番外編.それはまた、別の話
時は遡り、アルマ領を下した直後。ヴェンは激務に追われるキールを尻目にタテノ村へと帰郷していた。流石に目の下に大きな隈を作って働くキールを見て罪悪感が湧かないでもなかったが、それはそれ。ヴェンは反乱直後から縦横無尽に駆け回っていたのだから、少しの休暇くらい正当な対価と言えるだろう。
ただ、流石に緊急時に連絡が取れなくなるのはまずいと言うことで、伝心結晶を使える、要は魔力のある人物を連れて行くようにとキールに頼み込まれ、ヴェンは連れて行きやすいファティアに声を掛けたのだった。
この場合の連れて行きやすいというのは、物理的な意味でだ。背の丈の低いドワーフと言えど、男はがっちりとした筋肉が付いており、体格が良い。背負って行くにしろ、抱えて行くにしろ、嵩張ってしまう。
そういうわけで、小柄なファティアを背負ってタテノ村へと戻って来たのだった。ちなみに、近い未来で同じように小柄な赤髪の少女を乗せ、散々な目に合わせた特急ヴェンリット号だが、この時は安全運転。
某少女の時のように脇に抱えるような雑な持ち方ではなく、背負っている上、出来る限り揺らさぬよう気を配り、速度も上げすぎない。休憩も小まめに入れるという最高の待遇であった。
ちなみに短距離ではあるがキールもヴェンリット号へ乗車経験があり、その時もファティアに近い気遣いをしていたのだが、ドワーフのファティアに比べ身体の弱いキールは酔っていた。吐くことはしなかったけれど。
こう見ると赤毛の天賦の扱いがいかに酷かったかが分かる。当然、ヴェンはわざとそうしていた。人間的に嫌っている、というわけでも無いのだが、ヴェンの敵味方の括りでは敵に分類される為、容赦がないのだ。
更に言えば、おぶさった姿勢からは首筋なり背中なりが狙い放題だ。無手で、かつ魔術の使えないアンナに殺されるとは思わないが、それでも急所を晒すのは躊躇われた。
ともあれ、それは今のヴェンにとっては未来の話で、今はまだ関係のないことである。
「へー、ここがお前の村か」
「ああ。何もない所だが、俺の故郷だ」
とりあえず村長の所に顔を出して置かないとな、と村長の家に向かう道すがら、ヴェンに声が掛けられる。
「おや、ヴェン坊じゃないかい。どうしたんだい? 隣の可愛い娘っ子は。まさか……浮気かい?」
「……違うよ、リリーおばさん。この娘は腕の良い鍛冶師でね。俺の武器を作って貰ってるんだ」
少し白い髪の混ざった黒髪に、均整の取れた身体。四十半ばの齢だが、若い頃はさぞ美人であっただろうと思わせる容貌である。因みに、幼い頃から自我のあったヴェンからすると、実際美人だったとのこと。
リリーおばさんことリリーは、実のところヴェンがこの村で頭の上がらない数少ない女性である。リーナの母であり、ヴェンをその乳で育ててくれた、実質ヴェンの母親でもあるのだから。世話になったこと、迷惑を掛けたことは数知れず。
ヴェンの父親であるヴァンハルトは狩りでこそ比類無く優秀な男だったが、それ以外は控え目に言ってダメ人間だった。器用な癖に家事はてんで駄目で、口数が少な過ぎてコミュニケーション能力に欠く。ヴェンは強く尊敬しているが、客観的に見て子育てに向いた人間では無かった。
実際、ヴェンは転生者であまり手の掛からない子供だったから良かったようなものの、普通なら子育てに失敗していただろう。大体、三歳になるかならないかの子供に森兎の締め方、解体の方法等を教えるのはどうなのかという話である。
「冗談だよ。アンタがリーナを悲しませるなんて思っちゃいないよ。ま、浮気もいい男の甲斐性っちゃ甲斐性だ。ちょっとくらいならリーナも許してくれるだろうさね」
ああでもあの娘、意外と嫉妬深いからどうかね、と言うリリーおばさんに、ヴェンは本当に違うんだって、と弁明する。分かってる分かってるとカラカラ笑うおばさんの姿に、ヴェンは溜息を吐くのだった。
「ところでリーナは?」
