42.侵入
――あ、これは駄目だな。
王城にある程度まで近付いたヴェンは、物が上から下に落ちることを不思議と思わないような自然さで確信する。自分では王城への侵入は逆立ちしても不可能だと。
生物としての本能が、ヴェンを生き延びさせてきた直感が、先に進むなと身体を引き止める。街中だというのに剣鉈に手が伸びそうになり、意思の力で抑え込む。
ここまで本能が警戒を促す存在を確かめておきたくはあったが、こちらから視認出来るということは向こうからも視認出来るということに他ならない。明らかな格上相手にそれは無謀が過ぎる。
――ま、予想はつくしね。
アンナから聞き出した天賦の中で、『不利』や『厳しい』といった曖昧な言葉ではなく、「お兄さんじゃ勝てない」と明言された者が居た。
何でも御歳七十の老齢ながら現役らしく、騎士団長の地位にあり、当然天賦。天賦としての能力は膨大な魔力らしいのだが、その魔力によって肉体を強化することによって近接戦闘でも無類の強さであるとのこと。
そもそも強化抜きでも類稀なる剣の使い手らしく、肉体を強化する能力を持った天賦と素の状態でも互角に戦えるという。ヴェンはそれを聞いて乾いた笑いを漏らすしか無かった。
魔術で超一流という時点で半ば詰んでいるというのに、得意の近接戦に持ち込んでも価値の目が見えてこないのだからどうしろと言うのか。仮に近接戦では自身が有利だと楽観したところで、魔術を織り交ぜられては勝負にならないだろうとヴェンは考える。
アンナのように噛み合わせが悪いわけではない。要は全体的に性能で負けている上に技術、経験も向こうが上。要は単純に力負けするのだ。
罠や毒物が通じるかは甚だ疑問であるし、弓による狙撃も風切り音で気付かれて迎撃される可能性は高い。
基本的に戦場で出会わないことを切に願う以外、現状対策が無い詰みっぷりである。唯一の救いはここ数年隣国との境界にある城から動いていないこと、とアンナは言っていたのだが、あの野郎嘘をかましてくれやがったなとヴェンは舌打ちした。
ちなみに、実のところアンナの言葉に嘘はなかったりする。
こればかりは巡り合わせの悪さを呪う他ないのだが、この老将は数年振りに王都に帰還していたのである。反乱が起き、ただでさえ二つ抱えている戦線が増えるという事態。政情の乱れへの対策や戦略の立て直しの為の帰還であり、反乱が原因であるため、ヴェンの身から出た錆と言えなくもなかったりする。
流石に藪を突ついて蛇を出す必要は無いだろうとヴェンは王城から離れ、貴族学院を目指す。場所は予め宿屋で確認済みであるため、その足に迷いは無い。尤も、単純に王城から距離を取りたいというのも大きいのだが。
王城からはやや離れた、しかし豪奢な家が立ち並ぶ区画に一際大きな建造物が見える。あれがそうかと呟いて、ヴェンは通り過ぎ様に意識を集中させ、感覚を研ぎ澄ます。
学院の中にはまだ人の気配が随分ある。とはいえ王城程の危険度は感じない為、天賦は居ないと考えて良いだろう。尤も、王城との距離はやや離れた、という程度。天賦が全力で走れば遅くとも数分、早ければ六十を数え終わらない内に駆け付けられる距離でしかない。
流石に城に危険な相手が居る状態で無理をする意味は無いだろう、とヴェンは下見もそこそこにそのまま通り過ぎようとして――
――物騒な匂いがするな。
ピタリと足を止めた。匂いと言っても嗅覚で捉えるようなものではない。むしろ、雰囲気と言い換えた方が正確だろう。普段のヴェンならいくら感覚が鋭いといっても気が付くものではなかったが、研ぎ澄まされた感覚は意図的に薄められた、しかしながら害意を持つ気配を捉えてしまう。
尤も、ヴェンとしては貴族の子息子女がどうなったところで知ったことではない。止まった足を動かそうとしたところで、鋭い声が投げかけられる。
「そこの者! 何をしているかっ?」
ヴェンは内心悪態をつきつつ、すっとぼけた態度で周囲を見渡し、その後俺のこと? と自分を指差した。
「お前以外に誰が居るっ!?」
ですよねー、と声に出さずぼやき、ヴェンは声の主へと歩み寄る。硬質な声の主は、貴族学院の門を守る番兵だ。頭以外を金属鎧で覆い、手には金属製の杖を携えている。
歳は三十前後だろう。鎧から覗く首筋などから良く鍛えているのが分かる。番兵という御役目だからか、肌は黒く焼けている。ヴェンよりも一回りは大きい身体も相成って中々の迫力だ。
「何ですかね?」
「先程から挙動が不審だったのでな。悪いが、話を聞かせて貰う」
「ええ。と言っても、大きな建物ってのが物珍しいもんでついつい見入ってしまっただけなんですが」
田舎から今日王都に着いたもんで、地理を憶えがてら観光をしていたんですよ、とお気楽な田舎者の青年を装うヴェン。鍛えられた身体は誤魔化しがきかないが、農作業や狩で鍛えられたのだと言い訳も出来る。
「ふーむ、成る程な。一応、名を聞いておこうか」
「オルガと言います、ええと、騎士様、でよろしいですかね?」
