36.その名は
ファイツ領攻略の軍、メルロー、グラーツ、ベルタンの三領が戦力を集結させた軍の総勢は驚くべきことに二千に達していた。尤も、まともな装備の兵士は六百程で、後は鎧すら身に付けず、武器も農具やただの木の棒を持っているだけの領民ではあったが。
領民達は兵達の前方に配置されている。すり減らしても構わない肉壁というわけだ。領民達は倍以上の数が居るのだから、全員で反旗を翻せば、或いは兵達を打ち破ることも叶うかもしれなかったが――
――無理だよな。
ヴェンは軍勢を遠目に捉えつつ、思う。彼等が自発的に反逆することなんてあり得ないだろうと。まともな食事が出来ていないのだろう。全体的に身体の線が細い。ただ、それ以上に、目に活力が宿っていなかった。
諦観で澱み、絶望と恐怖の色に沈み込んでいる。
何かを成そうという意思の力を失ってしまった、生きる屍。彼等に反旗を翻させるというのは至難の業だろう。だから、ヴェンは彼等を利用してどうこう、というのは考えない。
――領民以外の六百を殺す。
それだけだ。何ら難しい事じゃないとヴェンは思う。極端な話、弓を六百回弾けば終わるのだから。尤も、矢はそこまで持って来ていないので、鉄塊が活躍してくれるだろうが。
「でさー、何でボクまで連れて来られてるのさ」
「逃げ出されたら厄介だから。魔封輪の鍵も外す手段は幾らでもあるだろうしね」
魔封環を首に嵌められ、紅い髪を尻尾のように揺らす少女が唇を尖らせて文句を言う。武器こそ取り上げてあるが、別段拘束等はしていない。
今更逃げるという風でも無かったのと、目に見える範囲であれば、逃げ出されたところで殺すのはヴェンにとって容易いのだから。
「ホントにお兄さんって鬼畜だよねー。女の子を痛めつけて首輪嵌めてさー」
「もう一回腹を小突かれたいのか、お前は」
それは勘弁、と舌を出す少女に、ヴェンは軽く鼻を鳴らす。なお、ヴェンはここまで少女を抱えて運んで来たのだが、時折わざと傷に響くような衝撃を与えていたため、鬼畜という評は間違っていない。
早く治って貰っては困るという考えからだったが、これはヴェンが思い違いというか、考え違いからの行動だった。
うっかり自分の治癒力を基準に考えてしまっているのだ。何時少女が本調子に戻るかと警戒している。骨折が三日で完治する化物基準なものだから、少女もたまったものではない。
「……そういえばさ」
「何だ?」
ふと思いついたように口を開いた少女に、ヴェンは訝しげな視線を送る。意図して軽口を叩くヴェンと違って、この少女は脈略もなく突拍子もないことを言い出すことをヴェンはこの数日の間に悟っていた。
思考よりも感覚で行動するタイプとでも言えば良いのだろうか。自分もそちら寄りであることは棚に上げて、こういうタイプは苦手なんだよな、とヴェンは溜息を吐く。
「名前、聞いてなかったなー、と思って」
「……名前を聞いて仲良しこよしってわけでもあるまいに」
ヴェンは素っ気なく返す。ヴェンの方は領主の口からこの少女の名を聞いているが、だからといって呼ぼうとは思わなかった。大体、捕らえたとはいえ、根本的な部分でこの少女は敵なのだ。味方だと認識した相手には途端に甘くなる自身の性格を鑑みて、ヴェンはこの少女と馴れ合うつもりはなかった。
「いやさー、自分を負かした相手の名前くらい知っておきたいじゃない?」
「ま、減るもんでもないし、いいか。俺の名前は――」
■ □ ■ □
後に『屠殺場』と評される一方的な戦いの幕は、鋭く、同時に鈍い音から始まった。その瞬間、何が起きたのかを理解出来た者は誰一人として居なかった。
一瞬の後、地面に転がった頸と、頭部を失った身体が血を噴き出しながら落馬していく光景を目にして、ようやく自分達が攻撃を受けていることを認識したのだ。
それでも、何が起きたのかは理解出来なかった。幾度となく鋭い風切り音と、頚が飛ばされる鈍い音が繰り返し響いて、誰かが頸刈りの風の正体が矢による射撃であることに気が付いた。
――気が付いても、無意味だった。
悲鳴が上がる、怒号が上がる。
姿の見えない狙撃手は狡猾で、指揮官を狙い撃ちにして行った。或いは、単に馬に乗っている者を狙っただけかもしれないが。しかし、指揮を継いだ者も、間を置かず射殺された。
撤退の指示を出せる者は、居ない。物理的に言えば居るのだろうが、おそらくは少数、或いは単独であると考えられる敵に背を向ける判断は出来なかった。それをすれば、領主に首を刎ねられることは明らかだったから。
判断を下せず、迷っている内に、矢によって首を刎ねられた。飛ばされた頭はまだどのような指示を出すべきか考え続けていただろう。そんな頭がゴロゴロと地面に転がって、まずいかもしれないと全軍が考え始めた時、全軍に指示を下せる者は物理的に居なくなっていた。
