿から出てくるのは明日だ。それまでに深き者どもが行う儀式を阻止できなければ、クトゥルフは復活してしまう」

 「明日だと、根拠はあるのか」

 

 松田の質問に、中里情報参謀が各国の新聞記事を取り出しながら答えた。

 「それは分かりませんが、逮捕されたクトゥルフの信者たちは一様に3月23日という言葉を繰り返していたという記述ならあります。本日が3月22日であることを考えれば、実田氏の話と辻褄は合っています」

 「ふむ…」

 半信半疑の体で黙り込んだ松田に代わって、清水作戦参謀が実田に言い返した。

 

 「仮にそれが正しいとして、本当に多大な危険を冒して本日突入する必要があるのか。クトゥルフとやらが復活したらしたで、何か対処法はあるのではないのか」

 それに対して実田は嘲るような声で言った。

 「失礼ながら、貴殿は事の重大さを理解していないようだ。クトゥルフは神だ。その活動を人間ごときが封じられると考えるのは、蟻が象の動きを止められると言っているようなものだ」

 「では、復活を止められなければ、それで終わりだと」

 「そういうことだ。一度クトゥルフが完全に目覚めてしまえば、我々の力ではどうすることもできん。地上から人類は一掃され、深き者とクトゥルフの落とし子たちが世界の支配者となるのだ」

 

 実田の発言は単なる脅しには聞こえなかった。むろん、真実であるという保証もないが。

 

 「明日、連中の神が復活するという話が正しいとしても…」

 松田が再び実田に言った。

 「実際問題として、我が連隊はこれ以上戦えん。切り札の砲兵部隊は兵力の半数以上を喪失した。歩兵は少しましだが似たようなものだ」

 「消耗したのは深き者もそうだろう。連中は貴軍以上に大損害を受けているし、今やショゴスも使用できん」

 

 「より根本的な問題は弾薬の不足だ。昨日からの戦いで連隊は平時に保有する弾薬のほぼ全てを撃ち尽くした。残弾を考えると自衛戦闘を行いながら後退するので精いっぱいだ」

 「弾薬だと?」

 「ああ、もともと大した量が備蓄されていなかった上に、2日間の戦いで、平時の1年分以上の銃弾と砲弾が消費された。今、連隊の弾薬庫は空に近い」

 松田の連隊はこの戦いで湯水のごとく弾薬を消費した。相手が得体の知れない存在であることへの恐怖感から乱射が行われた部分もあるし、実際に大量の火力を叩きつけなければ、人間より遥かに強靭な肉体を持つ深き者の攻撃を止められなかったこともある。ショゴスに至っては、常に砲弾の雨を浴びせていなければ再生したのだ。

 

 「弾薬、そうか…」

 松田の言葉を聞いた実田は、今までの勢いが嘘のように黙りこんだ。

 他の理由はともかく、弾薬の不足を持ち出されてはそれ以上言い返しようがない。人類側がこれまで何とか深き者を撃退することができたのは、火力の優越によるものだ。その火力の優越を確保するために必要不可欠な弾薬が足りないとなれば、確かに戦いようがなかった。

 

 「それで、そのクトゥルフの復活は明日のいつ起こるのだ」

 中里情報参謀の質問に対し、不機嫌な様子で黙っていた実田は怪訝そうな顔で答えた。

 「それは分からんが、おそらく午後、夕刻近くだな」

 「そうか」

 「何か考えでもあるのか」

 「昨日出した支援要請が通って、鹿児島から一個連隊が輸送される。これは今日の深夜に到着するらしい。それと海軍が演習中の艦隊の一部を、宇賀那の鎮圧に向けてもいいと言ってきてな。その艦隊も明日の午前中に到着するのだ」


  宇賀那の現状についての報告と、増援要請は昨日既に行われている。連隊本部ではあまり期待していなかったが、「銃で武装した数千人規模の暴動」という報告内容に上層部は危機感を覚えたらしく、陸海の増援部隊が派遣される運びとなったのだ。

 ただそうと決まるまでにいろいろ議論やお役所仕事が繰り返されたらしく、結局本日は松田の連隊が単独で戦うことになったのだった。

 

 「確かな情報なのだろうな」

 実田は念を押した。

 「ああ、上層部にちゃんと確約を取っている」

 「ふむ…」

 

 実田は考え込んだ。宇賀那攻略が間に合わないリスクと、増援が来てから戦うメリットを天秤にかけているのだろう。

 

 「ここは、友軍の到着を待ってから作戦を開始すべきだと思う。我が連隊はこの戦いで血を流しすぎた」

 松田連隊長が呟いた。一連の戦いで連隊は戦時中でもなければ有り得ないほどの被害を受けた。その重圧は連隊長である彼が最も強く感じているだろう。

 「連隊長のお考えに賛成です。拙速に行動して敗北したのでは元も子もありません。ここは十分な増援を待って、作戦を再開すべきです」

 清水作戦参謀がどこか弾んだ口調で言った。慎重派の彼としては、松田が無謀な行動は止めるべきだと判断したのが嬉しいらしい。

 「小官も同意見です。ここは友軍の到着を待つべきでしょう」

 意外にも積極派の滝村参謀長までがそう言った。増援の到着が確実になった今、この連隊だけが危険を冒すこともあるまい、そんな考えが仄見えた。


  「致し方ありませんな。ただ、明日の午前中には必ず宇賀那を攻略していただきたい」

 実田が不満そうに言った。彼は所詮部外者であり、連隊の一兵たりとも動かすことができない身だ。連隊長と参謀たちが共に突入反対に回ってしまっては、どうすることもできないのだった。