「あの娘なら畑だよ。雑草を刈ってるんじゃないかね」
「ありがとう。村長の所に顔出してから手伝いに行くよ」
リーナの居場所を聞いてから、ヴェンはおばさんに軽く手を振って歩き出す。すぐにでも向かいたい所だが、まず村長の家でファティアを休ませなければならない。赤毛の少女の時と比べれば天国の特急ヴェンリット号だが、それでも身体には少なからず負担が掛かっているだろう。休ませた方が良い。
なお、ヴェンの家ではなく村長宅なのはヴェンの家が村の端にあるのと、恐ろしく散らかっていて、とてもではないが客を招けるような状態ではないからである。ヴェンは、父親のことをとやかく言えないレベルで生活能力に欠く男だった。
ヴェンが村に居る時はリーナが掃除してくれていたのだが、留守の時は『何が捨てていいもので、何が捨ててはいけないものかが分からない』という理由で掃除が出来ず、とっ散らかったままである。
「あら、ヴェンじゃない。おかえり」
「おっと、リーナ。入れ違いにならなくて良かった。それとただいま」
村長宅の前でリーナとばったり出会ったヴェンは運が良かったと笑う。一方リーナは嬉しそうに笑った後、ファティアの姿を捉えて表情を笑顔のまま硬化させた。
「……えっと、そちらの人は?」
「あ、ああ。アタシはオブシディアン氏族のファティアだ」
リーナの言葉には出来ない圧力を感じたのか、ファティアは若干腰の引けた様子で名乗る。そういえば村の外からこの村に女性が来たのは知る限り初めてだなとヴェンは思う。
「そう。私はリーナよ。よろしくね、ファティアさん」
「ファティアでいいよ。さんって呼ばれるの、何か変な感じだからさ」
頬を掻きながらそう返すファティアに、リーナはなら私もリーナって呼んでね、と返す。どうやら仲良くなれそうで良かったよ、とヴェンは息を吐く。この村には若者がそこまで多くない。リーナと同年代、それも同性の友人というのは片手の指で事足りる程度。友人が増えるのは良いことだとヴェンは微笑む。
ちなみに、ヴェンは同年代で同性の友人は皆無である。というか、リーナくらいしか友人が居ないと言っていい。感謝されたり、尊敬されたりはしても、友達付き合いというのは全くと言っていい程無かった。
――き、キールは一応友人の括りだしな、一応。
信用も信頼も出来ない相手を友達呼びはどうなのかという話はあるが、キールを数に入れないと零である。ヴェンは友人の少なさを意識して一人密かにダメージを受けるのだった。
「でも丁度良かった」
「何がだ?」
自身の方へ向き直って言うリーナに、ヴェンは首を傾げる。そして、何か自分が居ないと困る事でも起きたのだろうか、と考えた。
――魔獣なら、もっと焦ってるだろうし。
はて、と思考を巡らせるヴェンに、リーナは貴方の家よ、と少しだけ責めるような口調で言った。
「そろそろ片付けないと、大変よ」
「ああ、それかぁ」
自分の家なのだが、ヴェンは帰る気がまるで起きなかった。あまりにも散らかり過ぎて何処から手を付けて良いのか分からないのだ。実際、前回戻った時も装備を取りに戻ったくらいで、村長の家に泊まったのである。
「それかぁ、じゃないでしょ! もうっ。まったくヴェンは――」
「悪い悪い」
何度となく言われ、今まで矯正出来なかったあたり、ヴェンのだらしなさも筋金入りである。リーナも若干諦め気味だが、それでも一応説教はする。これをしなくなると更にだらしなさが悪化すると考えているからだ。
――それ、多分正解だよなあ。
父がそうであったように、ヴェンも自分が戦闘に特化した人間であるという自覚がある。要はそれ以外ではダメ人間だという自覚が。ただでさえ脳筋気味であるにもかかわらず、幼馴染が世話焼きであることも手伝って、更にダメ人間化が進むのである。
リーナの説教を受けながら辿り着いた村外れ。木造の小屋は禍々しい瘴気すら纏っているようだった。
「おぉう」