この時点で、ファイツ領攻略軍全体の士気は大きく下がり、闘争心の残量も底を突きかけている。撤退の指示があれば間違いなく従ったであろう。
総軍二千の内、殺されたのは三十にも満たないだろう。それでも、見えない敵に一方的に殺される。何をされたかも分からぬままに命を奪われる。それは、精神を大きく削った。
また、矢で首を刎ねるという異常性。常識的に考えて、あり得ないことだと学のない人間でも分かる。自分達が敵対している者が超常的な存在なのだと理解させられたのだ。
首を失った身体が噴水のように血を噴き出し、崩れ落ちて行く様はどこか滑稽で、地面に転がった死体はひたすらにグロテスク。異常な、狂気に満ちた雰囲気が戦場に広がっていく。
指揮官の不在と、戦場の異様な空気によって進むことも退くことも出来なくなった軍勢。指揮官という頭部を失い、恐怖によって兵という手足も動けなくなってしまった軍勢は、ファイツ領を蹂躙する獣ではなく、最早抵抗など出来ない獲物に成り下がっていた。
そして、弱った獲物を狩るのが猟師だ。
殺戮の矢が止み、ファイツ領攻略軍に一時の休息が与えられる。その間に正規の兵士達はどうにか指示系統を再構築すべく動いたのだが、いかんせん複数の領による連合軍。どの領の者が上に立つかで揉め、一向に話が進まない。
会議は踊る。無意味な話し合いをしているくらいなら、与えられた一時の休息を本来の用途で使う方が有意義だっただろう。
それは、覚悟の時間だ。
訪れる死に対する覚悟を決める為の時間。正規の兵達も本能的な部分では理解していただろう。矢が止んだことは、襲撃者が諦めたわけでも、立ち去ったわけでもないことを。それでも無意味な話し合いなどをしたのは、現実逃避の一種でしかない。
襲い来る脅威に対して、自分達は対策を練っているのだというまやかしの安心感。それを得たいがための逃避行為。そんなまやかしの安心感を粉々に打ち砕く流星が軍団後方に落下する。
鳴り響く、地響き。
局地的な地震が起きたかのように地面が揺れる。落下地点は大きく抉れ、地面が陥没している。
誰が信じるだろうか。これが個人によって成されたことなのだと。誰が信じるだろうか。魔術など関係ない、単純な腕力によって成されたということを。
纏うのは、緋色の衣。
土煙が晴れた先に居たのは、一人の少年だ。灰色の髪を靡かせ、派手な緋色の外套を鎧の上から身に纏っている。獣を思わせる鋭い眼光は、血の色。整った容貌なのだが、何より先に獰猛そうな印象を覚える。
尤も、少年の容貌に意識が行った者は殆ど居なかった。視線を集めたのは、肩に担いだ、あり得ない武器である。
――金属の塊。
それは、武器というよりも建物の柱だと言われた方が幾分納得の行く代物だった。剣のような柄が付けられている以上武器なのだろうが、平均的な男性の身長程もある金属塊。その重量は如何程のものだろうか。
そんな超重量を、なんの気負いもなしに担いでいる。一目で分かる、圧倒的な暴力。
単騎で敵軍に向かい合う傲慢さ。否、自信、或いは確信があるのだろう。一人で一軍を相手取れるという自信が。それが慢心だと考える者は、この場に誰一人として居なかった。
圧倒的な、重圧。
まだ欠片の殺気も漏らしていないというのに、肌を叩く強者の波動。理屈ではない。本能が悟らせた。圧倒的な戦闘能力を。
ゴキリ、と少年が首を鳴らす。三十名以上が討ち取られたとはいえ、未だに二千近い軍勢に対し、少年は欠片も緊張したり、怖れたりはしていないようだった。
少年が無造作に金属塊を振り回す。空気が鈍く引き千切られ、風を巻き起こした。動作の一つ一つが重く、余裕が感じられる。高峰を仰ぎ見るような、圧倒的な戦闘能力。
逃げ出したいと思う者も、身体が動かなかった。言いようが無いが、少年の放つ重圧に抑え込まれたかのように身体が縛られて。
牙を剥くように笑う少年の姿は、獲物を狙う狩人であり、獲物を狙う捕食者のそれ。蛇に睨まれた蛙のように、兵達は身体を固くする他ない。
「名乗っておこうか」
静かな声だった。張り上げたわけでもない声は、しかし静まり返った戦場によく響く。倒された相手の名前は知っておきたいらしいんで、冥土の土産に持って行ってくれ、と少年は獰猛に笑った。
「俺は――反乱軍、戦力筆頭ヴェンリット」
あんた等の道先案内人だと少年は皮肉っぽく笑い、地獄行きのな、と付け加える。
「あ、ああああ!」
恐怖で錯乱したのだろう。一人の兵士が少年に斬りかかる。銀孤を描いた斬撃は、鈍い鉄塊によって押し潰される。地面で血の染みとなった兵士の姿に、周囲の兵は現実を理解出来ない様子で目を見開き、次の瞬間恐怖に顔を歪めた。
「……さあ、始めようか」
少年は言葉と共に、軍勢に飛び込んで行く。戦場が屠殺場に変わったのは、この瞬間だったのだろう。
殺戮の宴が幕を上げた。