オルガというのはヴェン考案の偽名である。二つ名として最も広まっている『鬼』から取った名で、ヴェンらしい安直な名付けだった。
「ああ。一応騎士の末席に就かせてもらっている、スタインだ。済まんな。お主から一瞬鋭い雰囲気を感じたものでな」
悪いがこれも職責でな、と言う騎士スタインに、ヴェンはお気になさらずと首を振る。どうにも人の良さそうなスタインに、ヴェンは毒気を抜かれてしまう。
――苦手だなぁ。
ヴェンは溜息を吐くように思う。味方ならともかく、敵で善人というのは勘弁して貰いたいねとヴェンは思い、自分勝手な話だけど、と小さく笑う。
ヴェンは敵なら躊躇いなく手を下せる。それがどんな善人であろうが、殺せる。ただ、顔見知りであるというだけで殺すのがいい気分ではなくなるため、善性の人間は理由が無い限り邪険にしないヴェンの性格も相成って付き合い辛い、苦手なタイプなのだった。
――いやまあ、本当に身勝手な話だけど。
自嘲するように思い、いえいえと返そうとしたヴェンの鼓膜を、甲高い悲鳴が揺らした。
「何事だ!」
「…………」
あの不穏な気配がやらかしたんだろうな、と思いつつ、ヴェンはしかしこれは好機なのではなかろうかとも思う。この騎士スタインが学院の中に入るのなら、それを追う形で着いて行けばいい。比較的安全に下見が出来るというものだ。
まあ現場に行かないようなら諦めますかねと考えるヴェンの前で、事態は進行する。
「くっ、伝心結晶に反応が無いだと……ええいっ」
お主はそこで待っておれ、と言い残し、スタインは建物目掛けて走って行く。ヴェンは分かりました、と返事をしつつ、気配を消してスタインに続く。スタインが振り返ればすぐに気付かれるのだが、焦って視野が狭くなっているためそこは問題無いだろう。
流石に曲者の気配を掴めている訳ではない筈のスタインだが、気配の元へと真っ直ぐに向かって行く。良くない頭に学院の構造を叩き込みつつ、何故だろうかとヴェンは首を傾げる。気配に近付くにつれ、ここ最近で随分嗅ぎ慣れた臭いがヴェンの鼻を突いた。
鉄のような、それでいて生臭い、死の香り。
――物騒なことで。
ヴェンは剣鉈の柄を撫でる。気配は、部屋の中に二つ。一つは曲者の気配。もう一つは、想像するに曲者の標的のものだろうとヴェンは思う。目的を果たしたのならとっとと引き上げる筈なのだから。
「姫様、ご無事ですか!?」
開いたままの扉から姿が見えるんだから無事だろうに、と思いつつ、真っ直ぐ突っ込むのは自殺行為ってもんだろ、とヴェンはスタインの肩を掴んで引き倒した。
「なっ!?」
腰に悪い姿勢で引き倒され、驚愕と苦悶の混ざった声を漏らしたスタインの頭上を投擲用の短剣が貫いて行く。ヴェンは刃に触れないように短剣を掴み取ると、てらてらと輝く刀身を見て毒の類かと呟く。
植物系のものではなさそうだということは分かったが、それ以上のことはヴェンにも判断がつかなかった。大抵の毒が効かないヴェンだったが、全ての毒が効かないわけではない。下手に食らわない方が良いだろうと思考の端に置いておく。
「あれな。暗殺者って黒装束に顔隠しってイメージだったんだけど、上等な服着てんのな。それ一着で俺の服が山程買えそうだって話」
手の中で短剣を弄びながらヴェンは口を開く。貴族っぽい、というのも妙な話だが、曲者らしき人物は一見して後ろ暗い職に就いているようには見えなかった。
ワインレッドと黒の落ち着いた色調の仕立ての良い服を身に纏い、金糸のような髪を後ろで一つに纏めた若い男。貴族と言われれば信じてしまいそうな風貌である。
「ああ、でもここだとそういう格好の方がかえって目立たないのか。黒装束じゃ不審者ですって言ってるようなもんだしなぁ」
参考にするよ。活かす機会があるかは知らないけど、とヴェンは飄々とした調子で前に出る。表情を険しくする暗殺者の男と、恐怖と混乱の中に叩き込まれた様子の少女。
姫様、とスタインが呼んだところを見るに、この国のお姫様。話に聞く第三王女という奴なのだろう。青白い半透明の壁に閉じ込められ――いや、この状況を見るに守られているのかとヴェンは呟く。
スタインが気配の元へと真っ直ぐに向かえたのは、最も重要な、護らなければならない対象の元へと急いだ結果だったと言うわけだ。
部屋には剣を握ったまま息絶えている女性の躯。この王女の護衛だったのだろう。首筋を切り裂かれ、おびただしい量の血が床を汚している。本人的には役目を全う出来ずに果てたのだろうが、結果的に姫を救ったとも言える。
――まあどうでも良いけど。
見ず知らずの人間がどうなろうとヴェンにとってはどうでもいい。今ここでヴェンにとって重要なのは、お姫様とやらに恩の押し売りをすることだ。
「……貴様、何者だ?」
暗殺者の男が静かに問うて来る。ヴェンは少し考えるようにそうさな、と呟き、その隙を突くように投げられた短剣を曲芸のように掴み取って言葉を返す。何者ってことないが、強いて言うなら――
――曲者かな、と。
学校が舞台だから学園編だと強弁してみたり。




