44.頂点
「……っと騎士様でしたか。まだ曲者が隠れてるのかと思いましてね」
ヴェンは言葉遣いを改めるも、臨戦態勢は解かない。否、解けない。王国最強と言われる天賦ローガンに向かい合ったヴェンの身体、その細胞の一つ一つが警戒し、怯えているのだ。
地の底から高峰を仰ぎ見るがごとき圧倒的な差。どのような道順を辿れば辿り着けるのか分からぬ極致。ただその場に佇む姿に、ヴェンは圧倒されてしまっていた。
「ふむ……しかし曲者、というなら君もそうなのではないかね?」
「いえいえ。善意の一般人に過ぎませんよ」
ヴェンの言葉に、何が面白かったのかローガンは肩を震わせ低く笑う。
「天賦の君が一般人を騙るのは、些か無理があろうよ」
「なっ……」
何で天賦だって分かるんだよ、とヴェンは心の中で叫ぶ。暗殺者を捕らえた時の動きを見られていたとしても、この世界には魔術による強化も存在する。天賦と断定されるまでには至らない筈、とヴェンは混乱気味に思う。
尤もヴェンには魔力が無いし、それは外から見ても分かること。この時点で疑われても仕方が無いのだが、それ以上に――
「――隠したいのなら、まずその物騒な殺気を収めてからにした方が良いと思うのだがね。老骨にはちと堪えるのでな」
臨戦態勢を取ることでだだ漏れになっていたヴェンの殺気。間の抜けた話であるが、ヴェンは自身が殺気を発していることにまるで気が付いていなかった。それ程までに今のヴェンには余裕が無いとも言える。
空間が歪んで見える程のそれをまるで涼風のように平然と受け止めるローガンの表情を見て、ヴェンは良く言うよと小さく呟いた。
「どれ、一つ職責を果たすとしよう」
言って、ローガンは腰の剣をゆったりと引き抜く。それは、何の変哲もない剣に見えた。銀の輝きを放つ、両刃の剣。無駄な装飾も無く、長さも一メートル強とヴェンにとっては些か頼りなく思える程。しかし――
――その刀身を見た瞬間、ヴェンは形振り構わず飛び退いた。
暗殺者のことなどもう頭に無い。総毛立つような恐怖。冷や汗が噴き出し、血色の眼は極限まで見開かれた。盾のように剣鉈を逆手で身体の前に構え、身体を低く低く沈み込ませる。
――あれは、マズイ。
ヴェンは鋭く息を吐き出しつつ、思う。理屈は分からないが、鞘から刀身が姿を現した瞬間、人智を超えた何かの気配をヴェンは感じた。
「……何だよ、それ」
「ふむ、これを見て警戒するとは優秀だ。安心するといい。命を奪う気までは無いのでな」
そりゃ安心したよとヴェンは引き攣った笑みを頬に刻む。最早口調を取り繕うことすら忘れ、ヴェンは大きく息を吐き、本能から来る恐れの発露としてではなく、自らの意思で戦闘状態に意識を切り替えた。
「……おいおい、俺は善意の協力者ですよって話」
「学院に名も知れぬ天賦が侵入したという状況。勘繰るなというのは無理な相談だな」
そりゃそうだ、とヴェンは笑い。次の瞬間、爆発的な速力で飛び出した。逃げるという思考は、切り捨てた。この状況で逃げ切れるとは思えなかったし、殺す気が無いと言うのなら好機だと思ったからだ。
――王国最強。
ヴェンにとって戦いたいとは思わないが、知っておかなければならない相手だ。王国に反逆した以上、いつか何処かでぶつかる可能性は高いのだ。基本的に他国との戦線に置かれているため、反乱の規模が大きくなって他の天賦では対応出来ないと判断されない限り戦うことは無いだろうとはアンナの言だったが、ヴェンは今戦う筈のない相手と向かい合っている。
何が起きるか分からない。命を落とす可能性が低い状況で敵の頂点を知っておけるというのは僥倖だ。距離を詰めながら、ヴェンはアンナの言葉を思い出す。
――ローガンさんは王国随一の魔術の使い手。距離を離されたらお兄さんじゃどうしようも無いよ。
天賦としての特徴は、膨大な魔力だという。弓すら持って来ていない現状で遠距離戦に持ち込まれたら何も出来ずに封殺されること請け合いだ。故に、ヴェンは危険を承知で最短距離を征く。
加速。
ローガンの間合い、その一歩外で、ヴェンは全霊の力で地面を蹴った。踏み込みの衝撃で床が大きく砕け、ヴェンの身体が弾丸と化す。或いは、この瞬間の速度だけならアンナのそれに近しい領域にまで達したかもしれない、圧倒的な速力。
常人であれば、ヴェンが消えたように感じただろう。天賦であっても、残像を引いているように見えるであろう速度の世界で、ヴェンとローガンの視線が、合った。それは、ヴェンの速度をローガンが捉えているということに他ならなくて。
――それでも。
ヴェンは止まらない。止まれない。ブレーキを掛ければ、良い的だ。故に、行った。
低い位置から逆手に持った剣鉈を横殴りに叩き付ける。狙いは腰だ。生木すら易々と斬り裂く威力を秘めた一撃は、しかしローガンの剣に阻まれる。
