38.終幕
「ヴェンは……上手くやっているのでしょうね」
馬の背でキールは聞き取れるか聞き取れないかという声で呟き、溜息を吐く。キールはヴェンのことを無敵だと思う程楽観はしていないが、同時に戦闘面では全幅の信頼を寄せている。二千とはいえ、実質六百程度の兵でヴェンがどうこうなるとは少しも考えていないのだ。
「お前も上手くやらなければならないんだぞ?」
「……分かっていますよ、ガイさん。分かっています」
囁くような声だったが横に居るガイの耳には届いたようで、小声で窘められたキールは瞑目しながら応えた。現在、キールは反乱軍八百を率いて別方向からファイツ領に攻め込まんとしていたメドック領の軍勢六百と向かい合っていた。
尤も、六百の内四、五百はただの農民だ。みすぼらしい装備を身に付けている。正直、反乱軍に対してその軍の比率で立ち向かおうとするあたり、メドック領の領主は自殺志願者か何かかとキールは思う。
――想定していなかった?
ファイツ領が反乱軍と手を結んだというのが嘘であると考えていたのならそれも頷けるのだが、それにしても見通しが甘過ぎる。
反乱軍八百の兵はかなり無茶をして連れて来た数である。半分はまともな訓練を受けていない。しかし、それでも八百。数で負けている上に、無理矢理徴兵された農民隊が裏切ろうものなら、最早戦いになる戦力差ではない。
まともな思考をしていれば戦おうとは思わないであろう。これで向こうの指揮官がものを考えられる人間なら戦わずに済むかもしれないのだが、と思うキールの視界の中で、一人の兵士が白旗を掲げて反乱軍に向かって歩いて来る。
「使者、ですか」
「降伏の、だといいがな」
どうやら指揮官はまともにものを考えられる人間だったらしいと思うと同時に、キールの心に本当にそうだろうかという疑念も生まれる。
反乱軍は張り子の虎もいいところだ。戦い方次第では二百でも十分に立ち回れる目はある。ここで一度も鉾を交えず降伏というのは考え辛いように思えるのだ。
「まあ、行く他無いでしょうね」
ここで使者を無視して斬り捨てるような真似をするわけにもいかない。誰も見ていない状況ならともあれ、流石に悪評が広まるのは避けたいところだ。見えない部分で手を汚すことに躊躇いはないが、風聞の力というのは侮れない。
一定以上の勢力になるまでは悪評が広まるのはマイナスにしかならないのだから。
ガイについて来て下さい、と声を掛け、キールは馬の腹を軽く蹴る。ルガール領内を馬で移動し続けただけのことはあり、堂に入った馬の扱い。顔がいいのも手伝って、反乱軍の長として中々様になっていた。
「この軍の指揮官は何方か!?」
「私がそうですよ。何用でしょうか?」
叫ぶ兵士に、キールは馬上から応える。見たところ剣は帯びておらず、持っているのは白旗だけ。本当に降伏の使者だろうか、とキールが気を緩めた瞬間――
「そうかい」
――鮮血が、舞った。
■ □ ■ □
「間抜け」
「……返す言葉もありません」
ベッドの上に横たわるキールに、ヴェンは呆れたような視線を向ける。
「敵が白旗持ってて武器を持ってないように見えたから使者だと思ったって? お前を素手で殺せる奴なんざいくらでもいるって話だ」
「すみません」
油断のし過ぎだ、と責めるヴェンに、キールは目を伏せて謝る。
あの時。白旗を掲げた兵士に馬上から引きずり降ろされたキールは、鋼鉄の籠手で振るわれた拳から頭を腕で庇った結果、両腕を骨折するという愉快なことになっていた。
幸い、ガイによってすぐさまその兵士は斬り伏せられ、暗殺に失敗したと見るや、メドック領の正規兵だと思われる者達はすぐさま退いて行った。
徴兵した領民達は置き去りにして。
結果的には、無傷で敵を撃退したとも言えるが、そもそも戦いに発展するかも怪しい戦力差だったのだ。もしあの場でキールが死んでいようものなら、メドック領軍が動揺した反乱軍に一当てくらいして行った可能性はあるし、下手すればその一当てで総崩れになっていたことすら考えられる。
幸い、痛みに呻くこともなくすぐさま立ち上がって自身の健在ぶりをアピールし、卑劣な行い云々とメドック領軍を罵って兵を鼓舞したのだとガイから聞き及んでいたヴェンだったが、迂闊過ぎる行いに現在大説教中だった。