村長の家で休んでいるといい、というヴェンの言葉に、お前の家が見てみたいと着いて来たファティアは思わずといった様子で声を上げた。ぱっと見でどうこうなっているわけではないのだが、どうにもよろしくない雰囲気が漂っているのだ。
どうなっているか分かっているヴェンは見たくないなあ、とぼやきつつ、鍵など付いていない扉を引いた。
――雑然、足の踏み場すら見当たらない。
食べ物の類こそ無い為、そこだけは安心出来るが、それだけだ。鎧を自作した時の端材が床に放り投げられ、ダブつき気味の鎧猪の皮や甲殻が乱雑に積まれている。良さげだと拾って来た木材が立て掛けられ、雑多な薬草が乾燥の名目で放られている。
その他良く分からない液体の入った皮袋やら、魔獣の骨やらが散乱し、見れたようなものでは無かった。
「いつもに増して酷いわね……」
「申し訳ない」
仕方ないわね、と言いながらリーナは腕まくりをする。リーナの指示に従ってヴェンは片付けを始める。休んでいて構わないと言われていたファティアだったが、ヴェンの家に放られている素材の中には興味を引くものも多いようで、途中からは率先して動いていた。
「……なあ、これって何だ?」
ファティアが恐る恐ると言った調子でつまみ上げたのは、何か液体の入った皮袋だ。ヴェンは口を縛っていた紐を解き、ああ、こんなのもあったな、と呟いた。むせ返るような臭いが部屋の中に充満し、リーナとファティアは顔を顰めた。
「こいつはな――」
■ □ ■ □
「……鬼熊の血、ですか?」
「ああ。こいつを飲めば元気百倍って話」
村からアルマ領に戻ったヴェンは幽鬼のような有様になっているキールの前に赤い液体で満たされた器を差し出した。部屋にはむせ返るような臭いが充満し、キールは眉根を寄せている。
ヴェンにとっても心地のいい臭いではないが、そこは慣れである。ヴェンは何度かこれを口にしていて、それこそ数日は眠る必要が無かった程の活力を与えてくれることを知っていた。
流石にキールの状態は目に余るものがあったし、倒れられてもまずかろうというヴェンの心遣いである。
「生臭いけど、飲んどけよ。倒れたら洒落にならないからな」
「……はぁ、分かりましたよ」
見た目も臭いも人間の飲むものではないそれを、キールは嫌そうに持ち上げる。息を止めているようで、表情は微妙に固い。しばし躊躇っていたものの、どうやら覚悟を決めたようで、椀に口を付けると、一息に飲み干した。
吐きそうだという顔で横に用意してあった水を飲むキールを、ヴェンはケタケタと笑った。どうやら椀一杯の水では足りないようで、キールは部屋の隅に設置された水瓶から何度も水を掬っては飲み干し、口を濯ぐ。
「酷い味ですね」
「良薬口に苦しってことさ」
一通り笑ってから、じゃあな、と立ち去ろうとしたヴェンだったが、キールの身体が斜めに傾いたのを見てとって返し、床に崩れる寸前で腕を差し入れた。
「おい、キール! どうした!?」
流石に慌てた様子で声を掛けるヴェン。原因は明らかに鬼熊の血液なのだが、理由がさっぱり分からなかった。少なくとも、ヴェンが飲んだ時には何ともなかったのだ。
ともあれ、考えるのは後だとヴェンはキールの喉に手を突っ込んで胃の中の物を吐き出させる。どうやら食べ物もろくに口にしていなかったようで、赤い液体に胃液が多少混ざったものが吐き出された。
――たまたま過労で倒れるタイミングが重なっただけか?
ヴェンはそう考え、すぐさま否定する。間違いなく、原因は鬼熊の血液だろう。
実のところ、鬼熊の血は精力剤や活力剤に使われる、歴とした薬である。しかし、薬も過ぎれば毒になる。ヴェン本人が原液のまま飲んで平気なせいですっかり忘れていたが、本来これは薄めて飲むものである。
幸い、すぐに吐き出させたお陰で大事には至らず、どうやら良い方向に作用したようで、意識を取り戻したキールの疲れは吹き飛んでいた。
しかし、下手をすれば殺していたという罪悪感から、それからしばらくヴェンはキールに優しかったという。