響く、金属の絶叫。
耳の奥が痛む程の音と、衝撃。ヴェン渾身の一撃を、やや後退りながらもローガンの剣は危なげなく受け止めている。ギチギチと噛み合った刃と刃。ヴェンは柄に左手も添えて、押しに押し込む。
ヴェンの鋼のような筋肉が脈動する。歯が軋む程に強く葉を食い縛り、全身の力を高めて行く。
徐々に、徐々に、ローガンの剣が押し込まれて行く。単純な膂力では勝っているという好材料に、ヴェンは行けるかもしれないと思う。慢心になりかねない思考を抑え込みつつ、更に力を込めようとした瞬間、ローガンが手首を動かし剣を滑らせた。
ヴェンの剣鉈には鍔が無い。このままでは指を、手首を落とされてしまうと判断したヴェンは滑る剣に対して剣鉈の刃を立てて弾きつつ、左手でローガンの手元をかち上げるような掌打を放つ。
当たるかに思えたそれは、しかし剣の柄尻によって阻まれた。打撃の威力故に掌に食い込み、食い破りそうになってすらいる。走る激痛。しかし、ヴェンは手を引くどころか足を踏ん張って力任せに腕を振り抜いた。
ローガンの目が面白いとでも言うかのように細められる。
凄まじい威力の掌底を受け止めながら、剣から手を放さなかったローガンの身体は軽く宙に浮いた。
――此処だ。
空中ではいくら凄腕といったところで自由は利かない。ヴェンは身体を翻し、勢いのままに右の後ろ回し蹴りを空中のローガンに向けて放った。
かち上げられた剣を戻す暇は無い。確実に肉を、骨を砕く一撃。直撃を許せば命を砕くであろうそれを、ローガンは膝を立てることで胴体への直撃を防いだ。
「……クッ」
「ふむ、中々、といったところか」
苦悶の声を上げたのは、ヴェンだ。蹴撃に吹き飛ばされたローガンは、しかし宙でふわりと回転すると何事も無かったかのように着地して見せた。おそらく、魔術によって姿勢を制御したのだろう。
渾身の蹴りもローガンに届く直前で急激に威力が弱められたのをヴェンは感じていた。あれではとてもではないが有効打を与えたとは言えないだろう。その上、左手が酷く痛む。無茶の代償だが、支払った代償の割に成果が無さ過ぎた。
「さて、君の流儀に合わせてみたのだが……些か不甲斐ない結果ではないかね?」
ローガンが小さく笑いながら言う。言葉の意味が理解出来るだけに、ヴェンは内心ぐうの音も出ない状態だ。魔術を得意とするローガンが、先程の流れの中で殆ど魔術を使わなかった。防御や姿勢の制御に詠唱も無く魔術を使ったことを思えば、使えた場面は幾らでもあった筈なのに、だ。
「ハッ、冗談。俺は敬老精神旺盛なもんで、老人を痛めつけるのが躊躇われただけですよって」
内心はともあれ、ヴェンは軽口を叩く。これでローガンが怒って動きを乱してくれるなどという期待はヴェンもしていない。ただ、実力差に萎えかかった心を鼓舞する為に気を吐くのだった。
「ほう。それは悪いことをしたな。だが案ずることは無い。私は老人である前に騎士。存分に挑むがいい」
「なら、お言葉に甘えさせて貰いますよっ」
再びヴェンは地面を蹴る。先程にも劣らぬ速度でヴェンは飛び出した。馬鹿の一つ覚えと言われればそれまでだが、とにかく距離を離される訳にはいかない。
いよいよ魔術による攻撃が来るだろうと身構えていたヴェンだったが、今度もあっさり間合いの中に入れてしまう。何故、と訝しむのは一瞬。間合いに踏み込んだ時点で思考を巡らせる暇は無い。
先程の焼き直しのように、ヴェンの剣鉈が閃いた。そして、先程と同じように受け止められる。今度もまた剣を滑らせて来るのかと剣鉈の刃を立ててローガンの剣を弾こうとした瞬間――
――視界が、白んだ。
身体がヴェンの意思とは無関係に跳ねる。衝撃、熱、痺れ。剣鉈を取り落とさなかったのはただの運だ。尤も、手の中に残ったところで何が出来る訳でもないのだが。
何が起きたのか分からず混乱するヴェンの前に一つの答えが示される。霞む視界の中、ヴェンが目にしたのは、ローガンの剣に蛇のように纏わり付く光。爆ぜるような音と共に、ヴェンはそれが何なのかを理解した。
電撃。
魔術によって作り出された雷が、ヴェンの身体から自由を奪ったのだった。しかし、常人離れしたヴェンの肉体は、すぐさま回復を始めている。
「あ……」
数秒でいい。それで動けるようになる。ヴェンは手綱を放れた身体に必死で指示を送る。しかし――
――頭に、強い衝撃。
少しは油断してくれればいいようなものを、とぼやきつつ、ヴェンは意識を闇の中へと落として行く。
「……やれやれ、呆れた頑丈さだ」
意識が消える寸前でヴェンが聞いたのは、面白がるようなローガンの声だった。
ローガンの口調を少し変更しました。