 


 「これからの行動予定ですが…」

 次に清水が話し始めた。

 「小官は連隊駐屯地に後退しての待機を提案します。夜に到着する増援部隊とも、そこで合流しましょう」

 「連隊駐屯地は宇賀那からの距離が遠すぎないか。小官としては深き者が放棄した中野村で待機するのが、明日の作戦のためには望ましいと考えるが」

 滝村が清水の意見に反対した。とりあえず後退するということでは一致していても、どこまで後退するかについては、二人は意見を異にするらしい。

 

 「それは危険です。中野村では宇賀那に近すぎて、敵の夜襲を受ける危険があります。本日の戦いで確認されたクトーニアンの存在を考えても、野営地は宇賀那から出来るだけ遠い場所とすべきです」

 清水の危惧に対し、滝村ではなく実田が答えた。

 「それについては心配していただかなくて結構だ。我がセラエノ神智教会は夜通しビヤーキーによる偵察を実施する。敵が来ればすぐ知らせることが出来る。それとクトーニアンだが、中野村まで後退すれば奴の移動速度では夜通し全速で進んでも追いつけん」

 「ずいぶんと親切なことだな」

 「まあクトゥルフの復活阻止には貴軍の協力が不可欠だからな。我々としてはできる限りの手助けをする」

 

 清水の皮肉に対し、実田はさらりと返した。本日の宇賀那突入が中止になった以上、せめて明日の早い時期に突入を行ってもらいたい。そのためには滝村案が採用されることが、望ましいという考えなのだろう。

 「それでいくか」

 松田連隊長が断を下した。

 「連隊はいったん、並河村まで後退。そこで野営して、鹿児島からの増援を待つ。尚負傷者は那覇の軍病院まで後送し、戦死者の遺体も回収して後送する」






 その夜、佐村は並河村で見た奇妙な機械を操る樽状生物について報告していた。そいつがショゴスを操っていたらしいことも。

 「よく分からんな。そいつはどんな姿をしていたのだ?」

 中里情報参謀に質問された佐村は、あの生き物の簡単なスケッチを見せた。連隊本部の皆は、笑い飛ばすでもなくそれをじっと見つめた。常日頃ならこのような生物の存在は絶対に信じないだろうが、彼らはこの二日間で常人が100回生まれ変わっても遭遇しえないほどの異常なものを目撃していた。

 

 「この生き物は、ショゴスや深き者の主人を名乗っていました。本当かどうかは分かりませんが」

 「名乗った? つまり言葉を話したと?」

 そちらのほうが驚きだと言わんばかりの(実際、そうだろうが)反応に、佐村は戸惑いながらも自分が経験したことを説明しようとした。

 「正確には言葉ではありません。ただ、その生物の思考のようなものは確かに伝わってきました」

 「思考が伝わってきたと言ってもな」

 

 「貴殿らが理解する必要はないことだ。その生き物が知性を持っていたことが分かれば十分だと思うが」

 いぶかる松田連隊長や滝村参謀長に、いつの間にか現れた実田が声をかけた。決して愉快な性格の持ち主とは言えない男だが、佐村は今回だけは彼の登場に救われた気分になった。自分でも全く正体が分からない奇妙な生物についての説明は、正直苦痛でしかなかったのだ。

 

 「その少尉が見た生物は古の者という。地球最古の支配者だった生き物だ。もっとも、この星ではなく外宇宙で生まれた存在だが」

 「外宇宙だと?」

 いきなり突拍子もない話をされた佐村は顔をしかめたが、実田は無視して話を続けた。

 「ああ、古の者は人類が生まれる遥か以前に地球に降り立ち、それから長らくこの星で唯一の知的生物だった。他種族との闘争や奴隷生物の反乱で衰退し、氷河期の到来に止めを刺されて大半が滅びたがな」

 「まあ…いいとしよう」

 

 佐村はとりあえずそう言った。信じがたい話だが、ここで頭ごなしに否定する根拠も必要性も薄いからだ。

 「それで、奴がショゴスや深き者の主人だったというのは本当なのか?」

 「本当だ。主人というより創造主だがな。ショゴスも深き者も古の者が作り出した奴隷生物だ。深き者はクトゥルフとその眷属が地球に飛来した時に寝返り、ショゴスも一部が寝返ったが」

 「生物を作り出しただと?」

 「ああ、連中のかつての科学力は現在の人類を遥かに上回っていた。家畜用や娯楽用、あるいは単なる実験として面白半分に生命を創造できるほどにな。もっとも、現状は貴殿があの森で見たとおりだが。所詮、どれほど優れた生き物でも衰退を免れることはできんものだ」

 

 佐村は森での古の者の姿と、その最期を思い出した。古の者が協力を拒否して死を選んだのは、それが人類より遥かに優れた種族としての誇りだったからなのだろうか。

 そこで佐村は恐ろしい可能性に気づいた。ショゴスや深き者が古の者によって作られた生物だとしたら、自分たち人類はどうなるのか。

 「古の者が深き者を作った」というのは筆者が勝手に考えた設定です。「インスマスの影」では、深き者がどのようにして生まれたかについては触れられていません。 

 深き者は進化によって勝手に誕生したか、あるいはクトゥルフによって創造されたというのが普通の解釈でしょうが、こっちのほうが面白いかなと思って本作ではこの設定としました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