「兵が無傷で済むかもしれないと考えたら、欲が出ました」
「謀はともあれ。戦いには向かないよ、お前」
「……そうですね」
ヴェンはキールをある程度評価してはいる。学が無いとはいえ、領一つの人間を説き伏せ、反乱軍に組み込む口の上手さ。場の空気を盛り立てる力は大したものだと思っているし、ファイツ領を抱き込んだ謀略を考えられる頭と、実行出来る精神性も信用している。
しかし、戦場に立つには些か足りないものがあるとも考えていた。それは、覚悟を決める速度だ。
キールは自分の手を汚すことを厭わない人間ではあるのだが、同時に日本人であった頃の倫理観を捨て切れていない人間でもある。故に、最終的に実行に移しはするものの、迷う時間が長いのだ。
後方に居るのならば大した問題にはならない。悩む時間も迷う時間もある程度あるのだから。しかし、戦場ではその一瞬が命取りになる。
キールとて戦場に立つ以上、敵の、何より味方の血が流れることは承知していただろうし、その覚悟も決めていたのだろう。しかし、白旗を上げた兵が出て来たことで、その覚悟が揺らいだ。味方が傷付かずに済むのではないかという欲が出た。その結果がこれという訳だ。
「ま、これを機に考えることだね。色々と、さ」
倫理観を捨てろとヴェンはは言わない。そんなものは個人の自由の範疇だと考えているから。戦場に立つなとは言えない。士気高揚のために反乱軍の指揮官が戦場に立たなければならない場面はあるだろうから。
ヴェンはキールを信頼してはいないが、同じ過ちを繰り返す程愚かだとも思っていない。幸いにして今回は被害が出なかった。転び方としては上々だと言える。
キールは戦争の素人なのだ。失敗から学ぶことは多いだろう。反乱軍に頭の回る人間が少ない以上、キールの成長は急務である。これから間者が山のように差し向けられるであろうことを思えば、首脳部に下手な人間を入れることも出来ないのだから。
「精進しますよ。本当に」
「頼むよ、本当に」
息を吐きつつ言ったキールに、ヴェンはからかうような調子で合わせた。
「ま、これで一息つけるって話、だよな?」
「ええ。メドック領はまだ残っていますが、攻めて来られるような戦力はありませんしね」
反乱を起こしてから数ヶ月で辺境領域に一大勢力が誕生するとは王国も考えていなかったことだろう。無論、王国が本気になればあっさり潰される程度の勢力でしかないのだが、現状戦線を二つ抱えている王国が反乱軍にすぐ対処出来る余裕は無いだろうとキールは考えていたし、ヴェンにもそう説明していた。
反乱軍が烏合の衆であることは分かっているだろうし、辺境統一以降はしばらく動けないのも承知しているだろう。であれば二つの戦線を優先した方がいい。
天賦が反乱軍に存在するという情報は早晩掴むだろうし、そうなれば下手に手を出せなくなる。天賦には基本的に天賦をぶつけざるを得ない。国にとって重要な戦力である天賦が失われる可能性を考えられば、ますます動けないだろう。
「まあ、僕はまた地獄の日々ですがね」
アルマ領を落とした時のことを思い出したのだろう。キールは疲れたような笑みを浮かべた。今回はそれの数倍の仕事量だ。前回過労で倒れたことを思えば、今回も色々と危ういことだろう。
「戦後処理お疲れさん、っと」
せいぜい苦労してくれと冗談目化して言いながら、ヴェンは椅子から立ち上がって踵を返す。
「村に戻られるのですか?」
「いいや。その前にちょいとお前の仕事を増やして来る」
ヴェンはそう言い残すと部屋を後にする。何のことやら、と首を傾げていたキールだったが、数日後、メドック領を落としたという報告を聞いて柄にもなく大笑いしたとか、しなかったとか。
辺境地域に価値の低い小さな領ばかりとはいえ、計七つの領地を統べる勢力が生まれることとなる。そして、反乱軍の名が広がると共に、一つの名も同時に広まるのだった。
『千人斬り』『鬼』『虐殺者』
――ヴェンリット。
なお、二つ名の内、『鬼』に関して、ヴェンは「熊と被るってのはどうなのよ」とボヤいたりしていたりする。名誉なんだか不名誉なんだか、とも。
ともあれ、キールが巻き起こした辺境での争乱は一旦幕を下ろし、ヴェンは一時の休息を得ることになるのだった。
キールの活躍はまだまだ先です




